第90話:幻影の家族
新宿ダンジョン第十七層。冷気が肌を刺し、陽炎のような歪みが視界を覆っている。
大介(エイミー体)が最奥の広間に踏み込んだ瞬間、重厚な魔導杖を核にして、どろりとした闇が足元から溢れ出しました。
「……ほう、これが精神攻撃か。俺のニート時代の黒歴史でも見せてくれるのかと思ったら……」
瞬きをした刹那、風景は一変していました。
そこは新宿の湿った空気ではなく、リディアの貴族屋敷。静寂の中に、冷徹な声が響き渡ります。
『――エイミー。またそんなガラクタを抱えているのか』
大介は、観客席にいるような妙な感覚でその光景を眺めていました。
目の前には、巨大な壁のようにそびえ立つ父・ロバート。そして、鼻で笑う次兄のヴァルディス。
その前で、幼いエイミーがボロボロの魔導書を抱きしめ、震えながら立っていました。
『お父様……私、今日は火の魔法を、少しだけ……』
『黙れ。レイン家は戦士の名門だ。剣も振れず、魔法も満足に使えぬ落ちこぼれなど、我が家には不要だ。お前の価値は、その容姿だけだ。アルフレッド殿に嫁ぐまで、大人しく人形のようにしていろ』
ロバートの言葉は、まるで鋭い刃のように幼い少女の心を削り取っていきます。
しかし、そんな絶望的な状況で、幼いエイミーは俯きながら、ポツリと少しズレた言葉を漏らしました。
『……でも、お父様。アルフレッド様は……あまりにも「細すぎ」ます。あれでは、私が重い魔導書を抱えて転んだとき、一緒に折れてしまいます……?』
『なっ……何を訳の分からぬことを!』
大介は、思わず吹き出しそうになりました。
(……おいおい。こんな時から、この娘の基準はそこだったのかよ)
しかし、笑いはすぐに消えました。
ロバートに平手打ちを食らい、冷たい床に転がされたエイミーは、それでも魔導書を離しませんでした。
隣で見ていた次兄・ヴァルディスが、冷たく言い放ちます。
『落ちこぼれが。お前がその本をいくら読んでも、誰も救えない。
お前の魔法なんて、お茶を温めるのが関の山だ。
……死なないうちに、その細い腕を差し出して飼い主を待っていろ』
大介の胸の奥が、氷を飲み込んだように冷えていきました。
家族からの全否定。政略結婚という名の「飾り物」への強要。母・マーガレットの無力な涙。
エイミーがどれほどの孤独の中で、自分の居場所を求めて魔法にすがってきたのか。
泣きじゃくる幼いエイミーは、誰もいない暗い父の書斎で、一人で自分に言い聞かせていました。
『私は、お人形じゃない……。いつか、私の魔法で、誰かを……私のことを必要としてくれる誰かを、守れるくらい、強くなるんです……。たとえ、お父様が私を見捨てても……』
「…………」
大介は、エイミーの白く華奢な指先を見つめました。
魔法を軽々と振り回し、笑っていた彼女の裏側に、こんなにも深く、暗い傷跡があったこと。
そして、そんな環境でも、彼女は「誰かを守るための強さ」を捨てなかったこと。
(……エイミー。お前、本当にすげえよ。それに自分に自信が持てない理由も分かった気がする)
大介の心に、これまで感じたことのない激しい感情が渦巻きました。
それは、単なるパートナーとしての信頼を超えた、もっと根源的な「意志」でした。
(こんな安っぽい過去に、こいつの心をこれ以上一ミリだって触れさせてたまるか。
……この娘は、俺が守る。俺が、こいつの光になってやる)
「おい、化け物」
大介は、エイミーの魔力を、かつてない密度で杖の先端へと凝縮させました。
幻影が歪み、幽霊の実体が嘲笑うように姿を現します。
「趣味の悪い上映会は、ここまでにしな。……今から俺がエイミーのトラウマごと、こいつの『輝かしい未来』でぶち抜いてやるぜ」
大介(エイミー体)の瞳には、かつてないほどの鋭い闘志が宿っていました。




