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第199話:【看取る覚悟/遺す覚悟】

 結婚式を明日に控えた、双葉荘の夜。


 かつては狭くてボロいだけだったこの居間も、今ではリディアと地球を繋ぐ、世界で一番価値のある場所になった。


大介は一人、使い慣れた文机に向かって万年筆を動かしていた。


「……よし。これで、ひとまずの整理はついたな」


 大介はふぅと、肺にある熱をすべて吐き出すように息をついた。


 かつて自宅の押し入れから始まった物語。


一人はうだつの上がらない起業家、もう一人は落ちこぼれのエルフ。


あの日、二人が出会い、その身体と立場を交換してまで「成り上がる」と決めた無茶な博打は、すでに最高の形で幕を閉じている。


 リディアトレードは世界に冠絶する企業となり、二人は望んだ以上の場所へと辿り着いた。


今、大介が綴っているのは、その「成り上がった後」に待っている、逃れられない未来への備えだ。


「……大介さん。まだ、そんな難しい顔をしているんですか?」


 背後から、衣擦れの音とともに柔らかな声がした。エイミーだ。


 彼女は、かつて大介が喉から手が出るほど欲しがった「エルフの若さ」を体現している。


一方の大介は、彼女の代わりに「人間の老い」を一身に引き受ける日々を歩んでいる。


「別に難しくなんてねえよ。ただ、明日を前にして、ちょっとばかり格好をつけたくなっただけだ。……ほら、お前も気になるんだろ? 覗き見しに来たんだもんな」


 大介が苦笑しながら差し出した紙を、エイミーは少しだけ頬を染めて受け取った。


 だが、その一文字一文字を追い始めた瞬間、彼女の瞳からふっと柔らかな色が消え、引き締まった覚悟が宿った。


「……俺がいなくなった後の世界でも、リディアトレードは回り続ける。けれど、そこに俺という意思こころがいなくなったとき、この場所を守れるのはお前だけだ。俺が君の身体を借りて築き上げたこの栄光を、今度は君自身が、君の名前で繋いでいってほしい」


 手紙の最後には、かつて身体を交換してまで守り抜こうと誓った、彼女の本当の名前が記されていた。


「……私の名前。大介さんが書くと、なんだかすごく、重みを感じますわね」


 エイミーはそう言って、手紙を大切そうに胸へ抱き寄せた。


 彼女はエルフとして、これから何百年も生き続ける。大介は人間として、いつか必ず彼女を置いて先に逝く。


かつて「身体を交換して成り上がる」という契約を交わしたときから、この「寿命の差」だけは、どんな魔術や富でも埋められない溝として横たわっていた。


「……本当にいいのかよ。俺が死んだ後、お前は一人でこの巨大な会社と、俺との思い出を背負っていくんだぞ。けっこう、しんどい仕事だぞ」


「あら。かつて大介さんの不摂生な身体で走り回っていた頃に比べれば、なんてことはありませんわ」


 エイミーはクスクスと、かつてのように悪戯っぽく笑った。だが、その瞳には一点の曇りもない。


「君が生き続けるなら、それでいい。あなたが私の姿を借りて見せてくれたこの景色を、今度は私が、私の瞳でずっと見守り続けます。それが、私たちの完成させた『成り上がり』なんですもの」


 大介は、彼女の言葉に胸の奥が熱くなるのを感じた。


「ああ。……あなたが生きた証を、私が忘れない。俺が消えても、この会社という仕組みの中で、お前の物語がずっと輝き続けるようにしてやるからな」


 夜明けは近い。


入れ替わりによって、「成り上がり」という狂騒を駆け抜けた二人は、今はただ、互いの手に残る体温だけを信じていた。

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