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第198話:愛の刻印


 ポータルの崩壊危機から数日が過ぎた。


 リディアトレード本社は、かつての活気を取り戻していたが、大介の執務室だけは驚くほど静かだった。


かつてデスクを埋め尽くしていた「時間退行」の魔導書や、狂気的な数式のホログラムはすべて消去されている。


 大介は、窓の外に広がる新宿の夜景を眺めていた。


かつては「いつまでこの景色を隣で見られるか」と焦燥に駆られていたが、今は不思議と、街の灯りの一つひとつが愛おしく感じられた。


「大介さん、お疲れ様ですわ。ハーブティーを淹れましたの」


 エイミーが、以前よりも柔らかい足取りで部屋に入ってきた。


彼女の指先には、かつて大介が「初任給」で贈った、決して高くはないが手入れの行き届いた指輪が光っている。


「……エイミー。俺、決めたよ」


 大介は振り返り、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「リディアトレードの代表としてじゃなく、戸田大介個人として。……俺とお前の時間を、ちゃんと形にしたい。落ち着いたらって先送りにしてたけど、来月、結婚式を挙げよう」


 エイミーは一瞬、目を見開いたが、すぐに花がほころぶような笑みを浮かべた。


「はい。……喜んで、お受けします」


 二人は、どちらからともなく歩み寄り、静かに寄り添った。


 大介の胸に顔を埋めたエイミーは、彼の規則正しい鼓動を聞きながら、そっと口を開いた。


「大介さん。エルフには、愛する者との誓いを肌に刻む『愛の刻印マナ・シール』という古い習慣がありますの。……と言っても、魔法の紋章ではなく、ただの誓いですけれど。私、あなたに刻みたいのです。私が、あなたの生きた証を、あなたの熱を、この魂に刻み込んだという証を」


「……ああ。俺も、お前に刻みたいよ。俺がこの世界にいて、お前を愛したっていう、消えない記録をな」


 大介の言葉は、IT企業の経営者らしい独特の表現だったが、エイミーにはそれが何よりも甘く響いた。


 若返ることをやめ、普通に老いていく道を選んだ大介。


それは「死」という確定したバグを受け入れることだ。


けれど、その有限の時間だからこそ、今、この瞬間の抱擁が、ダイヤモンドよりも固く、永遠に等しい価値を持つ。


「見ていてくださいね、大介さん。私が、あなたの遺す全てを、何百年先まで守り抜きます」


「ああ。……頼りにしてるぜ、副社長」


 大介はエイミーの髪を優しく撫で、その温もりを網膜に、そして魂の深い階層へと焼き付けた。


 窓の外では、東京の夜がどこまでも深く、穏やかに続いていた。

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