第189話:セレナの警告とエルフの真実
静まり返った深夜の執務室。
ホログラムの演算式が青白く漂う中、セレナは大介が広げている「時間退行」のシミュレーション結果を、冷徹なまでの静寂とともに見つめていた。
「……ダイスケ。もう、やめなさい」
その一言が、キーボードを叩く大介の手を止めた。
セレナの瞳は、数百年という時を積み重ねてきたエルフ特有の、全てを透かし見るような光を宿している。
「時間を歪めるということは、その時間に刻まれた『思い出』を歪めること。あなたがやろうとしているのは、命への冒涜だけじゃない。エイミーと過ごした愛しい時間を、ただの『数値』として書き換える行為よ」
「……冒涜? 綺麗事を言うな、セレナ」
大介がゆっくりと椅子を回し、セレナを睨みつけた。その瞳には、過労による充血と、理性を焼き尽くすような焦燥が入り混じっている。
「時間を尊ぶだの、思い出を刻むだの……それはお前らが『永遠に近い命』を持っているから言える贅沢なんだよ。お前らは、隣で笑っている奴が、自分だけを置いてあっという間に枯れ果てていく絶望を知らないだろう?」
大介は立ち上がり、セレナに一歩詰め寄った。
「三十年後、エイミーは今のままの姿で、俺の死を看取る。その後の五百年、あいつは俺の墓の前で立ち止まったまま、たった一人の孤独を生き続けるんだぞ。……お前ら長命種には、置いていかれる側の、そして『残していく側の地獄』なんて、逆立ちしたって分からねえんだ!」
「ダイスケ、それは……!」
「分かってたまるか! お前らはいつだって、流れる時間を余裕たっぷりに眺めている観客席の住人だ。俺は、土俵際で必死に砂を噛みながら、あいつとの一秒を買い叩こうとしてるんだよ!」
激昂した大介の声が、防音の効いた室内で空しく響く。
セレナは反論しようと唇を震わせたが、大介の顔に浮かんだ「孤独への恐怖」があまりに深く、言葉を失った。
「笑えるだろ、あれほどエイミーに現状を見せると言った俺がこのザマだ。いざ年月の経過を感じるとこんなに焦ってる。本当に現実が見えてなかったのは俺だったんだ」
「いいえ、それが人間の命の輝きだもの」
セレナが小さく呟いた
エルフにとって時間は「積み重なるもの」だが、人間である大介にとって時間は「こぼれ落ちるもの」だった。
その埋めようのない認識の差が、かつて信頼で結ばれた二人の間に、深い、深い溝を刻んでいく。
「……出て行ってくれ。俺は、仕組みで運命をねじ伏せる。それがリディアトレードの、そして俺のやり方だ」
大介は再びモニターへと背を向けた。
セレナは悲しげに瞳を伏せ、一度だけエイミーのいるであろう方向を振り返ると、音もなく部屋を去った。
冷たい機械の駆動音だけが響く部屋で、大介は震える手でマウスを握り直した。
彼が今、本当に戦っている相手は「老い」ではなく、愛する人を独りにするという「未来の自分」への憎悪だった。




