第188話:禁忌の扉と焦燥の日々
リディアトレード本社ビルの最深部にある「第零研究区画」。
そこは今や、表向きのIT事業や物流管理とは無縁の、どす黒い情熱が渦巻く場所に変わっていた。
「リリー、ポータル通過時の『位相差』の解析結果はどうなった。セレナ、エルフの伝承にある『時の停滞』の術式と、ポータルの時空歪曲率の相関関係を出せ」
大介の声は枯れ、瞳の隈は一段と深くなっていた。デスクには飲み干したエナジードリンクの缶と、解読途中の魔導書が積み上がっている。
「……ダイスケ、少しは休みをとりなさい。あなたは人間としての限界を超え始めているわ」
セレナが懸念を口にするが、大介はそれを遮るようにキーボードを叩き続ける。
「休んでる暇なんてねえんだ。ポータルは単なる移動手段じゃない。二つの世界の時間の流れを強制的に繋ぎ合わせる『時間干渉器』だ。この特性を逆流させれば、細胞のカウントダウンを巻き戻せるはずだ……」
大介の脳内にあるのは、もはや健全な事業計画ではない。
自分の肉体を「若返り」という名のプログラムで上書きする、狂気的なまでのハッキング計画だった。
そんな大介の変貌を、エイミーはただ遠くから見つめることしかできなかった。
執務室に差し入れを持って訪れても、大介はモニターから目を逸らさない。
「大介さん……。顔色が、あまりに悪いですわ。今日はもう、私と一緒に帰りましょう?」
エイミーが背後からそっと肩に手を置くと、大介は一瞬だけ動きを止めた。
だが、振り返ったその顔には、いつもの「能天気な社長」の仮面が、歪んだ形で張り付いていた。
「なあに、大丈夫だって! ちょっとな、リディアトレードの『未来』を盤石にするための、大事な仕込みをしてるだけさ。……お前がずっと、笑顔でいられるための未来をな」
大介はそう言って、エイミーの頭を優しく撫でた。だが、その掌は以前よりも熱く、そしてどこか震えていた。
「大介さんの言う『未来』に、今の大介さんはいないのですか……?」
エイミーの切実な問いが、静かな部屋に響く。
大介はそれに答えず、再び青白い光を放つモニターへと向き直った。
中層に潜む「死」への恐怖と、エイミーを独りにすることへの焦燥。それが大介を禁忌の扉の奥へと駆り立てていく。
日増しにやつれていく男と、変わらぬ美しさのまま不安に震える少女。
二人の時間は、交わることなく加速し続けていた。




