第174話:時を遡る代償
家族との和解を経て、大介の自室に戻った二人は、久しぶりに訪れた平穏な空気の中にいた。
大介が着替えを取りに席を外した間、エイミーは何気なく本棚の隅に押し込まれた一冊の古い革装本に目を留めた。
「あれ……これは?」
それは、大介がポータルを最初に見つけた際、その傍らに落ちていたという小冊子だった。
「ああ、それか。ポータルと一緒にあった説明書らしきもんだけど、何の言葉か分からなくて放ってたんだ。図解もねえし、マジで意味不明だろ?」
戻ってきた大介が苦笑いしながら言う。しかし、本を開いたエイミーの顔色が変わった。
「大介さん……これ、リディアの古い時代の神聖文字ですわ。……読んでみましょうか?」
エイミーは細い指先で文字をなぞり、その内容を読み解いていく。
だが、読み進めるうちに彼女の表情は険しくなっていった。
「……信じられません。これ、ポータルの『初号機』に関する警告書です。初期の転移門は魔力の循環が不安定で……転移の際、稀に『時間が巻き戻ってしまう』という重大な不具合があったようですわ」
「時間が……戻る?」
大介が身を乗り出した。大介は人族、エイミーはエルフ。
その「寿命差」は、大介にとって繊細な不安の一つだった。
もし自分だけが先に老い、彼女を一人残してしまったらという孤独への恐怖。
「おい、それって……もしその機能を使えば、俺もお前と同じ時間を生きられるようになるのか? 年をとってから若返って、お前と同じ時間を過ごせるのか?」
「不屈の精神」を持つ大介は、絶望的な寿命差を埋める「次の一手」を見つけたかのように食いついた。だが、エイミーの瞳は悲しげに揺れている。
「……続きがあります。肉体の時間が巻き戻る際、魂の記録……つまり『記憶』も、その時点まで消失してしまう、と。大介さんが若返れば、その期間の思い出もすべて消えてしまうんです」
大介の言葉が止まる。
若さを手に入れれば、彼女と長く歩める。しかし、その時、隣にいる少女を「誰だ、お前?」と呼ぶことになるのだ。
「……将来、もし俺が先にガタがきたら、使ってみるのもアリかもな。記憶なんて、また一から作ればいいだろ?」
大介はわざと明るく「能天気」に笑ってみせた。だが、エイミーはその手を優しく、しかし強く握りしめた。
「ダメです、大介さん。……これから二人で築く楽しい思い出も、喧嘩した苦しみも……きっとそのすべてがあって『あなた』になるはずです。大介さんの歩んできた時間を奪ってまで、一緒にいたいなんて……私は思えません」
エイミーの「自由への渇望」は、他人の犠牲の上に成り立つ幸せを拒絶した。
大介は、彼女の真っ直ぐな瞳に射抜かれ、自分の焦りを見透かされたことに気づく。
「……そうだな。悪りぃ、変なこと言った。俺は今のまま、全力でお前を守る。記憶も、シワも、全部抱えてな」
二人は、秘密の記された本をそっと閉じた。
時を操る魔法よりも、今この瞬間を共に生きる決意の方が、何倍も重く、尊いことを知った夜だった。
また大介は割り切っていたつもりだが、少し光が照らされただけで揺らぐ事実に自分自身で驚いていた。




