117話:錆びた金槌と、消えない体温
エルゼの家の中に一歩足を踏み入れると、そこはエルフの住居とは思えない不思議な空気に満ちていました。
精緻な魔法具が並ぶ代わりに、棚には使い込まれて持ち手が黒ずんだ無骨な鉄の金槌や、分厚い作業革が大切に飾られています。
「主人は、このリディアで一番の鍛冶屋でしたのよ」
エルゼは愛おしそうに、棚に置かれた錆びた金槌を指先でなぞりました。
大介がその道具を見つめると、かつてそれを使っていた男の、火花散る仕事場の熱気まで伝わってくるようです。
「夫が旅立ってから、もう二十年になります。彼が老いていくスピードは、私にはあまりに早すぎました。昨日まで重い槌を振るっていた腕が、瞬きをする間に細くなり、足取りが重くなる……。お嬢さん、あなたもそれを恐れているのでしょう?」
エイミーは息を呑み、反射的に大介の逞しい腕を掴みました。
老化魔法を受けた時の、あの枯れ木のような大介の感触が指先に蘇ります。
「私も、昔は毎日泣いて過ごした時期がありました。目覚めるたびに彼の皺が増えていくのが怖くて、いっそ時を止める魔法を探そうとさえしたわ。でもね、不思議なんです。彼が弱くなればなるほど、私には彼がどんどん愛おしく、光り輝いて見えたのです」
エルゼは窓の外を見つめ、遠い記憶を辿るように目を細めました。
「彼が最後に息を引き取るとき、震える手で私の手を握ってこう言いました。『君の長い旅路の、ほんの少しの休憩地点になれて幸せだった。僕を看取った後も、君が笑っているのが、僕の生きた一番の証明だ』と。……エイミーさん、私は今でもこの家で彼の気配を感じて生きています。寂しくないと言えば嘘になりますが、彼と過ごした三十年は、私に残された何百年の孤独を埋めて余りあるほど、温かなものだったのですよ」
エルゼは大介を見上げ、それからエイミーの震える手に、自分の重ねた時間を分け与えるように優しく手を置きました。
「失うことを恐れて、掴めるはずの手を離してはだめ。私たちエルフが授かった長い時間は、愛した人の記憶を、この世界で一番長く守り続けるためにあるのです。それは、神様が私たちにくれた特別な『ギフト』なのですよ。あなたが覚えている限り、その人はあなたの隣で、永遠に生き続けるのですから」
その言葉は、エイミーの胸の奥底に溜まっていた冷たい不安を、ゆっくりと、けれど確実に溶かしていきました。
錆びた金槌に宿る温もりは、形あるものが消えた後も、愛だけは残り続けるのだと静かに語りかけていました。




