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第29話

第29話




「時刻が分かる」というのは便利なものだ。


クリス曰く今日は半月で、晴れているそうだ。

これが「わずかな月明かり」の明るさか。

俺は今の明るさを「種族特性」の明るさ感知に学習させた。


月か……月がある。 地球と同じように。

不思議な世界だ。 ひょっとしてここは、地球なのか?

時間の過ぎ方も、地球と変わらないと感じる。


だが俺がした地球での話を聞いても、クリスは不思議そうにしていた。

俺は今、どこに居るんだ。


…………。

答えの出ない問いを頭から追い出し、俺は作戦に集中した。



今夜の目標は三か所、広場の東側エリアにある。

地図が見れないので、俺が把握しているのは大体の位置だ。


だが魔力鎧を身にまとったクリスは、迷う事無く滑るように移動していた。

まあ実際「魔力粘着」の移動がかなりの部分を占め、「滑って」いると言ってしまって良いだろう。


ゴブリンは大半が寝静まっているが、起きているものもちらほらいる。

器用にそれを避けながら、或いは容赦なく屠りながら、俺たちは第一目標に到着した。


コンクリートのように堅牢な巨大な箱に所々穴があけられ、そこからチョロチョロと水が出ている。


水場だ。


水場の近くには、体の大きいゴブリンが多い。 

ホブゴブリンだな。


なるぼど、比較的良い場所は上位のゴブリンが占拠している訳か。

ただ、屋内で見たホブゴブリンと違い、こいつらは上着を着ていない。


クリスは音もなく箱型建造物の壁面を登り、その上に立った。

端の方に点検口がある。

目的ポイントだ。


彼女はベルトのポーチから、細く柔らかい管が一本出ている小さなボトルを取り出した。

蝶番に中身のオイルを注いだ後、取っ手を持ち静かに持ち上げると、ほとんど音を出さずに点検口が開いた。


そこから中に入る。

梯子があったが、今の彼女には不要だ。


(イチロウ。)


(一つでいいか?)


(うん。 お願い。)


俺は予め彼女から預かっていた、「対ゴブリン毒持続注入装置」を彼女の手の平の上に出した。

それを内側の壁面にセットし、彼女は装置のピンを抜いた。


装置の下部から、一滴、また一滴。

無色透明の毒が、水槽へ静かに落ちていく。


持続的に注入することにより、多くのゴブリンに行き渡るようになる。

これで作業完了だ。

クリスは静かに外に出て点検口を閉じた。


(イチロウ、する?)


俺は「周辺探査」で周りを見渡した。


(ああ。 南東の端の……そうだ、そこだ。)


建物の下に複数のホブゴブリンが見える位置に、彼女は移動した。

寝転がっている奴らの、生体反応のピンクがはっきりと見える。


クリスの持ち込んだ毒を俺の「フィルター」で抽出し、さらに「合成」したデバフ群。

その効果を検証するため、クリスに時間を取ってもらうよう頼んでいた。



「対ゴブリンポイズン」 射出。


生体反応が消えた。 30秒。



別個体に「グレーター対ゴブリンポイズン」 射出。


生体反応消失。 10秒。



早い。


上位のホブゴブリンでこの効果なら、低級ゴブリンは即死かもしれない。


いよいよ最後だ。



「デッドリー対ゴブリンポイズン」 ——射出。



射出する時に手が止まりそうになった。

デッドリーという禍々しい名前が付けられたそれを、使う事に躊躇した。


だがデバフは射出され、一匹のホブゴブリンに吸い込まれていった。

相手の生体反応はすぐに消えた。 即死だ。


そして。


その個体から半径3m程の範囲に体の一部でも入っていたホブゴブリンの生体反応が、全て消えた。



種族レベルアップ Lv10 → Lv11


ステータスポイント 2


ENG:11,000(6,450) → 14,500(9,950)


BP:1,150 → 1,500



レベルアップの表示は頭に入ってこなかった。


(イチロウ? レベルが上がったみたいね。)


(クリス。)


(毒の注入では直接経験値を得られないわ。 並行して私達も出来るだけ殲滅していきましょう。 そうすれば「レッドキャップ」や「無印」との遭遇でも、活路が見つけられるようになるかも。)


(クリス……テリア。)


(……イチロウ? どうしたの!?)



最初のゴブリンを倒したときに、覚悟は決めたのだ。

だが俺は自分の能力が、それを使った結果が、急に恐ろしくなった。


望んでいたはずなのだ。

力を。

このくそったれな世界に抵抗する手段を。


分かっていて使ったはずなのに。

その結果に怖気づいたのだ。


いや。


こんな力を平気で使うようになったら、それは「人」と言えるのか?

存在しない心臓が、ギュッと縮んだ気がした。


クリスが俺に手を当てているのを感じる。

俺は……震えているんだろうか。

彼女は何も言わず、膝を抱えて座った。


しばらくすると、少し落ち着いてきた。


(……すまん、クリス。 すまん。)


(私は大丈夫よ、イチロウ。 その……何か気になる事が、あった?)


おずおずと聞いてくる彼女に、情けない事に俺は今沸き上がった気持ちを全て話した。

彼女に甘えずにはいられなかった。


(……イチロウ。)


俺の心の吐露を聞いた後しばらくしてクリスは、淡い光が感じられる方を見上げて話し出した。


(幼い頃の「環境」はその人の人生に、とても大きな影響を与える。 私はそう思っているの。 ひどい環境なら生き残るために、悩みを持つ余裕がない。 そしてそれが当たり前になる。 でも貴方はそうじゃない環境で育った。)


(生き残るのに、他人を殺さなくて良い環境で。 なら貴方が感じている恐れは、今持って当然だと思うわ。 私も初めてゴブリンを直接手に掛けた時の記憶は、今でもはっきり覚えているもの。)


もういちど彼女は俺に触れた。


(イチロウ。 貴方は、人間よ。 話していて、貴方がスライムの外見をしてる事なんて忘れてしまうのは、一度や二度じゃないわ。)


(ねえイチロウ。 私の為に使って。私には貴方の力が必要よ。 だから。 貴方のその力、私の為に使って。 私の願いを叶えるために。)


彼女の言葉が俺の体を強張らせていた力を、ゆっくり剥がしていった。


(クリス……。)


鈍い俺でも分かる。

彼女は「自分を理由にしろ」と、言ってくれてるのだ。

力を使う言い訳を、彼女のせいにしろと。


情けない。


ああ、情けない。


だが。


出会ったのが彼女で、よかった。

彼女の命を助ける事が出来て、良かった。


(クリステリア。)


(うん。)


(ありがとう。 もう、大丈夫だ。 ……次の地点に向かおう。)


(そ。 まあ、また何かあったら、いつでもお姉さんに言いなさい。 抱え込んじゃ、駄目よ? 私も貴方に相談するから。)


(ああ。 分かった。 行こう。)


クリスは立ち上がり、北に向かって建造物の上からジャンプした。

魔力鎧が衝撃を分散・緩和し、音も無く着地。

そのまま、滑る様に2つ目の水源へ移動を開始した。


彼女の背中で、光を感じる方向に意識を向ける。

月の光が、俺とクリスを淡く照らしていた。




第29話 完




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