54,亡命者マシアス・ギール
季節は初夏になろうとしていた。
セミの鳴き声が山々にこだまする頃、イースタリアとの州境に駐屯していた魔導士ヴァルデーノ・オルス殿から一報が届いた。
イースタリアとの州境に、トクーガ家の重臣マシアス・ギールが一族郎党を引き連れて投降してきたのだ。
彼は亡命者であった。
ギョーム殿はヴァルデーノ殿の手紙に目を落としながら言った。
「マシアス・ギール、大物ですよ。」
「大公家の重臣だとは聞いているが…」
「裏大公と呼ばれていた男です。」
「裏の大公かね?」
「ええ、大公ドメルグ殿が外交と軍事を担当する一方で、内政と裏の仕事を取り仕切っていると噂されていました。」
「裏の仕事というのは暗殺とか謀略とかいうことか?」
「そんなところでしょう。」
「どんな男だろう?」
「マシアス・ギールの評判については何とも言えません。穏やかで清廉潔白だという話も聞きますが、何を考えているのか分からない男だという人物評もあります。」
「つまりは、食えない男だということだ。スパイの可能性もあるな。」
「確かに…」
「では、私が行って本人と話をしてみよう。」
「先生が行かれますか?」
「いま動けるのは私と幸村君くらいのものだろう。こういう仕事は暇人に任せてもらおう。」
「では、幸村殿も連れて行かれますな。」
「いまのところ魔族と直接戦った経験があるのは私と幸村君だけだ。マシアス・ギールから魔族に関する情報が得られるかもしれない。」
「ならば、馬と護衛の兵を用意させます。」
「召喚者が二人もいるんだ。護衛の兵は必要ない。」
「それもそうですな。」
こうして、私と幸村君はイースタリアとの州境に向かうことになった。
同日、ウード卿と王家の重臣たちがウエスタリアへ向けて出発した。装飾過剰な大そうな行列である。
ポセイドゥス殿の大公叙任の使者という名誉のお役目だ。
これで厄介払いができたというものだ。
私と幸村君は馬を飛ばした。
私は一刻も早く魔族の情報が知りたかった。
それだけではない、マシアス・ギールという人物に興味があったのだ。
***
州境は難民たちであふれていた。
イースタリアを追われた民衆がテントの中で寝起きしている光景は、戦争の悲惨さの現れである。
私たちを真っ先に出迎えたのは猫耳忍者のサスケ君だった。
「久しぶりだな、サスケ君!」
「こっちはもう大変だニャァ。ようやく食料が届いてほっとしているところだニャ。」
幸村君は馬上からサスケ君をねぎらった。
「サスケ、ご苦労だったなり!」
「幸村様、面目ないニャ。影一族の密偵が何人かイースタリアで捕らえられたニャ。影写しの魔法のも魔族には通用しないニャ。」
「捕らえられた密偵はどうなったなりか?」
「たぶん、殺されたニャ。」
サスケ君は首をうなだれた。
影写しの魔法、影の中に潜り敵情を偵察する特殊な魔法である。
サスケ君たち影一族のみが使える魔法ではあったが、影よりも濃い闇を住みかとする魔族には見破られてしまうらしい。
「ということは、イースタリアの状況については何もつかめていないということなりね。」
こうなると、マシアス・ギールがもたらす情報はより貴重なものになる。
州境はバイラス峠をもって西をセントラル、東をイースタリアとする。
かつて私たちはここでガストン殿を見送った。
それが魔族との戦いの始まりだったのだ。
峠には関所があり、関所に隣接する小さな砦がある。
私たちはその砦の一室でマシアス・ギールを引見した。
私と幸村君が部屋に入ると、椅子に腰かけていたマシアス・ギールは立ち上がった。
「そのまま楽にしてくれ。」
私が言うと、マシアス・ギールは恐縮して座りなおした。
マシアス・ギール、温厚そうな白髪の紳士である。
マシアスは、その場にいた大魔導師ヴァルデーノ殿に目線を移した。
ヴァルデーノ殿はかつて大公家に仕えた大魔導士てあったから、マシアスとは元同僚であり、顔見知りなのだ。
「マシアス殿、先生と真田幸村殿です。」
ヴァルデーノ殿が答えると、マシアス殿は嬉しそうに答えた。
「おお、あなた方が! お噂はお聞きしております。」
「悪い噂でないといいが。」と、私は言った。
「手ごわいお方だと。」
「ガストン殿のことは残念だったな。」
「はい、あのようなことが起こらねば、我らは平和を享受していたはず。」
ここまでは挨拶だ。
本題に入る。
「単刀直入に訊こう、マシアス殿。こたびの亡命の理由を教えてほしい。」
「申しましょう。魔族から逃れるためにございます。」
「マシアス殿は魔族ではないのかね?」
「ええ、おかげさまで。」
「不思議だな。トクーガの家臣は魔王の首の効果で、全員魔族になったと思っていた。」
「この私を除いて、全員が魔族となり果てました。アーレス様が後生大事に抱えた魔王の首、あの首が瘴気を発しましてな。瘴気にあてられた者たちは頭髪が抜け落ち、角が生える。」
「マシアス殿の白髪頭は健在だ、角も生えてはいない。」
私は生臭い目でマシアス殿を見た。
「ギール家は特別な血筋ゆえ。」
ヴァルデーノ殿が私に目を向け、言った。
「先生、ここは私からお話しましょう。」
「ヴァルデーノ殿、特別な血筋とは何かね?」
「トクーガ家がまだ地方領主だった頃、三代目にあたるデウラ・トクーガ様がエルフの女性に産ませた子がギール家の初代サレクト・ギール様でした。ギール家にはエルフの血が流れております。」
「なんと、エルフの血が魔族化を拒んだというのか!」
「さようですな、マシアス殿。」
ヴァルデーノ殿はマシアス殿に念押しした。
「委細、相違ございません。」
なるほと、基本的なことは理解した。
しかし、疑問は残る。
「マシアス殿はレガリア城を脱出してきたと聞いている。家臣が全員魔族化したなかで、魔族化しなかったマシアス殿は疑いの目を向けられなかったのか?」
「魔王の首が城に入った後は、レガリアの城には瘴気が立ち込めまして、薄暗うなりました。」
なんとも苦し紛れの言い訳に聞こえる。
幸村君がさっそくツッコミを入れた。
「白髪頭で角も生えていないなり! 薄暗いくらいで誤魔化しようがないのだ!」
「いやいや、薄暗いだけではありませぬ。ちょっとしたカムフラージュを思いつきましてな。」
「どんなカムフラージュなりか?」
「禿げ頭のカツラを作らせましてな。そこに角を二本つけてですな、それをかぶっておったのでございます。薄暗い中でしたのでカツラとはバレませなんだ。」
「ヅラで誤魔化したなりか!」
幸村君が噴き出した。
くっ、くっ、くっ、と、笑いをこらえているようだ。
マシアス・ギール、たいした男だ。
魔族の中でカツラをかぶりながら、逃げ出す機会を待っていたのだ。
普通の人間なら、恐ろしくてとても平静を保てなかっただろう。
こいつの神経はあきれるほど図太いらしい。
「可笑しうござろう。あっはっはっは、可笑しうござろう。」
マシアス殿は肩を震わせて笑っているのだが、その目には涙があふれている。
長い間の緊張の糸が、ようやくここにきて切れたのだ。
アーレスとマドンナがレガリア城に入城してから半年、彼は恐怖と猜疑心のなかで生きてきた。
私はしばらくマシアス殿の涙が床に落ちるのを見ていた。
そして、マシアス・ギールを信用していいと思った。
私は言った。
「マシアス殿、魔族と戦うつもりはあるかね?」
「はい、ガストン様の仇を討たねば。」
「ならば教えてくれ、レガリア城の中で何が起こっているか。魔族の兵力はどうなっているか。」
「重大な事態が進行しております。」
「重大な事態とは何だ?」
「まもなく、魔王が復活いたします。」




