44,ノーラの覚悟
ウエスピアの州都、ブルーベルの港へ到着したのは日没である。
エルキス殿は船に残るという。
「わしはモーリスには会いとうないのじゃ。」
「何かあるのか?」
「モーリスは海賊であるとともに、魔道具使いでもある。奴らの魔道具は邪悪なのじゃよ。魔王討伐の折、魔物たちが平穏に暮らしておるダンジョンを焼き討ちにしたのはモーリスの魔道具なのじゃ。恐ろしい火力でのう。魔物とはいえ、女も子ども容赦なく焼き殺したのがクロヌス・モーリス。モーリス公爵家の始祖なのじゃよ。」
「そうか、初代王アマテラスの焼き討ちの惨さから逃げ出したのがエルキス殿だったわけだからな。無理もない。では、船で待っていてくれ。聞きたいことがある時は使いをよこす。」
私と幸村君はエルキス殿を船に残し、ブルーベル城へと向かった。
ブルーベルは海に向かって開かれた港街であり、その城は海から少し離れた丘陵に建っている。城の左右から広がる城壁は、街を包み込むように海まで達している。
私と幸村君は、ノーラ殿のよこした馬車に乗り、ブルーベル城の城門をくぐった。
王家の使者が訪れたのだ。
平時ならば公爵に謁見し、晩餐会で親交を深めるのが慣例だ。
だが、今は平時ではない。
ノーラ殿は、私たちと速やかに協議し、結論を導かねばならない。
その考えには同意するのだが、私は腹が減っている。
「お腹すいたなり。」
「そうだよな、船の中でサンドイッチを食べてから何も食ってない。」
私たちは応接間のような部屋で30分近く待たされている。
その部屋に少年が入ってきた。
少年は貴族の恰好をしている。
「王家の使者殿、こちらへ。」
私たちは少年に案内されて大広間に通された。
体育館のような広い部屋に長いテーブルが置かれている。
晩餐会などを開くためのヴァンケット・ルームのようだ。
テーブルの向こうに、青いドレスを着た淑女が私たちを迎えている。
ブロンドの髪をアップにし、赤い口紅を引いている。
女は私たちを席に誘った。
貴族の少年は私たちに給仕をし、私たちはようやく食事にありつくことができた。
「センセ、お腹は膨れましたやろか?」
「あっ、その声はノーラ殿か?」
「びっくりでっしゃろう。ドレス着たら別人やってよう言われます。」
「ギャップが激しすぎるなり。」
「それは誉め言葉やろか?」
「ギャップ萌えは尊いものなり。」
「ありがとう、幸村はん。」
ノーラ殿は給仕の少年を傍らに呼んだ。
「そして、こちらがウチの弟、ポセイドゥス・モーリス。公爵家の後継ぎや。」
「何! 給仕の少年が公爵家のお世継ぎ様だと! すっかり騙されたぞノーラ殿。」
「これ、ポセイドゥス、センセと幸村はんにご挨拶しよし。」
少年はかしこまって私たちに挨拶した。
「モーリス公爵が長男、ボセイドゥスにございます。王家の使者殿、ようこそウエスピアへ…」
いきなりお世継ぎ様に挨拶されて、私たちは狼狽した。
かしこまってしまって、頭をペコペコ下げまくってしまったのだ。
ノーラ殿とポセイドゥス殿、そして私と幸村君は対面で着席した。
「この大部屋はなぁ、大きすぎて近くに寄らんと話が聞こえへんようになっとります。4人だけの密談には最適の部屋なんですわ。」
「ノーラ殿は密談がしたいと?」
「ウチら4人だけの秘密や。」
「ならば訊いていいか? 公爵殿はどうしておられる?」
「病でな、誰にも会わはらへん。」
「そういうことか。ウエスタリアが兵を出せぬのもそのせいか?」
「そういうことや。」
幸村君がキョトンとして私に視線を送る。
私は幸村君の視線に応えて小声で言った。
「武田信玄…」
「承知なり。」
暗号のようだが、歴史を知る者ならば誰でも分かる謎かけだ。
歴女の幸村君は、瞬時にしてそれを理解したのだ。
武田信玄、甲斐の国の戦国武将である。
信玄は破竹の勢いで都へ登ろうとしたが、その途上、病で命を落とした。信玄の遺言は3年我が死を秘匿せよ、というものだった。信玄の死を他国に悟られれば、逆に甲斐の国を攻められる可能性があったからだ。
つまりモーリス公爵は既にこの世に人ではない。
公爵家では15歳をもって成人とする。
ポセイドゥス殿はあと3か月で15歳を迎える。
それまでは一兵たりとも動かせぬ。動かす気配すら見せられぬ。
この駆け引きをノーラ殿はたったひとりで背負っている。
私はノーラ殿におごそかに言った。
「ポセイドゥス殿の成人の儀には王家からしかるべき使者を遣わそう。使者はポセイドゥス殿に公爵位を授ける。」
ポセイドゥス殿の成人の儀、その同日に前公爵の喪が発せられ、同時に新しい公爵が誕生するという筋書きだ。
「おおきに。」
ノーラ殿は言った。
彼女の筋書き通りに物事が動こうとしていた。
「その代わりと言うたらなんやけど、食糧は送らせてもらうわ。魔族討伐に関する食料の補給はウエスピアが請け負わせてもらう。」
「ありがとう」と、私は言った。
交渉成立である。
「それとだな、ノーラ殿。落人の件だが…」
「その話は後日や…」
そうか、ノーラ殿はまだ魔族の落人の件をポセイドゥス殿には言っていないのだな。
いや、言うつもりもないのかも知れない。
気まずい沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは幸村君だった。
「お酒でも飲むなりか!」
「そうだな、酒でも飲もう。」
「では、わたくしが給仕を…」
と、ポセイドゥス殿が立ち上がった。
「まてまて、お世継ぎ様に給仕などさせられん。」
これにはノーラ殿が助け船を出してくれた。
「ポセイドゥス、これからは大人の時間や。子どもはおとなしゅう部屋へ帰って寝るよし!」
「はいはい、姉上、お言葉のままに。」
「さいならぁ、ポセイドゥス。」
「姉上も、飲みすぎないようにね。」
「おおきに、ポセイドゥス!」
仲のいい姉弟だ。
ポセイドゥス殿が去ると、ノーラ殿が立ち上がった。
「極上のワイン飲ましたるわ。」
そして厨房の奥から一本の赤ワインを下げて出てきた。
「これは父上秘蔵のワインや、旨いで!」
形式上は今も生きている公爵殿のワインか。
これも供養だ。
私は公爵に哀悼の意をささげつつワインを飲んだ。
「旨いな、このワイン!」
「せやろ、このワインな、あんまり高価ではないんや。安くてうまい。こういう掘り出しもん見つけるんが父上の才能やった。」
「偉大な才能なりね。」
「幸村はんも分かってくれるか。この才能はなぁ、ウチにも受け継がれとる。」
「ノーラ殿の掘り出しもんは何だ?」
私がそう言うと、ノーラ殿は人差し指を私に向けた。
「センセーや!」
私、か?
ノーラ殿は掘り出し物のワインを飲みながら、これまでの経緯を語った。
「去年、グランローゼ城が大公の軍に包囲されたと聞いて、これで王家もおしまいやと思た。けど、いつの間にか大公が捕らえられて、それは幸村はんの手柄やと思うた。そのあとな、ツキヨミ様とガストン殿の結婚なんて話になって、ウチには何が起こてんかさっぱり分からんかった。ははーん、これは裏で絵を描いてる奴がおるな、そう思うて調べさせたんや。ほしたらな、王家には軍師がおるちゅうことや。」
大げさな話になっている。
「そしたら魔族の復活や。その一報を受けて、エライことになったなと思うてた翌日や、王家から対魔族包囲網の依頼が来よった。メッチャ早いなと思たんや。やっぱり軍師がおるんやと確信した。」
それでどうした?
「ウチもな、王家の重臣ちゅう奴らをぎょうさん知っとる。事なかれ主義で尊大、エラソーにするくせに無能。そんな奴らと交渉なんてでけへん。せやから待ったんや。軍師殿が来るんを。そしたら来た。センセーや。交渉成立まで10分もかからへんかったわ。」
確かに、短い時間の交渉だった。
「さっき、交渉が終わったとき、ほっとしたわ。ポセイドゥスが成人するまでもうちょっとや。あと少し頑張る!」
「ポセイドゥス殿には給仕までさせて申し訳なかった。」
「センセー、ええねん。ポセイドゥスはな、他人の喜ぶ顔見るのが大好きなんや。給仕でも、サービスでも、何でもやりたがる。」
「いい公爵に、いや、いい領主になりそうだな。」
「あたりまえや、ポセイドゥスは立派な公爵になる。領民に慕われる領主様になる。そのために、ウチはもうちょっと頑張る。」
ノーラ殿はうっすら目に涙をためて、ガッツ・ポーズをした。
その涙の意味を、私は翌日知ることになる。
ポセイドゥス擁立を前にして、彼女にはやるべき汚れ仕事があった。
魔族の落人村の殲滅である。




