表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅する台所 ~キッチンカーで日本を巡るご当地グルメ旅~  作者: ユタ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/35

第1話② すじコン炊き込み ― 米に寄せた日

翌朝。というより、翌朝の"途中"から始まる。


旅の移動は描かないって決めてるし、俺たちの旅はまだ始まったばかりで、描いても面白くない。だから、いきなり——下町の空気。


鉄板の熱と、ソースの焦げと、油の匂い。粉ものの甘さ。歩くだけで腹が鳴る匂いが、いくつも重なってる。


「ここ、好き」


寧々が小さく言った。寝起きが弱いはずなのに、こういう匂いの場所だと目が開いてる。


「人、多いけど」


「営業なら大丈夫」


寧々は、人混みが苦手だ。苦手だけど、仕事ならできる。できるけど、終わったら一気に静かになる。そこも、俺は知ってる。


台所号——「旅する台所号」の横腹を開けると、小さな台所が現れる。寧々の居場所だ。


「今日のやつ、いける?」


俺が聞くと、寧々は短く頷いた。


「……うん。火、もうちょい強めで」


はいはい、と俺はガスのつまみを調整する。こういう言葉が出ると、寧々はもう仕事の顔だ。


今日の一皿は、すじコン炊き込み。


「すじコン」ってのは、牛すじとこんにゃくを甘辛く炊いたやつ。このあたりでは、そう呼ぶ人が多い。店によっては"ぼっかけ"って言うこともあって、ご飯にかけるから「ぼっかけ丼」なんて名前もあるらしい。


「"すじコン"って、だいたいの店、味が違うよね」


「そりゃそうだろ。家ごとに違うやつ」


「……前に作ってたのは、もっと濃かった」


「へぇ」


寧々はそれだけ言って、鍋の蓋を持ち上げた。

湯気がどっと出る。醤油と砂糖が熱で丸くなった匂い。すじ肉の脂がその奥に溶けて、甘辛いのに重くない。


「でも今日は、米に寄せたい」


炊飯器の内釜に米を入れ、そこへすじコンの煮汁をひとすくい。

透明に近い煮汁が、白い米の上でじわっと広がる。米粒の端が、薄い茶色に染まっていく。

混ぜる前から、もう匂いが変わった。米と甘辛が近づいた匂い。焦げてない。丸い。


「色、濃いな」


「香りは甘い。そこが違う」


牛すじを刻む。長く煮込んで、繊維がほどけかけてる。透明に近い色で、箸で触るとくずれそうなのに、芯だけ残ってる。

こんにゃくは小さめに。噛んだときに米と一緒に"コリッ"が来るように。


具を内釜に並べる。寧々の指が迷わない。

炊飯器の蓋を閉める音がして、カウントが始まった。


「……うん、これ」


また短文。味見の合図だ。


「今日、他のも出す?」


俺が聞くと、寧々は首を横に振った。


「今日は、これ一本」


「潔いな」


「初日だし。散らすと、ぼやける」


言葉が料理のことだけになると、寧々は迷わない。


炊飯器から細い湯気が漏れはじめた頃、寧々は蓋の隙間に鼻を近づけた。

一秒だけ、息を止める。


「……いける」


それだけ言って、蓋を開けた。


湯気が、ぶわっと上がった。

甘辛の匂いが熱ごと飛んでくる。醤油の香ばしさが先に来て、脂の甘さがあとから重なる。

米は一粒ずつ立っていて、すじ肉の色が薄く移っている。ところどころ、茶色がかった粒。


俺の喉が、勝手に鳴った。


俺はのぼりを立て、メニュー板を出し、SNS用の写真を一枚撮る。中心は湯気。文字は最小。


——旅する台所号、本日開店。


そう投稿して、顔を上げた瞬間だった。


「……あ」


風が来た。


のぼりが、ぺしゃっと倒れた。支柱が地面に当たって変な音を立てる。初日から縁起でもない。


俺が慌てて駆け寄ろうとしたら、寧々が先に動いた。早い。寝起きが弱い人とは思えない。


「大丈夫。折れてない」


寧々は淡々と支柱を拾い上げ、留め具を直した。手が慣れている。


「……前も倒れたことある?」


「ある。風は、いつでも来る」


そう言って、寧々はのぼりを立て直した。俺は苦笑いして、火加減を確認する。


——この人、静かだけど強い。


営業が始まる。


最初に来たのは、近所の年配の女性だった。湯気を覗き込んで、眉を上げる。


「それ、すじコン?」


「はい。炊き込みにしました」


「ええな。じゃあ、それ」


寧々は一言も多く言わない。容器に米をよそい、具を乗せ、最後に煮汁をほんの少し垂らす。

煮汁が熱い米に落ちた瞬間、湯気がもう一段階増えた。甘辛の匂いが、ふっと立つ。


「熱いから、気をつけて」


それだけ言って渡す。


女性は一口食べて、何も言わずに頷いた。表情だけで十分だった。


次に来たのは作業着の男性。メニュー板を見て、笑う。


「すじコンを炊き込みにしたの? それは合うな」


「米、合います」


寧々がそれだけ言うと、男性は「そうだろうな」と笑って買った。食べながら、「あ、これ、ええわぁ」と小さく言った。聞こえたか聞こえないかの声。


俺はその瞬間に、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


行列はできない。派手な盛り上がりもない。でも、途切れずに人が来て、買って、頷いて帰っていく。その繰り返し。


寧々が、たまに短く言う。


「火、もうちょい」

「汁、足して」

「……うん、これ」


それだけで台所号は回る。俺は声を張って呼び込みはしない。寧々が人混みを苦手なのを知ってるから。必要以上に人を呼ばない。そういう"ちょうどよさ"を作るのが、俺の仕事だ。


夕方前、最後の釜が空になった。


「……終わり」


寧々が言う。顔色は変わらない。でも、肩の力が抜けたのが分かる。


「初日で売り切れ、すごいな」


「すごくない。量がちょうど良かっただけ」


「それでも、すごい」


俺が言うと、寧々は返事をしない代わりに、ほんの少しだけ目を伏せた。照れたのかもしれない。


片付けをして、台所号の中に二人だけになる。外の音が遠くなると、寧々は一気に静かになる。さっきまでの仕事の顔が、ほどけていく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ