地球作りましょうか
私は、カウンターに置いてある樽のコックを開け、黄金色の液体を、ナツメの木製コップに注ぐ。私はそれを持ってソルのそばへ行き、コップを渡した。
「ハーブ茶よ。ババニが好きだったの。お酒じゃないから」
そういって、今度は自分の分も、コップに注いで一口飲む。
うーん、ちょっと、蜂蜜が足りないな。
ソルも一口飲む。
「おいしい……かも」
「かもは余計かも」
私の返しに、ソルはちょっとだけ微笑んだ。
「じゃあ、まず、どうして、遠環に行きたいか、教えてくれる?」
私は近くの椅子を引き寄せ、ソルの向かいに腰を下ろした。
「兄は、正式な観測員でした。遠環へ渡る直前まで、ずっと研究してた」
私はソルを見た。
先ほどの微笑は消えて、ソルの顔はまじめだった。
「でも、突然いなくなったんです」
ソルの声は少し震えていた。
「僕、本当は遠環観測員じゃないから。観測塔にも、本当は入れない」
私はもう一口、ハーブ茶を飲む。
「兄は、すべてを置いていきました。僕の着ている制服もです。一つしか年が違わないから、僕が兄の制服を着ても不格好じゃない」
ソルはコップを両手で握る。
袖口が指元まで隠しているのを見て、制服が少し大きいんだと私は気づく。
「兄が消えた後、観測所に行きました。兄の制服を着てたから、簡単に帳簿室まで入れました」
その青い瞳が伏せられる。
「帳簿には、遠環へ向かった人の名前が書いてあるから」
ソルはコップの中を覗きこみ、そのまま静寂が続く。
「書いてあったの?」
私は静かな声で促した。
「ええ、あったんです。兄が消えたその日に、兄の名前がありました」
ソルは苦笑しながら、ハーブ茶を飲んだ。
「……そっか」
それしか言えなかった。
遠環は、『死に場所』じゃない。
けれど、一度渡れば、帰ってくる人は少ない。
だから、残される側は、ちゃんと覚悟しないといけない。
ソルは覚悟をする時間を貰えなかったんだ。
「ごめんなさい」
急にソルが、謝る。
「えっ?」
謝られる理由がわからない。
「僕は、遠環に興味なんてないんです」
ああ、なるほどね。
「でも、遠環に行くには『地の断片』が必要だから」
私は何も言わず、ハーブ茶を飲む。
蜂蜜の足りないハーブ茶は、少しだけ苦かった。
「呆れましたか」
ソルの顔が少し赤くなっていた。
ハーブ茶に、お酒は入っていないのに。
「別に」
私は肩をすくめる。
私はコップの中を覗き込む。
黄金色の液体の向こうに、自分の顔がぼんやり映っていた。
「ババニが遠環に行くときさ」
私は、窓の外を見た。店を開けた時より、軒下の影が短くなっているのが見える。
「私、一回も引き止めなかったんだよね」
ソルは黙って聞いている。
「行かないで、とか」
私は笑った。
「寂しい、とか」
笑ったつもりだったけど、うまく笑えていたかは分からない。
「弟子だから」
ぽつりと言う。
「応援しなきゃって思ったし」
そうだ。
私は物分かりのいい弟子だった。
最後まで。
びっくりするくらい。
「でも今なら」
私は、窓の外を見続ける。
春の雲が流れているのが見えた。
「一回くらい困らせても良かったかなって思う」
ソルは何も言わなかった。
代わりに、小さくコップを握り直した。
「だから」
私は視線を戻す。
「ソルの気持ちは分かるよ」
青い瞳が揺れた。
「ちゃんと、お別れしたいんでしょ」
「……はい」
「それで?」
私は少し首を傾げる。
「え?」
「本当は怒ってるんでしょ」
その瞬間。
ソルの表情が止まった。
図星だったらしい。
私は内心で、あーやっぱり、と思う。
「兄さんは、勝手すぎなんだ」
ソルは言った。
「何も言わずに遠環へ行くなんて」
「うん」
「何も説明しなかったし」
「うん」
「そもそも、遠環観測員になることだって、誰にも相談しなかった」
そこで言葉が途切れる。
私は返事をしなかった。
「……でも」
ソルの声が小さくなる。
観念したように、やっと聞き取れる声で言った。
「最後くらい。別れの挨拶をしたかった」
「だよねぇ」
私がうなづく。
「あーもうっ!」
と、ソルは勢いよく椅子から立ち上がった。
「話したら、なんか、兄貴にムカムカしてきた」
空になったカップをカウンターに勢いよく置き、また椅子に戻って、どっかりと腰を下ろす。
「あらら。兄想いの、優しい弟の話だと思って聞いていたんだけど」
ソルって、実は感情が出るタイプのようだ。
返事をせず、ソルは黙った。
私も黙った。
こういう時、何を言えばいいのか分からない。
透明な石が、カチッカチッと時間を刻む。
「エレナ」
沈黙を破ったのはソルだった。
さきほどのムカムカは、落ち着いたようで、声は静かだった。
かわりに、力のこもった青い目で、私を見る。
「だから」
ソルは、少し間を置いた。
「僕は、『地の断片』が必要なんです」
「兄さんを一発殴るため?」
私は、にやりと笑った。
「それもあります」
ソルは真顔で答えた。
思わず吹き出す。
「そっか」
たぶん、ちゃんとお別れしたいのも本当。
怒っているのも本当。
どっちも抱えたまま、ここまで来たんだ。
私は空になったコップをカウンターに置いた。
「先に言っておくけど、『地の断片』は作れないよ」
あれは、ババニの技術。
それに――。
『地の断片』は、遠環に行くための技術じゃない。
ババニが、なぜ嘘をついたのかわからないけど。
「でも、調べてみてもいいよ」
私も、ババニに言い足りないことが残っている。




