第38話:都の影、終わりの歌
豊臣軍が北へ去ってからというもの、京の空気は一変していた。
かつて聚楽第を中心に華やいでいた都は、いまや重苦しい霧に包まれている。
辻々では人々が顔を寄せ合い、声を潜めて噂を交わしていた。
「聞いたか……太閤殿下の行列、まるで『死者の行進』だったそうだ」
鴨川のほとりで、ある商人が震える手で茶をすすりながら言った。
「見た者の話では、行列の兵たちから笑い声一つ聞こえんかった。みな、何かに憑かれたような顔で、ただ淡々と北を目指していたという。……あれは、もはや戦の軍勢じゃない。黄泉の国への先触れだ」
その隣で、若い僧侶が不安げに空を見上げた。
「奥州に住む者からの便りによれば、あの地の空は、ずっと『白』いそうだ。太陽すら見えぬ雪の壁の向こうに、九戸という名の『鬼』が座っている。殿下は、その鬼を討ちに行くのではなく、あちら側へ招かれているのではないか……」
京の人々にとって、秀吉の出陣は「天下人の遠征」ではなく、神話的な「祟り」への身投げのように映っていた。
三条大橋のたもとでは、盲目の琵琶法師が、荒れ狂う琵琶の音色と共に、即興で奇妙な物語を語り始めていた。
それは「黄金の猿が、雪の果てで自らの影を殺す」という、不穏な叙事詩だった。
「……あの方も、人だったのだな」
ある老人がポツリと呟く。
「天下を取る前は、人並みに悩み、人並みに腹を減らしていた。だが、天下を取ってからは、神のように振る舞わねばならんかった。あの九戸という領主は、殿下のその『人の心』を抉り出そうとしているのかも知れん」
町には、秀吉の不吉を予感させるような出来事が続いた。
庭の木が真夏に枯れ、井戸の水が濁り、夜な夜な聚楽第の方角から、誰かが泣き叫ぶような風の音が聞こえるという。
屋敷に謹慎させられている家臣たちの耳にも、こうした街の声が届いていた。
三成は、格子窓から見える冷え切った空を見つめ、静かに呟く。
「噂すらも、北へ流れているのか……。まるで、日ノ本そのものが、あの冷たい雪原に吸い寄せられているようだ」
都の噂は、やがて「秀吉はもう戻らない」という確信へと変わっていく。
英雄の帰還を祈る声は消え、代わりに、来るべき「巨大な喪失」に対する静かな恐怖が、京の町を静まり返らせていた。
秀吉のいない都は、抜け殻のように空虚だった。
そしてその空虚さは、北で繰り広げられるであろう「最期の対決」が、すでにこの国の理を狂わせ始めていることを証明していた。




