佐藤さわりの霊障事件簿 不幸を呼ぶ人形
私は昔から人形が好きで、気づけば家のあちこちに増えていきます。
死んだ猫を思って買った猫のぬいぐるみ。
魔除けに良いと聞いて手に入れた魔女人形。
どれも、私にとっては“ただの人形”のはずなのですが――
夜中にふと目を覚ますと、人形同士が小さな声で話しているような気がすることがあります。
もちろん、気のせいでしょう。
今のところ悪いことは起きていませんし、私はそれを特に怖いとも思っていません。
けれど、人形というものは、時に人の想像を超える“何か”を宿すことがあります。
そんな思いから、この物語を書き始めました。
第一章:不幸を呼ぶ人形
世田谷の住宅街に、小島日本人形店という古びた店がある。
看板の文字はところどころ剥げ、ガラス越しに見える店内は薄暗く、どこか埃っぽい。
しかし、そのくすんだ雰囲気とは対照的に、ウィンドウに飾られた一体の少女の日本人形だけは、通りを行く人の視線を自然と吸い寄せた。
夕暮れ時、祝千賀子がその前を通りかかった。
コンピュータ会社の経理として働く彼女は、肩までの黒髪にグレーの眼鏡、紺のパンツスーツがよく似合う三十歳の女性だ。
仕事帰りの疲れた足を止め、ふと人形に目を向けた。
立ち去ろうとした瞬間――
「連れて行って」
耳元で囁かれたような気がした。
「……え?」
千賀子は振り返った。
もちろん、誰もいない。
人形が喋るはずもない。
そう思いながらも、胸の奥にざらりとした違和感が残った。
気づけば、彼女は店の扉を押していた。
*
「いらっしゃいませ」
店の奥から店主の小島弘之が現れた。
揉み手をしながら近づいてくるその顔は、前歯が二本抜けており、妙に印象に残る笑みを浮かべていた。
「ウィンドウの日本人形ですね」
「どうして……わかるんですか?」
「人気がありましてね。店に入った方は、皆さん必ずお求めになるんですよ。これが最期の一個なんですじゃ」
その言葉に、千賀子は説明のつかない引力のようなものを感じた。
気づけば、彼女は人形を抱えて店を出ていた。
*
家に帰ると、両親もその人形を気に入り、千賀子の六畳の和室の隅に飾ることになった。
千賀子は名前がないのが気になり、「かおる」と名付けた。
翌朝。
「行ってきますね、かおる」
軽い気持ちで声をかけた――その日を境に、千賀子の生活は静かに崩れ始める。
会社で突然めまいに襲われ、倒れ込んだ。
貧血だと思ったが、翌日から体調は悪化し、出勤もままならなくなった。
病院でMRIを受けたときのことだ。
目を閉じているはずなのに、天井から何かが覗き込んでいる気配がした。
真っ白な顔。
真っ赤な目と口。
形は曖昧なのに、確かにそこにいる。
「……気持ち悪い」
検査結果は異常なし。
医者はストレスだと言ったが、千賀子の不安は深まるばかりだった。
やがて入院することになり、家を出る前に人形へ別れを告げた。
「かおる……またね」
その言葉が、皮肉にも彼女の最期の声となった。
*
入院中、両親に見守られながら、千賀子は静かに息を引き取った。
最期に残した言葉は――
「連れて行かないで……」
両親は深い悲しみに沈んだが、奇妙なことに、家に置いてあったはずの人形は忽然と姿を消していた。
悲嘆の中で、誰もその不在を気に留める余裕はなかった。
ただ、後になって思えば――
あの瞬間から、すでに次の「持ち主」を探していたのかもしれない。
第二章:戻る人形
小島日本人形店の朝は静かだ。
店主の小島弘之は、いつものように店内を箒で掃いていた。
ふと、ウィンドウに目を向ける。
「あれ……?」
そこには、あの少女の日本人形が、何事もなかったかのように鎮座していた。
「おや、また戻ってきたのかい」
小島は驚きもせず、むしろ諦めたように呟いた。
この人形は、売れても売れても必ず戻ってくる。
理由はわからない。ただ、そういうものなのだと受け入れるしかなかった。
*
その日の午後、鈴木為吉は妻の誕生日プレゼントを探して店を訪れた。
ウィンドウの人形を見つけると、なぜか心を掴まれたように足が止まった。
「これをください」
小島は揉み手をしながら笑った。
「奥さん、きっと喜びますよ」
*
家に帰ると、妻の夕子は目を輝かせた。
「可愛い子ね。ありがとう、あなた」
人形はリビングの棚に飾られた。
その夜、鈴木は寝つけず、ふと目を覚ました。
――ひそひそ……ひそひそ……
誰かが独り言を言っているような声がする。
隣で眠る夕子を見たが、彼女は静かに寝息を立てていた。
翌朝、鈴木は言った。
「昨日、寝言を言ってたぞ」
「え? そんな覚えないけど……」
「まあ、寝てたらわからないか」
その夜も、声は聞こえた。
鈴木は不審に思い、ICレコーダーを枕元に置いて眠った。
翌朝、再生してみると――
無音。
「……そんな馬鹿な」
録音は正常に作動していたはずなのに、何も残っていない。
*
それから、家の中で小さな怪我が続いた。
夕子は料理中に包丁で指を切り、鈴木は会社で玄能を落として手を打撲した。
最初は偶然だと思っていたが、怪我は次第に重くなっていった。
ある日、鈴木は会社の帰り道で車にはねられた。
命は助かったものの、下半身不随となった。
病室で、夕子は震える声で言った。
「ねえ……あの人形を買ってきた日から、ずっと変じゃない?」
「偶然だよ……そんなことあるわけない」
鈴木はそう言ったが、心のどこかで否定しきれないものがあった。
夕子は決意したように人形を袋に詰めた。
「捨てるわ。こんなもの」
「お祓いしたほうが……」
「大丈夫よ」
翌朝、可燃ごみに出した。
清掃車が持っていくのを見届け、夕子は胸を撫で下ろした。
しかし――
昼過ぎ、リビングに戻った夕子は凍りついた。
捨てたはずの人形が、棚に戻っていた。
「捨てようとしたって……そうはいかない」
耳元で囁かれたような気がした。
「え……なに、この人形……?」
夕子は恐怖に駆られ、人形を掴んで窓から投げ捨てようとした。
だが、手が離れない。
まるで人形が指に絡みついているようだった。
「離して……!」
次の瞬間、夕子の身体は窓の外へ引きずり出された。
五階の高さから、アスファルトへ――
鈍い音が響き、夕子は動かなくなった。
しかし、落ちたはずの人形の姿はどこにもなかった。
*
鈴木は下半身不随、妻は転落死。
世間は「夫の介護に疲れた妻の自殺」と噂した。
「旦那さんが事故でね……奥さん、前途を悲観したんだろう」
誰もがそう言った。
人形の存在を知る者は、誰一人としていなかった。
また、人形は店に戻っていた。
第三章:新しい買い手は女性政治家
「ふふふ……また戻ってきた」
夕暮れの店内で、小島弘之はウィンドウに飾られた人形を眺め、薄く笑った。
売れても売れても戻ってくる。
もはや驚きはない。ただ、そこにあることが当たり前になっていた。
そのとき、店の前に一人の女性が立ち止まった。
「……いいわ。こういうのを探していたの」
ガラス越しに人形を見つめるその女性は、国会議員・豊島圭子。
若手の論客として注目され、美貌と鋭い発言で知られる代議士だ。
豊島は迷いなく店に入り、人形を抱えて帰っていった。
まるで、大切な宝物を手に入れたかのように。
*
東京と埼玉の境にある豊島邸は、広い敷地に三台分のガレージ、重厚な門構えを持つ大きな屋敷だった。
人形は応接室の飾り棚に置かれ、静かにその場に馴染んだ。
その頃、佐藤さわりは取材の準備をしていた。
身長160センチ、小柄でチューリップ型の髪。
黒縁眼鏡には小型カメラが仕込まれ、日々の取材を記録している。
紺のスーツがよく似合い、政治記者としての鋭さと、霊障事件を扱う探偵としての勘を併せ持つ女性だ。
「豊島議員、閉会中で時間があるらしい。取材のチャンスね」
さわりはアポイントを取り、豊島邸を訪れた。
*
応接室に通されると、まず目に飛び込んできたのは――あの日本人形だった。
「……っ」
さわりは思わず息を呑んだ。
人形の頭部から、一本の長い髪が飛び出している。
飾り棚の埃に紛れていたが、確かに“中から生えている”ように見えた。
そっと指でつまんで引くと、するりと抜けた。
根元は黒く湿っており、まるで生きた人間の髪のようだった。
「長い髪……?」
そのとき、扉が開いた。
「お待たせしました」
豊島圭子が姿を現した。
さわりはすぐに気づいた。
豊島の右手に、包帯が巻かれている。
「その手……どうされたんですか?」
「ああ、ちょっとコーヒーをこぼして火傷をしてしまって」
豊島は笑ってみせたが、包帯の下から滲む赤い染みが気になった。
取材が始まると、豊島は消費税廃止や移民政策など、自身の持論を熱心に語った。
しかし途中、激しく咳き込み、言葉を詰まらせる場面が何度もあった。
「大丈夫ですか?」
「ええ……少し風邪気味で」
その咳は、まるで喉の奥に何かが引っかかっているような、湿った音だった。
さわりは話題を変えた。
「ところで、その人形……どこで手に入れたんです?」
「ああ、駅前の小島日本人形店よ。最近買ったばかりなの」
その瞬間、さわりの背筋に冷たいものが走った。
*
取材を終えた帰り道、さわりは小島日本人形店に立ち寄った。
「すみません、あの人形について……」
小島は首を振った。
「もうありませんよ。あれは最後の一体でした」
その言葉に、さわりは言いようのない不安を覚えた。
家に戻ると、豊島に礼のメールを送った。
その頃――豊島邸では、悲鳴が響いていた。
豊島の母・朝子が、帰宅途中に車にはねられ、即死したのだ。
「どうして……どうしてこんな……!」
豊島は泣き崩れた。
しかし、応接室の棚に置かれた人形は、ただ静かに微笑んでいた。
まるで、次の不幸を待っているかのように。
第四章:呪いのいわれ
その夜、佐藤さわりは入浴を済ませ、ベッドに入った。
取材の疲れが残っていたが、豊島邸で見た“髪の毛の生えた人形”のことが頭から離れなかった。
まどろみかけたその瞬間――
右手首に、鋭い痛みが走った。
「……っ!」
飛び起きて灯りをつける。
手首は真っ赤に腫れ、五本の指の跡がくっきりと残っていた。
まるで誰かに強く掴まれたように。
「なに……これ……」
手首は熱を帯び、指一本動かすのも痛む。
さわりの脳裏に、応接室で見た“あの髪の毛”がよぎった。
――人形の中から飛び出していた、あの髪。
「まさか……」
呟いたが、答えは闇の中に沈んだままだった。
朝になると、痛みは少しだけ引いていた。
しかし、手首の赤い跡は消えず、まるで警告のように残っていた。
*
翌日、さわりは再び小島日本人形店を訪れた。
店内は薄暗く、埃の匂いが漂っている。
「小島さん。あの人形について、話してもらえませんか」
小島は最初、とぼけたように肩をすくめた。
「さあ、ただの古い人形ですよ」
「嘘ですね」
さわりは一歩踏み込んだ。
眼鏡の奥の視線が鋭く光る。
「あなた、知っているでしょう。あの人形を買った家で何が起きているのか」
小島はしばらく黙っていたが、やがて観念したようにため息をついた。
「……あの人形は、不幸を呼ぶんです。買った家では、必ず何かが起きる。
売れても売れても、必ず戻ってくる。まるで……自分で歩いて帰ってくるみたいに」
「呪いの理由は?」
「それが……わからんのです。いつ作られたものかも、誰が持ち込んだのかも。
気づいたら、ウィンドウに置かれていた」
小島は記憶を探るように目を細めた。
「ただ……ひとつだけ、聞いたことがある」
「何ですか」
「昔、無実の罪で殺された女性がいてね。
その旦那が、遺体から髪や歯や爪を使って人形を作った……という噂があるんです」
さわりの背筋に冷たいものが走った。
「まさか……」
「確証はありません。ただ……あの人形の中から出てくるものを見れば、そう思えてしまうでしょう」
*
夜になっていたが、さわりは豊島邸へ向かった。
胸騒ぎが止まらなかった。
門の前に立った瞬間――
「きゃああああああああっ!」
屋敷の中から、悲鳴が響いた。
さわりは駆け込み、応接室の扉を開けた。
そこには――
人形がナイフを握り、豊島圭子に向かって振り下ろした直後の光景があった。
豊島の手から血が滴り落ち、床に赤い点を描いている。
「助けて……!」
豊島が叫ぶと同時に、人形はさわりへ向き直った。
その動きは、まるで生き物のように滑らかだった。
*
人形は小さな身体からは想像できない力で飛びかかってくる。
ナイフが空気を裂き、さわりの頬をかすめた。
「くっ……!」
さわりは持ってきていた風呂敷を広げ、人形を包み込むようにして押さえつけた。
暴れる人形の力は強く、布越しに骨のような硬さが伝わる。
「おとなしく……!」
玄関を飛び出し、庭の石畳へ向かって風呂敷ごと叩きつけた。
鈍い音が響き、動きが止まる。
風呂敷をほどくと――
人形の首が、ころりと転がり落ちた。
中から、黒い髪の束、黄ばんだ歯、折れた爪がこぼれ落ちた。
「……これが、いけなかったのね」
さわりは震える手でそれらを風呂敷に包み、家の近くの寺へ向かった。
事情を話すと、住職は静かに頷き、荼毘に付してくれた。
炎が上がり、人形も髪も歯も爪も、すべて灰になった。
「やっと……終わったわね」
その瞬間、さわりの手首の赤い跡が、ふっと薄れていった。
呪いは、消えた。
エピローグ
数日後の午後、佐藤さわりはドトールコーヒーの窓際の席に座っていた。
外は薄曇りで、街路樹の影がゆっくりと揺れている。
テーブルには、彼女のお気に入り――ハニー・カフェ・オレ。
湯気が立ちのぼり、甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。
カップを持ち上げたとき、ふと右手首に目がいく。
あの夜、真っ赤に腫れ上がり、五本の指の跡がくっきりと残っていた場所。
今は跡形もなく、白い肌が静かにそこにある。
「……消えたわね」
呟く声は、安堵と、ほんの少しの名残惜しさが混じっていた。
人形は灰になり、髪も歯も爪もすべて燃え尽きた。
呪いは終わった。
豊島圭子も、母の死の悲しみを抱えながらも、少しずつ日常を取り戻しつつある。
さわりはカップを口に運び、ゆっくりと甘さを味わった。
――だが。
店内の奥の席で、幼い女の子が日本人形を抱えているのが目に入った。
赤い着物。黒い髪。白い顔。
さわりは一瞬だけ視線を止めたが、すぐに目をそらした。
「……別の人形よ。気にしすぎね」
そう言い聞かせるように、再びカフェ・オレを口に運ぶ。
窓の外では、夕暮れが街をゆっくりと染め始めていた。
人々のざわめきが遠くに聞こえ、コーヒーの香りが静かに漂う。
さわりは手帳を開き、新しいページにペンを走らせた。
――佐藤さわりの霊障事件簿。
次の依頼は、どんな“声”が飛んでくるのだろう。
ページを閉じると、彼女は小さく微笑んだ。
(完)
人形を題材にした話は、ずっと前から書こうと思っていました。
ようやく形にすることができ、ほっとしています。
人形はただの飾り物でありながら、どこか人の気配を感じさせる不思議な存在です。
その曖昧さが、恐怖にも、愛着にも変わる――
そんな“境界”を描きたくて、この作品を書きました。
読んでくださった皆さまに、少しでも“人形の静かな気配”が伝わっていれば幸いです。




