第六十話 アリス再び
夢を見ていた。
ボロボロな体をした僕は、真っ暗なもやの中を進んでいた。
足が重たい。息が苦しい。目が痛い。
心臓は、一歩歩みを進めるだけで、張り裂けそうなくらい強い鼓動を打っている。
もうダメだ。
そう察し、力を抜いた僕の体を優しく受け止める手を感じた。
僕は、その手の控えめな胸に顔を埋める。
そして、ひどく疲れていた僕はそのまま気を失ってしまった。
その人物がアリスだと気付いたのは、次に目を開けた時だった。
♦♦♦♦♦
「起きて下さいエルバム様
起きて下さい。」
レイは靄のかかったような意識の中で、その声を聞いた。
目は重い鉄門のように固く閉じ、全く開かない。
だが、レイの体の感覚までは失われてはいなかった。
頭を優しく撫でる手、体を揺する手、頬に当たる心地の良い少しひんやりとした感触、甘い香り。
その全てが、レイの心を落ち着けた。
何時しか、苦しそうだったレイの呼吸が、穏やかな寝息へと変わっていった。
目を閉じたレイには、その優しい感触全てが懐かしいものに感じられた。
遠い昔の、忘れたことすら忘れた、それでも大切な思い出。
知らず知らずの内に、レイの目からは涙が溢れた。
その涙にこじ開けられて、レイの瞼はゆったりと開いた。
「やっとお目覚めですねエルバム様。」
レイの頭を太股に乗せ、レイの頭を撫でていたアリスが小さく笑ってレイの顔を覗き込んだ。
「君は、アリス……。
と言うことは、ここは僕の夢の中?」
「いいえ、違いますよ。
この前の時も、教えて差し上げたはずですが、ここは精神の世界です。」
アリスは、止めどなく溢れるレイの涙を、親指で拭った。
レイは、されるがままにアリスに身を任せている。
「そうか、精神の世界か……」
レイはそう呟き、いったん目を閉じた。
その途端、レイの瞼の裏側には、ミーテル城での出来事がフラッシュバックした。
倒れるミルネバ、ミクル、自分、そして、その後に倒れたであろうハル。
大広間に横たわる、四人の人物が脳裏に焼き付いて離れない。
あの後どうなったんだ?どうして自分だけここにいるんだ?ハルは?ミクルは?ミルネバは?
残してきたもの、分からなかったことが、レイの脳裏を駆けめぐった。
「行かなきゃ。」
レイは、そう声に出して言うと、立ち上がろうと全身に力を入れた。
が、レイの体はピクリとも動かない。指の先ですら、動かすことはできなかった。
「無駄ですよ。今のエルバム様は弱り切っています。
私のミーユで辛うじて首から上だけは動けるようにしています。」
「なんで、そんなことを?」
レイはそう言って首を傾げた。確かに首から上なら動かせるようだ。
「それは、エルバム様を説得するだめです。」
「説得?一体なにを説得させるって言うんだ?」
「エルバム様の今後の行動についでです。
エルバム様は、この世界、精神の世界から出てはなりません。」
アリスは、レイの頭を撫でる手を止め、そう言った。
レイは、一瞬なにを行っているのか分からなくなった。
たが、少ししてアリスの言っていた意味を理解すると、急に目の色を変えた。
「それは、どういう意味なんだ?
僕がこの世界から出てはいけない?そんなことを、君から言われる筋合いはない!
それに、僕は今すぐにでもこの世界から元の世界に帰らなきゃならないんだ。
大切な人を守りに行かなきゃならないんだ。」
レイは唯一動く首を必死に動かし訴えた。
そんなレイを見て、アリスは小さく首を振った。
「無駄です!」
アリスは短くそう言った。
それは決して大きな声でも、棘のある声でもなかった。だが、その声を聞いたレイは打ちのめされたような顔をした。
「無駄って……無駄ってどういう意味だよ?
今から僕が戻れば、まだ皆を助けることが……」
レイはそう言いかけて、口を閉じた。
自分の言っていることの馬鹿馬鹿しさに気付いたからだ。
今更あの場にレイが戻ったとしても、一体何が出来るというのだ。
攻撃は全て防がれ、傷一つ付けることが出来ない敵を相手に何が出来るというのだ。
「分かって、頂けましたね?」
黙り込んでしまったレイに、アリスがそっと問いかけた。
「分かったよ。僕が戻っても意味がないってことは。
だけど、それは戻らない理由にはならない!いくら無謀でも無茶でも、僕が戻らないと皆が死んじゃうんだ。
僕だけこんな所で安全で居るわけにはいかないんだ。」
レイは下唇を噛み締め、表情を歪めた。
その顔には、大きな悔しさが滲み出ている。
そんなレイの頭を、アリスはトントンと優しく叩いた。
「そんなに、自己犠牲に走らなくても良いのですよ。
安心して下さい。ほかの方々も死んではいません。
さすがに無事とは言えませんが、ペンズ卿は命までは奪いませんでした。」
アリスの言葉に、レイの顔に?が浮かぶ。
「君は、どうしてそのことを知っているんだ?
あの場には、僕らしか居なかったのに。」
レイがそう訊ねると、アリスはにっこり笑ってこう答えた。
「だって私は魔王なんですから。」




