第四十五話 拷問の痕
扉の先には、廊下とは別の空気が満ちていた。
人間の血の匂いだった。
ミクルは、その腐ったような匂いが鼻に着くやいなや扉を閉じた。
「くそっ、ライムベル親兵ってのはこんなにも腐った組織だったのかよ!」
ミクルは声にならない、心の叫びを捻り出し、その場に膝から崩れ落ちた。
目は見開き、体からは気味の悪い汗が噴き出す。
ミクルの動悸は一気に跳ね上がった。
しばらくうずくまっていたミクルは、大きく息を吸うといきなり立ち上がった。
そして、このフロアにある扉を手当たり次第に開け始めた。
その目には涙が浮かんでいる。
「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ、くそっ、くそっ、くそっ、くそっ……」
行き場を知らない怒りが、ミクルの中でぐるぐると回っている。
一つ目、二つ目、三つ目と開いた扉が増えるにつれ、ミクルの怒りは増し、そして悲しみへと変わっていった。
(一体、どれほどの人が取り調べなんていう建前の元で拷問されたっていうだ……)
瞼からは、とめどなく涙が溢れ頬を伝っていく。
ミクルは、壊れた玩具のようにひたすらに扉を開けて回った。
それが自らの使命であるかのように。
そんなミクルの手が、不意に止まった。
それは、六つ目の扉に手を掛けた時だった。
ミクルはドアノブを回そうとする。が、回らない。
どうやら、鍵がかかっているようだ。
(おかしい、ここだけ鍵がしてある……)
ミクルはそう思った。
この扉にも、他の扉と同様に取調室の文字が書いてある。なのに、ここだけ鍵がかけてある。
なにかある。
ミクルはそう確信した。
「おい!誰か居るのか?」
ミクルはドンドンと扉を叩きながら言った。が、返事はない。
「仕方ないな。」
ミクルはそう呟くとポケットに手を突っ込んだ。
再び出したその手には、U字移石が握られていた。
ミクルはそれをドアノブに向けると、小さく呟いた。
「鍵よ開け!」
すると、扉からカチャッと音が聞こえた。
ミクルはそっとドアノブに手を掛けた。今度はなんの抵抗もなく開いた。
扉の先の部屋には、またしてもショッキングな光景が広がっていた。
その部屋の壁は、他と同様、血が飛び散っていた。しかし、他の部屋より明らかに違うところがある。飛び散った血が他の部屋よそれより鮮やかだった。
だが、ミクルを一番驚愕させたのはそれではない。
「お、お、おい!おめぇ大丈夫か?」
部屋を見たミクルは、驚いたように叫んだ。
なぜなら、その部屋の真ん中に一人の女の子が拘束されていたからだ。
その女の子は、目隠しと猿轡を付けられ、手を頭の上で手を縛られ、そして、身体中を椅子に縛られていた。
ミクルはその女の子に駆け寄ると、肩を揺すった。
「おい!おい!おい!おい!
大丈夫か。」
ミクルは、そう呼びかけながら女の子の目隠しと猿轡を外した。
女の子は目隠しを外しても目を閉じたままだ。どうやら眠っているようだ。
「おい!起きろ!お~~~い。」
ミクルは女の子の耳元で叫びながら、頬をバシバシと叩いた。
すると、女の子の瞼が二、三度動き重たそうに開いた。
「お、にぃちゃん?」
虚ろな目をした女の子は、弱々しい声で確かにそう言った。
「いや違うぞ、俺はおめぇの兄ちゃんじゃねぇ。」
女の子があまりに急に話したので、ミクルは素で応えた。
ミクルの声を聞いて、女の子がいきなり怯えた顔になった。そして、いきなり叫びだした。
「い、いや。私は何も知らない。
スパイなんかじゃないよ。もうやめて、殴らないで、叩かないで、なんでもするから。
お兄ちゃんのところに帰して、お兄ちゃん……」
「お、おい落ち着け、俺はそんなことしねぇから安心しろ。」
いきなり狂ったように叫びだした女の子に、ミクルは動揺して応えた。
女の子は体に食い込む縄を気にせず体をバタつかせ、涙声でお兄ちゃんと何度も何度も叫んでいる。
「ちょっと、落ち着けって。
今、縄解いてやるから。安心しろ、おめぇは俺が助けてやる。」
ミクルは、まず頭の上で縛られた手首の縄を外しにかかった。
女の子の手は、キツく結ばれ長時間上げられていた為、冷たく、血色の悪い紫色をしていた。
それは、見ているだけでも痛々しいものだった。
(なんて酷いことを……。
助けるのが一人増えても大丈夫だよな。レイがハルちゃんを助けるなら、俺はこの子を助けよう。)
手首の縄をほどき終え、女の子の身体を椅子に拘束している縄に取りかかりながら、ミクルはそう思った。
一目みて酷いことをされたと分かるその子を、ほって置くことが出来なかったのだ。
ミクルは、女の子を縛っていた縄を全て外すと、力一杯その身体を抱きしめた。
女の子の身体はとても細く、今にも折れてしまいそうなくらい繊細だった。
ミクルは、そんな女の子の背中を懸命に撫でた。まるで、自分の温もりを伝えるように。
その甲斐あってか、初めはガタガタと震え冷たかった女の子の身体はだんだんと温もりを取り戻していった。
それを見計らって、ミクルが優しく話しかけた。
「よし、大丈夫だな?
これからこの地獄を抜け出すぞ、良いな?」
「うん。」
ミクルの思いが通じたのか、女の子が初めてミクルの言葉に反応した。
「よし、いい子だ。」
女の子の反応が嬉しかったのか、ミクルは微笑んで立ち上がった。
……が次の瞬間、ミクルの顔が苦痛に歪んだ。
いきなり、背中に鋭い痛みを覚えたからだった。
「まったく、アステカの侵攻だと聞いて来てみれば、ネズミが一匹迷い込んだだけではないか。
こんな事で私の手を煩わせるとは、少し仕置きが必要だな。」
何がなんだか分かっていないミクルの後ろで、一人の男性が話している。
その右手には、一本の杖が握られていた。




