怒りの体験の、驚きの正体とは?!
カフェ店員の紫晶は、店長と部下の結婚の話にショックを受ける。その理由を探しに……。
第3話 感情の源
「はい。カウンセリングラボ、本日担当させていただきます、一宮です。今日はどんなご相談でしょうか?」
電話の向こうで、中年女性の声がする。
「あ、あの……」
紫晶はあのあと、カウンセリングラボをネットで検索し、何をするところか調べた。
要するに、電話で簡単に頼めるカウンセリングだ。
だが、ここの売りは、心を「癒す」ではなく、心を「修正」するのだと言う。「修正」とは、「問題が起きないように原因を解決すること」なのだと言う。
意味がよくわからないまま、紫晶は電話をかけた。
ただ、このわけのわからない悲しみを、誰かに話したかったからなのだ。
「なるほど。店長が自分の部下と結婚すると聞いて、心が苦しくなったんですね」
一宮は紫晶の心をそうまとめた。
「なんでかわからないんです。別に、自分が彼と結婚したいとすごく思っていたわけじゃなくて……。でも、仕事に夢中だったから、気がつかなかったのか……」
「うんうん。そのときに心の中に浮かんだ言葉はなんですか? なんでもいいので、言ってみてください」
「え? 心の中に浮かんだ言葉……。なんでもいいんですか?」
「そう。怒りを感じたんですよね。それを『よくも…』を使って表現してみて」
紫晶は心の中のもやもやした黒い雲のような感情を言葉にしてみた。
「よくも……、よくも……」
紫晶はその言葉を言うだけで、涙があふれた。
「よくも……裏切ったな……」
(よくも裏切ったな!!)
怒りに満ちたこの言葉が、頭の中に渦巻いた。
心の半分は、この言葉が不当だとわかっている。だけど、心の中には確かにこの思いが渦巻いているのだ。
「そう、『よくも裏切ったな!』って言いたいんですよね」
一宮はやさしく受け止める。
「わかっているんです。こんなの、おかしいって。彼は別に私の恋人だったわけでもなんでもないのに……」
「うんうん。わかります。これはね、紫晶さんの心の奥に、ずっとずっと前からある思いなんですよ」
「えっ、どういうことですか?」
「これは、幼児期からの思いなんです。それが、今目の前の出来事が引き金になって、出てきたんですよ」
「え……?!」
一宮は紫晶を誘導瞑想という手法で、紫晶の心を3歳の時に戻した。
紫晶の脳裏に、そのときの自分がうっすらと浮かぶ。
それは、紫晶の妹、麻黄が生まれたときだ。
母親は自分だけのものだと思っていた。それなのに、母親がいつのまにか、別の赤ちゃんを抱いて、この上なく優しげな顔で微笑んでいるのを見た。
(よくも裏切ったな……!!!)
それが、3歳の紫晶の心の中に浮かんだ言葉だ。目に憎しみの光が浮かぶ。
まるで、自分の宇宙全体に響くように、その言葉がこだまする。
(お母さんなんか大嫌い!!!)
いや、そのときはそんな言語化はしていなかった。だから、今まで気づかなかった。
だけど、今感じている感情は、そのときのものだということが、はっきりとわかったのだ。
紫晶の心の中には過去の自分と現在の自分が同居していた。
過去の母親と紫晶と妹の関係が、まるで今、店長と自分と綾乃に乗り移ったかのように感じていたのだ。
現在の自分はこの不思議さに驚いてる。
「……びっくりです。私が今感じている悔しさや悲しさは、もう20年以上も前の感情ってことですか?」
「そうなんです。それが似たような関係性で、今引き出されたんですね。大丈夫ですよ。これは『修正』できますから」
一宮はそう言って、修正のプロセスに移った。それは、3歳の自分と、現在の24歳の自分が対話する、というやり方だ。
「お母さんはあなたが嫌いになったから、妹を生んだんじゃないのよ。あなたがかわいいから、もう1人子供が欲しくなったの。お母さんはあなたに妹を与えたかったの。妹はあなたの親友になるために生まれてきたのよ」
一宮はどのように会話するかの手本を見せた。
イメージの中で、現在の自分が3歳の自分に、そう言ってやるのだ。
だが、紫晶はただただ涙が出て、それを聞いているだけだ。
現在の自分はどこにもいなくなり、3歳の自分だけが存在していた。
(ほんとなの? そうなの?)
その子はそう何度もつぶやいた。
(私のこと、嫌いになったんじゃないの? どうしてもうそばにいてくれないの?)
(こんなにも深い思い……。こんなところにとんでもない爆弾のような怒りと悲しみがあった……)
現在の自分は遠いところでそれを傍観者のように眺めて、そう思っているだけだった。
第4話 美しくなる許可
自宅の狭い部屋で、紫晶は電話を切った。
ほんの30分話しただけだった。
一宮が教えた言葉を書き留め、これを何度も繰り返して言うようにと言われた。
「お母さんはあなたが嫌いになったんじゃないのよ……」
この言葉を頭の中に浮かべるだけで、涙があふれる。
「あなたがかわいいから、もう1人欲しくなったのよ」
心の中では、3歳の自分が悲しそうな顔をして、「ううん。妹なんかいらないもん!」と言っている。
紫晶は目を閉じて、ベッドに横たわる。
そして、子供のころの記憶をたどった。
3歳の自分の言葉がどんどん出てくる。
「いいもん。お母さんなんか嫌いだもん。だったら、もう笑ってやらない」
「どうせかわいくないもん。私、ブスだもん」
そんな言葉が思い出されて、紫晶は胸が苦しくなる。
(そうだ。私は「かわいくないって言われたから、笑ってやるもんか」って思ったんだ……)
綾乃の美しさが、実は妬ましかった。
それは自分の選択とは真反対だからだ。自分は腹を立てて「もう、かわいくなってやらない」と子供のころに決めたのだ。
ニコニコして、母を喜ばせたくなんかなかった。
悠樹が来たとき、紫晶はまっさきに指導された。
「笑顔がひきつってますね」
そのとき、「うるさいなあ」と思ったのだ。
それは、3歳の時に「笑ってやらない」と決めていたから、それを非難された気がして、不愉快だったのだ。
「麻黄みたいにニコニコするなんて、人に媚びているようでイヤ」
小学生のころ、そう思ったことをはっきりと覚えている。
紫晶はベッドから起きて、鏡を見た。
目が腫れて、ふくれっつら。自分は全然美人じゃない。
体型も少し太り気味で、ヘアスタイルもただのショートカットだ。
お世辞にも美しいとは言えなかった。
化粧を薄くしているのは、「化粧を濃くすると、人に媚びているように見えるからイヤ」という理由だった。
本当は、何をやっても素直な麻黄には勝てないと思っていたのかもしれない。
自分は美しくない。……でも、それは3歳の自分がそう望んだのだ。
ふてくされて、努力しようとしてこなかった。
「お母さんが私のこと、かわいくないって言うんなら、かわいくなってやるもんか」
そう言って拗ねている幼い自分が、カウンセラーの手を借りなくても、認識できるようなった。
(はあ……。まさか自分がまだ3歳の感情を引きずっているなんて……)
それは紫晶にとって、人生最大の衝撃だった。
「やめた!!」
紫晶は大きな声で宣言した。
「もうこんなの、やめた!!」
仁王立ちして、こぶしを高く上げる。
「私は美しくなると決めた!!!」
それは生まれて初めて、自分に美しくなることを許可する宣言だった。
紫晶の本当の人生はここから始まる!




