なかなか、難しいな……
盗賊ギルドに入ってから、薫の毎日は少しばかり忙しくなった。
朝はセドリックの授業を受け、午後は剣術や身体の使い方を鍛える。そして空いた時間を使って盗賊ギルドへ通い、クロウや先輩たちから斥候に必要な技術を教わった。
もっとも、最初から難しいことを任されるわけではない。
「……足音、聞こえてるぞ」
「あ、はい」
「はい、じゃねえよ。もう一回だ」
最初に苦労したのは、音を立てずに移動する方法だった。
足運びそのものは榊流で習ってきたが、剣を振るための踏み込みと、相手に気づかれないための歩き方では勝手が違う。足元にばかり注意を向ければ周囲への警戒が疎かになり、周りを見ようとすれば小石や落ち葉を踏んでしまう。
「……難しいなぁ」
「そりゃそうだ。簡単なら誰でもできる」
先輩に笑われ、薫も苦笑した。
索敵や追跡の訓練でも、失敗は珍しくなかった。
森では足跡や折れた枝を探し、街中では先輩を見失わずに追いかける。しかし、足跡一つで進行方向を決めつけたり、曲がり角で標的を見失ったりと、思うようにはいかない。
「相手の背中だけ見てちゃ駄目だ。周りの道も、人の動きも見とけ」
「……なるほど」
言われてみれば、剣術にも通じるものがある。
相手の武器ばかり見ていては、足運びや身体の向きを見落としてしまう。やっていることは違っても、注意を向けるべきところは似ているのかもしれない。
そうして何度も失敗するうちに、少しずつ見えるものが増えていった。
そんなある日、薫はギルドの訓練場で投げナイフを渡された。
「うちの連中がよく使ってるやつだ。投げた後も、込めた魔力を手掛かりに位置を追える」
「へえ……便利ですね」
「まあ、まずは普通に投げてみろ」
先輩に教わりながら、薫は少し離れた木製の的へ向き直った。
最初の一本は、刃がうまく立たずに落ちてしまった。しかし、二本目は的に突き刺さり、続く三本目も少し外側ではあったが、きちんと刃が立った。
「……おっ、当たった」
「お前、本当に初めてか?」
「はい。投げナイフは初めてです」
「……へえ。なかなか筋がいいじゃねえか」
褒められて、薫は少し嬉しくなった。
剣術で培った身体の使い方が役に立っているのだろうか。距離を変えても、何度か試せばある程度感覚をつかめた。
ただし、的が左右に動き始めると話は別だった。
「あれ?」
投げたナイフが、的の横を通り過ぎていく。
「ははっ! 動くと難しいだろ?」
「……ですね。これは練習しないとなぁ」
それでも、初めから比較的扱いやすかったのは確かだった。
薫はギルドで同じ種類の投げナイフを何本か揃え、投擲と魔力による追跡の練習を続けるようになった。
また、訓練の合間には王都の道具屋へ足を運び、市販の手斧も購入した。薪割りや枝払いに使える、ごく普通の道具だ。
剣とは違う重さや扱い方に慣れる必要はあったが、野営にも使えるなら持っておいて損はないだろう。
こうして、薫の手元には少しずつ道具が増えていった。
「今日はこいつだ」
別の日、クロウから渡されたのは、先端に金属製の鉤が取り付けられた長い縄だった。
「……鉤縄ですか?」
「おう。あそこの梁に掛けてみろ」
薫は言われたとおりに鉤を投げた。
しかし、一度目は届かず、二度目は梁に当たったものの、そのまま落ちてしまった。
四度目でようやく鉤が掛かり、薫は嬉しくなって縄を引いた。
「……おっ、できた――うわっ!」
鉤が外れ、勢い余って後ろへよろめく。
「ははっ! 掛かっただけじゃ駄目なんだよ。ちゃんと固定できてるか確かめろ」
「……なるほど」
なかなか難しい。
それでも、使いこなせれば便利そうだった。高い場所へ登るだけでなく、足場の悪い場所を移動するときにも役立つだろう。
薫は鉤縄の練習にも熱心に取り組むようになった。
ある程度扱えるようになった頃、ふと思いついて、右手に訓練用の木剣を持ちながら使ってみる。
ところが、実際にやってみると、すぐに不便さを感じた。
左手だけで鉤を投げることはできるが、縄を整えたり回収したりするには手間が掛かる。剣を持ったままでは扱いにくく、場合によっては一度剣を置かなければならなかった。
「……うーん」
薫は手元の鉤縄を見下ろした。
もし戦いの最中に使うなら、できるだけ剣を手放したくない。
それに、手で投げるよりも素早く鉤を飛ばせたら、使い道も増えそうだ。
……何かいい方法、ないかなぁ。
そんなことを考えながら、薫はもう一度、鉤縄を手繰り寄せた。
その日の訓練が終わる頃、クロウが薫を呼び止めた。
「おい、カオル。ちょっと待て」
「はい?」
「これ、持ってけ」
差し出されたのは、クリーム色のマフラーだった。
「……マフラー、ですか?」
「おう。ギルドの連中も使ってる、丈夫な旅用のやつだ。遅くなったが、入団祝いみたいなもんだな」
「えっ、いただいていいんですか?」
「いいから受け取っとけ」
薫は礼を言ってマフラーを受け取り、首に巻いてみた。
生地はしっかりしているが、ごわつきは少なく、動きの邪魔にもならなさそうだった。
「……あ、いいですね。これ」
「だろ?」
「ありがとうございます。大事に使います」
「ははっ。道具なんだから、遠慮せず使えよ。傷んだら買い直しゃいい」
「……それもそうですね」
薫は笑いながら、マフラーを少し整えた。
特別な力があるわけでも、珍しい品というわけでもない。それでも、こうして贈り物をもらえたことは素直に嬉しかった。
その日の夜、薫が来界者用の寮へ戻った頃には、すっかり日が暮れていた。
盗賊ギルドでの訓練が長引き、夕食も外で済ませてきた。廊下を歩いていると、ちょうど部屋から出てきた颯真と顔を合わせる。
「あれ、薫。今帰ってきたのか?」
「あ、颯真。ただいま」
「おかえり。最近忙しそうだな」
「そう?」
「そうだろ。授業と訓練が終わったら、今度は盗賊ギルドだろ?」
「ああ……言われてみれば、確かに」
「自覚なかったのかよ」
「いや、楽しくてさ。気づいたら時間が過ぎてるんだよね」
薫が苦笑すると、颯真も笑った。
「今日は何やってたんだ?」
「鉤縄の練習とか、追跡の訓練とか。あと、最近は投げナイフもやってるよ」
「投げナイフ?」
「うん。意外と得意だったんだよ、これが」
「へえ。面白そうじゃん」
「そうなんだよ。でも、動く的にはまだ全然当たらなくてさ」
「そりゃ、そう簡単にはいかないだろ」
「まあね。颯真の方はどう? 風の扱い」
「んー……少しずつだな。剣を振りながら細かく調整するのが難しくてさ」
颯真は自分の手を見ながら答えた。
「勢いをつけすぎると、逆に身体が流れるんだよな」
「ああ、確かに制御は難しそう。……颯真の攻めに風まで加わったら、受ける方はたまったもんじゃないけど」
「ははっ。使いこなせればな」
二人は顔を見合わせて笑った。
日本にいた頃も、稽古が終わった後にはこうして技の話をすることがあった。今は竹刀ではなく本物の武器を扱い、魔法まで加わっているが、こういうやり取りはあまり変わらない。
「……それにしても、無理はするなよ」
「ん?」
「ちゃんと休めてるか? 帰ってくるのも最近遅いし」
「ああ、大丈夫。寝る時間は取ってるよ。……まあ、今日はちょっと足が疲れたけど」
「おいおい」
「明日には戻ると思うよ。たぶん」
「その『たぶん』が怪しいんだよなぁ」
颯真は呆れたように笑った。
それから、ふと薫の首元へ目を向ける。
「それ、マフラーか?」
「ん? ああ、これね。クロウさんにもらったんだ。入団祝いだって」
「へえ。似合ってるじゃん」
「ありがと。結構あったかいよ、これ」
薫は嬉しそうにマフラーへ触れた。
「そうだ。また時間が合うときさ、稽古付き合ってよ」
「おう、もちろん」
「風の練習も兼ねて?」
「いや、お前相手にいきなり使ったりしねえって」
「はは、冗談だよ」
颯真は苦笑し、軽く手を振った。
「じゃあ、おやすみ。ちゃんと休めよ」
「うん。颯真もちゃんと寝るんだよ。朝起きられるように」
「……余計なお世話だ!」
背後から聞こえた声に笑いながら、薫は自分の部屋へ戻った。
それから数日後、薫たち来界者に、王国から装備についての希望を聞きたいという知らせが届いた。
今後の訓練や活動に備え、それぞれの能力や戦い方に合った武器・防具を用意するためだという。
「俺は両手で扱える剣がいいですね。防具も、ある程度しっかりしたものをお願いします」
颯真は前衛として戦うことを想定し、重装と両手剣を希望した。
綾芽は居合に適した刀、大地は拳や腕を守る防具。慧は魔術を扱いやすい装備について相談し、美琴は短い杖と動きやすい服装を希望していた。紗良や灯も、それぞれの役割に合った道具について担当者と話し合っている。
「では、次はサカキ様ですね」
「あ、はい。お願いします」
薫は担当者の前に座った。
「まず、どのような戦い方を想定されていますか?」
「そうですね……剣術は習っていたので、剣を中心に考えています。ただ、今は斥候の技術も勉強していて」
「斥候、ですか」
「はい。なので、できれば軽くて動きやすい防具がいいです。もちろん、必要なところはちゃんと守れるものがいいですけど」
担当者は頷き、希望を書き留めた。
「武器についてはいかがでしょう?」
「片刃の直剣がいいです。あまり大きすぎないもので、片手でも両手でも使えるものが理想ですね」
「なるほど」
「それから、手斧は道具屋で買ったものがありますし、投げナイフもギルドで揃えたので、副武装は今のところ大丈夫だと思います」
薫は続けて、背嚢や野営道具などについても希望を伝えた。
長く歩いても邪魔にならず、必要な道具を持ち運べるもの。旅先でも扱いやすく、手入れのしやすいものがいい。
「……かなり実用性を重視されるのですね」
「そうですね。いろんな場面で使えるものがいいなと思ってます」
「承知しました。では、こちらの内容を職人へ伝えておきます」
「あ、ありがとうございます」
薫は頭を下げ、席を立とうとした。
そのとき、ふと先日の訓練を思い出す。
「……あっ、すみません。もう一ついいですか?」
「ええ、もちろんです」
「鉤縄っていう道具を、今ギルドで練習してるんですけど……」
薫は左腕を持ち上げた。
「例えば、左手に着ける籠手から鉤縄を飛ばせるようにすることって、できないでしょうか?」
「籠手から、ですか?」
「はい。今は手で投げてるんですけど、剣を持ちながらだと結構不便で。左腕から射出できて、縄も巻き取れるようになれば、便利かなと思ったんです」
担当者は少し考え込んだ。
「……なるほど。似たような機構を考えた職人は、以前にもいたと聞いたことがあります。ただ、扱いが難しく、整備にも手間が掛かるため、あまり普及していないようですね」
「……ああ、やっぱりそうなんですね」
「それに、強い力で引っ張られれば腕にも負担が掛かります。実際に使えるものになるかは、職人と相談する必要があるでしょう」
「そうですよね……」
薫は自分の左腕を見下ろした。
鉤縄を手で使っているだけでも、固定する場所や引っ張る方向には気を遣う。それを腕に取り付けるとなれば、考えなければならないことは多そうだ。
けれど、剣を持ったまま鉤縄が使えたなら。
高い場所へ登るときも、足場を利用して移動するときも、今よりずっと動きやすくなるかもしれない。
「……あの、難しいのは分かるんですけど、一度相談だけでもできませんか?」
「ええ。もちろんです。今回の装備製作には腕の立つ鍛冶師が関わりますから、希望として伝えておきましょう」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「ただし、必ず実現できるとは限りませんよ」
「はい。それはもちろん」
薫は笑って頷いた。
こうして、装備についての相談はひとまず終わった。
「薫、終わった?」
部屋の外では、颯真と綾芽が待っていた。
「あ、うん。ごめん、ちょっと長くなった」
「何頼んでたんだ?」
「剣と防具とか。あと、鉤縄を腕から飛ばせないかなって」
「……腕から?」
颯真が首を傾げる。
「うん。剣を持ったまま使えたら便利だと思って」
「へえ、面白そうじゃん」
「でしょ?」
薫が笑うと、綾芽も興味深そうに左腕を見た。
「でも、それって腕に負担が掛からない?」
「そこが難しいみたい。職人さんに相談してくれるって」
「そっか。安全に使えるものができるといいね」
「うん。俺もそう思う」
三人は並んで部屋を出た。
固有能力の《継承》については、相変わらず何も分かっていない。
それでも、盗賊ギルドで学んだことは確実に増えている。今まで知らなかった道具の使い方も覚えたし、こうして新しい装備のことまで考えるようになった。
……まだまだ覚えることは多いけど。
それはそれで、悪くない。
薫は小さく笑い、仲間たちの後を追った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今後は毎週金曜日に2~3話ずつ投稿していきたいと思っています。無理のないペースで、少しずつ物語を進めていけたらと思います。
そして、本作『火を継ぐ者の帰る道』ですが、タイトルが少し長いので、略して『ひもの』と呼んでいただけたら嬉しいです。
これからも『ひもの』をよろしくお願いします!




