少々、いや、かなり物騒な面接
オルフェン王との面談から、数日後。
薫は王都の一角にある、少し古びた建物の前に立っていた。
大通りから一本外れた場所にあり、周囲には商店や工房が並んでいる。道を行き交う人々の声に混じって、どこかから金属を打つ音が聞こえてきた。
薫は手元の紙を見下ろす。
オルフェンから渡された紹介状と、建物までの道順を記した地図だ。
「……たぶん、ここだよな」
もう一度、目の前の建物を見上げる。
外観はごく普通の建物だった。木製の扉の横には小さな看板が掛けられているが、目立った装飾もなく、知らなければ通り過ぎてしまいそうだ。
……盗賊ギルド、かぁ。
名前だけ聞けば、どうしても物騒な集団を想像してしまう。
もっとも、オルフェンの説明によれば、ここは犯罪者の集まりではない。偵察や追跡、情報収集などを専門とする、れっきとした職能組織らしい。
王国から仕事を請け負うこともあるが、王家に直接仕えているわけではなく、独立した立場で活動しているという。
「……いつまでも突っ立ってても仕方ないか」
薫は紹介状をしまい、扉を開けた。
中に入ると、まず木と革の匂いが鼻をくすぐった。
部屋には大きな机がいくつか並び、壁には地図や縄、見慣れない道具が掛けられている。机の上には書類が積まれ、奥では数人の男女が何かを話し合っていた。
思っていたより、ずっと普通だ。
……いや、普通って何だろう。
そもそも盗賊ギルドの普通を知らない。
「いらっしゃい。何かご用?」
受付らしい机に座っていた女性が顔を上げた。
「あ、こんにちは。こちらに、オルフェン陛下の紹介で伺ったんですけど……」
薫は紹介状を差し出した。
女性はそれを受け取り、封を確かめると、少しだけ眉を上げた。
「……なるほど。話は聞いてるよ」
「本当ですか。よかった」
「頭領に会いに来たんだろう?」
「はい。できれば、こちらで技術を学ばせていただきたくて」
「ふうん……」
女性は薫の顔を一度見てから、奥の扉へ視線を向けた。
「じゃあ、奥の部屋で待ってて。頭領には伝えてあるから」
「分かりました。ありがとうございます」
薫は軽く頭を下げ、示された扉へ向かった。
廊下を進んだ先には、もう一つ部屋があった。
中には机と椅子が置かれ、壁には王都周辺のものと思われる地図が貼られている。窓からは通りの様子が見えた。
薫は扉を閉め、部屋の中を見回した。
……ここで待ってればいいのかな。
椅子に座ろうかとも思ったが、勝手にくつろぐのも気が引ける。
とりあえず、壁に貼られた地図へ目を向けた。
この二週間、セドリックから読み書きを教わってはいるものの、まだ知らない文字も多い。それでも、王都の名前や主要な道くらいは、少しずつ分かるようになってきた。
「……あ、ここが城か」
地図に記された王宮の位置を見つけ、薫は小さく呟いた。
そこから道を辿っていく。
今朝通った大通りは、この辺りだろうか。
そんなことを考えていた、そのときだった。
「――動くな」
「……っ!」
背後から、低い声が聞こえた。
ほとんど同時に、首筋のすぐ横へ冷たいものが差し込まれる。
薫の身体が強張った。
視線だけを下へ向けると、細い刃が見えた。
……ナイフ?
反射的に身を捩りかけたが、寸前で思いとどまる。刃は肌に触れるか触れないかという距離にあり、下手に動けば自分から切っ先へ首を寄せてしまう。
いつ近づかれたのか、まったく分からなかった。
「お前、何しに来た?」
背後の人物が尋ねた。
薫は一度、息を整えた。
「……えっと」
「答えろ」
「こちらで、技術を学びたくて来ました」
「技術?」
「はい。隠密行動とか、索敵とか……そういうものです」
「ほう」
刃の位置は変わらない。
「誰の紹介だ?」
「オルフェン陛下です。紹介状も受付の方に渡しました」
「王様の紹介なら、何でも教えてもらえると思ったか?」
「いえ。そういうつもりはないです」
「じゃあ、何でここなんだ?」
薫は少し考えた。
首元には相変わらずナイフがある。
正直、あまり落ち着いて話せる状況ではなかった。
「……あの」
「何だ?」
「話すのは構わないんですけど、できればナイフを下ろしてもらえませんか?」
「怖いか?」
「……そりゃ、まあ。怖いですよ」
薫は苦笑しようとして、やめた。
下手に首を動かすのは危なそうだ。
「でも、今の俺じゃどうにもできそうにないので。話せって言うなら、話します」
背後で、小さく息を吐く音がした。
「……続けろ」
「はい」
薫は視線を正面に戻した。
「俺、二週間ほど前にこの世界へ召喚されたんです。固有能力もあるみたいなんですけど、何ができるのか分からなくて」
「それで?」
「能力のことが分かるまでに、ほかにできることを増やしたいんです」
「だから、うちに来たのか?」
「はい。敵の位置を調べたり、危険を先に見つけたりする技術があれば、仲間の役に立てると思って」
「……剣を振るのが怖いだけじゃないのか?」
「怖くないとは言いません。でも、俺も剣術は習ってきましたし、必要なら戦います。それに、戦わずに済む方法を知っておくのも、大切だと思うんです」
薫は少し首を動かしかけ、慌てて止めた。
危ない危ない。
「ほう?」
「敵がどこにいるか、何が危険なのか。そういうことが先に分かっていれば、避けられる戦いもあるでしょうし」
薫は一度、言葉を切った。
「……それに、俺が習ってきた剣術は、使えるものを使って、どんな状況でも生きて帰ることを大事にしてるんです」
昔、道場で何度も聞いた言葉だった。
剣を握ることだけが、戦うことではない。
足場を見て、周囲を見て、使えるものを探す。無理に斬り合わずに済むなら、それも一つの選択だ。
「ここで学べる技術は、俺が今まで習ってきたことにも生かせるんじゃないかと思います」
「……」
「もちろん、まだ何も知らないので、簡単にできるとは思ってませんけど」
しばらく返事はなかった。
薫は背後の人物の様子を窺おうとしたが、ナイフがある以上、振り返るわけにもいかない。
……そろそろ下ろしてくれないかな。
そう思ったところで、不意に刃が離れた。
「……よし」
「……え?」
「もう動いていいぞ」
薫はゆっくり振り返った。
そこに立っていたのは、鋭い目つきをした男だった。
動きやすそうな服装に、使い込まれた革の装具。派手な飾りはなく、手にしていたナイフも特別目立つものではない。
だが、不思議と隙が見えなかった。
「……あの、あなたは?」
「クロウだ」
男はナイフを鞘へ収めた。
「ここの頭領をやってる」
「……えっ」
薫は思わず目を瞬かせた。
「頭領、ですか?」
「そうだ。何か問題でもあるか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
薫は先ほどまでナイフがあった首元に手を当てた。
切られてはいない。
けれど、少しばかり冷や汗をかいていた。
「……ずいぶん物騒な挨拶なんですね」
「ははっ。まあな」
クロウは悪びれた様子もなく笑った。
「それで、どうだった?」
「……何がですか?」
「俺が近づいたの、気づいたか?」
「……全然」
「だろうな」
クロウは机の端に腰を預けた。
「お前、地図に夢中だったろ。部屋に入ってから一度も後ろを確認しなかった」
「……あ」
「足音を消せる奴は珍しくない。だが、何も聞こえないからって、誰もいないと思い込むのは危険だ」
薫は思わず、先ほどまで自分が立っていた場所を見た。
扉は閉めていた。
それでも、いつ誰かが入ってきたのか、まったく分からなかった。
「……なるほど」
「もし俺が本当に敵だったら、お前はもう死んでる」
「……そうですね」
反論はできなかった。
剣術の経験はある。
相手の気配や動きに注意することも教わってきた。
それでも、今回のように相手の存在そのものを見落としていては、どうにもならない。
「……勉強になりました」
「ほう。怒らないのか?」
「いや、驚きましたし、正直やり方はちょっと怖かったですけど……」
薫は困ったように笑った。
「でも、気づけなかったのは本当なので」
クロウは少しだけ口元を緩めた。
「変わった小僧だな」
「……よく言われるわけじゃないんですけどね」
「ははっ!」
クロウは声を上げて笑った。
その笑い方は思っていたより気さくで、薫は少し拍子抜けした。
「さて、カオルだったな」
「はい」
「王様から話は聞いてる。直々に話を持ってくるなんざ、珍しいことだ」
「……そうなんですか?」
「ああ。だが、王様の紹介だからって特別扱いはしないぞ」
「はい。そのつもりです」
「結構」
クロウは腕を組んだ。
「一応言っておくが、うちは騎士団じゃない。綺麗な仕事ばかりでもないぞ」
「……はい」
「森や街道で行方不明になった奴を探すこともあれば、危険な場所へ潜り込んで情報を持ち帰ることもある。依頼主には商人もいるし、貴族もいる。王家から表立って動けない仕事を頼まれることだってある」
薫は黙って耳を傾けた。
「ただし、俺たちは独立したギルドだ。王様の言うことなら何でも聞くってわけじゃない。依頼を受けるかどうかは、こっちで決める」
「……なるほど」
「当然、仕事には危険もある。場合によっちゃ、剣を抜かなきゃならないこともあるだろう」
クロウはそこで言葉を切り、薫を見た。
「それでも、ここで学びたいか?」
薫はすぐには答えなかった。
先ほど首元に刃があったことを思い出す。
正直、怖かった。
この男が本気で自分を傷つけようとしていたら、何もできなかったかもしれない。
……まだまだだなぁ、俺。
そう思う。
けれど、だからこそ学びたいとも思った。
「……はい」
薫はクロウを見返した。
「やってみたいです」
「理由は変わらないか?」
「変わりません。斥候としては、まだ何もできないですけど」
「……」
「だから、できるようになりたいんです」
クロウはしばらく薫を見つめていた。
やがて、短く頷く。
「……よし。分かった」
「……え?」
「入れてやる」
薫は一瞬、言葉を失った。
「……いいんですか?」
「何だよ。自分から来といて、断られると思ってたのか?」
「いや、もう少し何か試験みたいなのがあるのかなって……」
「試験なら、さっきやっただろ」
「……あれが?」
「そうだ」
クロウは楽しそうに笑った。
「腕前だけじゃない。予想外のことが起きたとき、どう動くか。自分に何ができて、何ができないのかを分かっているか。そういうのも見てたんだよ」
「……なるほど」
薫は小さく息を吐いた。
……そういうことだったのか。
いや、それにしたって物騒すぎるとは思うけど。
「もっとも、いきなり一人前として扱うわけじゃない。まずは見習いだ」
「はい」
「最初に覚えてもらうのは、観察と移動、それから情報の扱い方だ。派手なことは何もないぞ」
「大丈夫です」
「地図の読み方、足跡の見分け方、見つからずに動く方法。野営の準備も、罠の確認も覚えてもらう。剣術ができるなら、それをどう生かすかも考えなきゃならん」
クロウは指を折りながら説明した。
「それから、勝手に危険な仕事へ首を突っ込むな。見習いを一人で送り出すような真似はしない。まずは、先輩の仕事を見て覚えろ」
「分かりました」
「あと、もう一つ」
「はい?」
クロウは薫をまっすぐ見た。
「俺たちの仕事は、情報を持ち帰って初めて意味がある。どれだけ敵に近づけようが、どれだけ見事に潜り込もうが、帰ってこられなきゃ何にもならん」
その言葉に、薫は静かに頷いた。
「……はい。それは、よく分かります」
「ほう?」
「俺の師匠も、似たようなことを言ってましたから」
クロウは少しだけ目を細めた。
「……そうか。いい師匠だな」
「はい」
薫は穏やかに笑った。
「とても」
クロウはそれ以上、詳しく尋ねなかった。
代わりに机の引き出しから一枚の紙を取り出し、薫へ差し出す。
「じゃあ、ここに名前を書け。見習いとして登録してやる」
「あ、はい」
薫は紙を受け取り、ペンを手にした。
……あ。
そこに並んでいるのは、まだ覚えきっていない異世界の文字だった。
「……すみません」
「ん?」
「ここの文字、まだちょっと自信がなくて」
「……お前、読み書きは?」
「勉強中です」
クロウは数秒黙ったあと、額に手を当てた。
「……そうか。来たばっかりだったな」
「はい。すみません」
「いや、謝らんでいい。名前の書き方は教えてやる」
「ありがとうございます」
結局、薫はクロウに文字を一つずつ教えてもらいながら、どうにか登録用紙へ名前を書き込んだ。
ずいぶん時間が掛かってしまったが、クロウは途中で急かすこともなく、最後まで付き合ってくれた。
「……よし。これでいい」
紙を確認したクロウが頷いた。
「今日からお前も、うちの見習いだ」
「……はい!」
薫は思わず笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします!」
「おう。こっちこそな」
クロウは立ち上がり、部屋の扉へ向かった。
「じゃあ、まずは中を案内してやる。ついでに、ほかの連中にも紹介しねえとな」
「分かりました」
薫も立ち上がり、後に続こうとした。
すると、クロウがふと思い出したように振り返る。
「ああ、そうだ」
「はい?」
「次から、部屋に入ったら周りをよく見とけよ」
「……はい」
「特に背後な」
そう言って、クロウはにやりと笑った。
薫は思わず苦笑した。
「……できれば、次は普通に声をかけてもらえると助かります」
「ははっ! 考えといてやる!」
廊下へ響く笑い声を聞きながら、薫は小さく息を吐いた。
……本当に大丈夫かな、ここ。
少しだけ不安はある。
けれど、学べることも多そうだった。
何より、今まで知らなかった技術を身につけられるというのは、少し楽しみでもある。
薫はクロウの背中を追い、部屋を後にした。




