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火を継ぐ者の帰る道  作者: いわんちょちょ
第1章 ラズリオン編
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それでも、納得できない

 騎士に案内されて歩く廊下は、薫たちが通っていた学校とは何もかもが違っていた。


 高い天井に、等間隔で並んだ石柱。壁には大きな絵画や見慣れない紋章の入った旗が飾られ、足元には厚い絨毯が敷かれている。窓から差し込む日差しが石の床に落ちていたが、外の景色まではよく見えなかった。


 薫は腕に抱えた教科書を持ち直した。


 ……どうしよう、これ。


 三時間目の授業で使うはずだったものだ。さっきまで何の疑問もなく持ち歩いていたのに、今となってはひどく場違いな気がする。


「ねえ、薫」


 隣を歩いていた綾芽が、小さな声で話しかけてきた。


「うん?」


「さっきの話、本当だと思う?」


「召喚されたってやつ?」


「……うん」


 薫は少し考えた。


「どうだろう。でも、少なくとも学校じゃないのは確かだよね」


「それはそうだけど……」


 綾芽は困ったように笑い、それから前を歩く騎士へ目を向けた。


「なんか、まだ実感が湧かなくて」


「……俺も」


 そう答えながら、薫はもう一度周囲を見回した。

 こんな建物は見たことがない。鎧を着た騎士も、白いローブの人々も、床に広がっていた奇妙な光も。

 何かの撮影だと言われた方が、まだ納得できそうだった。


「なあ、薫」


 今度は後ろから大地が声をかけてきた。


「これ、やっぱ夢とかじゃねえのか?」


「夢にしては随分はっきりしてるけど……」


「だよなぁ」


「そもそも俺たち全員で同じ夢見てたら、それはそれで怖えだろ」


 慧が横から口を挟む。


「確かにな!」

「いや、納得すんなよ。俺も何が起きてるか分かんねえんだから」


 いつもと変わらない二人のやり取りに、薫は少しだけ笑った。


 けれど、笑い声は長く続かなかった。

 周囲では、何人もの生徒が不安そうに顔を見合わせている。女子生徒の一人が目元を拭い、隣の友人がその背中をさすっていた。


 薫は口を閉じた。


 ……そうだよな。

 笑っていられるような状況じゃない。


 廊下の先で、案内役の騎士が立ち止まった。

 そこには、先ほどの広間にあったものよりも大きな扉があった。左右には別の騎士が控えており、案内役が近づくと姿勢を正した。


「皆様、こちらで少々お待ちください」


 騎士がそう告げると、扉の向こうへ何かを伝えた。

 しばらくして、重々しい音を立てながら両開きの扉が開いていく。

 その先に広がっていたのは、先ほどとはまた違う大広間だった。


 高い天井からは装飾の施された照明が吊り下がり、壁際には何人もの騎士や、きちんとした服装の人々が立っている。中央には長い絨毯が敷かれ、その先の数段高くなった場所に、一人の男性が座っていた。

 年齢は五十歳くらいだろうか。


 華美すぎない正装に身を包んだ男性は、薫たちが入ってくると、静かに立ち上がった。


 ……あの人が、王様?


「どうぞ、こちらへ」


 案内役の騎士が促した。

 薫たちは顔を見合わせながら、広間の中央へと進んでいく。


「……すげえな」


 大地が小声で呟いた。


「おい、声」


 慧がすぐに注意する。


「分かってるって」


 そのやり取りを聞きながら、薫は正面の男性へ視線を戻した。

 何か特別な作法が必要なのだろうか。

 礼をするべきなのか、それとも膝をつくのか。

 そんなことを考えているうちに、先頭を歩いていた颯真が足を止めた。

 薫たちも、それに合わせて立ち止まる。

 すると、男性が口を開いた。


「ようこそ、ラズリオン王国へ。私がこの国の王、オルフェン・ラズリオンだ」


 よく通る、落ち着いた声だった。


「まずは、突然このような場所へ連れてきたことを詫びねばならぬ」


 オルフェンは薫たちを見渡し、静かに頭を下げた。

 予想していなかった行動に、薫は少し驚いた。


 ……王様が、謝るんだ。


「そなたたちにとって、今の状況がどれほど理不尽なものかは理解しているつもりだ。だが、我々にはどうしても力を借りねばならぬ事情があった」


 オルフェンが顔を上げる。


「まずは、その事情を説明させてもらいたい」


 生徒たちの間に、小さなざわめきが広がった。

 そんな中、颯真が一歩前へ出た。


「あの、すみません」

「うむ。何だろうか」

「俺は九条颯真といいます。学校では学級委員長をしています」


 颯真は一度、周囲の生徒たちへ目を向けた。


「みんな、まだ何が起きたのか分かっていません。俺もそうです。だから、まずはちゃんと説明してもらえませんか?」

「もちろんだ、ソウマ」


 オルフェンは頷いた。


「そなたたちが暮らしていた世界と、この世界は異なる。我々は古い召喚術を用い、別の世界からそなたたちを呼び寄せた」

「……別の、世界」


 颯真がその言葉を繰り返した。


「つまり、ここは日本じゃないってことですか?」

「日本、というのがそなたたちの故郷の名であれば、そのとおりだ」


 薫は思わず綾芽と顔を見合わせた。

 薄々そうなのかもしれないと思っていた。けれど、はっきりと言われると、やはりすぐには受け入れられない。


 ……異世界、か。


 ゲームや小説では何度も見たことがある。

 でも、実際に自分がそんな場所へ来るなんて、一度も考えたことはなかった。


「では、なぜ俺たちを?」


 颯真が続けて尋ねた。


 オルフェンはその問いを待っていたように頷く。


「この世界には、魔物と呼ばれる危険な生物が存在する。また、近年は《裂け目》と呼ばれる異常現象が各地で増えている」

「魔物……?」

「《裂け目》?」


 聞き慣れない言葉に、何人かの生徒が首を傾げた。


「《裂け目》は、異なる空間や世界との境界が不安定になる現象だ。発生した場所では周囲の環境が乱れ、魔物の異常発生や、土地そのものへの被害が起こることもある」


 薫は頭の中で説明を整理しようとした。

 魔物。

 裂け目。

 異なる世界。


 ……いや、ちょっと待って。

 知らない言葉が多すぎる。


「それって、つまり……この国は危ない状況なんですか?」


 綾芽が尋ねた。


「すべての土地が危険というわけではない。街では人々が暮らし、商いを営み、農地では作物も育てられている。だが、被害は確実に増えている」


 オルフェンは静かに答えた。


「我が国の騎士団も対応に当たっているが、守らねばならぬ場所は多い。そこで、異なる世界から来た者が持つ力を借りられないかと考えたのだ」

「力、ですか」

「うむ。この世界には魔術があり、人によって異なる能力や適性が存在する。来界者には、我々とは異なる力を持つ者が現れることがある」


 その言葉に、慧がわずかに顔を上げた。

 魔術。

 薫も、先ほど白いローブの男が使った光を思い出していた。

 あれも魔術だったのだろうか。


「ちょっと待ってください」


 颯真の声が響いた。


「つまり、俺たちに魔物と戦ってほしくて呼んだってことですか?」


 オルフェンは、すぐに答えた。


「戦う力を持つ者がいれば、確かに協力を願いたい。だが、そなたたちに戦闘を強いるつもりはない」


「……え?」


「戦うことを望まぬ者に、武器を持たせて前線へ送ることはせぬ。そなたたちがこの国でどのように生きるかは、できる限り本人の意思を尊重したいと考えている」


 生徒たちの間から、戸惑い混じりの声が上がった。


「じゃあ、戦わなくてもいいんですか?」


 今度は別の男子生徒だった。


「そうだ。学ぶことも、働くことも、戦いとは別の形で人々を助けることもできる。もちろん、まずはこの世界での生活に慣れてもらう必要があるがな」


 オルフェンはそこで一度、言葉を切った。


「そなたたちの住む場所や食事、衣服については、王国が責任を持って用意する。生活のために戦うことを条件とするつもりもない」


 薫は少しだけ肩の力を抜いた。

 少なくとも、今すぐ魔物と戦えと言われるわけではないらしい。

 それは、ありがたい。

 けれど。


「……あの」


 今度は女子生徒が声を上げた。


「私たち、帰れるんですか?」


 その一言で、広間が静かになった。


「日本に……家に帰れるんですよね?」


 声が震えていた。


 薫も、思わずオルフェンへ視線を向けた。

 そうだ。

 それが一番大事なことだった。

 学校へ戻れるのか。

 家へ帰れるのか。

 また、いつもどおりの生活ができるのか。


 オルフェンは、女子生徒の問いを聞くと、少しだけ表情を引き締めた。


「そのことについても、正直に話さねばならぬ」


 嫌な予感がした。


「我々は異なる世界から人を呼び寄せる術を用いた。しかし、呼び寄せた者を元の世界へ確実に送り返す方法は、いまだ確立できていない」

「……え?」


 誰かの声が漏れた。


「じゃあ、帰れないってこと?」

「そんなの聞いてない!」

「待ってよ! どういうこと!?」


 生徒たちが一斉に騒ぎ始めた。

 薫も、すぐには言葉が出なかった。


 ……帰る方法が、ない?


 腕の中の教科書を、無意識に強く抱えた。

 今朝、自分で作った朝食を食べた。

 学校で友達と話して、授業を受けた。

 そして、三時間目の教室へ移動しようとしていた。

 それだけだった。

 それなのに。


「おい、ちょっと待てよ」


 大地が低い声で言った。


「帰れるか分かんねえのに、呼んだってことか?」


 いつもの大きな声ではなかった。


 オルフェンは、その問いから逃げなかった。


「……そうだ」

「マジかよ……」


「我々の都合で、そなたたちを故郷から引き離した。その事実は、どのような事情があろうと変わらぬ」


 オルフェンは生徒たちを見渡した。


「帰還の可能性についても調べ続けるつもりだ。だが、必ず帰せるという約束は、今の私にはできぬ」


 誰も、すぐには答えなかった。

 すすり泣く声が聞こえた。

 少し離れた場所では、美琴が灯の手を握っている。 綾芽も唇を結んだまま、床へ視線を落としていた。


 薫は何か言おうとして、やめた。

 大丈夫だよ、なんて。

 そんなこと、今は言えなかった。


「……分かりました」


 やがて、颯真が口を開いた。

 その表情は、先ほどよりもずっと硬かった。


「でも、納得できたわけじゃありません」

「うむ。当然だろう」

「俺たちは、自分たちでここへ来ようと思ったわけじゃないです。それなのに、帰れるかどうかも分からないって……」


 颯真は一度、言葉を切った。


「正直、どうしたらいいのか分かりません」

「……そうであろうな」


 オルフェンは静かに頷いた。


「今すぐ理解しろとも、納得しろとも言わぬ。そなたたちには怒る理由がある。そのことも承知している」


 王はそこで、少しだけ声を落とした。


「ただ、これだけは約束しよう。そなたたちがこの世界で暮らす間、その生活と安全については、ラズリオン王国が責任を負う」


 颯真はしばらくオルフェンを見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「……ありがとうございます」


 それから一歩下がり、薫たちの方へ戻ってきた。


「颯真」


 薫が声をかけると、颯真は小さく息を吐いた。


「悪い。あんまりうまく聞けなかった」

「いや、そんなことないよ」

「……そうか?」

「うん。聞きたいこと、ちゃんと聞いてくれたと思う」


 颯真は少しだけ困ったように笑った。


「……ありがとな」


 薫も小さく頷いた。


 自分が颯真の立場だったら、あんなふうに皆の前で話せただろうか。


 ……分かんないな。


 少なくとも、颯真がいてくれてよかったとは思った。


 広間には、まだすすり泣く声が残っていた。誰も積極的に口を開こうとはせず、薫も腕の中の教科書へ目を落とした。ついさっきまで、これを持って次の授業へ向かうはずだった。それが、もう戻れないかもしれない。


 ……正直、全然実感が湧かない。


 しばらくして、オルフェンが再び口を開いた。


「長く話してしまったな。そなたたちも疲れているだろう」


 オルフェンは生徒たちの様子を確かめてから、傍らに控えていた人物へ目を向けた。


「今後の生活については、順を追って説明させよう。まずは皆の体調を確認したい。その際に、能力や適性についても調べさせてもらうつもりだ」


「能力……」


 薫は小さく呟いた。

 魔術。

 固有能力。

 自分にも、そんなものがあるのだろうか。


「調査には我が国の魔術教授が立ち会う。危険のない範囲で確認を進めるつもりだ」


 オルフェンはそう告げると、少しだけ表情を和らげた。


「だが、その結果によって、今日そなたたちの生き方を決めるわけではない。まずは、この世界について知ることから始めてほしい」


 薫は改めて、周囲の仲間たちを見回した。

 綾芽も、颯真もいる。

 大地も慧も、美琴も灯も、紗良も。

 みんな、ついさっきまで同じ教室で過ごしていた。

 その事実だけは、何も変わっていない。


 薫はゆっくりと息を吐いた。

 何ができるのかも、どうやって帰るのかも分からない。

 それでも、今は目の前のことを一つずつ確かめていくしかなかった。

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