それぞれの役目
薫たちが次の任務について知らされたのは、朝の訓練が始まる少し前のことだった。
ローデン橋付近で、《裂け目》に由来する痕跡が確認されたという。
それだけなら、調査隊を派遣して周辺の状況を確かめるところだった。しかし、今回は事情が違った。橋を中心とした広い範囲で魔力の乱れが観測され、周辺に生息する魔物の活動にも明らかな異常が出ているという。
《裂け目》の影響を受けていることは、ほぼ間違いなかった。
さらに厄介なことに、ローデン橋の近くには村や小さな集落が点在している。魔物の被害が広がれば、住民たちが逃げ遅れるおそれもあった。
そこで王国は、騎士団を中心とした救助隊を編成することにした。
任務は住民の避難誘導と、その経路の安全確保。魔物の討伐はあくまで避難を進めるための手段であり、無理に敵を追いかける必要はない。
今回は、薫たちを含む来界者も、騎士団とともに救助活動へ参加することになった。
「……思ったより、大ごとになってるな」
救助隊の集合場所で、慧が周囲を見回しながら呟いた。
騎士たちは武器や防具を点検し、荷車には水や食料、治療用の物資が積み込まれている。隊列の確認をする声があちこちから聞こえ、普段の訓練場とはまるで違う慌ただしさがあった。
薫たち以外にも、任務への参加を希望したクラスメイトの姿があった。
ある者は騎士と一緒に荷車の積み荷を確認し、ある者は渡された地図を広げて避難経路を教わっている。訓練を始めたばかりの頃は、武器を持つことすらぎこちなかった彼らも、今ではそれぞれの得意なことを見つけ始めていた。
「なあ、俺たちも結構いろんなことができるようになったよな」
近くで荷物を運んでいた男子生徒が、隣の友人へ話しかけた。
「まあな。最初は魔法なんて本当に使えるのかって思ってたけど」
「だよな。……今回も、ちゃんと役に立てるといいんだけど」
「お前、緊張してんの?」
「そりゃするだろ。人の命がかかってるんだぞ」
男子生徒はそう答えてから、少し照れくさそうに笑った。
そのやり取りを聞いていた騎士が、積み荷を固定しながら声を掛ける。
「気負いすぎるなよ。お前たちに全部任せるわけじゃない。危険なときは俺たちに頼れ」
「……はい!」
「それと、住民を逃がすのが最優先だ。魔物を見つけたからといって、無理に戦おうとするなよ」
「分かりました!」
騎士は満足そうに頷き、次の荷物へ手を伸ばした。
その少し離れた場所で、薫も自分の装備を確認していた。
「近くに村もあるんでしょ? 早く行かないと」
美琴が短い杖を握り直した。その隣では、灯が少し緊張した面持ちで、手の中の霊具《宵鈴》を確かめている。
「……人が、たくさんいるんだよね」
「うん。だから、できるだけ早く避難してもらわないとね」
美琴が答えると、灯は小さく頷いた。
少し離れたところでは、大地が籠手の具合を確かめていた。
「よっしゃ。今度こそ怪我なしで終わらせるぞ!」
「お前、前回も似たようなこと言ってなかったか?」
「うるせえな、慧! 反省したっつってんだろ!」
「ならいいけどな」
「朝倉くん、本当にお願いしますね」
紗良が静かに付け加えると、大地は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「お、おう。分かってるって」
そのやり取りに薫は小さく笑った。
今回は、前回までの任務とは規模が違う。
自分たちだけで行動するわけではないし、魔物と戦えない住民も大勢いる。騎士団の足を引っ張らないようにするだけでなく、助けが必要な人を見落とさないことも大切になるだろう。
「薫」
声を掛けてきたのは颯真だった。
「準備はどうだ?」
「うん、大丈夫。装備も一通り確認したよ」
「そっか。今回は長くなりそうだな」
「そうだね。……颯真も、あんまり飛ばしすぎないでよ?」
「お前に言われたくねえな」
「えっ、俺?」
薫が少し不満そうに眉を上げると、颯真は笑った。
「まあ、お互い気をつけようぜ」
「……うん。そうだね」
◇
出発の準備を終えた頃、紗良が薫を呼び止めた。
「榊くん、これを持っていてください」
差し出されたのは、小さな薬瓶と清潔な布をまとめた包みだった。
「……これ、薬?」
「はい。今回の任務は、移動も含めてかなり長くなると思います。途中で怪我人が出ても、私がすぐそばに行けるとは限りませんから」
紗良は包みを薫へ手渡した。
「榊くんたちには、念のため持っていてほしいんです。大きな怪我を治せるものではありませんけど、痛みや疲れを少し和らげる助けにはなるはずです」
「なるほど……。ありがとう、紗良さん」
「ただし、応急処置用ですからね。怪我をしたら、無理せず私のところへ来てください」
「分かったよ
」
薫が頷くと、紗良は少しだけ表情を緩めた。
「……まあ、使わずに済むのが一番ですけどね」
「俺もそう思う」
薫は小さく笑い、受け取った包みを背嚢へ収めた。
そのとき、騎士たちの前に立っていた隊長が声を張り上げた。
「全員、集合! これより出発する!」
慌ただしく動いていた人々が、次々に持ち場へ集まっていく。
薫も首元のクリーム色のマフラーを整え、仲間たちとともに隊列へ加わった。
◇
ローデン村へ近づくにつれ、周囲の様子は少しずつ変わっていった。
街道の脇には、何かに踏み荒らされた草が広がっていた。折れた枝や、土を深く抉った足跡も目立つ。場所によっては複数の魔物が通ったような跡が残されており、騎士たちは何度も足を止めて周囲を確認していた。
薫も斥候役として、隊列の少し前を歩いていた。
「……やっぱり、変ですね」
足元の痕跡を確かめながら、近くの騎士へ声を掛ける。
「何がだ、カオル」
「同じ方向に向かってる足跡が多いんですけど、途中で急に向きを変えてるものもあって。何かから逃げてるようにも見えるんです」
騎士は地面へ目を向け、しばらく考え込んだ。
「魔物同士で争っている可能性もあるな」
「……そうかもしれません」
薫は頷いたものの、妙な引っ掛かりが残った。
盗賊ギルドで教わったことを思い返しても、足跡だけで断定するのは危険だ。今は分かったことだけを報告しておこう。
隊列へ戻る途中、薫は荷車の近くを歩くクラスメイトたちとすれ違った。
「薫、何か分かった?」
「うん。魔物の足跡は結構あったよ。あんまり油断しない方がいいかもしれない」
「……そっか。了解」
返事をした男子生徒は少し表情を硬くしたが、すぐに隣を歩く騎士へ話しかけた。
「すみません、村に着いたら俺たちは何をすればいいですか?」
「まずは住民を集める手伝いだ。避難する人間の中には、足の悪い年寄りや小さな子どももいるだろう。荷物を運ぶだけでも助かる」
「分かりました。それなら俺たちにもできます」
「ああ。頼りにしてるぞ」
騎士はそう言って、生徒の肩を軽く叩いた。
生徒は少し嬉しそうに笑い、隣の友人と何やら話し始めた。
薫はその様子を見てから、再び前方へ目を向けた。
訓練の成果を確かめられるのは、自分だけじゃない。
この世界へ来てから、もうしばらく経つ。最初は何も分からなかったクラスメイトたちも、少しずつ自分にできることを見つけているのだ。
やがて、前方から馬の蹄の音が聞こえてきた。
先行していた騎士の一人が戻ってきたのだ。
「村の手前で魔物が確認されました! すでに一部の住民が避難を始めています!」
「分かった。前衛は先行し、村への進入路を確保しろ! 残りは住民の誘導を優先する!」
隊長の指示に、騎士たちが一斉に動き始めた。
薫たちもそれぞれの役割へ移る。
「みんな、行くぞ!」
颯真が声を掛ける。
「おう!」
大地が拳を打ち合わせ、綾芽は静かに剣の柄へ手を添えた。
その先から、人々の叫び声が聞こえ始めていた。
◇
村へ入る手前で、魔物が飛び出してきた。
灰色の毛に覆われた獣型の魔物が、道を塞いでいた騎士へ突進する。騎士は盾を斜めに構えて衝撃を受け流し、隣の槍兵がその脇腹へ穂先を突き立てた。
「右からも来るぞ!」
叫び声と同時に、茂みが大きく揺れた。
一体、二体。さらにその後ろからも魔物が飛び出してくる。どれも落ち着きがなく、傷つくことも恐れずに騎士たちへ向かってきた。
「……多いな」
薫は剣を抜き、隊列の側面へ回った。
前衛の騎士たちが魔物を食い止めている間に、住民たちは街道へ向かって逃げ始めている。荷物を背負った老人、子どもの手を引く母親、家畜を連れた男。人々は互いに声を掛け合いながら、少しでも早く村を離れようとしていた。
「こちらです! 慌てずに進んでください!」
騎士とともに避難誘導を担当していた女子生徒が、声を張り上げている。
普段の教室ではあまり大声を出さない生徒だったが、今は必死に住民たちへ道を示していた。
「おばあちゃん、荷物持ちます!」
別の男子生徒が、老人の背負っていた荷物を受け取る。
「悪いねえ、ありがとう」
「いえ! 足元、気をつけてください!」
周囲の騎士たちも、そうした生徒たちの働きを見ながら住民を誘導していた。
その中で、一台の荷車が道の端へ寄りすぎ、車輪を溝に落としてしまった。
「すまない! 誰か手を貸してくれ!」
「おう、任せろ!」
大地は荷車へ駆け寄っていた。
「ちょっと離れててくれ!」
大地は車体の下へ手を掛け、脚を踏ん張った。腕と背中へ《闘気》を巡らせ、車輪を持ち上げる。
「ぬ……おおおっ!」
木材が軋む音とともに、車輪が溝から浮き上がった。傾いていた荷車が元の位置へ戻ると、周囲の住民から安堵の声が上がった。
「ありがとうございます!」
「おう! 気をつけて行けよ!」
大地は笑顔で手を振ったが、すぐに別の方角から魔物の唸り声が聞こえてきた。
「……ったく、休む暇もねえな!」
「だったら、あんまり魔力を無駄遣いすんなよ!」
慧が声を掛けながら、大地の隣へ駆け寄る。
「分かってるって!」
そう答えた大地の前へ、二体の魔物が飛び出してきた。
大地は拳を構え直した。
◇
村の中央では、避難のために集まった住民たちが騎士団の誘導を受けていた。
しかし、魔物の数は予想以上に多かった。
「盾兵、前へ! 槍兵はその後ろにつけ!」
騎士の指示で盾を持った兵士たちが横一列に並び、その隙間から長い槍が突き出された。
魔物が正面から飛びかかる。
ガンッ、と盾へぶつかる音が響き、兵士たちの足が地面を滑った。
「ぐっ……!」
「踏ん張れ!」
盾兵たちが押し返そうとした瞬間、別の魔物が横から回り込んだ。
隊列の端にいた兵士が盾を向けるものの、間に合いそうにない。その後ろには、避難を待つ住民たちがいた。
「……っ!」
少し離れた後方で、灯が小さく息を呑んだ。
手にしていた古い霊具《宵鈴》を持ち上げ、そっと揺らす。
ちりん、と澄んだ音が鳴った。
「……お願い。あそこを守って」
灯の声に応えるように、兵士たちの側面へ淡い光が集まった。
輪郭が徐々に形を成し、古びた盾を構える兵士の姿が現れる。
盾兵霊だった。
魔物が飛びかかった瞬間、盾兵霊が前へ踏み出した。
鈍い衝突音が響き、半透明の盾が大きく揺れる。勢いを受け止めきれず、霊兵の身体もわずかに押し込まれた。
「……っ、お願いします!」
灯が声を掛けると、盾兵霊は姿勢を立て直し、盾を押し出して魔物の進路を塞いだ。
「今です!」
その声に、近くの槍兵が反応した。
「おう!」
槍の穂先が魔物の胴を捉える。傷を負った魔物は暴れながら後退し、続けて踏み込んだ盾兵によって押し返された。
「助かったぞ!」
「あ、いえ……!」
灯は小さく頭を下げたが、すぐに別の方向から聞こえてきた叫び声へ振り返った。
「右側! 回り込まれてるぞ!」
騎士たちの防衛線の外側を、別の魔物が走っていた。
灯は《宵鈴》を握り直した。
「……そっちも、お願い!」
再び鈴の音が響く。
今度は長い槍を携えた霊兵が姿を現し、魔物の進行方向へ立った。
槍兵霊が穂先を突き出すと、魔物は咄嗟に身体を捻った。しかし、逃げようとした方向にも槍が伸び、思うように前へ進めない。
その隙を逃さず、騎士が間合いを詰めた。
「はあっ!」
剣が魔物の肩口を斬り裂く。
それでも魔物は倒れず、身を低くして騎士の脇を抜けようとした。
「……あっ!」
灯は咄嗟に手を伸ばした。
魔物の足元に、ぼんやりとした霊の手が現れる。
その手が後ろ脚を掴んだのは、ほんの一瞬だった。
けれど、勢いよく走っていた魔物にとっては、それだけで十分だった。足を取られた身体が前のめりに傾き、騎士の目の前へ転がり込む。
「そこだ!」
騎士が剣を振り下ろし、魔物を仕留めた。
その間に、盾兵たちの後ろでは住民の避難が進んでいた。
幼い子どもの手を引いた女性が、騎士に背中を支えられながら道を渡っていく。子どもは何度も魔物の方を振り返っていたが、母親に手を引かれると、小走りで避難する人々の中へ消えていった。
灯はほっと息を吐いた。
しかし、すぐに次の魔物が現れる。
盾兵霊が敵を受け止め、槍兵霊がその進路を塞ぐ。その隙に騎士たちが攻撃し、住民を逃がすための時間を稼いでいく。
灯自身が前へ出て戦っているわけではない。
けれど、どこに霊兵を置けば騎士たちが動きやすくなるのか、どの方向を塞げば住民が逃げられるのか。周囲の状況を見ながら助力を求め続けるのは、思っていた以上に大変だった。
何度も鈴を鳴らし、霊たちへ意識を向けているうちに、額には汗が滲み始めていた。
「……ありがとう。もう少しだけ、お願いします」
灯は小さく呟き、《宵鈴》を胸元へ引き寄せた。
その少し後ろでは、美琴が短い杖を掲げていた。
「みんな、もう少しだけ頑張って!」
杖の先から魔力が広がり、近くの騎士や仲間たちを包み込む。
身体の動きを補助する術だ。疲労そのものが消えるわけではないが、重くなり始めた手足が少し動かしやすくなる。
「おおっ、助かる!」
盾兵の一人が声を上げた。
「どういたしまして! でも無理はしないでくださいね!」
美琴は明るく返事をしたものの、杖を握る手には力がこもっていた。
支援魔法を掛ける相手は多い。全員へ同じように力を行き渡らせようとすれば、それだけ魔力も消耗する。
その上、敵は待ってくれなかった。
「ギャアッ!」
兵士たちの隙間を抜け、小柄な魔物が美琴へ飛びかかってきた。
「ちょっ、こっち来ないでってば!」
美琴は咄嗟に身を引き、腰の短剣を抜いた。
突き出された爪を避け、相手の腕へ刃を走らせる。
「……っ!」
魔物が悲鳴を上げて後退した。
その隙に、美琴は近くの兵士の後ろへ下がる。
「すみません! 一体そっちに!」
「任せろ!」
騎士が前へ出て、魔物を迎え撃った。
美琴は短剣を構えたまま、一度大きく息を吐いた。
「……あー、もう! 支援に集中させてよ!」
「美琴ちゃん、大丈夫……?」
少し離れた灯が声を掛ける。
「大丈夫! 灯も無理しないでね!」
「……うん!」
二人は短く声を交わし、再びそれぞれの役割へ戻った。
その後ろでは、避難誘導を手伝っていたクラスメイトたちが住民を安全な場所へ送り出していた。
「こっちです! もう少しで村の外に出られます!」
「子どもがいる! 先に通してやってくれ!」
騎士の声を受け、一人の生徒が人の流れを整理する。
幼い子どもを抱えた母親が通り過ぎると、生徒は安堵したように息を吐いた。
「……よかった」
隣にいた友人が、その背中を軽く叩いた。
「まだ終わってないぞ」
「分かってる。……でも、一人でも助けられたならさ」
「……まあな」
二人は顔を見合わせて頷き、再び避難誘導へ戻った。
◇
村の西側では、颯真と綾芽が騎士たちの援護に回っていた。
「来るぞ!」
「分かってる!」
颯真は剣を構え、迫ってくる魔物へ踏み込んだ。
足元の土を蹴り、身体を前へ運ぶ。剣を振り抜く瞬間に風を纏わせ、正面から飛びかかってきた魔物を斬り伏せた。
しかし、倒れた敵の向こうから、すぐに別の個体が現れる。
「……っ!」
颯真は剣を引き戻し、続く一体の攻撃を受け流した。
牙が目の前を掠める。
肩を引いて避け、相手が着地したところへ剣を振り下ろす。
刃が魔物の背へ食い込み、鈍い音とともに相手が地面へ倒れた。
それでも、まだ終わらない。
「ソウマ! 左だ!」
騎士の声に振り返る。
すでに別の魔物が迫っていた。
「くそっ……!」
颯真は剣を持ち直し、風を使って横へ踏み込んだ。魔物の突進を外側へ逃がし、そのまま身体を回して斬りつける。
続けざまに三体を倒したところで、ようやく少しだけ間が空いた。
「……はぁ、はぁ……」
颯真は荒くなった呼吸を整えながら、剣を構え直す。
腕が重い。
魔力を使いながら剣を振り続ければ、当然ながら疲労は溜まっていく。
それでも、目の前にはまだ魔物がいた。
「颯真!」
綾芽の声が響いた。
振り返ると、颯真の横をすり抜けようとしていた魔物へ、綾芽が間合いを詰めていた。
鞘に納めた剣へ手を添え、足を一歩踏み込ませる。
魔物が爪を振り上げるより早く、綾芽の刃が抜き放たれた。
鋭い一閃。
相手の首元を斬り裂いた刃が、そのまま振り抜かれる。
魔物は勢いを失い、地面へ倒れ込んだ。
綾芽は剣を下ろしたものの、すぐには納めなかった。
「……大丈夫?」
「ああ、助かった!」
「まだ来るよ」
「分かってる」
颯真は呼吸を整え、再び正面へ向き直った。
綾芽もその隣へ立つ。
先ほどの一撃は上手く決まった。けれど、あのように間合いへ入れる状況ばかりではない。
何より、敵の数が多すぎた。
「……いつまで続くんだ、これ」
颯真が小さく呟く。
「分からない。でも、住民が避難するまでは……」
「ああ。そうだな」
通りの向こうでは、最後まで残っていた住民たちが騎士に付き添われながら離れていくところだった。足の悪い老人が一度立ち止まり、振り返る。騎士が声を掛けると、老人は小さく頷き、再び歩き始めた。
その後ろから、クラスメイトの一人が走ってきた。
「九条! 姫崎! こっちの避難は終わった!」
振り返ると、クラスメイトの一人が騎士とともに走ってきた。
「この先の家も全部確認した! もう住民はいないって!」
「分かった! ありがとう!」
颯真が返事をすると、生徒は少しだけ安心したように笑った。
「……お前らも気をつけろよ」
「ああ。そっちもな!」
短く言葉を交わし、生徒は騎士とともに別の場所へ向かっていった。
綾芽はその背中を見送り、再び刀へ目を落とした。
握っている手が、少し疲れている。
それでも、今はまだ休めそうになかった。
「……颯真、行こう」
「ああ!」
二人は頷き合い、再び迫ってくる魔物へ向き直った。
◇
一方、村の南側では、大地と慧が騎士たちとともに進路を確保していた。
「おいおい、何体いるんだよ!」
大地は魔物の突進を横へ受け流し、その腹へ拳を叩き込んだ。
相手がよろめいたところへ蹴りを入れ、騎士のいる方へ追い返す。
しかし、すぐに次の魔物が飛びかかってくる。
「慧! 何かいい方法ねえのか!」
「だから今考えてんだろうが!」
慧は周囲を見回した。
道幅はそれほど広くない。両側には石垣と建物が並び、魔物たちはその間を通って押し寄せてくる。
このまま一体ずつ相手をするのは効率が悪い。
「……大地! 少し下がれ!」
「ああ!?」
「いいから!」
慧が地面へ手を向ける。
魔力が土の中へ流れ込み、足元の石や土が寄り集まっていった。
ごりごりと重い音を立てながら、地面の一部が盛り上がる。やがて、人の胴ほどもある岩の塊が形を成した。
慧は道の先を見た。
魔物たちは建物と石垣に挟まれた狭い道を、こちらへ向かって押し寄せている。一方、避難を待つ住民たちは、右手の路地から抜けるところだった。
「大地! 正面の先頭にぶつけろ! 右の路地は塞ぐなよ!」
「おう!」
大地は岩へ駆け寄り、両腕を回した。腕と背中へ《闘気》を集中させ、腰を落とす。
「ぬ……ぐおおおっ!」
岩が地面から持ち上がった。
足元が沈み、背中の筋肉が大きく張る。それでも大地は踏ん張り、身体を捻りながら岩を投げ飛ばした。
重い塊が低い弧を描き、押し寄せる魔物の先頭へ向かう。
「ギャッ!?」
魔物が避けようとしたときには、もう遅かった。
ドゴンッ!
岩が先頭の一体へぶつかり、そのまま地面へ落ちた。土煙が上がり、直撃を受けた魔物が倒れる。後続の数体も、道の中央に転がった岩を避けようとして足を止めた。
「よっしゃあ!」
「喜ぶのは後だ! 今のうちに住民を逃がせ!」
「分かってる!」
大地は右手の路地へ振り返り、近くの騎士たちへ手を振った。
「こっちの道、今なら通れるぞ!」
「助かる! 住民を先へ!」
騎士たちの誘導で、民家の裏手に残っていた住民が次々に路地へ入っていく。大地と慧が魔物を足止めしている間に、来界者の生徒たちも荷物を運び、避難を手伝っていた。途中で荷物を落とした男が慌てて拾おうとしたが、近くの生徒が代わりに拾い上げ、その背中を押した。
「荷物は僕が持ちます! 先に行ってください!」
男は何度も礼を言いながら、ほかの住民たちの後を追った。
大地はその様子を横目で確かめ、拳を握り直した。
一人の騎士が大地の肩を叩く。
「よくやったな、ダイチ!ケイ! おかげで助かった!」
「へへっ! まあ、これくらいならな!」
「頼もしいな。だが、まだ終わりじゃないぞ」
「おう! 任せとけ!」
騎士は笑いながら頷き、避難する住民たちの後を追っていった。
慧は息を吐き、額の汗を袖で拭った。
「……ったく。結構魔力食うな、これ」
「でもよ、今のすげえな!」
「投げたお前も大概だろ……」
「へへっ、そうか?」
「褒めてねえよ」
慧が呆れたように返すと、大地は豪快に笑った。
しかし、その笑い声も長くは続かなかった。
道の向こうから、再び魔物の唸り声が聞こえてきたからだ。
「……まだ来んのかよ」
「らしいな」
慧は肩を回し、大地も拳を握り直した。
先ほどの騎士は、すでに避難する住民たちのもとへ戻っている。クラスメイトたちも、それぞれの仕事を続けていた。
誰もが必死だった。
それでも、助けを求める人がいれば手を伸ばし、無事に逃がせたときには安堵する。まだ自分たちにできることがあると信じて、動き続けていた。
疲れはある。
それでも、まだ避難しきれていない住民がいた。




