お母さん
久美子は久しぶりに自分の身体で夜風を吸った。それが何とも言えない心地よさを彼女に与えた。彼女は、試しに駅まで走ってみた。夢中で足を動かしていると次第に慣れてきて、さらに早く、どんどんと早く、駆け抜けた。気づけば、駅だった。立ち止まってみると、息も絶え絶えで、ベンチに腰を下ろした。汗をひどくかいたので、ブレザーを脱いで、空を見上げると星々が明るく輝いていた。それがとても懐かしく思え、感情に浸った。また自分の足で走ったという実感を覚えると、ローファーがひどく蒸れていることに気づいたので、脱いでみると汗が蒸発し、指先を冷やした。またグーパーと動かしているだけで、滑稽に思えた。
息も整ってくると、喉が渇いたので、自販機でスポーツドリンクを買って、一気に飲み干した。喉を冷やし、身体の中に染み渡っていくのを、実感した。ふと、電車到着のアナウンスが流れたため、急いで改札を入り、駅舎の階段を急いで登ったため、転んでしまった。しかし、膝が痛むという感覚ですら、自分には喜ぶべきことだと心の底から実感した。電車が到着するのが聞こえたため、改めて先を急いだ。
人が疎らの車内で、ロングシートの真ん中に腰掛けたが、周りの人間が無関心であると理性では分かっていたが、自分の体を見られているということを実感して、気恥ずかしくなった。久々に自分の身体で電車に乗ったものだから、勝手が分からなくなっていたのである。ただ、終点の旭山口駅へ到着する頃には、慣れていた。
ホームを出ると、シャッターの閉まった土産屋が立ち並ぶ、この街が懐かしく思え、小学生の頃に歩き回った坂道を抜けてみたり、夕飯の香りが漂う住宅地を巡ったりと、遠回りして自分の住むアパートへと向かった。自身が住むドアの前へと来た時、明かりがついていた。いつもなら母親が帰っていない時間だったので不思議に思ったが、同時に懐かしさを覚え、鍵も開けぬままドアを開けてみると、そのまま開いた。恐る恐る中へと入り、ローファーを脱いでいると母親が駆け込んで、彼女を抱きしめた。
「おかえりなさい!」
「お、お母さん。なんで今日は早いの?」
母親は、ただ泣くばかりであった。ただ久美子自身も、霊からこみ上げるものがあって、泣き叫んだ。時空を超えた霊の叫びであった。ただただお互いに、身体の温もりを感じ合った。
涙も枯れた頃、風呂に入りたいと伝えると、バスタオルと寝間着を準備してくれた。ジジェイの人格はこんな母親像をとっくの昔に忘れ去っていたが、無邪気な久美子は、喜んで風呂に飛び込んでいった。湯船につかり、体の芯まで温まった頃に、風呂を出て、濡れた髪のまま、リビングへ向かうと、ご飯にみそ汁、おかずはコロッケとキャベツだった。その組み合わせは懐かしく、ソースをたっぷりかけて、無心で頬張った。それを母親が笑顔で見つめていた。
食器を洗い、自室へ戻ると、オカルト関連の書類やまじないのタロットなど、すべてをゴミ袋に捨てて縛った。何の迷いもなく、むしろとても満足した。明日の山登りの準備をした後に、ベッドでぐっすりと眠った。




