地獄沼
駅前の駐車場は広く、その先に二車線の道路が通っており、乗用車やトラックが途切れ途切れに、走り去る。その奥から滔々と沢の音がこだましていた。駅舎は立派な鉄骨で建てられていたが、辺りは山々に囲まれて、壁のように迫っている。ヤッキーは辺りを見回していると、ニアが早速別行動を開始しようとしたので、足子は止めた。
「ちょっと待って!」
「うん?なんだ?」
ニアが振り返ると、足子はルクス・サンクチュアリを唱えた。すると、ニアの周りに薄青い膜ができた。
「おお。なんか守られてる感じ。」
「ニア、次はちゃんと鈴つけようね。」
「面倒なことはいいんだよ。じゃあまたねー。」
彼女はスタスタと音を立てながら歩き去った。左右も確認せずに道路を渡り、奥に見える古びたコンクリートの橋を渡って、森の中へと姿を消した。首子は終始気が立っており、その様子を睨み続けていた。
「あんなやつ、あのまま消えてしまえばいいのよ!気持ち悪い!」
「首子、そんなに怒らなくても。」
「私、この布外したい。足子、できる?」
「うん。」
足子は首子に縫い付けられた紐を波動によってスルスルと解いていくと、布が剥がれ、パサッと地面に落ちた。ヤッキーはそれを拾い上げて、バッグにしまった。首子は断面を露わにした。首子は解放されたような表情を浮かべ、落ち着きを取り戻したが、何もしゃべらなかった。
足子は出かける前に、ディメンション・チェンジを一行にかけた。ヤッキーはそれを不思議に感じた。
「なぜニアにはルクス・サンクチュアリで、自分らはディメンション・チェンジなんだ?」
「なんとなく、そんなオーラを感じたってだけ。」
「そうか。足子なら期待する。じゃあ行こう。」
ヤッキーの胸の中で小刻みに震え始めている首子の代わりに、彼が出発の合図をした。駅の車止めの先に、森へつながる山道を、足子があそこと指さして向かったので、彼はそれについていくように、森の中へと足を踏み入れた。そこは平坦で真っ直ぐと伸びた歩きやすき道であったが、周囲は木々やヤブに覆われて、周囲の景色は望めなかった。ただ、左側に沢の音が聞こえ、気休めになった。ふと、首子の顔を覗くと、冷や汗まみれで、焦燥しきっていた。
「首子、あんまり無理するなよ。」
「行かなきゃ、始まらない。」
彼は、彼女の期待に答えて、装備に勝る足子になんとかついて行った。山に響く鈴の音よりも、ディメンション・チェンジ内に留まっていたほうが安全だし、そこから一歩外れると、非常に危険な目に遭うのは目に見えていた。また足子も初めてのしかも猛獣がいつ出るか分からない森の先にある心霊スポットまがいの沼に向かって歩いていることがずっと念頭にあり、不安に包まれていた。それを抑えるように早足になっていた。不意に彼は休憩がてら彼女に問いかけた。
「なぁ、そのディメンション・チェンジ、便利だな。虫が一向に寄り付かない。」
すると足子が止まって振り向いて答えた。
「あー、それもあるね。本来、動物避けに使ってたんだけど、意外。」
「もうちょっとゆっくり歩かないか?」
「うん。ごめんね。」
しばらく、鬱蒼とした森を見上げながら、歩いていると、先の方に開けている場所を見つけた。
「あれ、もしかして。」
「うん。地獄沼かも。」
足子が歩き出そうとしたとき、彼は一旦止まるように言った。
「首子、大丈夫だな?」
目を見開いて、断面の気道を開いたり閉じたりして黙っている彼女の様子を見るに、進むしかないと悟った。
「足子、行こう。」
「うん。」
我々は、地獄沼の目の前まで到達した。そこにはコンクリートの高台があり、過去に駅が存在したことを匂わせていた。二人は脇の階段から登ると、鬱蒼と茂ったススキなどに囲まれるように沼地が広がっているのが見えた。彼は足子に問いかける。
「足子、ここでいいんだな?」
「うん。」
「首子、覚悟はできているな?」
首子は汗を垂らしながら静かに目を閉じた。これから起こる真実。オカルトの先にある本当の出来事を彼女が受け入れられるのか不安だった。だが足子の呪文は待ってはくれなかった。何かをブツブツと沼の方へ唱えると、沼から小さな骸骨が土を零しながら、バラバラに浮かび上がってきた。それがすぅっとこちらに近づいてきた。足子はとっさにディメンション・チェンジを解くと、ヤッキーの方、正確には首子に近づいてきた。彼は一瞬、後退りしたが、首子は叫んだ。
「受け入れるッ!!」
すると、骸骨が光出して首子の中へと取り込まれていった。次の瞬間、彼女は白目をむいて絶叫した。耳をつんざき、森がざわめき、一瞬にして鳥たちのさえずりが止んだ。その絶叫は留まるところを知らず、ヤッキーは必死になって彼女を抱きしめた。足子も思わず、腕で顔を隠した。不意に、絶叫が止んだ。彼は恐る恐る彼女の顔を見つめると、血の涙や鼻血を流し、白目をむいてピクピクと痙攣していた。彼は足子と顔を合わせて、山側に向かってコンクリートに座った。
「足子、想像を絶するってこういうことを言うんだな。」
「うん。」
「首子、意識を取り戻すかな。」
「さぁ・・・。」
「足子よぉ、そういうときは嘘でもいいから、明るいこと言うもんだよ。」
「うん。そうだね。」
ふと、森の奥に何かがぬっと立ち上がった。一瞬時間が止まり、ヤッキーは凍りつき大きく目を見開いた。足子はとっさにディメンション・チェンジを発動した。それは、真っ直ぐとこちらへ向かってきたが、ディメンション・チェンジの領域に触れた途端、霧散した。
ここにいるのは危険だと察知した彼は、破裂しそうな鼓動が少しずつ収まるのを実感しながら、余韻に浸りつつ、首子を抱え、足子とともに、駅へと歩んでいった。




