登校のリジェネレーション
足子は、いつもの交差点を自転車を突っ切ろうとする。その時、バイクのエンジン音が近づくのには気付いていた。しかし、相手は止まれの標識を無視した。不覚だった。出合い頭に追突されて、自転車はグチャッとつぶれ、身を投げ出され宙に浮き、その先にあった標識が丁度ギロチンのように首を貫通した。
彼女は瞬時に時間を止め、状況を確認した。すると首から下に違和感があった。確かに今は首は繋がっているように見える。しかし、首がノリで付いていて、身体が自分のものではなくなっていた。つまり、今時を動かすと、体とお別れすることになる。そうなると自分に対して周りの人間は私に死の烙印を押すだろう。その後、体ごと灰にされ骨だけにされる。そうなった時私の意識はどこへ行くのだろうか?骨に残る?だとするならば、永遠に骨ツボの中で静かに墓石が朽ちるのを何百年も待つのだろうか?私の意識が脳に宿るとしたら?生命維持のためのポンプを失い、側溝に転がり落ちて、パンクしてつぶれたサッカーボールとともに、意識を閉じるのだろうか?そうなれば私はまたどこかで新しい命を宿すのだろうか?そもそも、なぜ脳に意識は閉じているのだろうか?細胞が何億年かけて形成され、ネットワークを構築し私は宇宙を観測できるようになった。つまりこの世界は自分自身を見ているということにならないだろうか。だとするならば私は隣の潰れたボールそのものになるかもしれないし、その下でひっそりと身を隠すダンゴムシにもなるかもしれない。でも彼らには時間を認識する術を持たないから、いつの間にか人間、もしくはヤッキーに飼われる猫になれるかもしれない。でもそれがいつ起こるのか分からない。細胞が再起不能になったら?死は難しい。どこまでが生でどこからが死なのか。その先は?やはり分からない。だとするならば、ヤッキーとはこれでお別れになるのかな。せっかく話しかけてくれたのに、足子として永遠の別れになってしまう。それは淋しい。仮に私がホログラフィックな存在であっても、彼とは触れ合えないし、私を認識してくれないかもしれない。やはり哀しい
ただ思えば身体とは不思議なものだ。おおむね自分が思ったとおりに動いてくれる。その身体は親の胎内で育まれて来たものなのだ。それに時さえ止められるし、人の気持ちも分かってしまう。それが自分の意志とは関係なく生まれてしまい私というアイデンティティさえ生み出してしまった。自然とは恐ろしいものだ。
考えも煮詰まった彼女は、時を動かした。そして首が繋がっているその瞬間に接合し、骨折部分を元通りにしてそのまま地面に倒れる際受け身を取った。私をハネた人は、ヘルメットをかぶったまま、バイクを降りすぐに駆け寄ってきた。
き、きみ大丈夫?
はい。ちょっと擦り傷と、首にケガをしたくらいです。
彼女の首を一周するように血が付いていた。そして、ムクリと立ち上がると、潰れた自転車を起こす際に何気なしに元通りにしてそのまま跨いだ。ヘルメットの人は何事もなかったかのような状況に困惑を隠しきれないまま急いでバイクにまたがって逃げようとするので、ひと言声をかけた。
一時停止、必ず守ってくださいね。
その人は、うなずきもせず、エンジンを響かせ排気ガスだけを残し消えさった。彼女もそのまま駅に向かった。




