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17話 実験の代償(ガルド回)

 何年前だっただろうか。

 あの日も、今日と同じように左脚が痛んでいた。

 杖をつき、使用人に肩を借りながら薄暗い地下へと続く階段を下りていく。

 鼻につく酒と汗の臭い。

 壁際には鉄格子が並び、その向こうからいくつもの視線がこちらへ向けられていた。


「ガルド様。本当にこのような場所で奴隷をお探しになるのですか?」


「……正規ルートの奴隷では意味がない」


 欲しいのは普通の奴隷ではなかった。

 俺の脚を治せる可能性を持った者。

 あの日、町を襲った魔物を倒した代償に、この左脚は二度と元には戻らないと言われた。


 治癒魔法でも治せない。

 高価な回復薬も試した。

 腕のいい治癒師にも診せた。

 結果は同じだった。


 ――治せない。


 だから探していた。

 人間にはない知識を持つ者を。


「ガルド様。こちらなどいかがでしょう。少々珍しい商品でございます」


「……珍しい?」


「ええ。ご覧ください」


 男が鉄格子の前で足を止めた。


 薄汚れた布を羽織った女が一人、壁際に座っている。


「顔を上げろ」


「……」


「聞こえなかったのか?!」


 男が女の髪を掴もうとした。


「やめろ」


「は?」


「俺が話している。貴様は黙っていろ」


「し、失礼いたしました」


 奴隷だろうが何だろうが、俺の目の前で意味もなく痛めつけるなど気に入らん。

 女がゆっくりと顔を上げた。

 長い耳。

 それを見た瞬間、俺は心躍り、息をのんで目を見開いた。


「……エルフか」


「左様でございます。『うちのお得意さん』が捕らえましてね。表では少々扱いづらい品ですので、こちらへ流れてきたというわけです」


「……」


「それだけではございません。この女、薬草や薬の知識があるようなのです。エルフの薬師ともなれば――」


「いくらだ」


「はい?」


「この女だ。いくらだと聞いている」


 俺は提示された金額をその場で支払った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「……どういうつもりですか?」


 屋敷へ向かう途中、エルフの女が初めて口を開いた。


「何がだ」


「私に、何をさせるおつもりですか?エルフの私なんて、あなた方人間からしたら愛玩具程度のもの…」


「くだらん」


「そ、それではどうして私を買ったのですか」


「薬の知識があると聞いた」


「……薬…ですか」


 女の表情が曇った。

 何を想像したのかくらい分かる。


「勘違いするな。お前を奴隷や実験台として扱うつもりはない」


「……え?」


「俺の…研究に協力してほしい」


 女が俺を見た。


「研究……?」


「薬だ」


 杖を少し持ち上げ、自分の左脚を指した。


「この脚を治したい」


「……」


「治癒師には無理だと言われた。回復薬も効果がない。だが、俺は諦めるつもりはない」


「だから……エルフを?」


「エルフの秘薬なら、失われた部位すら再生させることがあると聞いた」


 女の目がわずかに動いた。


「……人間が簡単に作れるようなものではありません」


「だから研究する」


「無理かもしれません」


「やってもいないのに決めるつもりはない」


「……」


「嫌なら…俺に愛想を尽かしたら屋敷を出ていって構わん」


「え?」


「奴隷の刻印も入れん。貴様が俺に従う義務もない。ただし、エルフだと知られればまた捕まる可能性がある。外へ出るときは俺か使用人に言え。それだけは守ってもらう」


 女は何も言わなかった。


「名は?」


「……セレナ」


「そうか。俺はガルドだ」


「知っています。この町の英雄……ですよね」


「英雄…そんな言葉と引き換えに俺は…俺は、足を失ったのか…」


 俺は杖をついた。

 こんなものがなければまともに歩くことすらできない。


「それでどうする、セレナ」


「……一つ、聞いてもいいですか」


「なんだ」


「本当に……治せないものを治す薬を作るつもりなのですか?」


「ああ」


「病気も?」


「作れるのならな」


「…………私にも」


 セレナは俯いた。


「私にも、助けたかった人がいました」


 それ以上、詳しいことは聞かなかった。

 後になって、その少女の名前がリリエナだったことを聞いた。

 俺はもう一度歩き出した。


「ならば手伝え」


「……はい」


「俺たちと同じ悲しみを味わう者がいなくなるような薬を作るんだ」


 このときの俺たちは、本当にそう思っていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ガルド様!!」


「なんだ!?」


「できました! できましたよ!」


 セレナの声に研究室へ急いだ。

 いや、急いだと言っても今の俺にはたかが知れている。


「見てください!」


 使用人の男が椅子に座っていた。

 料理中に手を切ったらしく、手の甲には傷があった。


「ここです!」


「……傷が」


「塞がっています!」


 完全ではない。

 うっすらと赤い線が残っている。

 だが間違いなく、先ほどまであった傷が塞がっていた。


「ふ……ふは」


「ガルド様?」


「ふはははは!やったぞセレナ!」


「はい!ガルド様と私、2人で作ったんです!」


 思わずセレナの肩を掴んだ。


「できた!俺たちの薬だ!」


「ちょ、ちょっとガルド様!」


「これならいける!もっと効力を高めれば――」


「そうです!このまま調合を重ねていけばもっとひどい怪我でも、魔法以上の回復効果が見込めます!」


「そうだな!…酒だ!まず今日という日を祝おう!今日は全員好きなだけ飲め!」


「ガルド様、私はお酒は……」


「なら好きなものを食え!」


「ふふっ……はい」


 あの日は、屋敷中が騒がしかった。

 使用人たちも喜んでいた。

 俺もセレナも笑っていた。

 自分たちの手で、一から回復薬を作り上げた。

 たった小さな傷を塞いだだけ。

 今考えれば、それだけのことだった。

 だがあの頃の俺たちには、それが未来そのものに思えた。

 これを強くすればいい。

 もっと効く薬を。

 深い傷も。

 失われた肉も。

 そしていつか――。


 俺は自分の左脚に触れた。


「……いける」


「ガルド様?」


「このまま研究を続ければ、エルフの秘薬に届くかもしれん」


「それは……」


「人間には作れない神秘の薬。そう言われてきたものを、俺たちの手で作るんだ」


「……はい!」


 夢は、少しずつ大きくなっていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 だが……


 一年。


 二年。


 研究を続けても、俺の脚を治せる薬は完成しなかった。


「……駄目です」


 捕縛し、切断した魔物の脚を見ながら、セレナが首を横に振った。


「再生していません」


「量を増やす」


「ダメです。これ以上は――」


「麻痺させろ」


「ガルド様」


「暴れられては邪魔だ。次を試す」


 魔物を捕らえた。

 薬を飲ませた。

 脚を切断し、薬を使った。

 再生しない。

 調合を変えた。

 また試した。

 それでも駄目だった。

 何度繰り返しても、失われた部位が元に戻ることはなかった。

 それでも諦められなかった。

 あの小さな傷は、確かに治ったのだから。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ガルド様!」


 ある日、使用人の一人が倒れた。

 町で流行していた病だった。

 医者を呼んだ。

 治癒師にも診せた。

 だが、もう助からないと言われた。


「……長くて数日でしょう」


 そう告げられた。

 長年、俺に仕えてくれた男だった。

 俺が冒険者だった頃から知っている。

 ベッドの横で苦しそうに息をしている男を見ながら、俺は拳を握った。


「……セレナ」


「はい」


「薬を使う」


「……え?」


「俺たちの薬だ」


「待ってください。あれはまだ――」


「このままなら死ぬ」


「ですが、人に使ったことはありません!」


「ならば何もしないのか?」


「それは……」


「俺たちは何のために薬を作ってきた」


 セレナが黙った。


「人を救うためだろう」


「……」


「俺の脚など後でいい。こいつを助けられる可能性があるなら、俺は試したい」


 セレナは長い間、答えなかった。


 最後に本人にも尋ねた。このまま死ぬかもしれない危険な薬だと伝えた。

 何が起こるか分からないとも伝えた。

 それでも男は、小さく頷いた。

 俺を信じる…と。


 薬を飲ませた。


 翌日。


「……熱が」


「下がっている……」


「ガルド様!熱が下がっています!」


 さらに翌日。

 男は自分の足でベッドから立ち上がった。


「ガルド様……ありがとうございます」


「……」


「ガルド様!」


「ああ……」


 笑いが込み上げてきた。


「治った……」


「はい!」


「治ったぞ、セレナ!」


 俺たちは間違っていなかった。

 そう思った。

 それから数か月後。


 その男は死んだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「もうやめましょう」


「……」


「人に使う薬ではありません」


 セレナは男の遺体を前にして、俺を睨んでいた。


「病は治った」


「死んだんですよ!」


「数か月生きた」


「そういう問題ではありません!」


「では、あのまま何もしなければよかったというのか!?」


「違います!」


「何が違う!」


 俺たちが言い争うことは、それまでほとんどなかった。


「病は消えた。これは事実だ」


「でも別の原因で死んだんです!」


「ならばその原因を取り除けばいい!」


「ガルド様!」


「病を治すことには成功したんだ!副作用をなくせば完成する!」


「そんな簡単な話では――」


「あと少しなんだ!」


 この頃からだった。

 セレナと笑うことが減ったのは。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それでも研究は続いた。

 セレナも、完全に研究から離れることはなかった。

 俺と同じように分かっていたのだと思う。


 あと少し。


 副作用さえなくせばいい。

 そうすれば、今まで救えなかった命を救える。

 この時期から、人での観察データが欲しくなった。

 最初は町のゴロツキを使った実験もしたが、すぐに噂になりやめた。 

 この騒動をきっかけに、俺は手元にいる人間を使うことを考えた。

 使用人たちには、適当な理由をつけて屋敷を去るように伝えた。

 その代わり、十分な金を渡すと約束して…。


 そして最後に、一日だけ研究に協力してほしいと頼んだ。


 最初は薬の実験に最後に付き合ってほしいと、危険性もすべて説明した。

 それでも金を必要として、了承する者はいた。

 一人。

 また一人。

 薬を使った。

 結果を記録した。

 調合を変えた。

 また試した。

 病は治る。

 傷も以前より早く塞がる。

 薬の効果は確実に強くなっていた。

 だが…死ぬ。

 また死ぬ。

 効果を高めれば高めるほど、副作用も強くなった。

 いつからだっただろう。

 危険性をすべて説明しなくなったのは。

 いつからだっただろう…忘れてしまった。俺はデータが欲しい。

 死んだ人間の名前より、投与した薬の量を先に記録するようになったのはいつからだっただろう。

 セレナが俺を見て笑わなくなったのは、いつからだろう。

 十数人いた使用人は、一人、また一人といなくなった。

 いつしか屋敷から話し声は消えた。

 残ったのは…、俺とセレナだけだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 最後の実験から数か月が経った頃。

 町に奴隷商が来ていると聞いた。


「病気持ちか」


「はい。長くはないでしょうね。ですので、お安くしておきますよ」


 檻の中に、一人の女がいた。


「名前は?」


「リセです」


 病に侵されている。

 だが、まだ生きようとしている。

 俺には分かった。

 今の薬なら、この病は治せる。

 今度こそ…今度こそ成功させる。

 この奴隷を救えれば…俺たちがやってきたことが間違いではなかったと証明できる。

 そして…セレナも、また昔のように笑ってくれるかもしれない。


「買おう」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 薬は効いた。

 奴隷の病は消えた。


「ほら見ろ、セレナ」


「……はい」


「成功だ!」


「まだです。しばらく様子を見ないと」


「大丈夫だ。以前とは調合も違う」


 今度こそ…そう思っていた。

 だが、朝日が昇る前、それは起こった。


「ガルド様!!」


 セレナの叫び声で目を覚ました。

 地下へ向かう。

 奴隷が床で苦しんでいた。


「ぐっ……あ……」


「リセ!しっかりして!」


 大量の血を吐いた。

 身体が痙攣している。


「治癒魔法を!」


「やっています!」


「薬は!?」


「これ以上使ったら身体が――!」


 何をしても止まらなかった。

 そして――。

 動かなくなった。


「……」


「……」


 セレナは奴隷の傍らから動かなかった。

 俺も、しばらく何も言えなかった。

 病は治った。

 間違いなく治っていた。

 今回も。

 薬そのものは確実に完成へ近づいている。

 あと少し。

 あと少しなのだ。


「……セレナ」


「……」


「その娘を……処分してくれ」


 セレナが虚ろな瞳でゆっくりと俺を見た。


「屋敷に置いておくわけにはいかん」


「……どこへ」


「…川へ。身投げの自殺…ともなればいい」


「…………はい」


 セレナは奴隷の身体を抱き上げた。

 何も言わず、研究室を出ていった。

 一人になった部屋で、俺は机の上の記録へ目を落とした。

 病は治った。

 効果は以前よりも強い。

 問題は、副作用だけだ。


「……あと少し」


 俺は震える手でペンを握った。


「あと少しなんだ……」


 そう言い聞かせながら、研究記録に新たな一行を書き加えた。

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