第8話 重ねがけ、本命の検証
機会は、四度目の依頼で巡ってきた。
西の湿地帯、沼渡りの魔物ボグクロウラーの駆除。難度C。今回のガルドの采配は、いつになく慎重だった。
「湿地は足を取られる。沼のふちに着いたら、全員セシリアの祝福を受けてから入るぞ」
────来た。
俺は表情を変えずに頷きながら、内心で拳を握っていた。三ヶ月。この一党に入って三ヶ月、ずっと待っていた瞬間がこれだ。
祝福というのは、時間との勝負だ。
中位の祝福が身体に留まるのは、およそ二刻。街の教会が半日と謳う一般儀のそれは、そもそも効果が誤差の範疇だから、誰も時間など気にしない。俺が銅貨五枚で買っていたあの光は、要するに「気休め」という名の商品だった。
だが、本職の僧侶が使う祝福は違う。確かな底上げがあり、そして確かに切れる。
街で受けても現場に着く頃には消えている。道中で切らさぬよう掛け直せば、僧侶の魔力は肝心の回復に回らなくなる。だから鉄則はひとつ──戦いの直前に、一度だけ使う。
三ヶ月、俺はその瞬間を待っていた。
なぜなら俺は、まだ一度も、本物の光を浴びたことがないからだ。
◇
沼のふちで、隊列が止まった。
「では、いきますね。──『大地の恵み、この者らの四肢に宿れ』」
セシリアの手が胸元の聖印を握り、柔らかな光が四人を包んだ。
身体の芯に、温かいものが染み込む。教会の一般儀とは比較にならない、確かな底上げ。ガルドが肩を回し、ニックが軽く跳ねて調子を確かめている。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、誰にも聞こえない声で。
「──【自己強化(小)】」
◇
乗った。
疑いようもなく、明確に。
祝福の温かさの上に、俺のギフトの底上げが、きっちり積み上がった。上書きされない。打ち消されない。ただ、素直に足し算される。
素の俺を百とするなら、祝福で百十五。そこに自己強化を重ねて──百二十五。
……確かめられた。
この世界の理は【強化はひとつきり】だ。後から掛けたものが、先のものを消す。
祝福を受けた者は、その二刻の間、それ以外のあらゆる加護を持てない。教典にもそう書いてある。ギルドの教本にもそう書いてある。
だが俺の身体は、今、二つを同時に抱えている。
三ヶ月かけて確かめたかったのは、これだ。神様の言った「重なる」が、教会の安い気休め限定の話ではなく、本職の僧侶が使う本物の光にすら通用するのかどうか。
──────通用した。
つまり、俺のギフトは──強化を管理する仕組みの、外側にいる。
そして、その意味するところは。
俺は歩きながら、まだ見ぬ未来の盤面を思い描いた。付与術士の防護。武具に宿る加護。装備品に封じられた強化。この世界には、俺の知らない「強化」がまだ山ほど眠っている。
そのどれもが、たったひとつの枠を奪い合っている。誰もが最も数値の高いものを選び、残りを捨てている。
俺だけが、選ばなくていい。
俺は、積める。
「レイジ、遅れてるぞー! 何ボーッとしてんの!」
前を行くニックの声。俺は慌てて足を早めた。
……危ない。今、たぶん自分は、かなり気持ちの悪い顔をしていた。
◇
戦闘は、順調に進んだ。
俺の役割は変わらず先行索敵。だが今日の身体は、いつもの俺じゃない。
泥濘に足を取られる回数が減る。踏み込みが一歩ぶん深く届く。飛び出してきた個体の顎を、半歩の余裕をもって躱せる。
百二十五。たった二割五分の底上げが、これほど世界を変える。
──ゲーマーなら知っている。拮抗した勝負の勝率は、ほんの数分で動く。二割五分は、勝率どころか、対戦の格そのものを一段変えてしまう数字だ。
「西北西、二百歩。三体。──こっちに向かってます」
「よく見えてるな。今日は妙に調子がいいじゃねえか、レイジ」
「祝福のおかげですよ」
嘘は言っていない。半分は。
三体は挟撃で仕留め、遅れて現れた大型の一体はフィオナの氷が沼ごと凍らせた。
一刻半で、討伐完了。負傷者、なし。
「よし、上出来だ。祝福が切れる前に片付いたな」
ガルドが満足げに言って、その言葉を聞いたセシリアが小さく息を吐いた。安堵の息だ。
──この人は、いつもそうだ。俺たちが祝福の切れる時刻を気にしない代わりに、一人でずっと数えている。
◇
「──あなた」
引き上げの支度をしていると、いつの間にか背後にフィオナが立っていた。
「今日のあなた、動きが変わりましたね」
「祝福を受けたので」
「ええ。祝福を受けたのは、私たち全員です」
紫の目が、細められる。
「私も同じ光を浴びました。ガルドもニックも。──ですが、変化の幅が明らかにあなただけ違う。祝福は元の身体を底上げするものです。器が大きい者ほど、上乗せされる量も多くなる。それが道理です」
「はあ」
「あなたはこの一党で最も、その……器が」
「小さい」
「言い方を選んでいたのですが。ええ、そうです」
こいつは容赦なく頷いた。
「なのに、伸び幅はあなたが一番大きく見えました。おかしいと思いませんか」
「勘違いでは」
「私は数字を見誤りません」
言い切って、フィオナは踵を返した。数歩進んで、振り返らずに付け加える。
「──レイジさん。私は、あなたが隠し事をしていること自体には、興味がありません。冒険者は誰しも手札を隠すものです。ですが」
紺のローブが、湿った風に翻る。
「あなたの隠し事が、私の魔法の当たり方を変えるのなら。それは、私の領分です」
……厄介だ。こいつは、俺を疑っているんじゃない。
計算が合わないことに、耐えられないだけだ。天才というのは、そういう生き物なんだろう。
◇
その帰路、セシリアが隊列を離れて俺の隣に並んだ。
「レイジさん。──少し、よろしいですか」
「はい」
「祝福というのはね、レイジさん。かけた相手のことが、少しだけ分かるんですよ」
心臓が、ひとつ跳ねた。
顔には出さない。歩調も変えない。ただ、頭の中の盤面が一気に組み上がる。──この人は今、何を掴んでいる? どこまで見えている?
「私が誰かに光を授けると、その方の身体と、細い糸で繋がるような感覚があるんです。傷を負えばすぐに分かりますし、疲れていれば疲れも伝わる。祝福がいつ切れるかも、手に取るように」
「……便利ですね」
「便利というより、癖のようなものです。もう、そういうふうにしか視えなくなってしまって」
セシリアはくすりと笑って、それから、少しだけ首を傾げた。
「今日、あなたに祝福をお授けしたとき。──ほんの少し、光の乗り方が、他の方と違って感じられたんです」
葦が、風に鳴った。
「違う、というと」
「うまく言えないのですけれど。ガルドさんやニックさんに授けたときは、光が身体に染み込んでいく感覚があります。でもあなたのときは……染み込むというより、上に、置かれたような」
俺は黙って歩いた。
否定すれば、この人はもっと考える。肯定すれば、終わりだ。
だから何も言わない。
「……ふふ、変なことを言いましたね」
やがてセシリアは、自分を納得させるように微笑んだ。
「たぶん、器の違いなのだと思います。大きな器に注げば水は深く沈み、浅い器に注げば表面に留まる。あなたはこの一党で一番、その、身体の器が」
「小さい」
「──今日は皆さん、はっきり仰いますね」
彼女は困ったように笑って、それきりその話を打ち切った。
「ごめんなさい。妙な詮索でした。忘れてください」
「いえ」
「ただ、そうですね。あなたに光を授けるときは、これからは少し丁寧にしましょう。浅い器から零れてしまってはいけませんから」
そう言って、セシリアは前を歩くガルドたちの方へ戻っていった。
俺はその背中を見送りながら、内心で、かなりの汗をかいていた。
──危なかった。
あの人は、答えの半分まで辿り着いている。「染み込まず、上に置かれた」という表現は、実態の描写として恐ろしく正確だ。俺の祝福は、確かに土台になっていない。ただ積み重ねの一枚として、上に乗っているだけなのだから。
だが、彼女はその正確な観察を、間違った理屈で説明して納得した。器が小さいから、と。
助かった、と思うべきだ。
そう思うべきなのに、俺は妙に落ち着かない気分で、その背中を見ていた。
あの人は、この一党で唯一、俺の秘密の輪郭に指を触れた。それも敵意ではなく、俺の身体を案じる方向から。
そして自分の観察を、自分で否定して引っ込めた。
……六年間、この人はずっと、そうやって生きてきたんだろう。何かがおかしいと気づいて、それを言葉にしかけて、飲み込んで。
◇
その夜、宿の天井を見上げながら、俺はノートを開いた。
書くべきことは山ほどあった。
『本職の祝福との重ねがけ、成功。理の外側は本物』
『到達値、素の二割五分増し。祝福の持続は二刻』
『フィオナ:伸び幅の差異に気づく。数字の異常として認識。要警戒』
『セシリア:祝福の「乗り方」を感知。器の差と誤認して自己完結。──危険。次はない』
ペンを止める。
……次はない、か。
祝福を受けるたび、あの人の目には俺の異常が映る。一度なら偶然。二度目は疑い。三度目は確信になる。
対策はある。祝福を受ける瞬間だけ、自己強化を解けばいい。二重に乗せなければ、彼女の糸には何も映らない。数分間だけ弱くなるが、それで秘密は守れる。
合理的だ。実に、合理的な一手だ。
俺はペンを置いて、天井を見上げた。
──私は、そう自分に言い聞かせて、六年います。
谷であの人が言った言葉が、耳の奥で鳴っている。
俺は今、あの人が「妙だ」と感じた感覚を、自分の手で潰そうとしている。あの人が六年かけて飲み込んできたものと、同じものを、もう一つ飲み込ませようとしている。
……いや。
俺は頭を振った。感傷だ。これは搾取される側の生存戦略であって、あの人の人生に責任を負う話じゃない。
ノートの最後に、俺は一行だけ書き足した。
『十四人ぶんの名簿を、資料室で写す。名前と、日付と、その後を』
書いてから、しばらくその行を睨んで、消さなかった。
……回収するのは、経験と技術と実戦の記録だけのはずだった。
盤面に、また余計な駒が増えている。それも自分で並べた駒が。
「……賢い方ほど、危ない場所に留まる、か」
天井に向かって呟いて、俺は目を閉じた。
三ヶ月。あと数ヶ月で、俺は引き際の線に到達する。そのはずだ。
そのはずなんだが、なぜだろうな。
──最近、この一党から降りる自分の姿が、うまく思い描けない。




