第74話 最弱の戦略家は復讐しない
——レイジ視点
氷は解け、戦は終わった。
レーヴェン平野に、朝の光が差している。だが、まだ最後の仕事が残っていた。王都の中心、王城。この戦の大元だ。腐りきったあの王に、決着をつける。
「……さて。最後の仕上げだ」
俺は皆を見回した。
「王のところへ行く。大勢で押しかける必要はない。王国は、もう連邦に下った。残るのは、あの王一人だ」
「なら、俺が案内しよう」
ジークが進み出た。
「王城には、俺がいれば通れる。連邦の長を捕虜として連れてきた、という体でな。……勝利を装って」
「じゃあ、俺も行くぜ」
ソラが当然のように言った。
「兄貴一人で行かせられるかよ。護衛はいるだろ」
「当然ですが、私も行きます」
フィオナが、当たり前のように俺の隣に立った。
「隣にいるって言いましたから。こういう時こそ離れません!」
こうして王城へ向かうのは、俺、ジーク、ソラ、フィオナの四人に決まった。
残りの仲間たちが、俺たちを見送ってくれる。
「レイジ!」
ガルドが豪快に、俺の背を叩いた。ばしんっと。
「最後まで、きっちり決めてこいよ!」
「ああ」
その隣で、セシリアさんが微笑む。
「お気をつけて。皆さんの無事を、祈っています」
「レイジ。後は任せたぜ」
ニックが、にっと笑った。
「……終わらせてこい」
魔王が、静かに言った。
「長かったこの因縁…──頼んだぞ」
そこへ、駆けてきたのはクレイとリルだった。戦場を覆った、あの異常な冷気を感じて、何事かと駆けつけてきたらしい。着いた時には、もう収まっていたのだろう。
「レイジさん! ご無事で、よかった……!」
「ああ、なんとかな。」
「どこか行かれるんですか?」
「ちょっと王城にな」
「なるほど…それではお帰りを待っています」
「頼むな」
クレイが悔しさを軽く微笑みながら頷いた。リルも、その隣でぺこりと頭を下げた。
王国の武人たちも、俺たちを見ていた。
「ジーク」
ヴィントが、ジークの肩を叩いた。
「行ってこい。お前の手で、けじめをつけてこい」
「がっはっは! 派手にやってこい!」
ディートリヒが豪快に笑う。ラインハルト、ゴドウィン、アルフレート、コンラート、オズワルド。他の高弟たちも、静かに頷いて、俺たちを見送った。かつての敵が、今は、こうして背を押してくれる。
最後に、グレイスがゆっくりと、俺の前に進み出た。
王国最強の武人。
ソラに敗れ、引退を決めた男。彼は俺をまっすぐ見つめて、ただ一言。
「……頼む」
それだけだった。多くは語らない。だがその一言に、全てが込められていた。王国の未来。民のこれから。長く腐った王朝に仕え続けた男の、最後の願い。
「ああ」
俺は頷いた。それで十分だった。
◇
俺たちは王城へ向かった。
その道中、ジークが俺の腕をロープで縛る。俺の聖剣は、ジークが預かった。傍から見れば、俺は連行される捕虜だ。
「悪いな、レイジ殿。少しの間、辛抱してくれ」
「構わん。芝居のうちだ」
ジークが声を張り上げる。
「連邦の長を捕虜として捕らえたぞ! 我らの勝利だ!」
その言葉に、すれ違う兵たちが沸いた。誰も俺たちを止めない。総騎士長の副官、ジークの凱旋。そう信じきって。
◇
玉座の間の扉が、ぎぃっと開かれた。
奥の玉座に、ゲオルグ王がいた。でっぷりと肥えた体を沈めている。縛られた俺の姿を見ると、その顔が喜色に輝いた。
「おお、ジークよ! 戻ったか! その縛られた男は──まさか!」
「はっ」
ジークが恭しく頭を下げた。
「連邦の長を捕虜として捕らえて、参りました」
「でかしたぞぉ、ジーク!」
王が玉座から身を乗り出した。手を叩いて大喜びだ。
「さすがは余の忠臣! よくぞ、この連邦の蛮族の頭を!」
そして王の下卑た視線が、縛られた俺に向いた。
「ほう。これが連邦の長か。ふん、みすぼらしい小僧ではないか」
「この後ろの娘はなかなか器量がよさそうではないか。どれあとで味見でもしてやろう。この王直々にな」
そういってゲオルグはフィオナの顎をクイッっと持ち上げた。
「――?!」
そして最後尾にいたソラに視線をむける
「ん?そこにおるのは我が国の裏切り者の勇者ではないか。くっくっくジークにやられたのか?いいざまだのぅ」
王が玉座から立ち上がり、俺達の前まで歩いてきた。上から俺を見下ろす。
「貴様が、余の王国に盾突いた愚か者か。無様なものだ。縛られて、余の前に引き出されて。──どんな気分だ? ん?」
こつん、と。王が俺の顎を、杖で小突いた。
「命乞いをするなら、今のうちだぞ。まあ、聞き入れるつもりはないがな。せいぜい無様に、命乞いをしてみせろ。余の余興として、な」
俺は答えなかった。ただ黙って、王を見ていた。
「なんとか言ったら、どうだ! この連邦の犬が!」
王が苛立たしげに喚いた。俺が怯えないのが、気に入らないらしい。
その時。ジークが静かに口を開いた。
「──陛下。一つ、申し上げたいことが」
「なんだ、ジーク。褒美の話か? 良いぞ、何なりと──」
「俺は、あなたに従うのをやめました」
玉座の間が、しんと静まった。
「……へぁっ?」
王の笑みが固まる。
「ジーク。貴様、今、なんと言った?もう一度いってみよ。」
「聞こえた通りです」
「ほぁっ?!」
ジークがまっすぐ、王を見据えた。
「私は間違っていた。保身?権力?そんなものの為じゃない俺の忠義は国の民のためにあったんだ。王よ、あなたのためではない。そんな単純なことを連邦の長は私に教えてくれた。」
「き、貴様……! この余を、裏切るというのか!」
「裏切りではありません。選んだのです。──民を。人も、魔族も。等しく守られるべき、命を」
「魔族、だと!?」
王が顔を真っ赤にして喚いた。
「あんなものは家畜だ! 人の言葉を話す獣に過ぎん! それを守るだと!? 貴様、頭がどうかしたか!」
家畜。
その言葉を聞いて、ジークは静かに、俺の背後に回った。そして、俺の腕を縛るロープを解く。
はらり、と。縄が床に落ちた。続いてジークは、預かっていた俺の聖剣を、両手で差し出す。
「レイジ殿。──お返しします」
俺は聖剣を受け取った。腰に佩く。自由になった、その手で。
王の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「な……なんだ、これは。なぜ、捕虜の縄を解く」
「陛下」
ジークが静かに告げた。
「勝利したのは、王国ではありません。──敗れたのです。敗者は王国つまりあなたです」
「……は?」
王の口が、間抜けに開いた。
「レーヴェン平野の戦は、王国の敗北で終わりました。グレイス総騎士長も、八人の将軍も、皆、連邦に下った。──いえ。我らが望んで、そうしたのです。この腐った王国に、終止符を打つために」
ジークの言葉が、王を貫く。
王はへなへなと後ずさった。玉座へ、這うように。ようやく、自分の置かれた状況を悟って。
「ひっ……ひぃぃっ!」
俺はゆっくりと、王へ歩み寄った。
「よくも汚い手で触りましたね…」
背後で、フィオナが魔力を練り上げる。ぶわりっと、玉座の間の空気が軋んだ。魔王をも超える、魔力の圧が、王へと向けられる。
その隣で、ソラがただじっと、王を睨みつけた。何も言わない。だが、その眼光が、王を射抜く。
俺の聖剣。フィオナの魔力。ソラの眼光。三人の無言の圧が、ずしりと玉座の間を満たした。
「ま、待て! 待ってくれ!」
王が玉座の上で、震えあがった。
「わ、悪かった! 何でもやる! 何でもだ! 金か!? 金なら、いくらでもある! 権力か! 領地か! 望みのものを言え! 何でもくれてやる! だから、命だけは!」
ついさっきまでの傲慢さは、跡形もない。ただ命惜しさに震える、醜い男がそこにいた。
「何でも、くれるのか」
俺は静かに問うた。
「あ、ああ! 何でもだ!」
俺は少し、考えるふりをして。それから言った。
「じゃあ──お前の命だな」
「ファッ!?!?!?!」
王の顔が凍りついた。
「ひ……」
そして、じわりと。王の足元に、水たまりが広がっていく。恐怖のあまり漏らしたのだ。王国の頂点に立つ男が、醜く失禁して、玉座の上で震えている。
俺は、その姿を見下ろした。
こいつを殺すのは、簡単だ。
聖剣で一突きすれば終わる。あれだけのことをした男だ。奪われた命、壊された人生、流された涙。その全ての元凶が、こいつだ。
だが、殺しても何も戻らない。奪われたものは、壊された日々は、こいつを殺したところで、一つも戻りはしない。復讐は何も生まない。それを俺は、ずっと前から知っている。
俺は聖剣から手を離した。代わりに、拳を握りしめる。
「……たまには、ソラを見習うか」
「な、何を──」
「俺のフィオナに触れたな」
どがしゃっ!!
渾身のパンチが、王の顔面に突き刺さった。ぐしゃりと鼻が潰れる。でっぷりと肥えた体が玉座から吹っ飛んで、どしゃっと床に叩きつけられた。
白目を剥いて、失禁したまま、王はあっけなく気絶した。
静寂が、玉座の間に落ちた。
そして。
「うわぁ……。兄貴、ひっでぇ、めっちゃ私情はいってんじゃん。」
ソラが呆れたように言った。
「王様の顔面、思いっきりいったよ。鼻、絶対折れたぜ」
「レイジさん……」
フィオナが頬を赤らめながらいった。
「さすがに、その……大人げないのでは?」
何故か、その顔はにやけていたが。
「フッ」
ジークまで、口元を緩めていた。
「これがレイジ殿のやり方か。……噂には聞いていたが。まったく、大した御方だ」
三人の視線が、呆れと苦笑を浮かべて俺に集まる。俺は拳をぷらぷらと振りながら、しれっと答えた。
「生きてるだけ、マシだろ?」
それが俺の答えだった。多くは語らない。ただ、これだけだ。
俺は気絶した王を見下ろして、それから思い出したように口を開いた。
「あーそうだ。褒美の件だが」
「へ?」
ジークが、間の抜けた声を出した。
「さっき、こいつが言ってたろ。望みのものをくれてやる、と。──なら、もらうものは決まってる」
俺は気絶した王に告げた。もう聞こえていないだろうが。
「あんたの王国には、連邦の仲間になってもらう。人も魔族も、分け隔てなく守る国に。そして、その頭は──」
俺はジークを見た。
「ジーク。あんただ。あんたが、新しい王国を導け」
「……は?」
ジークが目を丸くした。
「ちょっと待て、レイジ殿! 俺は、そんな話は聞いていないぞ! 一国を導くだと!? 勝手に決めるな!」
「まあ、いいだろ」
俺は気絶した王を、顎で示した。
「褒美をくれると言ったのは、こいつだ。文句なら、こいつに言え。──まぁ、気絶してるから、聞いてないと思うけどな」
「聞いてないのは、俺も同じだ!」
ジークが頭を抱えた。
その隣で、ソラが腹を抱えて笑い出す。フィオナも、堪えきれずに噴き出した。玉座の間に、笑い声が響き渡る。ついさっきまで命を懸けて戦っていた者たちが、今は一人の男の無茶な押し付けを巡って、笑い合っている。
俺は窓の外を見た。
王都の空が、朝日に染まっていた。長い長い戦いが、ようやく終わろうとしている。
最弱のFランク、何の力も持たない…ただの人間だった。そんな俺が選んだのは、復讐ではなかった。ただ、一人また一人と、燻る者を正しい場所に置いて、灯を繋いで、ここまで来た。
「レイジさん」
フィオナが、俺の隣に来た。そっと、俺の手を握る。
「終わりましたね」
「ああ」
俺は頷いて、その手を握り返した。
まだやることは、山ほどある。王国の再建。連邦との統合。傷ついた者たちの癒し。だが、それはこれからだ。
「終わったよ。長い戦いが、やっと」
「まだこれからですよ!」
「ついてきてくれるか?」
俺はフィオナにそう問いかける。
「当然ですっ!あなたの隣は私の居場所ですからっ!!」
まぶしい笑顔で俺にそう答えてくれた。
振り返れば、ソラが笑っていた。ジークが、まだ頭を抱えていた。窓の外では、王都の民が、戦の終わりを少しずつ知り始めている。
復讐しない。それが、俺の選んだ道だった。そして、その道の先に、こうしてあたたかい笑い声が待っていた。
盤上の全ての灯を繋いで。長い戦いは、いま終わった。




