第73話 約束のキス
——レイジ視点
意識が、浮上する。
背中に、鈍い痛み。だが、それ以上に、温かい光が俺を包んでいた。目を開けると、涙ぐんだセシリアさんの顔が、すぐそばにあった。
「レイジさん……! よかった、気がついて!」
「セシリアさん……。俺は、どれくらい、気を失ってた?」
体を、起こす。
「グッ...」
まだ、本調子じゃない。だが、動ける。セシリアさんの回復のおかげだ。
「大体三十分ほどです。突然現れた騎士に、斬られて……。でも、もう大丈夫。傷は塞ぎました」
「戦況は」
俺が問うと、セシリアさんの顔が、曇った。
「それが……もう、戦いどころでは、なくなっていて」
俺は、周囲を見渡した。
「なっ!!」
そして、絶句した。
戦場が、氷の世界に、変わっていた。
見渡す限り、白銀の冷気。その中心で、フィオナが、虚ろな目をして、宙に浮いている。彼女を包む、凄まじい魔力の渦。そして、その周りに、敵も味方も、関係なく、身を寄せ合っていた。
ソラの精霊結界と、魔王の防壁。二重の守りが、荒れ狂う冷気から、皆を守っている。連邦も、王国も。今は、ただ、この異常事態を、生き延びるために。
◇
「おっ!兄貴、起きたか」
ソラが、結界を維持しながら、振り返った。
「フィオナのやつ、あんな風になっちまってさ。ずっと氷、撒き散らしてんだ」
その隣で、ジークと、ヴィントが、剣を収めていた。戦う意思はもう、ないらしい。
「レイジ殿。目が覚めたか」
ジークが、静かに、口を開いた。
「……すまなかった」
ジークが、頭を下げた。
「レイジ殿を斬ったのは、俺の部下だ。俺は、殺すなと、命じていた。だが、功名心にかられたのだろう。徹底できなかった。──俺の、落ち度だ。」
「俺からも、詫びる」
ヴィントも、頭を下げた。二人の将軍が、俺に深く。
「気にするな」
俺は、首を振った。
「あんたたちが、殺さない戦いを、貫こうとしていたのは、分かってる。末端の一人まで、完璧には、いかない。──それより、今は」
俺は、氷の中心の、フィオナを見た。
「あいつを、助ける。俺にとってはそれが、先だ」
ジークが、頷いた。
「兄貴ぃ。フィオナのやつ、ぐずってるぜ? どうすんだ」
ソラが、氷の渦を、顎で示す。俺は、立ち上がった。
「心配、かけたな。ソラ」
「別に。あんま、心配してなかったけどな」
ソラが、そっぽを向いた。その耳が、ほんの少し、赤い。素直じゃない弟だ。俺は、小さく笑った。
◇
「セシリアさん、ガルド、ニック、魔王。──助かった。礼を言う」
俺は、仲間たちに、頭を下げた。
ガルドは、まだ大盾を構えたまま、にっと笑う。ニックは「水くせえな、レイジ!」と、肩をすくめた。魔王は、防壁を張りながら、静かに頷いた。この、仲間たちが。俺が倒れている間、必死に、守り抜いてくれた。
「迎えに、行ってくる」
俺は、氷の渦を見据えた。
「ソラ。頼む。──俺と一緒に、あいつを、助けてくれ」
「おう。任せろ」
ソラが、二つ返事で、頷いた。
まずは、状況を、把握する。俺は、腰の聖剣に意識を向けた。剣霊に問いかける。フィオナの、あの状態は何なのかを。
◇
『……氷の精霊が、聖剣から、いなくなっている』
剣霊の、低い声が、頭に響いた。
『あの娘、フィオナ。悲しみのあまり、氷の精霊と、深く同化しすぎた。半ば、精霊と、化しいる。──半精霊化、とでも、言うべきか』
「半精霊化……。戻せるのか」
『戻せる。今なら、まだ。だが──あの状態が、長く続けば。あの娘は、二度と、こちら側には、戻れなくなるぞ』
「どうすれば…」
…時間が……ない。
「──っと、そうだ。兄貴。先に、言っとくことが、あるんだけどさ」
ソラが、けろりとした顔で、言った。
「俺、今、ほとんど、戦えねえぜ?」
「……は?」
俺は、耳を疑った。ソラが、戦えない?
「なんでだ。何が、あった」
「それがさ」
ソラが、頭を、かいた。
「兄貴が、倒れてる間に、聖剣、全力開放? ってのを、しちまってさ。なんか、すげえ光って、パワーアップして。先生も、それで、倒したんだけど──その光が、終わったら、どっと、力が、抜けちまってて…」
「…………」
俺は、唖然とした。俺が、気を失っている間に。そんなことが、あったのか。そして、その切り札は、もう、使い切りだったとは。
「でも、安心しろって! 精霊解放は、まだ、使えるからさ!」
「なら…なんとかなるのか?」
「剣霊。俺も、ソラみたいに、聖剣を、全力開放できないのか」
『無理だな』
剣霊は、あっさりと、答えた。
『あれは、そこの勇者だから、なれただけよ。お前は、勇者ではない。それこそ体への負担が大きすぎる。』
「そうか…」
まあ、そうだろうな。俺は、最弱の、ただの人間だ。勇者みたいな特別な力は、ない。
「レイジ」
そこへ、魔王が、声をかけてきた。防壁を、維持しながら。
「お前が気絶している間に、俺が、あの娘に近づいてみた。だが──近づくと、氷の狼が、
出てくる。それも、無数にな。とても、一人では、届かなかった」
◇
無数の、氷狼。半精霊化した、フィオナの、守り。
俺は、盤面を、組み立てようとした。だが、手駒が、足りない。ソラか、魔王が、防壁を維持しなければ、氷の冷気で、他のみんなが、危ない。かといって、俺一人では、氷狼を、突破できない。
「……俺たちだけじゃ、無理か」
詰んでいた。守りを、崩せば、みんなが危険。守りを、保てば、フィオナに、届かない。
その時、だった。
「──私が、力を貸そう」
ジークが、前に、進み出た。剣を、握り直して。
「俺も、手伝おう」
ヴィントも、続く。二人の、王国最強格の将軍が。フィオナを、救うために。
「いいのか。あんたたちの、敵だぞ」
俺が問うと、ジークが、ふっと、笑った。
「本音を言うとあの魔術師を、斃してしまえば早いのだろうがな。──だが、そういうわけには、いくまい。恋仲、なのだろう?」
「なっ……!」
俺は、思わず、言葉に詰まった。ジークが、にやりと、笑う。
「そっか。ジークも、見たもんな」
ソラが、あっけらかんと、言った。
「あん時兄貴がフィオナ助けるために、なりふり構わず突っ込んで。抱きしめて、キスして──」
「ソラ! それ以上、言うな!」
俺が、慌てて、止める。ジークと、ヴィントが、生温かい目で、俺を見ていた。
くそ。
「ハッハッハ!」
そこへ、豪快な、笑い声が、響いた。ディートリヒだ。戦斧を、担ぎ直して。
「なるほど、なるほど。惚れた女を、助けに行くのか。──なら、俺も、手伝わんわけには、いかんなぁ! 家族を守る男に、手を貸すのは、武人の、務めってやつだ!」
「なら俺たちはこちらの守りにつくか。」
「そうだな。」
「そこのセシリアさんに回復してもらったから借りは返さないとな。」
八人の王国の将軍達が。俺のために、力を貸すといってくれた。
敵だったはずの、男たちが。
一人の娘を、救うために。剣を一緒にとってくれる。──おかしな…話だった。ついさっきまで、戦っていたのに。今は、肩を並べてフィオナのもとへ向かおうとしてくれている。
「……恩に、着る」
俺は、頭を下げた。
「で、レイジ殿どうするか作戦はきまっているのか?」
「まずソラの精霊の道を使う。精霊の道はヴェルグでみただろ?あれで近づいていく。だがもとに戻す方法がまだ…──近づければ、何とかなる。そう、思ってる」
「それで、十分だ」
ジークが、頷いた、その時。
「──待て」
低い、声がした。倒れていたはずの、グレイスが。ゆっくりと、身を起こしていた。
「総騎士長!」
ジークが、駆け寄る。グレイスは、ソラに、意識を刈り取られたはず。だが、気絶から、覚めたのだ。
「無理をしないでくださ──」
「ジーク」
グレイスが、ジークの言葉を、遮った。そして、腰の宝剣を、鞘ごと、外した。
「この剣を、持っていけ」
グレイスが、宝剣を、ジークに、差し出した。
「俺は、あの勇者に、敗れた。この一戦を、もって……俺は、退く。武人としての、俺の役目は、終わった。──これからは、お前の時代だ、ジーク」
「総騎士長、それは……」
「使え。役に…立つはずだ」
グレイスの目は、穏やかだった。全てを、やり遂げた者の、静けさ。
ジークは、しばし、逡巡した後。深く、頭を下げて、その宝剣を、受け取った。
「……確かに、お預かりします」
ジークが、宝剣を抜き放つ。王国の秘宝が、氷の光を、照り返して、輝いた。
世代の継承。師から、弟子へ。武人の、魂が、託された、瞬間だった。
「行くぞ」
俺は、聖剣を、構えた。
◇
フィオナへの道を開く。
俺は、ソラに頼んだ。精霊の道を。氷の冷気の中に、細い一本の道が、通る。
俺、ソラ、ジーク、ヴィント、ディートリヒ。
五人で、その道を駆けた。フィオナの、もとへ。
◇
近づくにつれ。
氷の狼が、現れた。冷気が、凝って、牙を持つ。一体、二体──いや、無数に。がぅっと、氷狼が、俺たちに、襲いかかってくる。
「露払いは、任せろ!」
ディートリヒが、戦斧を、振るった。どがんっと、氷狼が、砕ける。
「お前たちは、まっすぐ、行け!」
ヴィントが剣で、氷狼を、斬り払う。ディートリヒも、続く。二人の武人が、氷狼を、引き受けて、道を、こじ開けていく。
がきん、ざしゅっ、どぱっと。
氷狼が、次々と、砕かれていく。その、隙間を。俺とソラとジークが、駆け抜けた。フィオナへ。
まっすぐに。
◇
「近づか、ないで……!」
フィオナの、虚ろな声が、響いた。
彼女を、中心に、氷の魔力が、膨れ上がる。無数の氷の刃が、俺たちめがけて、放たれた。ざしゃぁっと。まるで、拒絶するように。誰も、寄せ付けまいと。
キィン!カンッ!!
ソラとジークが無数の氷の刃をはらった。
◇
「フィオナ!」
俺は、叫んだ。
「俺なら、大丈夫だ! 戻っておいで!」
氷の刃が、迫る。だが。
「兄貴にあてさせねえよ!」
ソラが、聖剣で氷の刃を、弾いた。
「ハッ!!」
ジークも、宝剣で、防ぐ。
二人が、フィオナの魔法を、受け止める。その、守りの中を俺は進んだ。
フィオナの、すぐ、そばまで。
そして。
俺は、そっと。虚ろに浮かぶ、フィオナを。抱きしめた。
冷たい。氷のように。だが、確かに、フィオナの、体だった。俺は、その細い体を、両腕で、包み込んだ。
「……もう、大丈夫だ。フィオナ」
◇
フィオナの、体が。びくりと、震えた。
虚ろだった、紫の瞳に。光が、戻ってくる。俺を、見上げて。その目に、みるみる、涙が、盛り上がっていく。
「……レイジ、さん?」
掠れた、声だった。
「生きて……いるの? 本当に……?」
「ああ。生きてる」
俺は、頷いた。フィオナを包む氷の冷気が少しずつ和らいでいく。半精霊化が、解けていくのが分かった。
俺は、腕の中のフィオナを見つめた。
そして、あの約束を思い出した。
「……あの時の約束…また、守れないな」
支配されていない状況で。俺のほうから。
そう、あの時約束した。
だが、俺は今度も彼女が正気を失っている時に。
──いや。もう、待てなかった。
この、腕の中の温もりを二度と失いたくない。その想いのままに。
俺は、フィオナに口づけた。
「んんっ……!?」
フィオナの体が、跳ねた。
俺は、そっと唇を離す。フィオナは、耳まで真っ赤にして俺を見上げていた。
その目は──あれ…?
しっかりと、意識が…?
「レ……レイジさん! 私、戻ってます! さっきから、戻ってます!」
フィオナが、真っ赤な顔で手をぶんぶんと振った。
「あの、その意識が…はっきりして…それで……レイジさんが来て…くれて……! だから、あの…その…キスされるって…分かる状態で……!」
「……え?」
俺は、間の抜けた声を出した。
◇
「ぶはっ! あっはっはっは!」
背後で、ソラが、爆笑した。
「兄貴! フィオナ、とっくに、正気に戻ってたぜ! だって、氷狼さっきから、攻撃してこねえし、冷気も収まってたもん! 俺、途中で、気づいてたけど!」
「なっ……お前、気づいてたなら、言え!」
どうやら、俺が抱きしめる少し前から。フィオナは、既に意識を取り戻していたらしい。
氷狼が、止まっていたのも冷気が和らいでいたのもその証拠だった。
俺だけが気づかず。
まだ、正気を失っていると思い込んで。
約束を…果たすつもりで…キスをし…て…?
つまり俺は正気のフィオナに、いきなりキスをした。ということに…なる?
「い…いや…これは…その」
俺は、うろたえた。だが、次の瞬間。
ある考えが、頭を、よぎった。
……待てよ。
キスをしてフィオナの氷が完全に解けた。ということは…このキスが、決め手になったのではないか!俺の!!キスが!!フィオナを!!正気に戻したのでは!?
俺はすでに何も考えられなくなっていた。
「フィオナ!」
「ひゃいっ!」
俺は混乱の中で盛大に勘違いした。
「今のキスでお前は戻ったんだな! なら──今度こそあの時の約束を果たすぞ! ちゃんと、俺のほうから!!!もう一度!」
「ファ!え?あの…レイジさん!? 約束は、もう──」
俺は再びフィオナを、抱き寄せた。
!?!?!?!?!?!?!?!?!?
「約束は、もう、果たされて──んんーっ!?」
フィオナの、抗議は俺の二度目の口づけに飲み込まれた。
真っ赤な顔でじたばたするフィオナ。
だがやがて抵抗を諦めたように。そっと、目を閉じた。
「……あっはっはっは! 兄貴、それ完全に勘違いだって! フィオナ最初から戻ってたっつーの!」
ソラの、笑い声が。
氷の解けた、戦場に響き渡る。
ジークも、ヴィントも、ディートリヒも。毒気を抜かれたように笑っていた。
ついさっきまで国を守るために戦っていた者たちが。今は、一人の男の、盛大な勘違いに、腹を抱えて笑っている。
荒れ狂っていた氷の嵐はいつの間にかすっかり収まっていた。
フィオナの、悲しみが。俺の腕の中で、溶けて、消えていった。
やがて、唇を、離すと。
フィオナは、涙目で、俺を、睨んだ。だが、その頬は、緩んでいた。
「……もう。レイジさんの、ばか。約束…ちゃんと…覚えていてくれたんですね」
「ああ。忘れる、わけがない」
俺が、答えると。フィオナは、ふにゃりと、笑って。俺の胸に、顔を、埋めた。
◇
戦場に、静けさが戻っていた。
氷は解け。
冷気は去り。
そして、敵も、味方もなく皆が、この間の抜けた結末に力を抜いて、笑っていた。
最悪の絶望から。始まったこの戦いは俺の盛大な勘違いと共に奇妙な、あたたかさの中へ着地した。
だが──まだ、終わっていない。
俺は、フィオナを抱いたまま遠く王都の方を見た。
この戦の大元。
全ての悲しみの頂点。
腐りきったあの王がまだあの城で待っている。
決着を、つけなければ、長い戦いに。本当の、終わりを。
「……あと、少しだ」
俺は、静かに、呟いた。
腕の中の温もりを、確かめながら。最後の盤面へと思いを向けた




