第68話 王国に忠義を
——ジーク視点
王都に戻った俺は、まず、あの連中を王城の牢へ引き立てた。
支配の冠で連邦の魔術師を操ろうとした、王都ギルド本部の冒険者パーティー。
ヴェルグからの撤退中に、レイジ殿たちと戦っていたあの外道どもだ。
俺がこの手で捕らえ、ここまで連行してきた。
そして俺は、総騎士長グレイスのもとへ向かった。この一件を報告するために。
◇
「──支配の冠、だと」
グレイスは、俺の報告を聞いて眉をひそめた。
王城の一室。ソラの師であり、王国最強の武を持つ男。初老にして、なおその眼光は鋭い。俺が捕らえたギルドの連中は、後ろ手に縛られ、床に転がされている。
「人を操り、道具のように戦わせる魔道具。それを、王都ギルド本部が使った、と」
「はい。連邦の魔術師を支配し、王国軍へ献上しようとしていた、と白状しました」
俺は告げた。だが、俺の胸の内には、報告とは別の疑念が渦巻いていた。
◇
この一件は、どこか、おかしい。
支配の冠。かつてソラに使われたものと、同じ魔道具。あれは、王国が「守りの加護」と偽り、ソラに仕込んだものだった。そんなものを、ギルドが易々と手に入れられるものか。
裏で、誰かが糸を引いている。ギルドを動かし、王を動かし、この王国そのものを意のままにしている、誰かが。
そして、俺の疑いは──目の前の、この男に向いていた。
◇
グレイス総騎士長。
王国最強の武人。前王の代から、王家に仕えてきた男。その気になれば、王すら、その武で押さえつけられる。──この男が、裏で王を操っているのではないか。
魔族を家畜と断じ、侵略を続けさせ、支配の冠のような外道な手すら使わせている。すべて、この男が糸を引いているのでは。この王国の歪みの、本当の元凶は。
「グレイス総騎士長」
俺は、意を決して問うた。
「この支配の冠。……あなたは、関わっておられるのですか」
◇
グレイスの視線が、俺を射た。
「ほう」
低い声だった。
「俺が、糸を引いていると。そう疑っているのか、ジーク」
見抜かれていた。俺は奥歯を噛んだ。
「……失礼を承知で。あなたほどの武があれば、王を、王国を、意のままにできる。この歪みの元凶が、あなたであっても、おかしくない。そう考えました」
グレイスは、しばらく俺を見ていた。
そして、静かに首を振った。
「買いかぶりだ。俺は、この冠のことなど知らん。ギルドがこんな真似をしていたことも、今、お前の報告で、初めて知った」
その目に、嘘の色はなかった。長年、人を見てきた俺の勘が告げていた。この男は、本当に知らない。
「……陛下は」
「王も、知るまい。こんな細工は、ギルドが己の保身のために、勝手にやったことだ。王の、与り知らぬところだな」
俺は、言葉を失った。
では、糸を引く元凶など、いなかったのか。この王国の歪みは、誰かの壮大な策謀ではなく。ただ、王が腐り、その下でギルドが腐り、それぞれが己の欲のままに動いた、その結果でしかないのか。
その時。
グレイスが、すっと腰の剣に手をかけた。そして、床に転がされたギルドの連中の前に、歩み寄った。
「な……何を」
俺が問う間もなく。
グレイスの剣が、閃いた。
ざんっ、ざんっ、と。
無造作な一閃。だが、その一つ一つが、確実に命を刈り取っていく。縛られ、床に転がされた冒険者たちが、声を上げる間もなく絶命していった。
血が、床に広がる。あっという間に、十人がもの言わぬ骸となった。
「なっ……!」
俺は絶句した。
「グレイス総騎士長! 何も、そこまで……!」
俺は、思わず叫んでいた。
「こいつらは、捕虜です! 裁きにかけるべき者だ! それを、こんな……!」
「捕虜、か」
グレイスは、剣の血を無造作に払った。
「人を道具に変える冠を使い、恥じぬ外道だ。生かしておく価値もない。──それに、こういう手合いは、口を割る。余計なことをな」
グレイスの言葉は、それだけだった。
俺には、その真意の半分も掴めなかった。ただ、この男のあまりの苛烈さに、背筋が冷えた。
「ジーク」
グレイスが、俺に向き直った。
「お前は、変わったな。魔族を、人と認めるようになった。……その目を見れば分かる。ヴェルグで、何かを見たのだろう」
俺は答えなかった。だが、それが答えだった。
「魔族は、人だ。──俺も、知っている」
グレイスの言葉に、俺は耳を疑った。
「知って、おられるのですか。魔族が、人だと」
「ああ」
グレイスは、窓の外へ目を向けた。遠く、王城の尖塔が、夕日に染まっている。
「知っていて、なお、俺は剣を振るってきた。この王国のために。──なぜだと思う?」
俺は答えられなかった。魔族が人だと知りながら、なぜ狩り続けるのか。その矛盾を、この男はどう抱えているのか。
「聞け、ジーク。──前王の、話だ」
◇
グレイスは、静かに語り始めた。
「前王が、魔族領への侵攻を始めたのは、四十五年前。当時、王国は飢えていた。作物は実らず、民は飢えて死んでいった。前王は、民を飢えさせないために、豊かな魔族領の土地を求めた。──始まりには、切実な理由があったのだ」
俺は、黙って聞いていた。
「前王は、器の大きな王だった。才能や家柄ではなく、人の器を見て、人を選んだ。俺のような二十四の若造を、総騎士長に抜擢したのも前王だ。若すぎると、皆が反対した。だが、前王は押し通した。──俺の器を、見てくれたのだ」
◇
グレイスの声に、かすかな熱がこもった。
「だが、侵略は、王国を狂わせた。奪った富は贅沢を生み、贅沢は腐敗を生んだ。前王もまた、その甘い汁に溺れていった。……始まりの切実さは、いつしか、ただの強欲に変わっていた」
グレイスは、目を閉じた。
「それでも、前王には、最後まで良心の欠片が残っていた。器で人を選ぶ、あの目が。──皮肉なものだ。あの目は、今、連邦を率いる、あの男の理念に、よく似ている」
◇
レイジ殿のことだ、と俺は悟った。
一人一人を、その器で見て、正しい場所に置く。人も、魔族も、分け隔てなく。
──前王が最後に残した良心は、皮肉にも、王国が滅ぼそうとしている連邦の理念と、重なっていた。
「では」
俺は問うた。
「現王は……ゲオルグ陛下は、いかがなのですか」
◇
グレイスの目が開いた。その奥に、深い諦めの色があった。
「現王は、前王の腐敗の部分だけを継いだ。切実さも、良心も、器を見る目も。何一つ受け継がず。──ただ、奪う欲だけを、色濃く継いだ」
グレイスの声が、低く沈んだ。
「土地。資源。保身。贅沢。……現王を突き動かすのは、その私欲だけだ。魔族を家畜と呼ぶのも、民を駒と見るのも、すべては己の欲のため。そこには、前王にあった一片の切実さすら、ない。──同情の余地もない、純粋な悪だ」
◇
俺は、拳を握りしめた。
グレイスは、すべてを知っていた。魔族が人であることも。王が腐りきっていることも。始まりの切実さが、ただの強欲に変わったことも。
「なぜ……なぜ、あなたは、そんな王に仕え続けるのですか」
俺は問わずにはいられなかった。
「魔族が人だと知り、王が腐っていると知りながら。なぜ、剣を振るい続けるのです。──あなたほどの御方が」
「前王への、忠義だ」
グレイスは、迷いなく答えた。
「俺を見出してくれた。器を見てくれた。名もなき若造だった俺を、総騎士長にまで引き上げてくれた。──その恩に報いたい。ただ、それだけだ」
グレイスの目に、悲しみが滲んだ。
「たとえ、その王家が腐り果てても。俺は、前王から受けた恩を、裏切れない。……愚かだと笑うか、ジーク。大切なもののために、間違いに加担し続ける。俺は、そういう男だ」
俺は、笑えなかった。
なぜなら、それは。かつての、俺自身の姿でもあったからだ。王命なら、罠と知りつつ従う。忠義のために、疑問に目を瞑る。──グレイスの生き方は、俺が抜け出そうとしている、その鎖そのものだった。
「……ジーク」
グレイスが、剣を鞘に納めた。
「お前は変わった。魔族を人と認め、この王国の歪みに気づいた。──では、どうする。この俺を。腐った王に仕える、この老いぼれを。討つか?」
グレイスの問いは、鋭かった。
俺の覚悟を、試すように。もし、俺が【本質を討つ】というなら。その本質の一つは、目の前の、この男だ。腐った王を、武で支える、総騎士長。
だが。
「いいえ」
俺は、首を振った。
「俺は、師を討ちたいのではありません」
俺は、まっすぐグレイスを見た。
「俺が討ちたいのは──この王国の、本質です。腐った王。歪んだ構造。魔族を家畜と断じ、民を駒と使い潰す、この王国のあり方そのものだ」
グレイスの眉が、動いた。
「そのためには」
俺は続けた。
「あなたの力だけでは、足りない。──ヴィントの力を、借ります」
そう言い残して、俺はその場を後にした。グレイスは、止めなかった。ただ、静かに、俺の背を見送っていた。
◇
ヴィントは、王城の外れの一室にいた。
命令違反で更迭され、王都に留め置かれている。かつて、八人の高弟の中でも抜きん出た武を誇った男。だが今は、飼い殺しの身の上だ。
「ジークか」
ヴィントは、俺を見て、力なく笑った。
「珍しいな。お前が、俺のところへ来るとは。……何の用だ。腐れ縁の、兄貴分に」
俺は、ヴィントの前に腰を下ろした。
「ヴィントさん。折り入って、頼みがあります」
「頼み?」
「ええ。……正気じゃない、と思われるかもしれません。だが、聞いてください」
俺は、息を吸った。そして、胸の内に固めた覚悟を、口にした。
「俺たちは──ミストリア連邦に、討たれなければ、ならない」
ヴィントの目が、見開かれた。
「……なんだと?」
「連邦は、必ず王都へ攻めてきます。それを、俺たちは迎え撃つ。──ですが、本気で勝ちにいってはいけない」
俺は続けた。
「迎え撃つ格好を取りながら。連邦の軍を、できるだけ減らさずに、王都へ通す。そして、最後は──俺たち将軍と、師グレイスが。勇者ソラの手で、討たれる」
「正気か、ジーク!」
ヴィントが、声を荒げた。
「それは、王国を売る、ということだぞ! 俺たちがわざと負けて、王国を連邦に明け渡す! それは──」
「王国を、救う、ということです」
俺は遮った。
「腐った王を、腐った構造を、このまま生かしておけば。犠牲になるのは、これからも民です。魔族も、人も。搾取され、使い潰される者が、後を絶たない。──それを終わらせるには」
「俺たちが、負ける...しか、ない」
俺は、言い切った。
「連邦の、あの理念。人も魔族も、分け隔てなく、その器で見て、正しい場所に置く。……あれこそが、この腐った王国よりも、ずっと民を幸せにする。俺は、ヴェルグで、それを見ました」
俺は、拳を握った。
「だから、俺たちは負ける。武人として、最後まで戦い抜いた末に。勇者ソラに討たれて。──この腐った王朝の幕を、引く。それが、俺たちにできる、最後の忠義です」
ヴィントは、長い間、黙っていた。
そして、ふっと。その顔に、笑みが浮かんだ。かつて、俺が憧れた。あの、頼れる兄貴分の笑みだった。
「……お前、変わったな。ジーク」
ヴィントが、言った。
「昔のお前は、王命が絶対で。疑うことを知らなかった。それが、今は……自分の頭で考え、王国の未来のために、命を懸けようとしている。──立派になったじゃねえか」
その言葉に、俺は。ふと、あることに思い至った。
グレイスが、あの冒険者どもを、斬ったこと。
「──そうか」
俺は、呟いた。
「あの時、師が、ギルドの連中を斬ったのは。……こいつらが口を割れば。俺の、この計画が、王に漏れるかもしれない。それを、防ぐためだったのか」
支配の冠を使ったギルドの連中は、王都ギルド本部と繋がっている。そして、ギルドは、王とも繋がっている。あいつらが生きて、余計なことを喋れば。俺が連邦に通じ、わざと負けようとしていることが。王の耳に、入るかもしれない。
グレイスは、それを防いだのだ。
「師は……俺が、何を考えるか。あの時すでに、読んでいた」
俺は、愕然とした。
グレイスは、俺が「本質を討つ」と、覚悟を決めることを。あの時すでに、見抜いていた。だから、その障害になる、情報の漏れる口を。無言で断った。
苛烈な口封じ。俺はあの時、それを、ただの非情な処断だと思った。だが、違った。あれは──弟子の覚悟を見抜き、その道を、黙って整えてくれた。師の、不器用な支えだったのだ。
「敵わないな。……師には、どこまでも」
俺は、天を仰いだ。グレイスは、多くを語らず。ただ、俺の一歩先を、いつも歩いていた。
「決めたぜ、ジーク」
ヴィントが、立ち上がった。その目に、久しく見なかった光が宿っていた。
「お前の、その覚悟。俺も乗る。──この腐った王朝に、引導を渡してやろうじゃねえか。武人として、最後に、正しいことのために剣を振るえるなら。……本望だ」
「ヴィントさん……!」
「礼はいい。……俺も、ずっと迷ってたんだ。この王国に忠義を尽くす意味を。ようやく、答えが見つかった。それだけだ」
◇
俺とヴィントは、他の高弟たちを集めた。
ディートリヒ、ラインハルト、ゴドウィン、アルフレート、コンラート、オズワルド。ヴェルグで、連邦と死闘を演じた、王国の精鋭たち。俺は、彼らにすべてを話した。この、命を懸けた計画を。
話し終えて、俺は、頭を下げた。
「むざむざ、死ねと。そう言っているのも、同じだ。……勝手な頼みだ。だが、どうか、力を貸してほしい。この王国の未来のために」
沈黙が、流れた。
やがて、ディートリヒが口を開いた。あの、戦斧の巨漢が。
「……はっ。本音を言えばな。俺は、まだ死にたかねえよ」
ディートリヒが、ぼりぼりと頭を掻いた。
「女房も、子供もいるんだ。……だがな。ヴェルグで、あの連邦の連中とやり合って。思っちまったんだよ。魔族も、人も、肩を並べて庇い合って。……ああいうのが、本当の強さなんじゃねえかって」
ディートリヒが、俺を見た。その顔に、不敵な笑みが浮かんだ。
「ジーク。お前、いい面になったな。昔の、青臭かったお前が。……こんな大それたことを、言うようになるとはな」
「ディートリヒ……」
「いいだろう。頼まれて、やるよ。この命、王国の未来とやらに賭けてみる。──らしくねえ生き方だが。悪くねえ」
ディートリヒの言葉を、皮切りに。
「俺も、乗ろう」
「魔族が人だと、ヴェルグで思い知ったからな」
「最後くらい、正しいことのために」
高弟たちが、次々と頷いた。ラインハルトも、ゴドウィンも。アルフレートも、コンラートも、オズワルドも。皆、ヴェルグで連邦の戦い方を見て、何かを感じていたのだ。
八人の高弟の覚悟が、決まった。この腐った王朝を、自らの手で終わらせる。武人としての、最後の、そして最大の忠義のために。
そして、俺たちは、グレイスのもとへ向かった。
計画を告げる。グレイスは、静かに聞いていた。すべてを話し終えると、この老練な武人は、ただ一言。
「……そうか」
とだけ、言った。もとより、すべてを見抜いていた男だ。今さら、驚きはしない。
「ならば、俺も、最後まで。武人として、戦い抜こう。──前王から受け継いだ、この剣に。恥じぬ戦いをな」
◇
謁見の間で。
グレイスは、玉座のゲオルグ王に奏上した。
「陛下。連邦の軍が、迫っております。──ですが、ご安心を。この、グレイス。八人の高弟と共に、必ずや連邦を討ち果たしてご覧に入れましょう」
「おお、頼むぞ、グレイス!」
玉座の王は、でっぷりと肥えた体を揺らして喜んだ。
「連邦の蛮族どもを、皆殺しにせよ! 余の王国を、守るのだ! 褒美は、望むままに取らせるぞ!」
◇
俺は、その光景を見ていた。
王は、知らない。自分の忠臣たちが、己を見限り、この王朝に引導を渡そうとしていることを。ただ、勝利を信じて。忠義を疑いもせず。守りの一切を、グレイスに丸投げした。
「守りは、お任せください」
グレイスが、頭を垂れた。
「王国の命運。この、グレイスが、預かりましょう」
──その言葉の、本当の意味を。王は、永遠に知ることはない。
◇
謁見の間を出た後。
グレイスは、俺に向き直った。そして、意外なことを口にした。
「ジーク。この戦、お前が、全軍を率いろ」
「……俺が、ですか?」
「ああ。俺は、最後の砦として、勇者ソラを待つ。だが、全軍の采配は。お前が執るべきだ」
俺は、戸惑った。全軍の指揮など、俺には。
「ヴィントさんの、ほうが適任です」
俺は、言った。かつて、高弟筆頭と謳われた男。用兵も、武も、俺より上だ。
だが、ヴィントは、首を振った。
「いや。お前が、やれ、ジーク」
その目は、穏やかだった。
「この計画を描いたのは、お前だ。この覚悟を固めたのも、お前だ。……なら、その最後まで。お前が見届けるべきだろう。俺は、後ろで支えてやる。昔みたいに、な」
「ヴィントさん……」
「それに」
ヴィントが、ふっと笑った。
「お前のほうが、適任だ。……昔の俺は、武しかなかった。だが、お前には、今、それ以上のものがある。人の痛みを知る心が。──それが、この戦を率いる者に、必要なものだ」
俺は、その言葉を胸に刻んだ。兄貴分の信頼。師の無言の支え。高弟たちの覚悟。──俺は、一人ではなかった。
◇
決戦の地は、決まった。
王都の前に広がる、レーヴェン平野。そこで、連邦の軍を迎え撃つ。
──いや。そこで、俺たちは、武人として戦い抜いた末に。この腐った王朝と、共に散る。
俺は、平野を見渡した。やがて、この地が戦場になる。連邦の、あの男が。勇者ソラが。この地へやってくる。
「──来い、レイジ殿」
俺は、北の空を見上げた。
「あなたが。この腐った王国を、終わらせてくれ。……それが、俺たちの、最後の願いだ」
風が、レーヴェン平野を渡っていった。王国の黄昏を、告げるように。




