第67話 隣にいる意味
——レイジ視点
ヴェルグへ戻ると、仲間たちが駆け寄ってきた。
「レイジ! フィオナ! 無事だったか!」
ニックが真っ先に飛んでくる。その後ろから、セシリアも駆けてきた。
「フィオナさん、お怪我は──」
そこまで言って、セシリアの言葉が止まった。目を見開いて、俺を見ている。フィオナじゃなく、俺を。
「レイジさん!? その傷、どうしたんですか! 血だらけじゃないですか!」
俺は自分の体を見下ろした。肩は焼け、あちこち打ち身だらけだ。フィオナの魔法をまともに食らった跡だが、すっかり忘れていた。
◇
「何があったんですか。フィオナさんも、無事なんですよね?」
セシリアが、心配そうに問う。俺が答えるより先に、ソラが口を開いた。待ってましたとばかりに。
「それがさ、すごかったんだぜ! フィオナが、王都ギルドの連中にさらわれてさ。支配の冠って、前に俺が付けられたやつと同じのを被せられて、操られてたんだ」
セシリアの顔が、さっと青ざめた。
「操られて……フィオナさんが?」
「そう。目が虚ろでさ、俺たちを敵だと思い込まされて、極大魔法をぶっ放してくるんだ。兄貴もその魔法を食らって、ボロボロになりながら、それでも近づいてって……」
◇
ソラの声が、少し、静かになった。
「兄貴、すごかったんだぜ!フィオナを抱きしめて、叫んだんだ。『俺のフィオナはそんな支配に負けない、お前の居場所は俺の隣だろ』って。……フィオナも『早く殺して』って泣いてたのに、兄貴何度やられても絶対あきらめなくてさ!」
セシリアの目に、じわりと涙が滲んだ。
「それで、キスして。フィオナの支配を、解いたんだ。……兄貴が、フィオナを取り戻したんだよ!!!」
語り終えたソラの顔は、いつものおどけた表情ではなかった。あの時の必死さを、思い出しているのだろう。
◇
「……そう、だったんですか」
セシリアが、涙を、指で拭った。
そして、俺のそばへ来ると、そっと、俺の頭に手を乗せた。まるで、幼子をあやすように。優しく、撫でる。
「よく、頑張りましたね。フィオナさんを、守り抜いて。……あなたも、こんなに傷だらけになって」
温かな回復魔法が、俺の傷を包んでいく。セシリアの手のひらから、労わりが伝わってきた。この人にとって、俺は恩人であり、弟のような存在なのだろう。フィオナは、妹のように思っている。だから、こんなにも、親身になってくれる。
「……ありがとう、セシリア」
俺は、少し照れながら、礼を言った。
◇
その時、隣で、フィオナが、頬を膨らませていた。
「セシリアさん。もう、傷は塞がったと思います。……レイジさんも、そんなに、撫でられなくても」
顔が、ほんのり、赤い。セシリアが俺に近いのが、面白くないらしい。
「あらあら。フィオナさん、妬いてるんですか?」
「妬いてなんか、いません!」
フィオナが、ぷいと顔を背ける。その様子に、セシリアが、くすくすと笑った。
◇
「ひゅー! いいねえ、若いって」
ニックが、にやにやしながら、俺の脇を肘で小突いてくる。
「しっかし、キスねえ。あの氷みたいなフィオナと、レイジがなあ。へえ、へえ」
「うるさい。緊急事態だったんだ」
「はいはい、緊急事態ね」
そこへ、クレイとリルさんも、やってきた。
「お帰りなさい、レイジさん、フィオナさん。ご無事で、何よりです」
リルさんが、ほっとした顔で言う。クレイも、横柄な口ぶりの奥に、安堵を滲ませていた。
◇
俺は、仲間たちの顔を見回した。
ニック、セシリア、ソラ、クレイ、リルさん。そして、隣で赤くなっているフィオナ。
「……帰ってきたなぁ」
思わず、そう呟いていた。
帰る場所がある。無事を喜んでくれる顔がある。かつて、ソロのFランクだった俺には、なかったものだ。誰にも縛られず、身軽に生きる。それが望みだったはずなのに。今は、悪くないと思っている。──いや。悪くないどころじゃ、なかった。
◇
それから、数日が過ぎた。
ヴェルグは完全に制圧され、連邦は王都への進軍準備を進めていた。俺はその間、ずっと盤面を組んでいた。王都攻めの布陣を。
その数日のうちに、ニックが、ミストリアまで足を運んでくれた。決戦を前に、ガルドと魔王を、連れてくるためだ。二人は、ヴァイスと共にミストリアを守っていたが、王都攻めには、その力が要る。ヴァイスと第一部隊は、引き続きミストリアの防衛に残す手筈になっていた。
「よお、レイジ! 派手にやったみたいじゃねえか!」
駆けつけたガルドが、豪快に笑って、俺の背を叩いた。魔王も、静かに頷いて、隣に立つ。決戦の駒が、また、揃い始めていた。
◇
だが、俺の中には、一つだけ、答えの出ない駒があった。
フィオナだ。
戦力として、フィオナは外せない。魔王をも超える魔力。天嵐。精霊合わせ。連邦の切り札だ。王都決戦に、その力は間違いなく要る。
だが、つい先日、あいつは、さらわれた。支配の冠で操られ、兵器にされかけた。あの虚ろな目を、「早く殺して」と涙をこぼした姿を、俺は忘れられなかった。
◇
また、あんな目に遭わせるかもしれない。
王都は、敵の本丸だ。何があるか分からない。フィオナを、失うかもしれない。──その考えが、頭を離れなかった。
フィオナを、守備に回すか。ミストリアの守りに残せば、王都の危険からは遠ざけられる。安全な場所に、置いておける。
だが、それは、あいつが望むことだろうか。……怒るだろうな。間違いなく、怒る。フィオナは、守られるだけの立場を良しとしない女だ。
分かっている。分かっているのに、俺は、あいつを危険な場所に連れて行きたくなかった。損得でも、盤面でもない。ただ、そう思ってしまう。それだけの理由で、俺は迷っていた。
◇
——フィオナ視点
チーム分けの発表は、その日の夜に行われた。
連邦の中核が、一室に集まる。レイジ、ソラ、ニック、セシリア、ガルド、クレイ、リル、魔王、そして私。レイジが、王都攻めの布陣を告げていく。
「王都攻めの出陣は、俺、ソラ、ニック、魔王。そして、ミストリア連邦軍、三万」
淀みなく、あの人は言った。
「ミストリアの守りには、ガルド、セシリア、ヴァイスの第一部隊。クレイとリルも残ってくれ。この面子なら、守り抜ける」
私は、その布陣を聞いて、気づいた。私の名が、どちらにも呼ばれていないことに。
◇
「レイジさん。私は、どちらですか」
あの人の動きが、一瞬止まった。私から目を逸らして、それから、言葉を選ぶように口を開く。
「……フィオナは、ミストリアに残ってくれ」
やはり、と思った。
「守備を固めたい。お前の魔力があれば、ミストリアの守りは盤石だ。だから──」
もっともらしい理屈だった。でも、私には分かった。この人は、嘘が下手だ。盤面を組む時の、あの淀みない口ぶりが、今はない。目も合わせない。これは、戦術じゃない。
◇
この人は、私を心配している。
先日さらわれた私を、また危険な目に遭わせたくないと。だから、安全な場所に置こうとしている。
胸が、ぎゅっとなった。嬉しかった。この人が、私をそんなにも大切に思ってくれていることが。かつて、氷のようだと言われた私を。
でも、それでも、私は。
「──お断りします」
はっきりと、言った。
◇
「レイジさん。私を、心配してくれているんですよね。また、危険な目に遭わせたくないと。その気持ちは、嬉しいです。本当に。──でも」
私は、まっすぐあの人を見た。
「あなたの、一番の力はなんですか。盤面でしょう。その盤面を、一番近くで支えるのは、私の魔力です。極大魔法も、精霊合わせも。私が隣にいなくて、どうするんですか」
あの人が、何か言おうとした。だが、私は続けた。
「私は、守られるだけのお姫様じゃありません。あなたの隣で戦う、魔術師です。それを、あなたの心配ひとつで後ろに下げられるのは、心外です」
◇
「それに」
私は、ここで一番の爆弾を投下することにした。少しだけ、頬が熱くなるのを感じながら。
「あなた、まだ、私との約束を果たしていませんよね」
「……約束?」
「キスです」
あの人の顔が、ぴしりと固まった。
「あの時のは、支配を解くための、緊急事態のキスでした。だから、ノーカウントです。──ちゃんと、私が私でいる時に。あなたのほうから、してください。それを果たしてもらうまで、私は、あなたの隣を離れません」
◇
室内が、しんと静まり返った。
そして、次の瞬間。
「ぶふぉっ!」
ニックが、盛大に噴き出した。
「キ、キス!? しかも、自分からしろって!? おいレイジ、お前、そんな約束してたのか!?」
「ちが……! いや、それは……!」
あの人の顔が、みるみる真っ赤になっていく。いつも冷静な盤面士が、耳まで赤くして、うろたえている。
◇
「兄貴、逃げ場ないな!」
ソラが、けらけら笑って追い打ちをかける。
「フィオナの言う通りだって! あんなカッコよく叫んどいて、約束すっぽかすとか、男が廃るぜ?」
「ソラ、お前まで……!」
あの人が頭を抱えた。私は、少しだけ胸がすく思いだった。いつも飄々としているこの人の、こんな顔を引き出せたのだから。
◇
その時、セシリアさんが、微笑ましそうに目を細めた。
そして、隣にいたガルドさんの手を、そっと握る。ガルドさんが、少し照れくさそうに、その手を握り返した。二人の間に流れる、穏やかな空気。長い時間をかけて結ばれた者たちの、確かな絆だった。
その様子を見て、リルが、ちらりとクレイを見上げた。
◇
クレイは、その視線に気づいたようだった。
ふっと口元を緩めて、リルの手をきゅっと強く握る。
「わ……」
リルの顔が、ぼっと赤くなった。
「はぅ……」
小さく声を漏らして、俯いてしまう。クレイは、横柄な表情の奥に優しさを滲ませて、そんなリルを見ていた。なんだか、部屋中が甘い空気になってしまった。
◇
「がっはっは!」
その空気を、豪快な笑い声が破った。ガルドさんだ。
「いいじゃねえか、フィオナ! お前さん、言うようになったなあ!」
大股で歩み寄ってきて、私の背中を、ばしっと叩いた。
「いたっ」
「後のことは任せろよ! ミストリアは、俺たちがしっかり守る! お前さんは、レイジの隣で、存分に暴れてこい!」
◇
その豪快な励ましに、私は、涙が滲むのを感じた。
かつて、私を看板として利用し、搾取に加担していた人。でも今は、こうして私の背中を押してくれる。私たちは、あの歪んだ日々を越えて、本当の仲間になったのだ。
「……当然です」
私は、涙をぐいと拭って、胸を張った。
「私は、レイジさんの隣にいます。誰が何と言おうと。それが、私の居場所ですから」
◇
あの人が、私を見ていた。
もう、うろたえてはいなかった。真っ赤だった顔も落ち着いて、ただまっすぐに、私を見つめている。そして、ゆっくりと、私の手を取った。
「……フィオナ」
その手は、温かかった。大きくて、少し傷だらけで。でも、確かに私を必要としてくれている手だった。
「頼む。俺の隣にいてくれ」
◇
「はい。喜んで」
私は、迷わず頷いて、レイジさんの手を握り返した。
もう、私を後ろに下げようとはしなかった。この人は、私を対等な、隣に立つ者として認めてくれた。それが、何よりも嬉しかった。
「……ただし、約束は、ちゃんと果たしてもらいますからね。この戦が終わったら。あなたのほうから、ですよ」
「……善処する」
レイジさんが、また少し顔を赤くして、目を逸らした。その様子に、みんながどっと笑った。
◇
こうして、王都攻めの布陣が決まった。
出陣は、レイジさん、ソラさん、ニックさん、魔王さん、そして私。ミストリア連邦軍、三万と共に。守りは、ガルドさん、セシリアさん、ヴァイスさんの第一部隊、クレイさんにリルさん。
決戦の地は、王都の前に広がる、レーヴェン平野。そこで、連邦と王国の、最後の戦いが始まる。
私は、あの人の隣に立ち、北の空を見つめた。この人の盤面の、一部として。この人の隣にいる者として。
必ず勝つ。そして、約束を果たしてもらう。その日まで、私は、この人の隣を離れない。




