第64話 騎士の矜持
——ジーク視点
ジークがヴェルグへ駆け戻った時、要塞はすでに、連邦の手に落ちかけていた。
砕けた城門から、連邦の兵がなだれ込んでいる。あちこちで王国兵が押されていた。あの規格外の轟音の正体は、まだわからない。だが、難攻不落だったはずのヴェルグが、内側から呑み込まれつつある。その光景が、ジークの目の前にあった。
「間に合わなかった、というのか……!」
ジークは馬を飛び降り、乱戦へ分け入った。まだ、終わってはいない。要塞の奥まで攻め込まれれば、そこで終わりだ。ジークは道を切り開き、奥へ向かおうとした。
その行く手に、三人の連邦兵が立ち塞がった。
◇
先頭は、若い剣士だった。まだ少年の面影を残している。
「ジーク将軍」
その若者が、まっすぐジークを見据えた。臆する様子はない。
「ここは通さん。あなたの狙いは、奥にいるレイジさんたちだろう。──悪いが、その相手は、俺が務める」
横柄な物言いだった。だが、こちらを見下してはいない。妙に、芯の通った目をしている。ジークは、この若者を知らなかった。だが、その構えと眼差しから、相応の手練れだと察した。
「……連邦の兵か。そこを通す気は、ないというわけだな」
ジークは剣を構えた。侮りはしない。要塞をここまで攻め落とした連中だ。一人として、油断できる相手ではない。
◇
若い剣士の両隣に、二人が展開した。
一人は、水の魔力を纏った少女。もう一人は、身軽そうな、素早そうな男。
「一人で相手にするなんて、言ってないぜ」
素早そうな男が、にやりと笑った。
「こっちは連邦だ。一人でかっこつけるより、三人で確実に足止めする。そういうやり方でな」
三人の呼吸が、揃っていた。ジークは奥歯を噛んだ。個の武なら、俺が上だろう。だが、この連携。まとまると、厄介だ。隙が、見当たらない。
「──行くぞ」
若い剣士が、地を蹴った。
◇
剣士の斬撃が、鋭く踏み込んできた。
ジークが受ける。ずしりと重い。悪くない太刀筋だ。しかも、ただ剣を振るうだけではない。間合いの計算、駆け引き。頭で戦う剣だった。
「せいっ!」
その斬撃に合わせ、少女が水の刃を放つ。ジークの死角を、的確に突いてくる。さらに背後から、素早い男が回り込み、隙を狙う。
がきん、ざっ、と。三方向からの攻めを、ジークは捌いた。だが、捌くだけで精一杯だった。攻めに、転じられない。
◇
ジークの頬を、水の刃が掠めた。
血が滲む。この三人、やはり只者ではない。将軍たる自分に、手傷を負わせるとは。しかもジークは、ヴェルグへ戻る道を、駆け通しだった。その上での、この乱戦。疲労が、確実に脚に来ていた。
だが。
ジークは、剣に力を込めた。徐々に、三人の連携の呼吸を、読み始める。剣技だけなら、ヴィントに並ぶと言われた身。この程度の消耗で、崩れはしない。
◇
ジークの剣が、若い剣士の剣を、弾き上げた。がきぃんっと。
剣士の体勢が、崩れる。その隙へ、ジークの刃が伸びた。
「クレイ!」
少女が、庇うように前へ出た。その体が、ジークの斬撃の軌道へ、入ってしまう。
「──リル!」
若い剣士――クレイ、と呼ばれたその男が、少女を突き飛ばした。自らの肩で、ジークの刃を受けながら。ざしゅっと、血が飛んだ。剣士の肩が、斬り裂かれる。
◇
「くっ……!」
クレイが、片膝をついた。肩から、血が流れ落ちる。
「クレイ! ごめん、私……!」
「気にするな。……この程度、なんともない」
クレイは、青ざめた顔で、それでも気丈に言い放った。斬られた肩を押さえながら、なおも剣を握り直そうとする。その姿を見て、素早い男が叫んだ。
「クレイ、無理すんな! そっちは離すぞ! お前も一旦下がれ!」
男が少女を抱え、後方へ跳んだ。乱戦の喧騒から、少し離れた場所へ。残されたクレイが、傷ついた体で、再び立ち上がる。
◇
「まだ、やるのか」
ジークは、静かに問うた。
「その傷では、剣もまともに振るえまい。退けばいい。なぜ、退かない。魔族は所詮家畜であろう。」
「退く……? 冗談を言うな」
クレイは、荒い息の下から答えた。横柄な口ぶりは、傷を負ってなお、崩れない。
「あの子を、仲間を守るのが、俺の役目だ。人も魔族も、関係ない。ここにいるのは、俺の仲間だ。──それを守れずに、退けるものか」
そう言って、クレイは震える脚で、まっすぐ立った。その眼に、怯えはなかった。
◇
その時、ジークは、周りを見た。
乱戦の中。連邦の兵たちが戦っていた。人族と、魔族が。肩を並べて。魔族が倒れれば人族が庇い、人族が傷つけば魔族が支える。互いに背を預けて。当たり前のように。
知ってはいた。連邦が、人と魔族の混成軍だと。だが、こうしてまざまざと見るのは、初めてだった。
家畜を使役しているのではない。魔族が、人族のために命を張っている。人族も、魔族のために傷ついている。今、目の前の男が、魔族の少女を庇って、血を流したように。そこにあるのは、対等な、仲間の姿だった。
◇
ジークの脳裏に、ヴィントの顔が浮かんだ。
魔族の捕虜を、餌にしようとした時。ヴィントは頑なに拒んだ。「戦えぬ者を餌にするなど、騎士の恥だ」と。あの時のジークには、その頑なさが、わからなかった。
だが、今。
(あの人が躊躇していたのは……こういうことか)
魔族は、家畜ではない。人と同じように仲間を思い、命を張る。ヴィントは、それを知っていたのだ。だから、餌にすることを拒んだ。魔族もまた、心を持つ者だと、わかっていたから。
ジークの中で、長く燻っていた問いに、答えが出た。魔族は──人だ。
◇
だが、それでも。
ジークは、剣を握り直した。
答えが出ても、戦は終わらない。俺は王国の騎士だ。
今は、目の前の敵を退け、奥へ向かわねばならん。
心が揺れても。剣を、振るう。
「見事な忠義だ。──しかと見た。先ほどの家畜発言は撤回させてもらう。」
ジークは、静かに言った。
「だが、悪いが、俺は行く。守るべきもののために。お前と、同じだ」
ジークの剣が、疾った。傷ついたクレイの剣を、正面から打ち据える。がぎんっと。クレイの剣が、宙に舞った。
◇
「ぐっ……!」
武器を失ったクレイへ、ジークは剣の柄頭を、鳩尾へ叩き込んだ。どっと。
クレイが、崩れ落ちる。峰打ちですらない。ただ、意識を刈り取る一撃。殺しては、いない。もう、戦えぬ者を手にかける気は、ジークにはなかった。魔族を人と認めた、その心が、そうさせなかった。
倒れたクレイを、それ以上は追わず。ジークは、要塞の奥へ、視線を向けた。そこに、いるはずだ。連邦の勇者と、あの連邦の長が。
ジークは、駆けた。乱戦を抜けて。奥へ。
◇
——レイジ視点
戦況は、決していた。
ヴェルグの守りは崩れ、連邦の兵が要塞を制圧しつつある。フィオナの魔法と、俺の盤面。将軍たちを各個に抑え、要塞を内側から呑み込んだ。もはや、王国側に覆す手はない。
だが、俺は気を抜いていなかった。ジークが戻ってきている。斥候の報告で掴んでいた。あの切れ者が、この状況を見て、どう動くか。
その時、乱戦の向こうから、一人の男がまっすぐ歩いてきた。
ジークだった。
◇
「勇者よ!」
ジークが、大声で叫んだ。ソラに向かって。
「一対一を、受けてもらう!」
ソラが、天空の聖剣を構えた。天空砕きの反動で、まだ本調子ではない。額に汗が滲み、息も上がっている。だが、その目には力があった。
「おう!」
ソラが応えた。
「受けて立つ! 来いよ、ジーク!」
俺は、止めなかった。ジークもまた、ここへ来るまでの乱戦で、傷を負い、疲れている。ソラも反動がある。奇しくも、互角。これは、二人の決着だった。
◇
ソラと、ジークがぶつかった。
がきんっ、がぎんっと、剣戟が響く。以前、要塞の前で戦った時と同じ。だが今度は、どちらも満身創痍だった。
ソラの剣が、ジークを押す。ジークが、執念で受ける。ジークの剣が閃く。ソラが、辛うじていなす。互角の削り合い。どちらも、退かない。
俺はその戦いを見ながら、盤面を進めていた。将軍たちは、もう抑えている。要塞は、じきに完全に落ちる。あとは──。
◇
「ジーク! 引くぞ!」
その時、乱戦を割って、大柄な男が駆けつけた。ディートリヒだった。俺とソラに吹き飛ばされたはずの男。だが、まだ動けたか。
「もう、ヴェルグは保たん! 兵を退かせる! お前も退け、ジーク!」
ディートリヒが、ソラとの間に割り込もうとする。だが。
「ディートリヒ」
ジークが、剣を止めて言った。
「俺が、殿を務める。兵の撤退を、援護する。──お前は、生き残った者を連れて退け。後は、頼む」
◇
ディートリヒが、息を呑んだ。
「ジーク、お前……! この状況で殿を務めれば、どうなるか……!」
「わかっている」
ジークの声は、静かだった。
「ヴェルグを落とされた。この責任は、指揮官の俺にある。──兵や、他の将軍に、責を負わせるわけにはいかん。落とされた要塞の責めは、俺が負う」
ジークの目に、覚悟があった。
「王都に戻れば、どんな処罰が待っているか、わからん。騎士の誉れある最期では、ないかもしれん。だが、それでも、逃げも隠れもしない。──それが、指揮官の責任だ」
◇
俺は、その言葉を聞いていた。
かつて、ジグムントという男がいた。俺を追放し、失敗し、その責任を部下に擦り付けて逃げようとした、卑劣な男。保身のためなら、何でもする小物だった。
だが、ジークは違う。
負けた責任を、自ら背負う。処刑されるかもしれない。それでも部下に責を押し付けず、殿として最後まで務めを果たす。──同じ敗軍の将でも、これほど違うのか。
俺は、ジークへの評価を、また改めた。侮っていた、あの頃が遠い。この男は、立派な騎士だ。
◇
「ジーク」
俺は、声をかけた。
ジークが、俺を見た。この戦のすべてを描いた男を、まっすぐに。
「撤退するなら、これ以上、戦闘は継続しない。生き残った兵を、連れて引け。──負傷兵も、置いていくな。全員、連れて帰れ」
俺の言葉に、ジークが目を見開いた。
「……なぜだ。今、追撃すれば、俺たちを殲滅できる。お前ほどの男が、それをわからんはずがない」
◇
「わからんさ」
俺は答えた。
「勝ちは決まった。ここでこれ以上、血を流す意味はない。──退く者を討つ趣味は、ない」
半分は本音だった。もう半分は、盤面の話だ。負傷兵を王都へ連れ帰らせれば、王都はその手当てと収容に人手を割く。次に王都を攻める時、その分、守りが薄くなる。情けと、実利。両方だった。
だが、それをジークに言う必要はない。
ジークは、しばらく俺を見つめていた。それから、静かに頷いた。
◇
「……そうか」
ジークが、剣を下ろした。
「連邦の長。お前は、強いな。剣ではない。その、絵図を描く力。人の心を読む力。──俺は、遠く及ばん」
ジークの目に、悔しさよりも、どこか澄んだ色が浮かんでいた。
「一つ、聞かせてくれ。お前にとって、守るべきものとは、何だ」
「全部だ」
俺は、答えた。
「俺の隣にいる、みんなを守る。人も魔族も、関係ない。──この連邦は、そういう場所だ」
◇
ジークが、目を細めた。その顔に、複雑な感情が浮かんだ。
「……国を守るとは。民を守るとは。こういうことか」
ジークの脳裏に、ヴィントとグレイスの言葉が蘇っていた。『王国に忠義を尽くせ』。国と民のために剣を振るえ、と。その意味が、今、少しだけわかった気がした。
「だが、俺には、できん」
ジークは、首を振った。
「俺は王国の騎士だ。国のため、民のため……その前に、王に忠義を尽くす。それしか、できん。お前や、ヴィントのようには、なれん。──不器用な生き方だ。だが、それが俺だ」
◇
魔族が人だとわかった。連邦の守り方に、心を動かされた。それでも、ジークは王への忠義を選ぶ。その限界を、自分でわかっていた。
俺は、何も言わなかった。それは、ジークの生き方だ。俺が否定するものではない。
ソラが、ジークに歩み寄った。反動でボロボロなのに、いつもの明るい笑顔で。
「ジーク。決着は、つかなかったな。──またなっ!」
ジークが、その顔を見た。そして、ふっと口元を緩めた。傷だらけの顔で、それでも、どこか晴れやかに。
「ああ。──次は、負けん」
◇
短い言葉だった。だが、そこには、剣を交えた者だけにわかる奇妙な通い合いがあった。
ジークは、俺たちに背を向けた。そして、去り際に一度だけ振り返った。
「連邦の長。──負傷兵に、追い打ちをかけぬこと。騎士として、感謝する」
深々と、頭を下げた。敵である、俺たちに。
それは、騎士としての、精一杯の礼だった。
そして、ジークは殿に立った。ディートリヒたちが、生き残った兵を負傷兵を連れて撤退していく。その最後尾を、たった一人で守りながら。ジークは、王都へと退いていった。
◇
こうして、要塞ヴェルグは陥落した。
王国の対連邦、最後の砦。それが、連邦の手に落ちた。この先、王都までを遮る、大きな壁はない。連邦の勝利だった。誰の目にも明らかな、大きな、大きな勝利。
「勝ったぞぉぉぉっ!」
「ヴェルグを、落としたんだ!」
連邦の兵たちが、雄叫びを上げた。人も魔族も、抱き合って、勝利を喜んでいる。長い攻防の末に掴んだ、大勝利だった。
俺は、その光景を見ながら、静かに息をついた。
ラが、隣で汗を拭いながら笑う。
ニックが、クレイに肩を貸して戻ってくる。リルが、セシリアの治療を受けている。
──みんな、無事だ。
◇
いや。
「……フィオナは?」
俺は、ふと気づいた。
勝利の輪の中に、フィオナの姿がなかった。あの、俺の隣にいるはずの魔法使いが、どこにもいない。
「ソラ、フィオナを見なかったか」
「え? フィオナ?……そういや、いないな。さっきまで、魔法撃ってたよな?」
ニックも、周りを見回した。
「おい、フィオナ? どこだ、フィオナ!」
呼んでも、返事はない。勝利の喧騒の中に、あの声だけが、なかった。俺の胸に嫌な予感が広がっていく。
◇
その時だった。
胸の奥で、聖剣の精霊が、ざわりと騒いだ。『レイジ』と、精霊の声が響く。フィオナと、つながる感覚。告白してから、フィオナは聖剣の精霊と言葉を交わせるようになった。その精霊を介して、俺とフィオナは、互いの気配を、うっすらと感じ取れる。
その気配が――ヴェルグから、遠く離れていく。
「……北。王都の、方角」
俺は、呟いた。フィオナの気配が、そこにある。だが、自分から離れていく。まるで、誰かに、連れ去られるように。
「さらわれた……フィオナが!」
◇
「なんだって!?」
ニックが、目を剥いた。
「さらわれたって、誰にだよ! っていうか、なんでお前、場所がわかるんだ!?」
「精霊のつながりだ。フィオナの気配が、感じ取れる。──北へ、運ばれていってる」
「……いや待て」
ニックが、じとっとした目で、俺を見た。
「恋人の居場所が、なんとなくわかるって……お前、それ、便利すぎだろ。ちょっと引くわ」
◇
「兄貴、それ、完全にストーカーじゃん……」
ソラまで、半笑いで、そんなことを言う。
「うるさい。緊急事態だぞ」
俺は、二人を睨んだ。だが、こいつらの軽口に付き合っている場合ではなかった。フィオナが、さらわれた。この勝利の、どさくさに紛れて。誰かに、連れ去られた。
しかも、向かう先は――王都。
嫌な予感が、確信に変わっていく。誰が、何のために、フィオナを。俺は、拳を握りしめた。北の空を、睨みながら。
勝利の喜びは、一瞬で、凍りついていた。




