第63話 盤上の王
——ジーク視点
その勅書が届いたのは、ヴェルグ攻防が膠着して三月が過ぎた頃だった。
連邦の攻勢はしつこかったが、ヴェルグは落ちなかった。城壁は高く、兵の質も量も王国が上だ。ジークは守りに徹し、連邦の攻めを何度もはね返してきた。このまま守り続ければ勝てる。そう思っていた矢先、王都から使者が現れた。一通の勅書を携えて。
「陛下より、勅命にございます」
ジークはそれを押し頂き、封を解いた。
◇
『ハルベルの守り、手薄との報あり。ジークは兵を率い、ハルベルを攻め、これを奪還せよ』
「ハルベルが、手薄か」
ジークは勅書を読み、しばし考え込んだ。連邦の対王国最前線であるハルベル。そこの守りが薄いという報が、王都に入ったらしい。それを聞いた王が、好機と見て、この勅命を下したのだ。
使者に問うと、王は連邦の攻勢が長引くことに焦れているのだという。膠着を破りたい。ハルベルを突けば連邦は動揺する。そう考えての勅命だと。
「なるほど。攻めに転じる好機、というわけか」
膠着した戦況を思えば、悪い判断ではない。ジークはそう受け止めた。守り一辺倒だった戦を、こちらから動かす。王がそう決めたなら、将としてそれを形にするまでだ。
◇
とはいえ、ハルベル攻めは容易ではない。
ジークは遠征の算段を頭の中で組み立て始めた。ハルベルには、あの勇者ソラがいるかもしれない。それに連邦最強とうたわれる魔王。もし奴が守りにいるなら、正面からの力押しは通じない。搦め手が要る。兵の損耗を抑えつつ、どう街を落とすか。
考えるべきことは山ほどあった。だが、やりようはある。ジークはそう結論づけた。
「アルフレート、コンラート。俺と共に来い。ハルベルへ向かう」
ジークは二人の将軍に命じた。
「残りの三人はヴェルグを守れ。ディートリヒ、留守を任せる。連邦は俺たちが出た隙を、必ず突いてくる。用心を怠るな」
「わかった」
ディートリヒが頷いた。その傍らで、ラインハルトとゴドウィンも、静かに首を縦に振った。
◇
ジークはアルフレートとコンラートを率い、ハルベルへ向けてヴェルグを発った。
胸の内では、すでにハルベル攻略の算段が幾通りも巡っていた。魔王がいた場合。いなかった場合。街の守りの厚さ。退き際の見極め。将として勝つための道筋を、ひとつずつ描いていく。王命を確実に果たすために。
だがこの時のジークは、まだ気づいていなかった。そもそも「ハルベルが手薄」というその報せ自体が、周到に仕込まれた餌であったことに。
◇
——レイジ視点
「ジークが出た」
丘の上で、俺はその報を受けた。ニックの斥候が、ヴェルグの門から出るジークの部隊を捉えた。将軍二人を連れて、ハルベルの方角へ向かっている。
「かかったな」
俺は静かに頷いた。
「ハルベルが手薄」という偽情報を、ケイルの交易網を通じて幾重にも噂を重ね、王都へ流した。ジグムントの時と同じ手口だ。人は否定された噂ほど信じたがる。その噂が王の耳に届くように仕込んだ。
◇
ニックが隣で唸った。
「しかし、よく王が動いたな。あのジークが素直に出ていくとは」
「ジークは勅命を疑わなかっただろう」
俺は答えた。
「あの男は切れ者だ。もし俺がジークに直接罠を仕掛ければ、必ず見抜く。だからジークではなく、その上の王を狙った。王が膠着に焦れているのは調べがついていた。そこへ手薄という餌を投げれば、王は飛びつく。王の勅命なら、ジークも従うしかない」
ジークという切れ者を正面から出し抜くのは難しい。だから、あの男が決して逆らえない王を動かし、その手でジークを外へ出させた。
「さあ。ジークがいない今が好機だ。ヴェルグを獲る」
◇
連邦の攻城部隊が、ヴェルグへ迫った。
俺、ソラ、フィオナ、ニック、セシリア、クレイ、リル。そして精鋭。ハルベルは魔王たちが守っている。留守の心配はない。全力でこの要塞を攻められる。
ヴェルグの城壁から、矢の雨が降ってきた。びゅっ、びゅっと、連邦の兵が盾で防ぐ。城壁の上には、ディートリヒ、ラインハルト、ゴドウィンの三将軍。ジークがいなくとも、守りは堅い。
「まずは門を叩く。フィオナ」
俺は隣のフィオナを見た。
「ええ」
フィオナが両手を掲げた。
◇
「【天嵐】!」
フィオナの極大魔法が、城門へ向けて放たれた。ごぉぉぉっと、巨大な風の渦が城門に襲いかかる。
だが、城壁の上からラインハルトとゴドウィンが動いた。細身の剣と、長い槍。二人は城壁の縁で身構え、迫る天嵐へ、鋭い斬撃と刺突を放った。
がぎんっと、風の渦が裂ける。将軍の武は、フィオナの極大魔法すら斬り崩す。天嵐が割れかけた。
◇
だが、今日は違った。
「──今です!」
リルが叫んだ。後方から放たれた水の魔法が、城壁を這い上がり、二人の足元へ絡みつく。細く鋭い水の流れ。派手さはない。だが絶妙なタイミングだった。
ラインハルトとゴドウィンが天嵐を斬り崩す、その一瞬。足元の水がわずかに体勢を崩させた。斬撃と刺突のタイミングがずれる。
「なにっ!?」
二人の刃が、天嵐を捉えそこねた。割れかけた風の渦が勢いを取り戻し、そのまま城門へ突き抜けた。
どがぁん!!
◇
威力は落ちていた。二人が半ば斬り崩していたからだ。それでも天嵐は城門に着弾した。轟音とともに、門扉が軋み、へこむ。完全には壊れない。だが確かな傷を刻んだ。
「やった! リル、でかしたぞ!」
ニックが叫んだ。
リルは肩で息をしながら、こくりと頷いた。将軍ほどの武はない。だが、その一手が天嵐を門へ届かせた。連携の勝利だった。
◇
城壁の上で、ディートリヒが門の傷を見下ろした。門扉のへこみ。軋んだ蝶番。その損傷を、指揮官の目で見定める。
「……まずいな」
ディートリヒは舌打ちした。あの極大魔法を、あと数発。それを食らえば、この門は破られる。籠城したまま門を割られれば、なだれ込まれて終わりだ。
ならば、守りに徹してはいられない。あの魔術師の女を、今のうちに叩く。門を、これ以上傷つけさせない。
ディートリヒは決断した。
◇
「打って出る! 門を開けろ!」
ディートリヒが吼えた。
ぎぎぎと、ヴェルグの城門が開いた。そして城壁の上から、ディートリヒが地へ飛び降りる。どしんと、重い着地。続いてラインハルトとゴドウィンも、兵を率いて外へ躍り出た。連邦の魔法部隊を叩くために。
俺は内心で笑った。出てきたな。籠城を捨てて。門の守りを手薄にして。これが狙いだった。
◇
「ソラ! フィオナ! 手筈通りだ!」
俺は叫んだ。
「おう!」
「ええ!」
ソラとフィオナが、俺の左右に着いた。俺たち三人が揃う。天空砕きの発動条件だ。ソラの天空の聖剣。俺の聖剣。フィオナの魔力。
だが城門までは、まだ距離がある。そして打って出た三将軍が、こちらの狙いに気づき始めていた。
「まさか……!」
ディートリヒの顔が強張った。
「狙いは門か! あの三人を、門へ近づけるな!」
三将軍が城門へ引き返そうとする。だが。
◇
「行かせるかよ!」
ニックが真っ先に動いた。韋駄天の脚で、ラインハルトの前へ回り込む。ひらり、ひらりと斬撃をかわしながら翻弄する。
「おいおい、こっちだぜ、将軍さん! 俺を捕まえてみな!」
「ちょこまかと……!」
ラインハルトがニックを追う。だが捉えられない。細身の剣が空を切る。ニックの機動力が、剣の達人を、その場に釘付けにした。
◇
「クレイ! リル! ゴドウィンを!」
俺は指示を飛ばした。
「任せろ!」
クレイが剣を構えて、槍を提げたゴドウィンの前に立ちはだかった。その隣でリルが水の魔法を紡ぐ。
クレイの剣が、ゴドウィンの槍と打ち合う。武では及ばない。だがリルの水魔法が、ゴドウィンの足を、視界を削る。二人がかりで、剣と魔法で、無口の槍使いを押し止めた。
「二人がかりか……! だが、俺を抜けると思うな!」
ゴドウィンが粘る。だがクレイとリルの連携は崩れない。かつて引き裂かれた二人が、今、背中を預け合って戦っていた。
◇
残るはディートリヒ。三将軍の要。最も武の高い男が、城門へ駆け戻ろうとしていた。
「あれは、俺とソラで止める」
俺は聖剣を抜いた。祝福込みの四百十二。そしてソラが天空の聖剣を構えた。
「ディートリヒさん! 悪いけど、通さねえ!」
ソラがディートリヒの前に飛び込んだ。俺も続く。
◇
「ソラ坊……いや、勇者ソラ! そこをどけ!」
ディートリヒの戦斧が唸った。ずがんと、ソラが天空の聖剣で受ける。重い。だがソラは退かなかった。
「どかねえ! 兄貴の邪魔をさせねえ!」
ソラがディートリヒと打ち合う。
ディートリヒとソラお互いが力の限り剣戟を結ぶ
キィン!ガキン!!
2人の間に激しい火花が飛び交った!
「兄貴!いまだっ!」
ソラがディートリヒの戦斧をはらう
「ぐぉっ!?」
そしてその隙を、俺が突いた。
ディートリヒの戦斧が打ち上げられた瞬間その一瞬のスキを見逃さなかった。精霊解放で風を纏った聖剣を、ディートリヒの懐へ滑り込ませた。
「なにっ!?」
「悪いな。今回はこちらが、二対一だ」
俺の剣が、ディートリヒをまともに捉えた。
「まだだっ」
ディートリヒが戦斧の柄を何とか割り込ませる。
ガキィィィッ!
「ディートリヒさん今回はこっちが二体一だぜっ」
精霊開放の力を込めたソラの渾身の一撃がディートリヒの身体を撃つ。
どぱぁん!!
「ぐはぁっ!」
ディートリヒの巨体が吹き飛んだ。
どぉぉぉん!
城壁際まで。
俺の一撃とソラの一撃。二人がかりの連携が、要塞最強の将軍を城の一角へ叩きつけた。
◇
三将軍を抑えた。ニックがラインハルトを翻弄し、クレイとリルがゴドウィンを押し止め、俺とソラがディートリヒを吹き飛ばした。城門への道が、今、完全に空いた。
「今だ! ソラ、フィオナ! 撃つぞ!」
俺は城門の前へ駆けた。ソラとフィオナが続く。傷ついた城門が目の前に迫る。天嵐が刻んだ、あの傷が。
「精霊合わせ──」
俺は聖剣に聖属性を纏わせた。フィオナが地属性の魔力を練る。二つの力が渦を巻いて、ソラの天空の聖剣へ注がれていく。
◇
「兄貴! 来い!」
ソラが天空の聖剣を掲げた。俺とフィオナの精霊合わせが、ソラの剣に吸い込まれる。聖と地と天空。三つの力が一つに束ねられていく。剣がまばゆく輝いた。
溜めが要る。無防備な一瞬。だが今は、それを守る仲間がいる。ニックが、クレイが、リルが、三将軍を抑えている。城壁の射手は、セシリアの掲げた守りの光が防いでいた。
「セシリア!」
「はい! みんなを守ります!」
セシリアの祝福が俺たちを包んだ。矢がはじかれる。溜めの時間が生まれた。
◇
「うぉぉぉぉぉっ!」
ソラが渾身の力で、天空の聖剣を振り下ろした。傷ついた城門へ。
「精霊合わせ改──天空砕きっ!」
どぱぁぁぁぁん!!
轟音がヴェルグ全体を揺るがした。聖と地と天空、三つの力を束ねた規格外の一撃。天嵐ですでに傷ついていた城門が、その一撃を受けて。
◇
砕けた。
鉄で補強された、あの城門が。粉々に。地面ごと抉れて。土煙が天高く舞い上がった。
「……嘘、だろ」
吹き飛ばされたディートリヒが、呆然と呟いた。
「あの門が……ヴェルグの城門が、砕けただと」
土煙の中に、ぽっかりと口を開けた城門の跡。連邦の兵が雄叫びを上げて、そこへなだれ込んでいく。難攻不落の要塞ヴェルグの守りが、ついに破られた。
◇
——ジーク視点
その頃、ジークはハルベルへの道の半ばにいた。
胸騒ぎが収まらなかった。ヴェルグを発ってから、ずっとだ。頭の中で描いていたハルベル攻略の算段が、いつの間にか別の考えに侵食されていく。
ハルベルが手薄。その情報は、本当なのか。
考えれば考えるほど、おかしかった。あの連邦の要衝が、こんな時期に都合よく守りを緩める。しかもその報せが、ちょうど王の耳に届く。あまりに話ができすぎている。
ジークは馬を止めた。
◇
「……まさか」
ジークの声が掠れた。
ハルベルが手薄という情報そのものが、偽りだったとしたら。連邦が意図して流した餌だとしたら。それは、俺をヴェルグから引き離すための罠だ。
そこまで考えて、ジークの背に、氷のような悪寒が走った。
もしそうだとすれば。連邦は、その偽情報を王に掴ませ、王が焦れて勅命を下すことまで見越していたことになる。一国の王の心を読み、その手で俺を動かした。
◇
「そんな男が、いるのか」
ジークは愕然とした。
戦場で相対する敵。剣を交える相手。そういうものだと思っていた。だが、あの連邦の長は違う。剣も交えず、姿も見せず、ただ絵図を描くだけで、王を、俺を、意のままに動かす。
切れ者を自負していた。用兵にも読みにも、覚えがあった。だが、これは次元が違う。人の心を、王の焦りすら、計算に組み込んでくる。
「引き返す! ヴェルグへ戻るぞ! 急げ!」
ジークは馬首を返した。アルフレートとコンラートも、血相を変えて続く。
◇
ハルベルなど囮だっ!本命はヴェルグ。今頃、連邦の総攻撃を受けているに違いない!!
「間に合ってくれ……!」
ジークは馬を駆った。来た道を全速力で。自分が守るべき要塞へ。
だが、ヴェルグが視界に入り始めた、その時。遠く前方から、腹の底に響くような轟音が届いた。
どぱぁぁぁぁんっ!
ジークの聞いたことのない、凄まじい音。大地を震わせる、破壊の響き。
ジークの馬が、脚を止めた。
◇
「……今の音はなんだ!?」
ジークの顔から、血の気が引いた。
遠く、ヴェルグの上空に、土煙が立ち上っているのが見えた。もうもうと。要塞の城門があったはずの、あたりから。
「城門が……破られたのか」
間に合わなかった。踵を返した時には、もう遅かったのだ。連邦の狙いは最初からヴェルグの城門。方法はわからないがきっとあの規格外の衝撃音あれで城門を破ったか……。俺が勅命に従い、ヴェルグを離れた、その隙に。
◇
「おのれ……レイジ……!」
ジークは拳を握りしめた。
王を動かされ、自分を釣り出され、要塞の城門を破られた。すべて、あの男の描いた絵図の通りに。切れ者を自負していたジークの矜持が、あの城門と同じように木っ端微塵に砕かれていた。
「!?まだだ……! まだヴェルグは落ちていない!」
ジークは馬を駆った。
砕けた城門へ。
乱戦の始まった要塞へ。守るべきものを守るために。
土煙の向こうで、連邦と王国の兵が、今、ぶつかり始めていた。




