第61話 鉄壁の要塞
要塞ヴェルグは、遠くから見ても堅牢だった。
切り立った岩山を背にして、分厚い石壁が周囲を囲んでいる。城門は鉄で補強された巨大なもの。物見櫓がいくつも立ち並び、王国の旗が風にはためいていた。
「……なるほど。王都を守る、最後の砦か」
俺は丘の上から、その威容を見据えた。
威力偵察。今日の目的は、この要塞の硬さを測ることだ。深入りはしない。守りの厚さ、指揮の質、将軍の配置。それを確かめて引く。
だが、ソラは。
◇
「兄貴! あの城門、俺が叩いてみる!」
ソラが天空の聖剣を構えた。
事前に打ち合わせてあった。ソラがまず城門へ一撃を入れる。その反応で、要塞の守りを測る。どれだけの兵が、どう動くか。ジークがどう指揮するか。──囮であり、探りだった。
「ああ。だが無理はするな。一撃入れたら、すぐ引け」
「わかってる!」
ソラが駆け出した。丘を下り、まっすぐ城門へ。
要塞の物見櫓から、警戒の声が上がった。矢が飛んでくる。だがソラは天空の聖剣でそれを弾きながら、城門へ迫った。
◇
「うぉぉぉっ!」
ソラが天空の聖剣に力を込めた。精霊解放。刀身が白く輝く。守護の力を攻めに転じた、渾身の一撃。
どがぁん!!
聖剣が城門を叩いた。轟音が響き渡る。土煙が舞い上がった。
だが。
土煙が晴れると、城門はほとんど無傷だった。わずかなへこみ。それだけ。ソラの全力の一撃が、鉄で補強された要塞の城門には通じなかった。
「な……効いてねえ!?」
ソラが愕然とした。
◇
その時。
城門の上から、大柄な影が飛び降りてきた。
どしん、と地響きを立てて着地する。両手に戦斧を提げた男。ディートリヒだった。
「よお、ソラ坊」
ディートリヒがソラを見下ろした。だがその目に、いつもの豪快な笑みはなかった。
「その呼び方も、今日で最後だ」
ディートリヒが戦斧を構えた。
「今この瞬間から、お前を連邦の勇者ソラとして相対する。稽古仲間の坊主じゃない。俺が守る要塞に、牙を剥く敵将としてだ。──悪いが、ここは通さん」
◇
ディートリヒの戦斧が振り下ろされた。
ずがん!
ソラが天空の聖剣で受ける。だがその一撃は重かった。淡々と、けれど容赦なく。ディートリヒはソラを一人の敵として攻め立てた。
以前の稽古の時のような手加減はない。飯を奢ってくれた、あの兄貴分の顔は、そこになかった。ただ要塞を守る将軍として、ディートリヒは戦斧を振るった。
「ディートリヒ、さん」
ソラの声に、寂しさが滲んだ。だがディートリヒは応えない。斧がまた唸る。
「ソラ! 引け!」
俺は叫んだ。これ以上は危険だ。城門は硬い。そしてディートリヒが出てきた。守りの厚さは、わかった。
◇
ソラがディートリヒの斧をいなして後退した。
俺のもとへ駆け戻ってくる。その背を追うように、要塞の門が開いた。ぎぎぎ、と重い音を立てて。中から王国軍が打って出てきた。
先頭にジークがいた。数人の将軍を従えて。
「連邦の威力偵察か」
ジークの声が響いた。以前の、あの焦りに満ちた声とは違う。落ち着いた、指揮官の声だった。
「読めているぞ。要塞の硬さを測りに来たな。──だが、生きて帰れると思うな」
俺はソラと合流した。そしてフィオナに目をやった。
◇
「フィオナ。一発、派手にいこう。牽制だ」
「ええ」
フィオナが両手を掲げた。魔力が渦を巻く。虹色の光が、天を衝く。魔王をも超える器。その極大魔法。
「【天嵐】!」
打って出てきた王国軍の前面に、巨大な風の渦が生まれた。ごぉぉぉっ、と地を薙ぐ。前列の兵が、巻き上げられる。──はずだった。
だが。
ジークとディートリヒが、前に出た。
◇
「ぬぅん!」
ディートリヒの戦斧が、天嵐を真っ向から叩いた。ジークの剣も、風の刃を切り裂く。がぎん、ばぎんっ、と。二人の将軍が、フィオナの極大魔法を、剣技だけでこじ開けた。
天嵐が、割れた。
「……嘘だろ」
ニックが呆然と呟いた。
「あの天嵐を。剣で、ぶち破っただと」
俺は奥歯を噛んだ。将軍の武は、想像以上だった。フィオナの極大魔法すら、力ずくで斬り裂く。要塞の硬さは、城壁だけじゃない。この将軍たちの武こそが、鉄壁だった。
◇
「連邦の勇者、ソラ」
ジークが、割れた風の中から進み出た。まっすぐソラを見て。
「俺はジーク。ヴィントに代わって、この要塞の指揮を執ることになった」
ソラが天空の聖剣を構えた。
「先日は無様を見せた。魔族の捕虜を餌にした。あれは俺の恥だ」
ジークの声は震えていなかった。まっすぐソラに向けられていた。
「だが勘違いするな。──王国の民を守るためなら、俺はどんなことでもする覚悟だ。きれいごとだけじゃ、この戦は勝てん。すべて俺の意思だ。ここにいる将軍は、すべて俺の指揮で動いている!」
◇
その宣言に、迷いはなかった。
俺はジークを観察していた。──変わったな。東の戦線でフィオナに一撃で沈められた、あの慢心の若造とは違う。あの時は、侮りと焦りだけだった。だが今は。
執念があった。
ヴィントに代わって指揮を執る。その重責を背負う意地。前回の無様を雪ぐ執念。──あのジグムントのような保身ではない。自分の失態を認めた上で、それでも前を向いている。
(こいつは……侮れん)
俺はジークへの評価を、改めた。
◇
「ソラ!」
ジークが剣を構えた。
「お前と一対一でやらせろ! ヴィントは、お前に負けた。だが俺は違う。──ヴィントより、俺の方が強い。それを証明する!」
ソラが俺を見た。俺は頷いた。ジークの力量を測る、いい機会だ。だが警戒は怠るな、と目で伝える。
「わかった」
ソラが天空の聖剣を構えた。
「ジーク。──来いよ」
二人がぶつかった。
◇
がぁん、がぎん、と剣戟が響いた。
ソラの天空の聖剣。ジークの剣。──終始、ソラが上回っていた。力も、速さも、剣の冴えも。ソラの方が上だった。ジークの剣を何度も弾き、押し込む。
だが。
ジークは倒れなかった。
「まだ、だ……!」
執念だった。ソラの一撃を受けきり、食らいつく。剣がへし折れそうになっても。膝が崩れかけても。ジークは退かなかった。ヴィントより強い。その意地だけで、ソラの猛攻を受けきっていた。
◇
ソラの剣は鋭かった。だが、俺は気づいた。
ソラは、ジークを殺そうとしていない。
倒す。制する。武器を弾く。だが命を獲る一撃は、決して放たない。天空の聖剣は刃がない。もとより殺せない剣だ。だがそれ以上に、ソラの意思がそうだった。敵であるジークすら、ソラは殺そうとしなかった。
ジークも、それに気づいたようだった。
「なぜ、だ……」
ジークが剣を交えながら呟いた。
「なぜ殺しに来ない。俺は敵だぞ。お前の仲間を脅かす敵だ。──なのに、なぜ」
ソラは答えなかった。ただまっすぐ剣を振るった。倒すために。殺さずに。
その姿に、ジークの目が揺れた。
◇
勝負はつかなかった。
ソラが終始圧倒しながら、ジークが執念で受けきる。引き分けのまま膠着した、その時。
「──今だ!」
ジークが叫んだ。
その瞬間。俺の腕輪の視界が、異変を捉えた。左右。そして後方。いつの間にか、王国の別動隊が、俺たちを囲むように展開していた。将軍の数人が部隊を率いて。回り込んでいたのだ。ソラとジークが斬り合っている、その間に。
だが、それは織り込み済みだった。
ニックが、にやりと笑った。
◇
「おいおい、きたねぇやり方だなあ、ジーク」
ニックが、わざとらしく肩をすくめた。
「一対一だって言っておいて、こっそり囲むのかよ。──騎士様の、やることかね」
挑発だった。気づいていないふりで、相手を乗せる。ニックも、この展開を読んでいた。俺たちは、初めから、この罠を想定していた。
「それも作戦だ」
ジークが剣を引いて言い放った。
「一対一は、時間を稼ぐための餌。その間に部隊を回り込ませる。──そこの知恵者なら、わかっていたと思うがな」
ジークの視線が、俺に向いた。今度は、ジークの挑発だった。
俺は静かに笑った。
「ああ。──わかってたよ」
◇
その言葉と同時に、俺は聖剣を抜いていた。
精霊解放。今度は炎。フィオナが、すでに魔力を練っている。事前に打ち合わせた通りに。
「フィオナ!」
「ええ!」
炎と魔力が合わさる。
「精霊合わせ──焔龍!」
炎の龍が、後方へ放たれた。
ごぉぉぉぉっ!!
囲もうとした王国の別動隊。その後方の一角へ、炎の龍が突き抜けた。兵たちが慌てて退く。炎が地を舐め、一本の道を焼き開いた。
「ソラ! 天空の道だ!」
俺は叫んだ。
◇
「おう!」
ソラが天空の聖剣を掲げた。焔龍が焼き開いた、その道へ。天空の聖霊の力が重なる。白い光の道が、炎の道の上に生まれた。守護結界の道。味方を守りながら通す、退路だった。
「全軍、撤退! この道を通れ!」
俺は号令をかけた。
連邦の精鋭が、焔龍と天空の道が作った退路を駆け抜ける。炎が敵を阻み、結界が味方を守る。俺とソラの連携だった。事前に打ち合わせた、切り札。
ジークが追おうとした。だが。
「追うな!」
ジークが、逆に味方を止めた。
「深追いはするな! 炎と結界の道だ。無理に追えば、こちらが焼かれる! ──連中の退き際は見事だ。ここは退かせる」
その冷静な判断に、俺は内心で舌を巻いた。
◇
連邦の部隊は、無事撤退した。
丘の上まで退いて、俺は要塞ヴェルグを振り返った。ジークたちが要塞へ戻っていく。追撃はなかった。
「……ふう」
ニックが息をついた。
「危なかった。あの回り込み。読んでなかったら、囲まれてたな」
「ああ」
俺は頷いた。だが、俺の頭は別のことを考えていた。今日の威力偵察。その成果を。
◇
「城門の破壊が、キーじゃないな」
俺は呟いた。
「え?」
ニックが聞き返した。
「ソラの全力の一撃でも、城門はびくともしなかった。あの要塞を正面から力で破るのは難しい。──だが、それより気になることがある」
俺は要塞を見据えた。
「あの別動隊だ。あれだけの量の部隊が、俺たちに気づかれず後方へ回り込んだ。──ソラとジークが斬り合っている、あの短い間にだ」
◇
「どこかに、抜け道がある」
俺は続けた。
「要塞から気づかれずに兵を動かせる、隠し通路か。地形を利用した迂回路か。──それがあるなら、攻略の糸口になる」
「なるほど……」
ニックが頷いた。
「じゃあ次は、その抜け道を探せば」
「ああ。だが」
俺は首を振った。ジークの、あの落ち着いた指揮を思い返しながら。
「もし抜け道がないなら。あの回り込みを、ただの地形と兵の動かし方だけでやってのけたなら。──ジークという将軍。相当の切れ者だ。侮れん」
◇
丘を下りながら、俺はソラを見た。
ソラはまだ、どこか考え込んでいた。ジークとの斬り合いを。ディートリヒの、あの淡々とした攻撃を。
「ソラ。どうした」
「……兄貴」
ソラがぽつりと言った。
「ディートリヒさんが、俺のことソラ坊って、もう呼ばないって。連邦の勇者として相対するって。──なんか、寂しかった」
俺は黙って聞いた。
「でも」
ソラが顔を上げた。
◇
「わかるんだ」
ソラはまっすぐ前を見た。
「ディートリヒさんも、ジークも。みんな守るものがあるんだ。王国の民を。それを守るために、俺を敵として見てる。──もし俺が逆の立場なら、俺もそうする。守るもののために、馴れ合いを捨てる」
ソラの目に、寂しさと覚悟があった。
「だから俺も。連邦のみんなを守るために強くなる。あの人たちにも、負けないように」
俺は頷いた。ソラはまた一つ、大人になっていた。
◇
要塞ヴェルグは、堅かった。
城門はソラの全力をはね返し、将軍の武はフィオナの天嵐を斬り裂き、そしてジークの指揮は、俺たちを罠に嵌めかけた。
だが、収穫はあった。
城門の正面突破は悪手。攻略の鍵は、別動隊が使ったあの回り込みのルート。そして──ジークという、侮れない将軍の存在。
「一筋縄じゃ、いかないな」
俺は要塞を振り返って呟いた。
だが、必ず落とす。ヴェルグを越えれば、その先は王都だ。連邦の攻勢は、始まったばかりだった。




