第59話 選ばれし者
——ジーク視点
王都レーヴェンの謁見の間に、ジークは立っていた。
ハルベル奪還戦の、敗北の報告。その場に、高弟たちが揃っていた。ヴィントもいる。ジークを気絶させた、あの男が。
ジークの胸には、屈辱と不安が渦巻いていた。また負けた。しかも今度は、味方であるはずのヴィントに気絶させられて。処罰されるかもしれない。そう思うと、背筋が冷たくなった。
だが。
玉座のゲオルグ王が口を開いた、その言葉は、ジークの予想を裏切るものだった。
◇
「ジーク。お前の策、悪くなかったぞ」
「……は?」
ジークは、思わず聞き返した。
「魔族の捕虜を餌にする。連邦の甘さを突く、良い着眼だ。あの家畜どもを人質に使う。勝つためには、何でも使う。──その姿勢を、余は買っている」
ゲオルグ王が、酷薄に笑った。
「結果は負けだ。だが、それは勇者と、あのレイジという男が規格外だったからよ。お前の策そのものは、間違っていない。──気に病むな、ジーク」
ジークの胸に、じわりと熱いものが広がった。
王が。この国の頂点が。自分を認めてくれた。処罰どころか、褒められた。
◇
だが、王の目が次にヴィントへ向いた時。
その温度は一変した。
「ヴィント。お前だ」
「はっ」
ヴィントが膝をついた。
「聞けば、お前はジークの策を妨害したそうだな。味方であるジークを、気絶させてまで。──なぜだ」
「……あの作戦は、騎士の恥にございます」
ヴィントが静かに答えた。
「戦えぬ捕虜を餌にする。それは、王国の騎士の誇りに——」
「誇り、だと?」
ゲオルグ王の声が、冷たく遮った。
◇
「その誇りとやらで、お前は味方の足を引っ張ったのだ」
王の言葉は、刃のようだった。
「勝つための策を潰した。ハルベルを、みすみす奪い返された。──ヴィント。お前のその甘さが。そのくだらぬ誇りが。この国の勝利を遠ざけている」
ヴィントは、何も言わなかった。ただ頭を垂れていた。
ジークは、その光景を見ていた。
胸の中に、勝ち誇る気持ちがあった。ざまあみろ。俺を気絶させた、あの男が。今、王にけなされている。俺の方が評価されている。──そう思った。
だが。その一方で。
何かが引っかかっていた。
◇
「ヴィント。お前には、罰を与える」
王が告げた。
「前線から外れよ。しばらく王都に留まり、己の甘さを反省するがよい。──出撃は許さん」
実質の更迭だった。武の高弟が、戦場に立てない。飼い殺し。ヴィントほどの男には、屈辱以外の何物でもない。
「そして、ジーク」
王が、ジークを見た。
「お前に、要塞ヴェルグの守衛を任せる。連邦との最前線だ。加えて──ヴィントを除く、六人の将軍の指揮権を、お前に与える」
ジークの息が、止まった。
六人の指揮権。ヴィントに代わって。自分が。
◇
「陛下……! ありがたき幸せ!」
ジークは、深々と頭を下げた。
胸が高鳴っていた。選ばれた。ヴィントではなく、この俺が。王が、俺の力を認めてくれた。要塞の守衛。六人の指揮。かつてのあの、気絶させられた屈辱が、今、晴れていく。
その時。
玉座の傍らに控えていた、グレイス総騎士長が、静かに進み出た。
「陛下。恐れながら」
グレイスの低い声が、謁見の間に響いた。
「ヴィントは、我が高弟の筆頭。その武と忠義は、本物にございます。此度の一件、確かに命令違反ではありましたが──あれの、騎士としての判断も、一考の余地があるかと」
◇
王の眉が、ぴくりと動いた。
「グレイス。お前は、ヴィントを庇うのか」
「いえ」
グレイスは、静かに首を振った。
「ただ、あれの忠義は、疑いようがないと。それを申し上げたまで。──罰は、陛下の御心のままに」
王はしばらくグレイスを見て、それから鼻を鳴らした。
「……お前がそこまで言うなら。ヴィントの処遇は、更迭に留めておこう。それ以上は求めぬ。」
「御意。ありがたきお言葉」
グレイスが頭を下げた。
ジークは、そのやり取りを見ていた。そして、また、あの引っかかりが、胸を疼かせた。
なぜだ。
◇
なぜ、総騎士長ほどのお方が。
叱責されたヴィントを庇う。命令違反を犯した男を。王の不興を買ってまで。
──ヴィントは負けたのだ。俺の足を引っ張ったのだ。
なのに、なぜ。
ジークには、わからなかった。
自分は、勝つための策を立てた。王に褒められた。ヴィントは、それを潰した。
王にけなされた。
──なら、正しいのは俺のはずだ。間違っているのは、ヴィントのはずだ。
なのに、なぜ。
総騎士長は、ヴィントを庇うのか。その答えが、ジークには見つからなかった。
◇
謁見が終わった後。
ジークは、廊下を歩いていた。要塞ヴェルグへ発つ前に、装備を整えるために。
その途中。回廊の角で。
ジークの足が止まった。声が聞こえたのだ。物陰の向こうから。グレイス総騎士長と、ヴィントの声が。
ジークは、とっさに身を隠した。立ち聞きなど卑怯だと、わかっていた。だが、あの引っかかりの答えが、そこにあるような気がして。
◇
「ヴィント」
グレイスの声だった。
「王のご判断に、思うところがあるか」
「……いえ」
ヴィントの声は、沈んでいた。
「私は命令に背きました。罰は当然です。ただ──」
「ただ?」
「わかりません。私は間違っていたのでしょうか。あの捕虜を守ろうとしたことが。戦えぬ者を餌にすることを、拒んだことが。師よ。私は騎士として、何をすればよいのですか」
しばしの沈黙があった。
そしてグレイスが言った。ジークの耳に、その言葉は深く刻まれた。
◇
「ヴィント。──王に忠義を尽くせないなら」
グレイスの声は、静かで重かった。
「王国に、忠義を尽くせ」
ジークの心臓が跳ねた。
王に忠義を尽くせないなら。王国に。──それは。それはまるで、王を否定するかのような。
(師は……総騎士長は。ヴィントに、王への反旗を唆しているのか!?)
ジークは混乱した。この国の武の頂点。王の剣たる総騎士長が。なぜ、そんなことを。
◇
「王国に……忠義を?」
ヴィントの戸惑う声が聞こえた。
「そうだ」
グレイスが続けた。
「王は人だ。人である以上、過つこともある。──だが、王国は違う。そこに生きる民がいる。土地がある。守るべき理念がある。騎士が真に剣を捧げるべきは、玉座の一人ではない。──この国、そのものだ」
「……師よ」
「王が道を誤ることがあっても。お前は腐るな、ヴィント。──騎士であり続けろ。王国と、その民のために」
ジークは、物陰で立ち尽くしていた。
その言葉の意味を、必死に考えながら。
◇
ジークは、その場を離れた。
足が重かった。頭の中で、グレイスの言葉がぐるぐると回っていた。
王でなく、王国に忠義を。──最初は反逆の勧めかと思った。だが、違う。総騎士長は、そんな卑しい男ではない。あの言葉には、もっと深い何かがあった。
歩きながら、ジークは考えた。生まれて初めてというくらい、深く。
王は言った。魔族は家畜だと。人質に使っていいと。処刑していいと。──それが、王のお考えだ。俺はそれを、正しいと思っていた。
◇
だが。
ジークの脳裏に、あの光景が蘇った。
ハルベルの平野。捕虜の檻。俺が処刑しようとした、魔族たち。そこへ、七千の軍勢を、たった一人で突っ切ってきた少年。
ソラ。傷だらけになりながら。血を流しながら。ただ、魔族の捕虜を守るために。
家畜のために。あの勇者は、命をかけたのだ。
(……本当に、魔族は家畜なのか?)
ジークの足が止まった。
家畜のために、誰が命をかける。誰が傷だらけになって守る。──ソラは守った。必死に。まるで、大切な家族のように。
◇
(あれが、家畜なわけがない)
ジークの胸の奥で、何かが静かに崩れていった。
王の言葉。魔族は家畜。人質に使え。処刑しろ。──その前提が。ソラのあの姿を思い出すたびに、ぐらぐらと揺らいでいく。
だが、それでも。
ジークの中で、増長は消えなかった。
(いや……考えすぎだ。俺は選ばれたんだ。王に。総騎士長のヴィントを差し置いて。──期待されているのは、あいつじゃない。この俺だ)
ジークは頭を振った。揺らぐ心を、増長で塗り固めるように。
だが、一つだけ。ジークは決めた。
◇
(人質作戦は、二度と取らない)
それだけは、心に誓った。
あんな無様な真似は、二度としない。魔族が家畜かどうかは、わからない。だが、戦えぬ者を餌にする。あの後味の悪さは、もう御免だった。
ヴィントの言葉が、今更、胸に刺さっていた。「焦りが目を曇らせた」──あの時の俺は、確かに焦っていた。処罰を恐れて。道を外れた。
(次は、違う)
ジークは、要塞ヴェルグへ向かった。六人の高弟を率いる、指揮官として。
◇
要塞ヴェルグの、軍議の間。
ジークは、六人の高弟を集めた。ディートリヒ。ラインハルト。ゴドウィン。アルフレート。コンラート。オズワルド。皆、ジークより格上の経験を持つ、猛者たちだった。
「王より、命を受けた」
ジークは告げた。
「ヴィントさんに代わり、俺がお前たちの指揮を執る。──異論もあるだろう。俺は若い。しかも東の戦線で、無様に負けた。その俺が、指揮官だ」
六人は無言だった。それぞれの目に、複雑な色があった。ヴィントを慕う者もいる。ジークを若造と見る者もいる。だが皆、王の命には従う。忠義の者たちだった。
◇
「その前に」
ジークは、深く頭を下げた。
「詫びたい。──ハルベルで俺がとった、あの作戦。魔族の捕虜を餌に、連邦をおびき寄せる。あれは無様な真似だった。騎士の恥だった。お前たちを、あんな作戦に付き合わせた。すまなかった」
六人が、目を見張った。
まさか、あの増長していたジークが、頭を下げるとは。謝罪するとは。思ってもみなかったのだろう。
ジークは、顔を上げた。そして、まっすぐ六人を見た。
「だが」
その目には、もう迷いがなかった。
◇
「これだけは、言っておく」
ジークの声は、静かだったが、芯が通っていた。
「王国を守るために。本当に必要なら。──俺は再び、非情な手も打つ。きれいごとだけで、この戦は勝てない。守るべきものを守るためなら、俺は鬼にもなる」
六人が、息を呑んだ。
「だが、前回とは違う。あれは俺の私欲だった。処罰を恐れ、手柄を焦った。──今度は違う。王国のため。民のため。その覚悟の上で、俺は剣を執る」
しばしの沈黙。
それを破ったのは、大柄なディートリヒだった。
◇
「……ふん」
ディートリヒが、ニヤリと笑った。
「若造にしちゃ、殊勝な口をきくじゃねえか。──気に入った。いいぜ、ジーク。お前の指揮に従ってやる」
「ディートリヒさん……」
「ただし、無様な真似をしたら。今度は俺が、お前をぶん殴る。ヴィントの代わりに、な」
ディートリヒの言葉に、他の五人も、渋々ながら頷いた。完全な信頼ではない。だが、認められた一歩だった。
ジークは、頷き返した。
「ああ。──頼りにしている」
◇
その夜。
ジークは、要塞ヴェルグの城壁に立っていた。
眼下に、暗い平野が広がっている。その先の、ずっと向こう。連邦の地は、ここからは見えない。だが、確かにそこにある。ソラのいる、魔族の街が。
ジークは考えていた。まだ答えの出ない問いを。
魔族は家畜なのか。ソラはなぜ命をかけたのか。王の言葉と、総騎士長の言葉。どちらが正しいのか。
(……わからん)
ジークは、夜空を見上げた。
だが、一つだけ。確かなことがあった。俺は選ばれた。ならば、その期待に応える。王国を守る。この要塞を守る。──次に連邦と戦う時は、無様な俺じゃない。
「見ていろ、ヴィントさん。──俺は、あんたとは違うやり方で。この国を守ってみせる」
要塞の夜は、静かに更けていった。




