第58話 焦りの刃(後編)
——ジーク視点
「ヴィントさん、何を!」
ジークは焦っていた。
処刑は妨害された。ソラの結界に、捕虜を守られて。手柄が逃げていく。処罰が迫ってくる。──なのにヴィントは、敵の少年を褒めている。
「もういい! 俺があの結界を崩す! そうすれば──」
「ジーク。やめておけ」
ヴィントが静かに言った。
「あの結界は、お前には崩せん。それに、この作戦はここで終わりだ。戦えぬ捕虜を餌にするなど、王国の騎士のやることではない」
「ふざけるな!」
ジークが剣を振り上げた。理性を失いかけていた。処罰の恐怖が、その目を曇らせていた。
「あんたがそんなだから! だから連邦に負けるんだ! 俺は手柄を──」
その言葉は、最後まで続かなかった。
◇
ヴィントが動いた。
一瞬だった。ジークの剣を持つ腕を下から弾き上げ、その鳩尾に拳を叩き込む。
どっ。
「がっ……!?」
ジークが膝から崩れ落ちた。総合値三百の天才が、抵抗する間もなく。ヴィントの一撃で。
「……眠っていろ、ジーク」
ヴィントは、気を失ったジークを見下ろした。
「お前は悪い剣士じゃない。だが、焦りがお前の目を曇らせた。──目が覚めたら、頭を冷やせ」
そしてヴィントは、ソラの方へ向き直った。結界の中で捕虜を守る、弟弟子の方へ。
味方の若者を、自らの手で気絶させて。
◇
——ソラ視点
「ソラ坊」
ヴィントが歩み出た。剣を下げたまま。
「まず、詫びさせてくれ。戦えぬ捕虜を餌にする。そんな無様な作戦をとった。同じ王国の騎士として、恥ずべきことだ。──すまなかった」
ソラは、結界の中からヴィントを見た。
「ヴィント……」
「ジークは焦っていた。処罰を恐れてな。だが、それは言い訳にならん。──騎士として、詫びる」
ヴィントは、深く頭を下げた。敵に。だが、その姿には確かな誇りがあった。
ソラはしばらく、その姿を見て。それから結界を解いた。捕虜たちの安全を、確かめてから。すでにヴァイスたちが、回収に動いている。もう、ここは大丈夫だ。
「顔を上げてくれ、ヴィント。──あんたは、悪くない」
◇
ヴィントが顔を上げた。そして、剣を構えた。
「ソラ坊。この戦、もう無様な形では終わらせん。──俺と、一対一でやろう」
「一対一?」
「ああ。前は二人がかりで、お前を抑えた。作戦だった。だが今度は違う。騎士として。一人の剣士として。お前と正々堂々、やりたい」
ソラの目が揺れた。かつての兄弟子。稽古をつけてくれた人。
「……いいのか、ヴィント。俺と本気でやって」
「望むところだ」
ヴィントが笑った。
「お前がどこまで強くなったか。この目で確かめたい。──来い、ソラ坊」
ソラは、天空の聖剣を構えた。刃のない、白い剣を。
「わかった。──行くぞ、ヴィント!」
◇
二人がぶつかった。
がぁん!
ヴィントの剣と、ソラの聖剣が噛み合う。前と同じ。力はソラが上。技はヴィントが上。だが。
「速い……! 一月前より、また鋭くなったか!」
ヴィントが押されていた。二人がかりの時とは違う。一対一では、ソラの圧倒的な力を、一人で受けきれない。
しかも、ソラは変わっていた。
以前のような力任せではなかった。ヴィントの動きを読み、受け、いなす。剣に芯が通っている。そして迷いがない。守るべきものを守るという、揺るぎない覚悟が。
「ヴィント! 俺はもう、迷わない!」
ソラの聖剣が、ヴィントの剣を弾き上げた。
◇
——レイジ視点
ソラが単身で、捕虜のもとへ駆けていく。その隙に、俺は動いていた。
「ヴァイス、クレイ、リル! 第一部隊と、捕虜の回収だ! ソラが結界で守ってる間に、全員連れ出せ!」
「おう!」
ヴァイスが、魔族の若者たちを率いて駆け出した。クレイとリルが続く。第一部隊が、その後を追う。ソラの作った道を通って。
「フィオナ。本隊を抑えるぞ。──七千を、こっちに引きつける」
「ええ」
俺は聖剣を抜いた。祝福込みの四百十二。そしてフィオナが隣に立つ。魔力百七十。
七千の王国軍が動き出す。処刑を妨害され、指揮官のジークも倒れ、混乱している。その隙を突く。
◇
「フィオナ。派手に頼む」
「わかりました」
フィオナが両手を掲げた。虹色の光が渦を巻く。魔力百七十。魔王をも超える器。その全力。
「【天嵐】」
刹那。
戦場の、王国軍の前面に。巨大な風の渦が生まれた。ごぉぉぉっ、と天を衝き、大地を薙ぐ。極大の魔法だった。
「なっ……なんだ、あれは!?」
王国兵が恐慌をきたした。
天嵐は、王国軍の前列を丸ごと巻き上げた。だが──殺してはいなかった。荒れ狂う風は、兵を吹き飛ばし、武器を巻き上げる。だが、致命傷は与えない。フィオナが、そう加減していた。
◇
「……フィオナ。相変わらず、化け物だな」
俺は思わず呟いた。
七千の軍勢の勢いが、その一撃で止まった。前列が風に巻かれて、後列が進めなくなる。数百の兵が、戦意を失って後ずさる。
殺さず、しかし圧倒する。フィオナの魔力は、もはや一つの戦線を単独で制圧できるほどになっていた。
「これで王国軍は、当分動けない。──今のうちだ」
俺はニックに合図した。
「ヴァイスたちの捕虜回収を援護しろ! セシリアは負傷者の手当てを! 一人も死なせるな!」
連邦の盤面が回り始めた。七千をフィオナが抑え、俺が指揮する。その隙に捕虜を回収し、味方を守る。
◇
——ソラ視点
ソラとヴィントの決闘は、続いていた。
がぎん、がぁん、と剣戟が響く。だが、その均衡は確実に、ソラへと傾いていた。
「くっ……!」
ヴィントの剣を持つ手が痺れていた。ソラの一撃、一撃が重い。受けるたびに、腕が悲鳴を上げる。
「ヴィント! これで最後だ!」
ソラが天空の聖剣に力を込めた。剣が白く輝く。
「精霊解放──!」
聖剣の周りに、風が渦巻いた。守護の力を、攻めに転じた一撃。ソラが、それを振り下ろす。
ヴィントが、渾身の力で受け止めた。
がぁぁぁん!!
◇
ヴィントの剣が。
甲高い音を立てて、宙に舞った。
弾き飛ばされて。ヴィントの手から離れて。地面に突き刺さる。
「……参った」
ヴィントは両手を上げた。武器を失って。ソラの聖剣が、その喉元に突きつけられている。刃のない、白い剣が。
「俺の負けだ。ソラ坊」
決闘は、ソラの完勝だった。
ソラは聖剣を下ろした。ヴィントを斬らなかった。もとより、斬れない剣だ。誰も殺さない、守るための剣。
「ヴィント。──俺、勝ったよ」
「ああ。見事だ」
ヴィントが笑った。悔しさより、どこか晴れやかな笑みだった。
◇
ヴィントは、戦場を見渡した。
処刑は止められた。捕虜は連邦が回収している。フィオナの天嵐が、七千の本隊を抑え込んでいる。ジークは倒れ、指揮系統は乱れていた。
もう、この戦は王国の負けだった。
「……全軍!」
ヴィントが声を張り上げた。
「撤退する! これ以上の戦闘は無用だ! 負傷者を収容し、隊列を保って退け!」
将軍の判断だった。無様な作戦で始まった、この戦。もう、ここで退くのが最善だと。ヴィントは冷静に見極めていた。
倒れたジークも、王国兵が担ぎ上げた。王国軍が退き始める。フィオナの天嵐に、道を阻まれながら。それでも整然と。
◇
——レイジ視点
「ヴィントが、撤退の号令をかけたか」
俺は、その動きを腕輪の視界で捉えた。
「追うか、レイジ」
ニックが聞いた。
「いや。追わない」
俺は首を振った。
「捕虜は取り戻した。ハルベルも、じきにこちらのものだ。──これ以上、血を流す必要はない。退く者は、退かせる」
王国軍が、平野の向こうへ消えていく。ソラを抑えていたヴィントも。最後に一度、ソラの方を振り返って。それから去っていった。
戦場に、静けさが戻った。
そして。
ハルベルの街にはためいていた、王国の旗が。──引きずり下ろされた。
◇
——ソラ視点
ハルベルは、取り戻された。
一月前に失った街。モーリスが命をかけて守ろうとした街。その街に再び、連邦の旗が掲げられた。
ソラは、街の中心に立っていた。
焼け跡が残っていた。あの日、燃えた街の傷跡。盤上の灯のクランハウスも、もうそこにはなかった。原点の建物は、灰になっていた。
「……ただいま、ハルベル」
ソラは天空の聖剣を握りしめた。
守れなかった街に、帰ってきた。今度こそ。もう二度と、失わないために。
その隣に、レイジが来た。ヴァイスも、クレイも、リルも。フィオナも、セシリアも、ニックも。救い出された魔族の捕虜たちも。みんな、無事だった。
◇
「モーリスさん」
ソラは、焼け跡のクランハウスの方を見た。
「取り戻したよ。ハルベルを。──あんたが守ろうとした街を」
風が吹いた。焼け跡を撫でて。
クランハウスは、もうない。だが、ここから始まったものは、消えていなかった。人と魔族が共に生きる。その灯は今も、みんなの中で燃えている。
「クランハウスは、また建て直すぜ」
ソラが言った。
「もっと、でっかいのを。人も魔族も、一緒に。──あんたが託してくれた未来を、ここに作る」
レイジが隣で頷いた。
「ああ。──ここから、また始めよう」
ハルベルに、灯が戻った。失って、取り返した、その灯は。前より少しだけ強く、輝いて見えた。




