第56話 天空の剣
——ソラ
レイジたちが戻ってきたのは、ハルベルが落ちた翌日だった。
東の戦線は、完勝だったという。将軍が四人いても、レイジの盤面がそれを捌いた。ほとんど犠牲を出さずに。
ソラはその報せを聞いて、うつむいた。
同じ四人の将軍。同じ二千の兵。同じ五千の敵。なのにレイジは勝ち、自分は負けた。ハルベルを失った。モーリスを、ロランを、多くの仲間を失った。
何が、違ったんだろう。
◇
「ソラ」
レイジがソラのところへ来た。
「聞いた。ハルベルのこと。──よく、みんなを逃がしてくれた」
「……逃がしただけだよ」
ソラは木剣を握りしめた。
「守れなかった。モーリスさんも、ロランさんも。俺が弱かったから」
「ソラ」
「なあ、兄貴」
ソラは顔を上げた。その目に、暗い問いが宿っていた。
「兄貴と、俺。何が違うんだ。同じ将軍四人が相手だった。同じ数の敵だった。なのに兄貴は勝って、俺は負けた。──俺の、何が足りなかったんだ」
◇
レイジはすぐには答えなかった。
しばらくソラを見つめて、それから静かに言った。
「言葉で言っても、たぶんお前には届かない。──手合わせ、するか」
「手合わせ?」
「ああ。お前のその問いの答えは、俺が教えるものじゃない。お前が自分で掴むものだ。──全力で来い」
ソラの胸が揺れた。
全力で。兄貴が、そう言った。ずっと憧れてきた兄貴。盤面でみんなを導いてきた兄貴。その全力とぶつかれば、何か掴めるかもしれない。
「……頼む。兄貴、全力で来てくれ」
「ああ」
◇
連邦の訓練場。
ソラとレイジが向かい合った。少し離れて、フィオナとセシリアが控えている。
「セシリア。祝福を頼む」
「はい」
セシリアの祝福がレイジを包んだ。三割の底上げ。だがソラには、祝福はかけられなかった。
「兄貴。俺には祝福、なしか」
「ああ。──お前は素のままで来い。それが、お前の本当の力だ」
ソラは頷いた。素の四百。祝福もなし。木剣一本。
対するレイジは全解放だった。素の九十七が、剣霊の加護、自己強化、聖剣、そして祝福で、四百十二へ。ソラを超える数値。
◇
「行くぞ、ソラ」
レイジが聖剣を抜いた。
「おう!」
ソラが木剣で突っ込んだ。
がぁん!
二人の剣がぶつかる。ソラの四百。レイジの四百十二。数値は僅かにレイジが上。だがソラは押した。力なら、まだいける。
「兄貴! まだまだっ!」
ソラは木剣を振るった。がぎん、がぎん、と剣戟が続く。渾身の一撃を、レイジが聖剣で受ける。
だが、レイジは慌てなかった。ソラの剣をすべて読んでいた。腕輪の視界。ミサンガの聴覚。ソラの大振りの癖を。
◇
「──精霊解放」
レイジの聖剣が、赤く燃え上がった。
「なっ……剣が、燃えた!?」
ソラは目を見開いた。そんな技、初めて見た。レイジは、こんな力まで隠していたのか。
炎の精霊。ソラの木剣を受け止めながら、レイジは炎を纏った。ごぉっ、と熱がソラを押し返す。
「うっ……!」
ソラがたじろぐ。その隙に、レイジの聖剣が属性を切り替えた。今度は薄緑の風。
「速い……!」
ソラは必死に木剣で追う。だがレイジの剣は、属性を自在に変えながら、ソラを翻弄した。炎で押し返し、風でいなし、氷で足を止める。
力ではソラが上。だがレイジの多彩な精霊解放が、その差を埋めていた。いや、超えていた。
◇
「フィオナ!」
レイジが叫んだ。
「はい!」
フィオナが指先を、レイジの聖剣に向けた。
「【氷結】!」
フィオナの氷が、風を纏ったレイジの聖剣に吸い込まれる。刀身に、氷と風が渦を巻く。
「なんだ、あれ……!」
ソラは、目を疑った。フィオナの魔法が、レイジの剣に、宿っていく。二つの力が、一つになって、暴風の刃となる。
「精霊合わせ──氷風撃!」
レイジがその刃を、ソラに叩きつけた。
◇
ごぉぉぉっ!!
氷の礫を孕んだ暴風が、ソラを飲み込んだ。
「ぐぁっ……!?」
ソラの身体が吹き飛んだ。木剣を握ったまま。訓練場の地面を転がる。
初めて見る、二人の合わせ技。その威力は、桁違いだった。ソラの四百の身体でも、まともに受ければ、ひとたまりもなかった。
「……あ、が……」
ソラの意識が、遠のいた。
視界が暗く霞んでいく。力が入らない。木剣を握る手も緩んでいく。──気絶。その寸前だった。
守れなかった。負けた。手合わせでも、兄貴に届かない。俺はやっぱり、弱いんだ。
暗い諦めが、ソラの心を飲み込もうとした。
◇
その時。
薄れゆく意識の中で。
ソラの心に、あの声が響いた。
『──ソラよ』
モーリスの声だった。精霊が届けてくれた、あの最期の言葉。
『私の心は、救われた。お前たちに、救われた。ありがとう』
ソラの胸が、熱くなった。
そうだ。俺は。守れなかったけど。──モーリスさんの心は、救えたんだ。俺たちが灯した灯が、あの人の最後の日々を、照らしたんだ。
俺の剣は。この木剣は。殺せない。でも。
◇
(守るためなんだ)
ソラは木剣を握りしめた。薄れゆく意識の中で。それでも、その一点だけは、はっきりしていた。
俺は、殺すために剣を握ってるんじゃない。守るために握ってるんだ。
モーリスさんを。ロランさんを。第一部隊のみんなを。ハルベルの街を。守りたいんだ。もう二度と、失いたくない。
その想いが。
ソラの木剣に宿る精霊に、届いた。
◇
木剣が、光った。
淡い光ではなかった。目も眩むような、白い光。
『……これは』
精霊の声が、驚いていた。
『ソラ。お前の想いが。守りたいという、その一途な想いが。──僕を、変える』
声が、変わっていく。低く古びた響きから、澄んだ、少年のような声へ。
『応えるよ、ソラ。お前のその願いに。僕は、生まれ変わる』
光が強くなる。木剣の形が変わっていく。
遠のいていたソラの意識が、引き戻された。目を開ける。自分の手の中で、木剣が光り、姿を変えていくのを見た。
◇
離れた場所で、レイジの聖剣が震えた。
その中の剣霊が、驚愕の声を上げた。
『馬鹿な……こんなに早く。無属性の精霊が、聖霊へと進化するとは』
剣霊の、賢者めいた声が揺れていた。
『聖霊への進化は、幾百年もの時を要するもの。それを、この短さで。──あの少年の想いの強さが、時を飛び越えたか』
「ハハッ!やっぱりお前は可能性を超えていく!!」
光が収まっていく。
ソラの手の中にあったのは、もう木剣ではなかった。
◇
白く輝く、剣だった。
刃はない。木剣と同じ。誰も傷つけない、優しい形。だがその全身から、清らかな光があふれていた。
『やあ、ソラ』
新たな声が、ソラの心に響いた。明るく、まっすぐな、少年の声だった。
『僕は、天空の聖霊。無属性だった僕が、お前の想いで生まれ変わったんだ。──よろしくね、相棒』
ソラは、その剣を見つめた。
「聖霊……お前が?」
『うん。前は、ただの無属性だったけど。お前の「守りたい」って気持ちが、僕を目覚めさせてくれた。だから、僕の力も、そのための力だよ』
◇
「僕の力は──守る力」
天空の聖霊が、弾んだ声で言った。
『傷ついた人や、守るべき人を、守護する結界の力。刃はない。誰も殺さない。その代わり、みんなを守れる。お前が、望んだ力だろ?』
「守る……結界」
『そう! 敵を斬るんじゃなくて、大事な人を守るんだ。ソラにぴったりの力でしょ』
ソラの胸が、熱くなった。
そうだ。これでいいんだ。殺す覚悟なんて、要らなかった。守る力さえ、あればいい。
『それにね』
聖霊が、続けた。
『相棒も、精霊解放が使えるよ。あのレイジって人と、同じように。僕の力を、引き出せるんだ』
◇
ソラは、立ち上がった。
もう意識は、朦朧としていなかった。氷風撃の傷も、痛みも、忘れていた。ただ、手の中の天空の聖剣を、見つめていた。
「あ…兄貴と、同じ……精霊解放?」
『やってみる? ちょうど──また、来るみたいだよ』
聖霊が、楽しげに言った。
ソラが顔を上げると、レイジとフィオナが、再び構えていた。レイジの聖剣に、風が纏う。フィオナの指先に、氷が生まれる。
「ソラ」
レイジが、静かに言った。
「もう一度だ。──今のお前なら、どうする」
◇
「もう!知りませんからね。」
フィオナの氷が、レイジの聖剣に吸い込まれた。
「精霊合わせ──氷風撃!」
再び、暴風の刃が、ソラに迫る。さっき、ソラを気絶させかけた、あの一撃。
だが、ソラは、逃げなかった。
天空の聖剣を、両手で、握りしめる。そして、あの技を、呼んだ。生まれて初めて。だが、迷いはなかった。
「精霊解放──!」
天空の聖剣が、白く輝いた。ソラの前に、光の壁が、生まれる。半球状の、清らかな結界。
「守護結界っ!」
氷風撃が、その結界に、激突した。
◇
ずがぁぁん!!
暴風と氷の礫が、光の結界に、叩きつけられる。
だが、結界は、揺るがなかった。ソラを守る、光の壁。さっきは、まともに受けて、気絶しかけた、あの一撃を。今は、完全に、防いでいた。
暴風が、結界の表面を、滑り、散っていく。氷の礫が、弾かれ、四方へ、こぼれ落ちる。
そして、風が、止んだ。
結界の中で、ソラは、無傷で、立っていた。天空の聖剣を、握りしめて。
◇
「……防いだ」
フィオナが、目を見張った。
「あの氷風撃を。──真正面から、完全に」
セシリアも、唖然としていた。
レイジだけが、静かに、笑っていた。聖剣を下ろして。まるで、こうなることを、信じていたかのように。
「ソラ」
「兄貴……!」
ソラは、天空の聖剣を、見つめた。それから、レイジを、見た。
「俺、わかったよ。俺の剣は、これで、よかったんだ。殺す覚悟なんて、要らなかった。──守る力が、あればいいんだ」
「気づいたか」
レイジが、頷いた。
◇
「お前と、俺の違いを、聞いたな」
レイジが、静かに言った。
「違いなんて、ない。お前は、お前のやり方で、みんなを守ればいい。俺は盤面で。お前は、その剣で」
「兄貴……」
「お前は迷ってた。守るために、殺す覚悟が要るんじゃないかと。──だが、お前は、自分で答えを掴んだ。殺す覚悟じゃない。守り抜く力だ。それが、お前の答えだ」
ソラの目から、涙があふれた。
全力でぶつかった。兄貴に憧れて、追いかけて。そして兄貴は、その全力で応えてくれた。ソラを極限まで追い込んで。ソラ自身に、答えを掴ませるために。
「兄貴と、手合わせしたら。憧れて、全力でぶつかったら。──答えて、くれた」
ソラは、涙を拭って、笑った。
◇
『よかったね、ソラ』
天空の聖霊が、優しく言った。
『これで、お前は、みんなを守れる。もう、あの日みたいに、悔しい思いは、しなくていい』
「ああ」
ソラは、天空の聖剣を、掲げた。空を、見上げて。ハルベルの、方角の空を。
「モーリスさん」
ソラは、誓った。
「見ててくれ。俺、強くなった。もう、迷わない。この剣で、みんなを守る。もう二度と、誰も失わない」
風が、吹いた。ソラの頬を撫でて。まるで、応えるように。天空の聖剣が、淡く光った。
「ハルベルを、取り返す。あんたが命をかけて守ろうとした、あの街を。あんたが託してくれた、人と魔族の未来を。──俺が、必ず」
ソラの目に、もう迷いはなかった。
◇
守れなかった、あの日。
だが、その痛みが、ソラを次の段階へ押し上げた。天空の聖剣とともに。守り抜く力を、手にして。
「行こうぜ、相棒」
ソラが、天空の聖霊に、語りかけた。
『うん! いつでも、いいよ!』
聖霊の、弾んだ声が、応える。
ソラは、レイジを、振り返った。もう、うつむいていた少年は、いなかった。そこにいたのは、守る力を得た、一人の戦士だった。
「兄貴。──ハルベル、取り返しに行こう。みんなで」
「ああ」
レイジが、頷いた。
「盤面は、俺が組む。──お前は、その剣で、みんなを守れ」




