第55話 落ちる灯火(後編)
——ソラ
街が、燃えていた。
城壁の上で、ソラは、ヴィントとディートリヒの剣を受けながら、その炎を見ていた。守りたかった街が、炎に包まれていく。
そして、城内でも。戦いは、続いていた。
◇
リルは、限界だった。
「【水癒】……っ、【水癒】……!」
声を、絞り出す。だが、指先から、水は、もう、生まれなかった。魔力が、尽きていた。半日、休みなく、魔法を使い続けた。Bランクに届く器も、とうに、空になっていた。
「どうして……まだ、みんな、傷ついてるのに……!」
その時。
「──ぐっ!」
前方で、クレイが、膝をついた。
細身の剣士、ラインハルトの一撃を、受けたのだ。脇腹から、血が、流れている。ハルベル軍を、まとめ続けたクレイに、ついに、将軍の刃が、届いた。
「クレイ!」
リルが、駆け寄った。震える手を、クレイの傷に、かざす。
「今、治すから! 【水癒】! ……っ、【水癒】!」
だが、魔力は、出ない。焦れば焦るほど、何も、起きない。無理に絞り出そうとして、リルは、こほっ、と、血を吐いた。
◇
「リル。……もう、いい」
クレイが、リルの手を、そっと、握った。
「無理を、するな。お前、もう、魔力が、ないんだろう。血まで、吐いて。──これ以上は、お前が、倒れる」
「でも……! でも、クレイが、怪我を……!」
「大丈夫だ」
クレイが、笑った。傷だらけの顔で。そして、震えるリルの頭を、そっと、撫でた。
「こんな傷、なんてことない。──お前を、失ったと、思った時の、あの絶望に、比べたらな」
リルの目から、涙が、こぼれた。
「八年、俺は、お前が死んだと思って、生きてきた。あの絶望に、比べたら。こんな傷、屁でもない。──俺は、まだ、生きてる。お前も、生きてる。なら、まだ、戦える」
クレイが、剣を杖にして、立ち上がった。
◇
血を流しながら、クレイは、剣を、構え直した。
「さあ、来い。ラインハルト、とか言ったな。──俺は、まだ、倒れんぞ」
ラインハルトが、その姿を、じっと、見た。細身の剣士の目に、わずかな、感嘆が、宿った。
「……見事だ」
彼は、静かに、言った。
「その傷で、まだ立つか。しかも、その女を、庇いながら。──若いのに、大した、胆力だ」
「褒めても、何も、出ないぞ」
クレイが、不敵に、笑った。血を流しながら。それでも、リルを、背に庇って。
その時。
◇
「うぉぉっ!」
横合いから、大きな身体が、吹っ飛んできた。
ヴァイスだった。ゴドウィンの槍に、弾き飛ばされたのだ。傷だらけの身体が、地面を、転がる。
「ヴァイス!」
クレイが、叫んだ。
ヴァイスは、血を吐きながら、それでも、大剣を杖にして、立ち上がった。ぼろぼろだった。全身、傷だらけ。だが、その目は、死んでいなかった。
「……ちっ。将軍ってのは、化け物揃いだな」
ヴァイスは、城壁を、見上げた。
そこでは、ソラが、ヴィントとディートリヒに、押されていた。二人がかりの剣に、じりじりと、追い詰められている。あのソラが。連邦最強の、ソラが。
「……ソラの奴。あそこで、あんなに、苦しんでやがる」
ヴァイスの、拳が、握られた。
◇
ヴァイスは、傷だらけの身体で、第一部隊の若者たちを、振り返った。
みんな、倒れかけていた。人族も、魔族も。だが、まだ、目に、光がある。ソラを、信じて、戦っている、若者たち。
「おい、お前ら!」
ヴァイスが、吼えた。
「大将が、あそこで、必死に、戦ってんだ! あのソラが、歯ぁ食いしばって、踏ん張ってんだ! ──なのに、俺たちが、へばってて、どうする!」
若者たちが、顔を、上げた。
「大将に、心配、かけんじゃねえ! 押し返すぞぉ!」
「「「おおおっ!」」」
倒れかけていた若者たちが、立ち上がった。ヴァイスの檄が、その心に、火を点けた。ぼろぼろの第一部隊が、もう一度、剣を、構えた。
◇
だが。
その奮闘も、数の前には、焼け石に水だった。
王国軍は、五千。連邦は、二千。しかも、その二千は、半分近くが、倒れている。将軍四人は、無傷。対する連邦は、満身創痍。
じりじりと、押されていく。
城壁の上のソラも、限界に、近づいていた。動きが、鈍っている。ヴィントとディートリヒの、二人がかりの剣を、受けるだけで、精一杯だった。反撃する力は、もう、残っていない。
その様子を。
城門の内で、モーリスと、ロランが、見ていた。
◇
「……ロラン」
モーリスが、静かに、言った。
「もう、限界だ。これ以上は、全滅する」
「領主様……」
「見極めねば、ならん。──ここが、分水嶺だ」
老いた領主の目は、澄んでいた。四十年、目を逸らしてきた男とは、思えない、覚悟の目だった。
「連邦の、若者たちを、逃がす。勇者も、ヴァイスも、クレイも、リルも。第一部隊の、あの子たちも。──未来のある者は、生かす。それが、私たちの、務めだ」
ロランが、唇を、噛んだ。
「では、我らハルベル軍は」
「殿だ」
モーリスが、剣を、抜いた。
「ハルベルは、私の街。ここで、果てるなら、本望だ。──ロラン。連邦の若者たちを、逃がす時間を、作るぞ」
◇
「ハルベル軍! 全軍、突撃ぃ!」
モーリスの号令が、響いた。
ハルベル軍五百が、雄叫びを上げて、王国軍に、突っ込んでいった。捨て身の、突撃だった。連邦の若者たちを、逃がすための、時間稼ぎ。
その先頭を、ロランが、駆けた。だが、その足は、まっすぐ、王国軍ではなく──城壁の、ソラの方へ、向いていた。
「ロラン殿!?」
ソラは、城壁の上で、ロランが、駆け上がってくるのを、見た。
「勇者殿! 先に、行かせていただく!」
ロランは、ソラのもとへ、たどり着くなり。
ソラの身体を、渾身の力で、城壁の下へ、投げ飛ばした。
◇
「うわぁっ!?」
ソラの身体が、宙を舞った。
ヴィントと、ディートリヒの、間合いから、引き剥がされて。城壁の、下へ。
「ソラ!」
下で、ヴァイスが、その身体を、受け止めた。傷だらけの腕で、しっかりと。
「ロラン殿! なんで──!」
ソラが、城壁の上を、見上げた。
そこには、ロランが、一人。ヴィントと、ディートリヒの前に、立っていた。剣を、構えて。ソラを、逃がすために。自ら、殿と、なって。
◇
「──覚悟の、突撃か」
ヴィントが、静かに、言った。
ロランは、答えなかった。ただ、剣を、構えて、二人の将軍に、向かっていった。勝てないと、わかっていて。ソラを、生かすために。
ヴィントの剣が、閃いた。
ずぱっ。
ロランの身体が、崩れ落ちた。一太刀だった。
「……ぐっ」
ロランが、膝をつく。血が、流れる。だが、その顔には、満足げな、笑みが、あった。
「勇者を……守れた、なら……本望、だ……」
ヴィントは、その姿を、見下ろした。そして、静かに、言った。
「──勇者を生かすため、その身を捨てるか。見事な、覚悟だ」
ロランは、最後の力で、笑った。
「光栄……だ……」
そして、動かなく、なった。
◇
「ロランさぁん!」
ソラが、絶叫した。
ヴァイスの腕の中で、手を伸ばして。だが、届かない。ロランは、もう、動かない。ソラを、生かすために、逝った。
「くそっ……くそぉっ! なんで、みんな……!」
城内では、モーリスが、指揮を、執り続けていた。
ハルベル軍の、捨て身の突撃が、王国軍の勢いを、一瞬、止める。その隙に、モーリスは、街の民と、ミストリア軍の、交代を、指揮した。
「市民は、精霊の道へ! ミストリア軍は、市民を、先に、逃がせ!」
王国軍は、逃げる市民を、追わなかった。将軍たちの、指揮だった。狙いは、あくまで、連邦の兵。逃げる非戦闘員に、刃を向けるのは、騎士の、恥。──そういう、矜持が、まだ、この軍には、あった。
◇
街の外れ。
ケイルが、精霊の道の入り口で、必死に、叫んでいた。
「こっちや! 市民は、こっちの道から、逃げるんや! ミストリアまで、繋がっとる! 急げ、急げ!」
商人の、機転だった。ケイルは、いち早く、避難路を、確保していた。霧の回廊へと、通じる、抜け道。そこへ、市民を、次々と、逃がしていく。
「子供を、先に! 年寄りも! ワイが、案内する! 走れ!」
人族も、魔族も。ハルベルの民が、その道へ、殺到する。ケイルは、一人も、取りこぼすまいと、声を、張り上げ続けた。
その避難路を、守るように。ソラが、ヴァイスに支えられて、立った。
◇
「ソラ! 立てるか!」
ヴァイスが、叫んだ。
「市民が、逃げてる! この道を、守るんだ! ソラ、お前の力が、要る!」
「……ああ」
ソラは、木剣を、握りしめた。脇腹の傷が、痛む。だが、立った。市民が、逃げる、その道を、守るために。
追ってくる王国兵を、ソラが、木剣で、弾き返す。ヴァイスが、大剣で、薙ぎ払う。クレイが、リルを庇いながら、剣を、振るう。第一部隊の、生き残りが、必死に、道を、守る。
一人でも、多く。市民を、逃がすために。
だが。
◇
その、代償は、大きかった。
道を守る、ミストリア軍の中で。年嵩の兵たちが、前に、出た。
若者たちを──第一部隊と、ソラ、ヴァイス、クレイ、リルを、引かせるために。自らが、盾と、なるために。
「若いのは、下がれ! ここは、俺たちが、食い止める!」
「未来のある奴が、生きろ! 行け!」
年上の兵たちが、王国軍に、立ち向かっていく。ソラたちを、逃がすために。
「やめて……やめてくれ!」
ソラが、叫んだ。ヴァイスに、抱えられながら。
「もう、いい! 降参する! これ以上、誰も、死なせたくない! だから──やめてくれぇ!」
だが、その叫びは、届かなかった。
ヴァイスが、ソラを、抱えて、後退する。ソラの手が、届かないところで。盾となった兵たちが、次々と、倒れていく。
◇
後退する、ソラの前に。
モーリスが、立った。
血に染まった、鎧で。だが、その顔は、穏やかだった。老いた領主は、ソラを、まっすぐ、見て、微笑んだ。
「勇者殿。──いや、ソラよ」
「モーリス、さん……!」
「感謝している。心から」
モーリスの声は、静かだった。
「私は、四十年、目を逸らして、生きてきた。魔族を、見殺しにして。子供の靴を、見ないふりをして。──だが、お前たちが、来てくれた。私に、正しい側に、立つ機会を、くれた」
彼は、剣を、握り直した。
「最後に、この命を、贖罪の……いや」
モーリスは、首を、振った。そして、笑った。
◇
「若者たちの、未来のために、使える。──これ以上の、喜びが、あるか」
モーリスは、ソラに、背を向けた。まだ、燃える、ハルベルの街の方へ。
「人と、魔族の、差別のない世界を。──頼んだぞ、ソラ」
「モーリスさん! 待って、待ってくれ!」
ソラが、手を伸ばした。だが、ヴァイスが、その身体を、離さなかった。
「……ソラ。行くぞ」
「ヴァイス! 離せ! モーリスさんが!」
「あの人の、覚悟を、無駄にするな」
ヴァイスの声が、震えていた。ヴァイス自身、歯を、食いしばりながら。
モーリスが、ハルベル軍の、残りを率いて、王国軍へと、突っ込んでいった。最後の、突撃。連邦の若者たちを、完全に、逃がすための、時間を、作る、捨て身の一手。
「うぉぉぉぉっ!」
老いた領主の、雄叫びが。燃える街に、響いた。
◇
その隙に。
連邦軍の撤退が、完了した。
ソラ、ヴァイス、クレイ、リル。第一部隊の、生き残り。そして、逃げ延びた、ハルベルの市民。ケイルの確保した、精霊の道を通って。霧の回廊の、向こうへ。
ハルベルは、落ちた。
連邦が、最初に灯を点した街。盤上の灯の、原点。──そのすべてが、王国の手に、落ち、炎に、包まれた。
そして、モーリスは。ロランは。ハルベル軍は。──帰って、こなかった。
◇
霧の回廊を、抜けた先。
ソラは、膝を、ついた。
木剣を、握りしめたまま。動けなかった。ハルベルが、燃えている。守れなかった。モーリスを、ロランを、盾になった兵たちを、第一部隊の、多くの仲間を。──守れ、なかった。
「……俺の、せいだ」
ソラの声が、掠れた。
「俺が、弱かったから。俺が、あそこで、勝てなかったから。だから、みんな……!」
誰も、言葉を、かけられなかった。ヴァイスも。クレイも。リルも。みんな、傷だらけで、うつむいて。それぞれの、痛みを、抱えて。
◇
ヴァイスは、燃えるハルベルの方角を、見ていた。
モーリス。四十年、目を逸らしてきた、老いた領主。だが、最後は、若者のために、命を、投げ出した。人族の領主が。魔族の未来のために。
「……たいした、じいさんだったな」
ヴァイスが、呟いた。
「俺は、あの人を、尊敬するよ。人族とか、魔族とか、関係ねえ。──あんな死に方が、できる男に、俺は、なりたい」
クレイは、リルを、支えながら、拳を、握っていた。
「モーリス殿……」
若い領主の目に、涙と、決意が、あった。
「俺は、あの人みたいな、領主になる。民のために、命を張れる、領主に。──ローゼンを、必ず、守り抜く。あの人が、ハルベルを、守ろうとしたように」
リルが、そのクレイの手を、握った。
「私も。──私も、クレイを、支える。あなたが、いい領主になれるように。ずっと、そばで」
◇
ソラは、まだ、うつむいていた。
木剣を、見つめて。
「……この剣じゃ、何も、守れなかった」
ソラの声が、震えた。
「殺さない剣。守るための、剣。──でも、俺は、何も、守れなかった。モーリスさんも、ロランさんも、みんな。守れなかった」
彼は、木剣を、握りしめた。
「守るためには……守るためには、殺す覚悟も、必要なのか。この剣を、捨てて。ちゃんとした剣で、敵を、殺せば。そしたら、みんなを、守れたのか……?」
その、自問は、暗く、重かった。
ソラの、根っこを、揺るがす、問いだった。
◇
その時。
木剣が、淡く、光った。
『──ソラ』
声が、聞こえた。ソラの、心に、直接。無属性の、精霊。ソラの木剣に、宿る、あの精霊の、声だった。
「精霊……?」
『届け物が、ある。ハルベルの、あの男から』
「ハルベルの……モーリスさん?」
『あの男が、最期に、呟いた言葉だ。精霊は、命の消える、その一瞬に、宿った想いを、拾うことができる。──聞くか』
ソラの、心臓が、跳ねた。
「聞かせて、くれ……!」
◇
精霊が、モーリスの、最期の声を、ソラに、届けた。
燃える街で。ハルベル軍とともに、王国軍へ、突っ込みながら。老いた領主が、最後に、呟いた、言葉を。
『──ソラよ』
モーリスの、声だった。穏やかで、満ち足りた、声。
『私の心は、救われた。お前たちに、救われた。──四十年、目を逸らして生きた、この私が。最後に、正しいことのために、死ねる。こんな幸せが、あるか』
『ありがとう。──本当に、ありがとう』
その声が、ソラの心に、響いた瞬間。
ソラの、目から、涙が、あふれ出した。
◇
「モーリスさん……!」
ソラは、立ち上がった。
涙を、流しながら。燃えるハルベルの方角へ、向かって。もう、届かない、その人へ。ありったけの声で、叫んだ。
「こちらこそ──ありがとぉぉぉぉぉっ!」
その叫びが。霧の向こうの、燃える街へと、こだました。
守れなかった。多くを、失った。ハルベルは、落ちた。──だが、モーリスの心は、救われていた。ソラたちが、灯した灯は。あの老領主の、最後の四十年を、照らしていた。
木剣を握るソラの手に、もう、迷いは、なかった。
殺す覚悟ではない。──守り抜く、覚悟だった。次は、必ず。もう、誰も、失わないために。
ハルベルを、取り返す。モーリスの、託した未来を、守るために。




