第54話 落ちる灯火(前編)
——ソラ
王国軍が現れたのは、朝靄の残る時刻だった。
ソラは城壁の上から、その軍勢を見下ろした。黒い波が、地平を埋めている。五千。ハルベル攻防戦の時と、同じ数だ。
だが、違うものがあった。
先頭に、四つの影が立っている。銀の鎧。ひときわ研ぎ澄まされた気配。ソラには、それが誰か、すぐにわかった。
「……ヴィント」
一人は、間違いない。前に一度、剣を交えた兄弟子だ。
その隣に、大柄な男。両手に戦斧を提げている。ディートリヒ。豪快で、力自慢の兄弟子。稽古のあと、いつも飯を奢ってくれた。
細身の剣士は、ラインハルト。剣技の切れなら、高弟でも一、二を争う。
そして、長身の槍使い。ゴドウィン。無口で、めったに笑わない。でも、ソラが転ぶたび、黙って手を差し伸べてくれた。
四人とも、ソラが世話になった、先生の弟子仲間だった。
◇
「みんな……なんで」
ソラの声が掠れた。
木剣を握る手に、力がこもる。かつて共に汗を流した兄弟子たち。その全員が、今、敵として、ハルベルに牙を剥いている。
「ソラ坊」
城壁の下から、ヴィントの声が響いた。よく通る、静かな声だった。
「久しいな。──今日は、稽古じゃない」
「ヴィント……!」
「このハルベルを、王国が取り返す。連邦の、最初の灯だそうだな。ここを落とせば、お前たちの心臓に、刃が届く」
ヴィントが剣を抜いた。
「悪いが、手加減はできん。お前を、抑えに来た」
◇
ソラの隣に、仲間たちが並んだ。
ヴァイス。魔族の若手筆頭だ。この一年で、見違えるほど強くなった。大剣を担いで、不敵に笑っている。
クレイ。ローゼンの若い領主。剣と、知恵の両方を持つ。実戦は、これが初めてに近い。だが、その目に、怯みはなかった。
リル。薬草園の少女は、今や連邦の魔術師だ。この半年で、Bランクに手が届くまで腕を上げた。水の魔法で、攻撃と支援をこなす。
そして、その後ろに。
ソラの第一部隊が、控えていた。
◇
第一部隊。
ソラが、自ら鍛えた、若い自衛団だ。人族と、魔族が、半分ずつ。角のある者と、ない者が、肩を並べている。ミストリアで生まれた、初めての混成部隊だった。
みんな、若かった。まだ十代の者も、多い。だが、その目は、輝いていた。
「ソラ隊長!」
一人の若者が、声を上げた。人族の少年だ。
「俺たち、隊長についていきます! ハルベルを、守りましょう!」
「おう!」
魔族の少女も、続いた。
ソラは、その顔を、一人ずつ、見た。みんな、ソラを慕って、集まった若者たちだった。人も、魔族も、関係なく。ただ、ソラみたいに、なりたくて。
ミストリアの、希望だった。
◇
「モーリスさん!」
ソラは、城門の内を、振り返った。
そこに、モーリスの率いる、ハルベル軍五百がいた。側近のロランが、実働を指揮する。老いた領主は、剣を提げ、まっすぐ、前を見ていた。
「ソラ殿。この街は、私の街だ。何があっても、守り抜く」
「はい! 一緒に、守りましょう!」
連邦側の兵は、合わせて二千。
数では、二倍以上の差があった。だが、ソラの胸に、負ける気は、なかった。ここには、守りたいものが、たくさんある。それだけで、力が湧いた。
◇
「ソラ」
ヴァイスが、静かに言った。
「あの四人、お前の知り合いか」
「……ああ。先生の、弟子仲間だ。俺の、兄貴分たちだよ」
「やりにくいな」
「ああ。でも、ここは渡せねえ」
ソラは、木剣を担ぎ直した。そして、第一部隊を、振り返った。
「みんな! ハルベルは、俺たちが最初に灯を点した街だ! モーリスさんも、街のみんなもいる! ──守るぞ! 第一部隊、行くぞ!」
「おおおっ!」
若者たちが、雄叫びを上げた。人族も、魔族も。声を、揃えて。
その声を聞きながら、ソラは、木剣を、握りしめた。
◇
王国軍が、動いた。
五千の兵が、喊声とともに、城壁へ押し寄せる。だが、その動きは、ハルベル攻防戦の時とは、まるで違った。
統率が、取れている。
無秩序な突撃ではない。整然とした、組織的な波状攻撃だった。前列が攻め、下がり、次の列が攻める。将軍たちが、隅々まで、指揮を行き渡らせている。
「……前と、違う」
ヴァイスが、呻いた。
「あの支部長の時は、烏合の衆だった。だが、これは、軍だ。本物の、軍隊だ」
城壁の上で、ハルベル軍が応戦する。ロランが、必死に、下知を飛ばす。だが、王国軍の圧は、じわじわと、増していく。数と、組織の力だった。
クレイが、剣を抜いた。初陣の緊張を、噛み殺しながら。
「……落ち着け。相手は数が多いが、城壁がある。守りに徹すれば、崩れない。ロラン殿、右翼に兵を回してください!」
若い領主の指示は、的確だった。実戦は初めてでも、その知恵は、本物だった。
◇
「ソラ坊。お前の相手は、俺だ」
ヴィントが、城壁を駆け上がってきた。
その隣に、戦斧のディートリヒ。二人で、まっすぐ、ソラに迫る。
「ディートリヒまで……!」
「悪いなあ、ソラ坊」
ディートリヒが、豪快に笑った。だが、その目は、笑っていない。
「お前が強くなったってのは、ヴィントから聞いた。だからこそ、二人がかりだ。──恨むなよ」
ソラは、木剣を構えた。今、僧侶の祝福が、身体を包んでいる。連邦の回復役が、かけてくれた、一割の底上げだ。素の四百が、四百四十へ。
だが。
ヴィントと、ディートリヒ。二人がかりの将軍を前に、ソラは、初めて、背筋に、寒いものを感じた。
◇
二人が、同時に、斬りかかってきた。
がぁん!
ソラは、木剣で、ヴィントの剣を受けた。だが、その瞬間、横から、ディートリヒの戦斧が迫る。
「くっ……!」
かろうじて、身を捻って避ける。だが、体勢が崩れた。そこへ、ヴィントの次の一撃。
ソラは、力では、二人を上回っている。四百四十の膂力は、ヴィントにも、ディートリヒにも勝る。
だが、二人がかりだと、話が違った。
一人を受ければ、もう一人が、死角を突く。ヴィントと、ディートリヒの連携は、稽古で嫌というほど、見てきた。息が、合っている。ソラが力で押し返そうとするたび、二人は、巧みに、力を、受け流した。
「速いな、ソラ坊。だが──」
ヴィントが、冷静に言った。
「力任せだ。まだ、そこは、変わってない」
◇
ソラが、ヴィントとディートリヒに、釘付けにされている間。
戦線が、崩れ始めていた。
「ヴァイス! 右翼が、押されてる!」
クレイが、叫んだ。
第一部隊の若者たちが、王国の精鋭に、削られていく。ヴァイスが、大剣を振るって、必死に食い止める。だが、数が、違いすぎた。一人を倒しても、二人、三人と、湧いてくる。
「ちっ……きりがねえ!」
そこへ、細身の剣士が、躍り込んできた。
ラインハルト。
「魔族の若造か。──俺の稽古台には、ちょうどいい」
ラインハルトの剣が、閃いた。ヴァイスが、辛うじて受ける。だが、その一撃は、重かった。将軍の剣だ。ヴァイスの膂力でも、受けるのが、精一杯だった。
◇
リルは、後方で、必死に、魔法を紡いでいた。
「【水癒】! みんな、下がって! 傷を、癒すから!」
Bランクに届く魔力で、負傷した若者を、水の魔法で、癒していく。だが、追いつかない。倒れる者の方が、多かった。
「【水流の刃】!」
攻撃魔法も、放つ。だが、リル一人の火力では、五千の軍勢は、止められない。フィオナのような、桁違いの魔力は、リルには、まだ、ない。
「クレイ……!」
リルは、前線のクレイを、見た。
クレイは、ハルベル軍を、まとめ、必死に、指揮を執っていた。剣を振るいながら、退く場所、守る場所を、的確に、指示する。初陣とは思えない、いい指揮官だった。
だが、そのクレイの顔にも、焦りが、滲んでいた。
◇
「押される……!」
クレイが、呻いた。
「数が、違いすぎる。組織も、向こうが上だ。このままじゃ──」
ずしん、と、地面が揺れた。
長身の槍使いが、前線に、現れた。
ゴドウィン。無口な、槍の名手。その槍が、ひと薙ぎするたび、連邦の兵が、数人まとめて、宙を舞う。
「な……あの槍、化け物か!」
クレイが、目を見開いた。
ゴドウィンは、何も言わなかった。ただ、淡々と、槍を振るう。その一撃、一撃が、確実に、連邦の戦線を、削っていく。
将軍四人。そのすべてが、連邦の急所を、正確に、突いていた。
◇
城壁の上で、ソラは、なおも、ヴィントとディートリヒと、打ち合っていた。
がぎん、がぁん、と、剣戟が響く。
ソラは、押されていた。力は勝っても、二人の連携を、崩せない。木剣が、二人の斬撃を、受けるだけで、精一杯だった。反撃に、転じられない。
「ヴィント……くそっ、なんで、こんなに……!」
「言っただろう」
ヴィントが、静かに言った。
「戦は、個の武だけじゃ、決まらない。数と、連携と、作戦だ。──お前一人が、いくら強くても。仲間が、崩れれば、終わりだ」
ソラは、はっとして、戦場を見た。
ヴァイスが、ラインハルトに、押されている。クレイの、ハルベル軍が、ゴドウィンの槍に、崩されている。第一部隊の若者たちが、次々と、倒れていく。リルの回復が、追いつかない。
◇
「そんな……!」
ソラの顔から、血の気が引いた。
自分は、ヴィントとディートリヒに、抑えられて、動けない。仲間を、助けに行けない。その間に、戦線が、崩れていく。
これが、ヴィントの、狙いだった。
ソラを、二人がかりで、釘付けにする。その間に、残る二人が、戦線を崩す。ソラという、連邦最強の個を、封じてしまえば。あとは、数と、組織で、押し切れる。
「気づいたか」
ヴィントが、剣を振るいながら、言った。
「お前を抑えるためだけに、俺は、ディートリヒと組んだ。お前が動けなければ、連邦は崩れる。──悪いな、ソラ坊。お前の強さが、お前の枷になる」
◇
「うぉぉぉっ!」
ソラは、力を振り絞って、二人を、押し返そうとした。
四百四十の膂力が、爆発する。ヴィントと、ディートリヒが、一瞬、たじろいだ。
「させるか!」
だが、二人は、すぐに、体勢を立て直した。ヴィントが、ソラの木剣を受け流し、ディートリヒが、その隙に、戦斧を叩き込む。
ソラの脇腹に、斧の腹が、めり込んだ。
「がはっ……!」
ソラが、城壁の上を、転がった。木剣を、握ったまま。かろうじて、立ち上がる。だが、脇腹が、熱い。ディートリヒの一撃は、重かった。
「ソラ坊。もう、やめとけ」
ディートリヒが、静かに言った。
「お前一人じゃ、この戦は、ひっくり返せねえ。──退けば、命だけは、助かるぞ」
◇
ソラは、荒い息を吐きながら、立ち上がった。
脇腹を、押さえて。それでも、木剣を、離さなかった。
「……退かねえ」
「ソラ坊」
「退けるかよ! ここには、モーリスさんも、街のみんなも、第一部隊のみんなも、いるんだ! 逃げたら、その人たちは、どうなる!」
ソラは、まっすぐ、ヴィントを睨んだ。
「守るって、決めたんだ! 兄貴と! みんなと! ハルベルは、俺たちの、原点なんだよ!」
その叫びを、ヴィントは、静かに、聞いていた。
そして、剣を、構え直した。
「……その優しさが」
ヴィントの声は、どこか、哀しげだった。
「お前の、一番の強さで。一番の、弱さだ。──それを、俺は、利用している」
◇
戦況は、刻一刻と、悪化していった。
連邦の戦線は、じりじりと、後退していく。ヴァイスは、傷だらけになりながら、なお、剣を振るう。クレイは、ハルベル軍を、必死に、まとめる。リルは、声を枯らして、水の魔法を、唱え続ける。第一部隊の若者たちは、倒れても、倒れても、立ち上がった。ソラを、信じて。
だが、王国軍の圧は、止まらなかった。
数。組織。将軍の武。そのすべてが、連邦を、上回っていた。
城壁の一角が、破られた。王国兵が、城内へ、雪崩れ込む。
「城壁が、破られたぞ!」
ロランが、叫んだ。
「街に……街に、敵が、入ってくる!」
◇
ソラは、ヴィントとディートリヒに、抑えられたまま、その光景を、見ていた。
守ると誓った街に。敵が、なだれ込んでいく。
「ソラ坊」
ヴィントが、言った。剣を、交えながら。
「もう、わかっただろう。この戦は、お前たちの負けだ。──ハルベルは、落ちる」
ソラの目が、揺れた。
城壁の内側で、街が、蹂躙され始めている。モーリスの、ハルベル軍が、必死に、食い止めようとする。だが、王国軍の勢いは、止まらない。
炎が、上がり始めた。
街の、あちこちで。王国兵が、放った火が。
ソラの、守りたかったものが。灯そうとした、灯りが。──今、別の炎に、焼かれようとしていた。
「うぉぉぉぉっ!」
ソラは、絶叫した。
だが、その叫びも。ヴィントと、ディートリヒの、二人がかりの前には。届かなかった。




