第53話 二つの戦端
報せは、ケイルの交易網から届いた。
「王国が、動いたで」
執務室に飛び込んできたケイルの顔から、いつもの狐目の笑みが消えていた。
「それも一箇所やない。二方面や。連邦の東と、ハルベル。同時に大軍が迫っとる。どっちも、五千規模や」
俺は地図を広げた。頭の中で、盤面が回り始める。東の戦線と、ハルベル。連邦の本拠地を挟むように、二つの矛先が向いていた。
◇
「二方面、同時か」
王国の狙いは読めた。連邦の戦力を二つに割らせる。俺とソラを引き剥がす。二人が一緒にいれば手強い。だから別々の戦線に散らす。そういう盤面だ。
「乗るしかないな」
「乗る、やと?」
ケイルが眉をひそめた。
「割らされるとわかってて、割るんか」
「ああ。どちらの戦線も、放置はできない。東を捨てれば、そこから本拠地に雪崩れ込まれる。ハルベルを捨てれば、連邦の喉元を握られる。──どちらも守る」
俺は駒を二つに分けた。
◇
その夜、連邦の主だった者を集めた。
「戦力を二手に分ける。東の戦線は、俺が受け持つ。フィオナ、セシリア、ニック。連邦軍から二千。──ハルベルの戦線は、ソラ、お前だ。ヴァイス、クレイと、二千を連れていけ」
「おう!」
ソラが木剣を担いで頷いた。
「ハルベルは、モーリスさんの軍もいる。あそこは、俺たちの原点だ。絶対、守ってみせるぜ」
「頼む」
俺は頷いた。この時、俺はハルベルの戦線に、あのヴィントが四人がかりで待ち構えていることを、まだ知らなかった。
「魔王。あんたは本隊に残ってくれ。ミストリアの防衛だ」
「俺を遊ばせるのか」
魔王が、不服そうに片眉を上げた。
「あんたが出れば勝てる。だが、本拠地が空く。王国が二方面を囮にして、本隊を直接突く可能性がある。八千の民がいる、あの街を。それだけは空けられない」
魔王はしばらく俺を見て、ふっと笑った。
「よかろう。街は俺が守る。お前は、お前の盤面で勝ってこい」
◇
東の戦線。
連邦軍二千を率いて、俺は平野に布陣した。
向かってくる王国軍は五千。数で二倍以上。そしてその先頭に、四人の騎士がいた。銀の鎧。ひときわ格の違う気配。総騎士長の高弟。将軍格が、四人。
腕輪の視界が、その四人を捉えた。大柄な斧の男。細身の槍の男。双剣の男。そして、ひときわ若い、剣士。
(全員、油断できない。ヴィントと同格と見て、盤面を組む)
一人たりとも、格下と見ない。あのヴィントと同じ脅威として扱う。それが、生き残る前提だった。
◇
「フィオナ」
隣のフィオナを呼んだ。
「あの四人の将軍。あれをどうにかしないと、この戦は勝てない。五千の兵は、あくまで駒だ。本当の脅威は、あの四人だ」
「ええ。将軍を崩せば、残りはただの大軍です」
「そういうことだ。──セシリア。祝福を」
「はい!」
セシリアが祝福をかけた。温かい光が全身を包む。覚醒したセシリアの祝福は、以前とは桁が違った。
七柱の力が、聖剣を通して全身に満ちる。【自己強化(大)】。剣霊の加護。聖剣の完全開放。そしてセシリアの祝福。すべてが乗った。
素の九十七が、四百十二へ。
隠していた力を、すべて解き放つ。もう隠す段階じゃない。ここは、王国との全面戦争の戦場だ。Fランクの仮面は、脱ぎ捨てる。
◇
王国軍が動いた。
五千の兵が、地鳴りとともに押し寄せる。その先頭で、四人の将軍が駆けていた。
だが、その中の一人が、抜きん出て前に出た。
若い剣士の将軍だった。ソラより、二つ三つ上だろうか。まだ、あどけなさの残る顔。だが、その剣の構えだけは、恐ろしく洗練されていた。
「連邦の長は、後方のあいつか! おい、聞いたぞ、ヴィントの言い分は。だが、精々Aランク程度だろう!」
彼は、まっすぐ、俺とフィオナのいる後方を、狙ってきた。
「後衛を、先に叩く! 首を獲れば、それで終わりだ!」
腕輪の視界が、その男の情報を、捉えた。名は、ジーク。総合値は──三百。ヴィントと、同格。若くして、剣技だけなら、高弟の頂点に並ぶ、天才だった。
◇
「フィオナ。あの若いの、まっすぐ来るぞ」
「ええ。雷を、待機させています」
フィオナの指先に、すでに、火花が、弾けていた。
ジークは、それに、気づいていた。俺たちが、何か魔法を、溜めていることに。だが──止まらなかった。
「魔法など! この俺の速さの前では、詠唱が、間に合わん!」
若さゆえの、慢心だった。剣技の天才が、自分の速さを、過信していた。フィオナの魔力を、Aランクの魔術師程度と、侮った。ヴィントが「侮るな」と、あれほど言ったのに。
ジークが、間合いに、飛び込んできた。
「もらったぁ!」
「──【雷光】」
フィオナの指先から、極大の電撃が、迸った。
◇
どぱぁん!!
魔力百七十の、高威力の雷が、ジークを、真正面から、飲み込んだ。
「がっ……!?」
天才剣士の速さも、その一撃の前では、意味をなさなかった。フィオナの雷は、詠唱の隙を突かせる暇もなく、ジークの全身を、貫いた。
ジークが、白目を剥いて、崩れ落ちた。ぴくりとも、動かない。気絶だ。殺してはいない。だが、完全に、戦闘不能。
戦場が、一瞬、静まった。
高弟の一人、しかもヴィントと同格の天才が。たった一撃で、沈んだ。
「ば……馬鹿な」
残る三人の将軍が、絶句した。
「ジークが、一撃で……あの魔法、なんだ、あの威力は……!」
◇
「三人になったな」
俺は、聖剣を構えた。
「フィオナは、大軍を頼む。──残る将軍三人は、俺が引き受ける」
「一人で、三人を?」
セシリアが、驚いた声を上げた。
「ああ。行くぞ」
俺は、三人の将軍に、まっすぐ突っ込んだ。斧、槍、双剣。三人が、俺を囲むように、展開する。連携の取れた、将軍の動き。一人ずつなら捌けても、三人がかりの技とコンビネーションは、四百十二の俺でも、重かった。
がぁん、がぎん、と、聖剣が、三方向からの斬撃を、受け止める。だが、じりじりと、押される。三人の将軍の連携は、隙がなかった。
「くっ……」
一人の斬撃を受ければ、別の一人が、死角を突く。腕輪の視界で読み切っても、四百十二の身体一つでは、三人すべてを、捌ききれない。
◇
(仕方ない。──あれを、使う)
俺は、聖剣に、意識を集中した。連邦の誰にも、見せていない技。魔王にも、ソラにも隠してきた、隠し玉。──フィオナだけが、知っている。
「精霊解放」
聖剣が、応えた。
七柱の精霊の力が、刀身に、宿る。数値は、上がらない。四百十二のままだ。だが──聖剣に、任意の属性を、纏わせることができる。
刀身が、赤く燃え上がった。炎の精霊。
「なっ……剣が、燃えた!?」
斧の将軍が、たじろいだ。俺は、その隙に、炎を纏った聖剣で、三人を、薙ぎ払った。ごぉっ、と炎が、将軍たちを、押し返す。
◇
後方で、ニックとセシリアが、目を丸くしていた。
「な……なんだ、あれ! レイジ、あんな技、持ってたのか!?」
「聞いて、ません! 剣が、燃えて……!」
二人は、初めて見る精霊解放に、唖然としていた。その隣で、フィオナだけが、涼しい顔で、腕を組んでいる。
「ふふん」
フィオナが、小さく、胸を張った。知っていた、とでも言いたげな、ドヤ顔だった。
「知ってたのか、フィオナ!?」
「当然です。私は、聖剣の精霊たちと、話せますから。──あの人の、隠し玉くらい」
そう言いながらも、フィオナの手は、止まっていない。押し寄せる五千の兵に、氷と雷を、次々と叩き込み、大軍の勢いを、削いでいた。
◇
炎で押し返しても、三人の将軍は、すぐに、態勢を立て直した。
「精霊術、だと? 面妖な……! だが、数値は、上がっていない! 押し切れる!」
槍の将軍が、鋭く、突いてきた。俺は、それを、辛うじて逸らす。やはり、三人は、重い。属性を纏っても、手数が足りない。被弾を、避けきれない。
双剣の将軍の一撃が、俺の肩を、掠めた。血が、滲む。
「セシリア!」
「はい! 【治癒】!」
セシリアの回復が、即座に、俺の傷を塞いだ。覚醒した回復は、速く、確実だった。傷を負っても、すぐに戻る。
「ニック! 援護!」
「おう!」
ニックが、弓を引いた。ひゅん、ひゅん、と、矢が、将軍たちの足元を、牽制する。倒せはしない。だが、動きを、わずかに、乱す。その一瞬が、俺には、大きかった。
◇
(そろそろ、頃合いだ)
俺は、フィオナに、目をやった。視線が、絡む。それだけで、フィオナは、悟った。長い付き合いだ。言葉は、要らない。
俺は、聖剣の炎を、消した。そして、新たな精霊を、呼ぶ。刀身が、薄緑に、輝いた。風の精霊。
「フィオナ! 頼む!」
「ええ!」
フィオナが、指先を、こちらに向けた。──俺に。
「【氷結】!」
ニックとセシリアが、ぎょっとした。
「ちょ……フィオナ! レイジに、氷魔法、撃ってどうする!?」
「味方だぞ!?」
だが、俺は、笑った。
「タイミング、ばっちりだ」
◇
フィオナの放った氷が、風を纏った聖剣に、吸い込まれた。
風の精霊が、氷を、受け止める。そして、渦を巻いて、増幅する。刀身に、氷と風が、絡み合い、渦巻く暴風の刃と、なった。
「精霊合わせ──氷風撃!」
俺は、その刃を、三人の将軍のうちの一人、双剣の男に、叩きつけた。
ごぉぉぉっ!!
氷の礫を孕んだ暴風が、双剣の将軍を、飲み込んだ。防御ごと、吹き飛ばす。将軍の身体が、宙を舞い、地面に、叩きつけられた。
「がはっ……!?」
双剣の将軍が、氷漬けの半身で、動かなくなった。気絶だ。
風でフィオナの氷を増幅し、一点に叩き込む。二人にしか、できない技。フィオナが、精霊解放を知っているからこそ、成立する連携だった。
◇
「二人、やられた……!」
残る、斧と槍の将軍が、後ずさった。
「ジークが、一撃。今の、双剣の合わせ技で、もう一人。──三人がかりでも、抑えきれん!」
槍の将軍の顔が、青ざめた。彼の視線が、後方の、フィオナに、向いた。
「あの女……! 魔力が、桁違いだ。魔王を、超えているぞ! あれだけの魔力で、極大魔法を、溜められたら」
斧の将軍が、息を呑んだ。
「本隊が……五千が、まとめて、消し飛ぶ……!」
その通りだった。フィオナの魔力百七十は、もはや、戦術兵器だった。時間を与えれば、大軍そのものを、一掃できる。将軍を抑えている間に、フィオナが、本隊に、極大魔法を撃てば。
◇
「退くぞ!」
槍の将軍が、叫んだ。
「これ以上は、被害が、増えるだけだ! 連邦の長は、勇者クラス。加えて、あの、精霊術。後方の女は、魔王を超える魔力! ──我らだけでは、抑えきれん!」
斧の将軍も、頷いた。
「ジークと、オズワルドを、回収しろ! 全軍、撤退!」
王国軍が、退き始めた。五千のうち、すでに八百が、地に伏している。だが、将軍の指揮は、崩れていなかった。倒れた仲間を担ぎ、兵をまとめ、整然と退いていく。
俺は、それを、追わなかった。
「深追いは、するな。無駄な血は、流さない。──守り切れば、それでいい」
◇
戦場に、静けさが戻った。
連邦軍二千は、百ほどを失っただけで、ほぼ無傷。対して王国軍は、五千のうち八百を失い、将軍二人を、担いで退いた。
完勝だった。
「……勝った」
ニックが、へなへなと、座り込んだ。
「なあ、レイジ。あの、剣が燃えたり、風になったりする技、なんだよ! いつの間に、あんなもん!」
「精霊解放だ。聖剣に、属性を纏わせる。──今まで、隠してた」
「隠しすぎだろ!」
セシリアも、まだ、唖然としていた。
「フィオナさんが、レイジさんに、氷を撃った時は、心臓が、止まるかと……」
その隣で、フィオナが、また、胸を張った。
「言ったでしょう。私は、知っていた、と」
二度目の、ドヤ顔だった。
◇
俺は、聖剣を、鞘に納めた。
加護が切れて、身体から力が抜けていく。四百十二から、元の、最弱の身体へ。どっと、疲れが、押し寄せる。
「……ふう」
だが、勝った。将軍四人がいても、俺の盤面で、捌けた。グレイス総騎士長は、きっと、こう考えた。「武を持たぬ知恵者は、駒を薙ぎ倒せば詰む」と。──だが、俺は、自ら盤に降りて、駒になった。聖剣を持ち、精霊を纏い、フィオナと合わせた。指し手が、盤上で、将軍を抑える。あの老将の理屈は、通じなかった。
「フィオナ、セシリア、ニック。──よくやってくれた」
三人が、頷いた。
だが、俺の胸には、勝利の喜びより、別の思いが、広がっていた。
◇
もう一つの戦線。
ハルベル。
俺は、その方角の空を、見た。
遠く、空が、赤い。夕焼けにしては、早すぎる、赤だった。何かが、燃えている。──そんな、色だった。
「ニック。ハルベルに、伝令を、飛ばせるか。ソラの、戦況を、知りたい」
「やってみる。だが、遠い。時間が、かかるぞ」
東の戦線は、勝てた。将軍四人がいても、俺の盤面で、捌けた。だが、ソラは。
ソラは、強い。個の武なら、あの中の誰にも、負けない。だが、ソラは、盤面を組む男じゃない。まっすぐで、優しくて、仲間を、見殺しにできない。
もし、ヴィントが、その優しさを、突いてきたら。
「ソラ……」
俺は、赤い空を、見つめた。
俺の盤面は、勝った。だが、盤面の外側で。俺の手の届かない場所で。──何かが、崩れ始めている。その予感が、拭えなかった。




