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『最弱の戦略家は復讐しない 〜俺を騙したパーティーを俺のクランで雇い直す。ざまぁより、そっちが"勝ち筋"だったので〜』  作者: めざし
盤面の外へ編

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第52話 王都の牙

——ヴィント

王都レーヴェンは、連邦の街とは何もかもが違った。

高くそびえる城壁。磨き上げられた石畳。整然と並ぶ兵舎。すべてが力を誇示するために造られている。ヴィントはその王城の廊下を、一人歩いていた。

ハルベルから撤退して、まだ数日。血の匂いも抜けきっていない。退いたその足で、まっすぐ王都へ戻ってきた。一刻も早く報告せねばならなかった。ハルベルを落とせなかった。それだけではない。あの戦場で見たものを、王と師に伝えねばならない。

謁見の間の前で足を止める。扉の向こうに王がいる。そして師がいる。

扉が開いた。

「入れ」

低い声が響いた。

謁見の間は広かった。

玉座にレーヴェン王ゲオルグが座っていた。歳は五十を過ぎている。肥えてはいないが、その目に酷薄な光があった。魔族を家畜と呼び、討伐で領土を広げ、そうやって国を富ませてきた王。その手を一度も汚れたと思ったことのない男だ。

玉座の傍らに、一人の男が立っていた。

グレイス総騎士長。歳は六十近い。だが背筋は鉄のようにまっすぐだった。銀の髪。鍛え抜かれた身体。この国の武の頂点に立ち、八人の将軍を束ねる男。ヴィントたち高弟の師でもある。

「ヴィントよ」

ゲオルグ王が口を開いた。

「ハルベルの討伐、失敗したそうだな」

「……申し訳、ございません」

ヴィントは膝をついた。

「言い訳を聞こう」

ゲオルグ王の声は冷たかった。

「千の兵を与えた。ギルドの精鋭も付けた。それで、たかが一つの領を落とせなかった。なぜだ」

「勇者が、いました」

謁見の間がざわめいた。

「勇者ソラ。魔族側についた、あの勇者にございます。奴が一騎で、千の軍勢の中央を突破しました。鎧ごと兵を吹き飛ばして。あの膂力は常軌を逸しております」

「勇者だと」

ゲオルグ王が眉をひそめた。

「あれは我が国が召喚した、我が国の駒だぞ。それが、なぜ魔族の側に」

「わかりませぬ。ですが、勇者は変わっておりました」

ヴィントはあの戦場を思い出した。

「召喚された頃の勇者は、剣を振り回すだけの、力任せの若者でした。ですが、あの戦場の勇者は違った。考えて剣を振っておりました。私の動きを読み、受け、いなした。──正直に申し上げます。私一人では、抑えきれませなんだ」

「貴様が抑えきれなかっただと」

グレイス総騎士長が初めて口を開いた。低く重い声だった。

「はい、師よ。お恥ずかしい限りにございます。ですが、それだけの相手でした」

グレイスの目が細くなった。自らが鍛えた八人の高弟、その筆頭たるヴィントが抑えきれなかった。その意味を、この老将は正確に理解していた。

「勇者は、誰かに鍛え直されたのか」

「……そのようにございます」

「連邦を率いているのは、魔王ではありませんでした」

その言葉に、ゲオルグ王が身を乗り出した。

「なに? 魔王ではない?」

「はい。勇者は申しました。連邦の長は、レイジという男だと。魔王ではない、と」

「レイジ……?」

ゲオルグ王がその名を口の中で転がした。

「聞かん名だ。何者だ、それは」

「わかりませぬ」

ヴィントは正直に答えた。

「戦場で、後方に立っておりました。剣を振るう様子もない。魔法を使う様子もない。ただそこに立って、戦場を見ていた。──ですが、あの勇者を変えた男が、ただ者とは思えませぬ」

謁見の間の隅から、一人の文官が進み出た。

痩せた、狡猾そうな顔の男だった。地味な衣を纏っている。

「恐れながら、陛下」

男が揉み手をした。

「そのレイジという男。私、心当たりがございます。ハルベルの旧支部長ジグムントから、討伐前に報告が上がっておりました。連邦の長は、レイジというFランクの冒険者だと」

「Fランク?」

謁見の間の家臣たちから、失笑が漏れた。

「Fランクの冒険者が、連邦の長とは」

「魔王の、飾りでございましょう」

家臣たちが口々に笑った。ゲオルグ王も鼻を鳴らした。

「くだらん。剣も魔も使えぬ男が、一国を率いるなど、あり得ぬわ」

「──お待ちを」

低い声が、家臣たちの笑いを断ち切った。

グレイス総騎士長だった。王には向けず、ただ、笑った家臣たちを静かに見据えていた。

「その笑いは、油断にございます。陛下の御前で、恥じ入るべきかと」

家臣たちの笑いが、ぴたりと止んだ。グレイスはゲオルグ王に向き直り、頭を垂れた。

「陛下。ヴィントは、我が高弟の筆頭。その男が抑えきれぬ勇者を、変えた者がおります。侮ってよい相手とは、思えませぬ」

ゲオルグ王はしばらく黙し、それから頷いた。

「……よかろう。グレイス、お前の見立てを聞こう」

「ヴィント。お前はそのレイジという男を、どう見た」

グレイスが問うた。

ヴィントはしばらく考えた。あの戦場。後方に立っていた、目立たない男。だが勇者を変え、魔王を従え、あのジグムントを、一言も剣を交えずに自滅させた。戦場全体が、まるであの男の掌の上で動かされているようだった。

「飾りではありませぬ」

ヴィントは答えた。

「あの戦場を、本当に動かしていたのは、あの男です。人の心を、盤上の駒のように動かす。ジグムントという男を、挑発一つで自滅させました。──そういう類の、恐ろしさにございます」

グレイスが頷いた。

「同感だ」

「陛下。此度の連邦、侮ってはなりませぬ」

グレイス総騎士長の声は重かった。

「勇者を擁し、魔王を擁し、そして正体の知れぬ知恵者が束ねている。放置すれば、領は次々と離反いたします。今この時も、連邦は版図を広げておりましょう。──我らの対応が遅れれば遅れるほど、奴らは肥え太ります」

ゲオルグ王の顔が険しくなった。

「では、どうせよと言う」

「正攻法にございます」

グレイスが地図を広げた。レーヴェン王国と、その周辺。連邦に奪われた領が、赤く記されている。

「小細工は要りませぬ。連邦の強みは、勇者と、あの知恵者。この二人が、個の武と知恵で、少数の戦をひっくり返す。──ならば、こちらは、その逆を突きます。数と、組織と、兵力の差で、正面から押し潰す」

「戦線を、二つ、同時に開きます」

グレイスの目が鋭く光った。

「連邦を、二方面から攻める。連邦は、勇者と知恵者を、引き剥がさざるを得ませぬ。二人が一緒にいれば手強いが、別々の戦線に散れば、それぞれは、ただの一戦線に過ぎませぬ」

彼は地図の二点を指した。

「各戦線に、将軍を四人ずつ。加えて、正規軍の本隊を厚く配します。勇者がどちらに来ようと、知恵者がどちらに現れようと、構いませぬ。四人の将軍と、大軍で、受けて立つ。──個の武は、数で囲む。知恵は、兵力の差で、押し切る」

ゲオルグ王が、ゆっくりと頷いた。

「小手先ではなく、力で捻り潰すか」

「御意。連邦の兵は、勇者と魔王を除けば、我が将軍の敵ではありませぬ。正面からぶつかれば、質が違う。数も違う。──必ず、削れます」

「そして、本道は」

グレイスが、地図の一点を指した。連邦の本拠地の、すぐ隣。

「ハルベルです。連邦が最初に奪った領。奴らの原点であり、本拠地の喉元。ここを取り返せば、連邦の心臓に、刃を突きつけられる。──こちらを主攻とし、主力を集中させます。もう一方の戦線は、連邦の戦力を引きつけ、散らすための一手」

「主力は、ハルベルに集めるのだな」

「御意」

ヴィントは、その采配を聞きながら、一歩、前に出た。

「そのハルベルの戦線、この私に、お任せいただけませぬか」

「ほう」

グレイスが弟子を見た。

「志願か、ヴィント」

「はい。私は、あの地で一度、退きました。あの決着を、つけたいのです。それに──ハルベルは本道。主攻を担うなら、地の利も、敵の様子も知る私が、適任かと」

グレイスは、しばらく弟子を見て、頷いた。

「よかろう。ハルベルは、お前に預ける。ディートリヒ、ラインハルト、ゴドウィンを付ける。四人だ。もう一方の戦線には、残る四人を回す。──兵力差で、ハルベルを落とせ。それが、第一だ」

「はっ」

「ただし」

グレイスの目が、鋭くなった。

「もし、あの戦場に勇者が現れたら。その時は、抑え込め。一人で無理なら、二人がかりでいい。個の武で挑むな。軍で、囲め」

謁見が終わり、退出しようとしたヴィントを、グレイスが呼び止めた。

二人きりになった。師と弟子。王の前の、張り詰めた空気が、少し緩んだ。

「勇者は──ソラは、そんなに変わったか」

グレイスの声から、将の厳しさが消えていた。そこにあったのは、一人の弟子を案じる、老いた師の顔だった。ソラもまた、この男の、末の弟子だった。

「……変わりました」

ヴィントは静かに答えた。

「見違えるほどに。剣に、芯が通っておりました。あの子は、守るために剣を握っていた。師よ。あの子は、いい男になりました」

グレイスの目が、わずかに和らいだ。

「そうか」

だが、すぐにその顔は、将のものに戻った。

「だが、敵だ。次に会えば、斬り合うことになる」

「……はい」

ヴィントは、その言葉の重さを噛みしめた。

その夜。八人の高弟が、王都の一室に集まった。

グレイスの直弟子たち。すべてSランク上位。そして、それぞれが軍を率いる将軍。ヴィントを筆頭に、ディートリヒ、ラインハルト、ゴドウィン、アルフレート、コンラート、オズワルド、ジーク。

「聞いたぞ、ヴィント」

大柄なディートリヒが笑った。

「ソラ坊に手こずったんだってな。あの甘ちゃんに。信じられん」

王の前を離れた今、高弟たちの口から、親しい呼び名が出た。彼らにとってソラは、共に汗を流した、末の弟弟子だった。

「会えばわかる」

ヴィントは静かに答えた。

「ソラ坊は変わった。三年前の、あの子供じゃない。特に、力比べを挑むな。あいつの膂力は、俺たちの上だ」

高弟たちの顔から、笑みが消えた。ヴィントがここまで言う。それがどれほどのことか、彼らは知っていた。

「作戦は聞いたな」

ヴィントは地図を広げた。

「俺と、ディートリヒ、ラインハルト、ゴドウィン。この四人でハルベルを叩く。本道だ。もう一方の戦線が、連邦の戦力を引きつけている間に、ここに主力を集中させる」

「ソラ坊は、来るか」

ゴドウィンが聞いた。無口な、槍の名手だ。

「来るかもしれん。来ないかもしれん。──それは、連邦が決めることだ」

ヴィントは静かに答えた。

「だが、どちらでもいい。ハルベルは、派手に攻める。まず、兵力差で落としにかかる。連邦の原点が燃えれば、あいつは放っておけないだろう。もし来れば──俺が抑える。来なければ、そのままハルベルを落とすだけだ」

彼は地図を見据えた。

「どちらに転んでも、こちらの得になる。それが、この一手だ」

「三年、稽古をつけて、わかっている」

ヴィントは静かに続けた。

「あいつは、目の前で誰かが傷つくのを、見過ごせない。損得でも、理屈でもない。ただ、放っておけないんだ。ハルベルの危機を知れば、来る公算は高い。──だが、確証はない。賭けだ」

「来た時のために、罠を張っておくわけか」

ラインハルトが言った。細身の、剣の達人だ。

「ああ。来れば、あいつの優しさが、命取りになる。来なければ、それはそれでいい。ハルベルは、どのみち落ちる」

その声に、わずかな苦さが滲んだ。弟の優しさを、弟を倒すために使う。もし来れば。それが騎士の務めだった。忠義という名の、鎖だった。

「来たソラを、俺ともう一人で抑え込む」

ヴィントは地図に駒を置いた。

「二人がかりだ。個の武では、あいつに届かん。だが、二人で連携すれば、抑えられる。その間に、残る二人が、ハルベルの守りを崩す。連邦の兵は、ソラ以外、まだ俺たちには及ばん。──数と、連携と、作戦。それを思い知らせてやる」

「勇者一人に、四人がかり。過剰か?」

ディートリヒが笑った。

「過剰でいい」

ヴィントは笑わなかった。

「あいつを甘く見た者から死ぬ。俺は一度、退いている。次は退かん」

高弟たちが頷いた。

会議が終わり、高弟たちが散っていく。

ヴィントは一人、窓辺に残った。月を見上げて。

明日、王都を発つ。ハルベルへ。そこで、あるいはソラ坊と、また剣を交えるかもしれん。今度は稽古ではない。殺し合いだ。しかも、あいつの優しさを、罠に使って。

「……すまんな、ソラ坊」

ヴィントは呟いた。もし来るなら、と胸の内で付け足して。

弟の成長を喜ぶ気持ちは、本物だった。その弟に、牙を剥くかもしれない。それも、正面からではなく、罠にかけて。

だが、それでも。ヴィントの胸には、もう一つの影が引っかかっていた。

レイジ。あの得体の知れない男。──奴は、もう一方の戦線に現れるのか。そこには、四人の将軍がいる。師は、力で押し潰せると言った。理屈は、その通りだ。

(だが、あの男は、本当に、それで詰むのか)

月が、雲に隠れた。

王国の牙は、研がれた。二つの戦線へ。そして最も鋭い牙が、連邦の原点──ハルベルへと、向けられた。

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