第48話 ハルベル攻防戦(後編)
嵐は、ヴィントの側から動き出した。
後方拠点まで退いた王国正規軍が、態勢を立て直し、再び隊列を組み始めた。ヴィントの指揮だ。崩れかけた戦線を、たった半刻で整え直している。
俺はその動きを、腕輪の視界で追っていた。
「……立て直しが早い」
見事な指揮官だった。ソラと互角に打ち合い、退き際も鮮やか。そして今、乱れた軍を瞬く間に再編している。
ヴィントはギルド部隊を置き去りにした。使えないと見切って。その判断も正しい。──正しすぎた。
なぜなら、その置き去りにされたギルド部隊こそ、今この盤面で、一番の爆薬だったからだ。
◇
丘の上のジグムントは、まだ煮えたぎっていた。
腕輪の視界とミサンガの聴覚が、その独り言を拾う。
「ヴィントめ……私を置いていきおって。あの脳筋の騎士も、しょせん私の頭脳がわからんのだ」
彼は剣を握りしめていた。
「見ていろ。私があのレイジの首を獲る。そうすれば、ヴィントも王国本部も、私を見直す。もう一度、私は返り咲くのだ」
その時、ヴィントの正規軍が前進を開始した。整然と、連邦軍へ向けて。
ジグムントの目がぎらついた。
「……今だ。正規軍が正面からぶつかる。その隙に、私のギルド部隊が横から、レイジを──」
だが俺は、その独り言に被せるように動いた。ヴィントの前進を待たずに。
◇
「ニック。もう一度、あいつに伝令だ」
俺は言った。
「今度は、俺自身の話も混ぜてやれ」
ニックが丘の麓へ、韋駄天で駆けた。そして声を張り上げる。
「連邦の長、レイジからの伝言! ──『なあジグムント。二年前、お前は俺を、なんて呼んだ』!」
ジグムントの肩が跳ねた。
「『囮だ。使い捨てのFランク。お前は俺をそう呼んで、死地に放り込んだ』!」
ニックの声が戦場に響く。
「『そのFランクの囮が、今、何をしてると思う。──一国の長だ。人族と魔族の連邦を率いてる。お前が道連れにしようとしたガルドは総隊長。囮に使った俺は、長だ』!」
ジグムントの顔が引きつった。
◇
「『二年前、お前が見下していた二人が、今や一国を動かしてる』」
ニックが容赦なく続ける。
「『で、お前は? 尻尾切りでギルドの下働き。正規軍にも見捨てられて、丘の上で一人、喚いてる』」
そして、最後の一撃。
「『なあジグムント。──お前が駒だと見下した奴らに、お前は追い抜かれたんだ。ぜんぶ、お前が人を駒としか見なかった、報いだよ』!」
丘の上で、ジグムントの中の何かが──
ぶつり、と切れた。
「あああああ! レイジぃぃぃ!」
彼は剣を天に突き上げ、絶叫した。
「ギルド部隊! 全隊、突撃! あのレイジを殺せぇぇぇ! 正規軍なんぞ待つな! 今すぐ突っ込め!」
◇
ギルドの精鋭五十人が動いた。
統率も陣形もない。ただジグムントの絶叫に押されて、Sランクを含む精鋭が、ばらばらに俺一人を目掛けて突っ込んでくる。
その瞬間。
前進していたヴィントの正規軍が──
ぴたり、と止まった。
「……なっ!?」
腕輪の視界の向こうで、ヴィントが絶句しているのが見えた。
彼の作戦はこうだったはずだ。正規軍が正面から連邦軍と噛み合う。その押し合いの中で、機を見て動く。だが、その正面の噛み合いが始まる前に、ギルド部隊が勝手に突出した。正規軍の前進のタイミングが、完全に崩れた。
「あの馬鹿が……!」
ヴィントの怒声が、風に乗って微かに届いた。
「誰が突っ込めと言った! 連携もなく突出しおって! 全軍の足並みが崩れる!」
◇
正規軍は前進を止めざるを得なかった。
ギルド部隊が勝手に突っ込んだせいで、戦線に大穴が空く。そこへ正規軍が続けば、その穴に連邦軍が雪崩れ込む。ヴィントは動くに動けなくなった。
味方の暴走が、味方の足を止めた。
「……盤面通りだ」
俺は静かに呟いた。
ジグムント一人の私怨が、王国軍全体の作戦を壊した。ヴィントがどれだけ有能でも、指揮下にない暴走した駒までは御せない。
「フィオナ。──来るぞ」
「はい」
突っ込んでくるギルド部隊五十。俺とフィオナ、二人の前に。
◇
俺は腰の聖剣を抜いた。
しゃらん、と七色の光が刀身を駆け抜ける。物理補正、百。俺の二百五十六が、三百五十六を超えた。剣を握った瞬間、七柱の力が全身に満ちていく。
「フィオナ、右半分。俺が左だ」
「わかりました」
フィオナが指先を掲げた。虹色の光が、そこに宿る。
「【氷結の大牢】」
ずざざざっ、と地面が凍りついた。氷が走り、突っ込んできた精鋭の右半分、その足を丸ごと絡め取る。
「な、動けん!」
「くそっ、氷か!」
かつての氷特化とは、比べ物にならない。フィオナの氷は、精度も規模も桁が違った。二十人以上を、一手で拘束する。
◇
「Sランクが二人。左から来る」
俺は聖剣を構えた。
突っ込んでくるSランクの剣。二百五十から三百。だが、聖剣を握った今の俺は、それを真正面から受け止められる。
がぁん!
剣が噛み合った。
「なっ……!? 受け止めた!?」
「Fランク如きに──!」
「そのFランクに」
俺は二人の剣を、聖剣で弾き返した。ばぎん、と鋼が鳴る。
「お前らは、負けたんだよ」
体勢を崩した二人の鳩尾に、聖剣の柄を叩き込む。どっ、どっ、と二人が崩れ落ちた。殺さない。無力化するだけだ。──騙されて駆り出された者も、いるだろう。
◇
フィオナが、拘束した右半分を、次々と無力化していく。
「【雷光の鎖】」
ばりばりっ、と氷漬けの群れに雷が走る。精鋭たちを痺れさせ、その場に崩れさせる。殺さない。ただ動けなくする。
「【風の檻】」
ひゅんっ、と風の刃が、武器を持った手だけを弾いた。刃だけを飛ばし、指一本傷つけない。
もはや殺戮ではなかった。制圧だ。フィオナは二十人、三十人を、殺さずに捻じ伏せていく。
「さすがだ!フィオナ」
「これでも、歴代最高の器ですから」
フィオナは涼しい顔で言った。だがその目には、静かな熱があった。あの支部長が引き連れてきた部隊を。今、自分の手で、地に伏せさせている。紅の盾の頃、指をくわえて見ているしかなかった、あの男の悪事。その決着を、今、自分でつけていた。
◇
五十人のギルド精鋭は、みるみる削られていった。
殺されてはいない。だが一人残らず、地に伏していく。氷に拘束され、雷に痺れ、武器を失い。──統率を欠いた精鋭など、ただの的だった。
丘の上のジグムントが、それを見て絶句した。
「そ、そんな……Sランクを含む五十人が……たった二人に……!?」
彼の手から双眼鏡が滑り落ちた。
「ありえん……ありえんぞ! あのレイジはFランクだ! ただの囮だった! なのに、なぜ──!」
その時、彼の目に、退いていく正規軍が映った。ヴィントが態勢を立て直し、今度こそ綺麗に撤退を始めている。ギルドを、完全に見捨てて。
「ま、待て! ヴィント! 私を置いていくな! 援護を──!」
だが、正規軍は止まらなかった。
◇
ジグムントは、丘の上で一人、取り残された。
ギルド部隊は壊滅。正規軍は去っていく。連邦軍が丘へと迫る。
「……終わりだ」
彼の声が掠れた。
「また、私は置いていかれる。捨てられる。──二年前と同じだ」
その目が、ぎらり、と絶望的な光を帯びた。
「……嫌だ。嫌だ! こんなところで! 私が、こんなFランク如きに、負けてたまるか!」
彼は震える手で、懐から何かを取り出した。黒い水晶のような魔道具。禁じられた力の籠もった、それを。
「これがあれば……!」
腕輪の視界が、それを捉えた。俺の背筋に、冷たいものが走る。
「……あれは、まずい」
◇
「レイジ! あれ、なんだ!?」
ソラが駆け寄ってきた。木剣を担いで。ヴィントとの戦いを終え、こちらへ戻ってきていた。
「魔道具だ。──嫌な気配がする」
ジグムントが、その黒い水晶を握りしめ、掲げた。
「見ていろ、レイジ! 私は、まだ終わらん!」
彼が魔道具に魔力を注ぐ。
刹那。
ぶわっ、と黒い光がジグムントの全身を包んだ。
「ぐ、ぉ……おおおおお!」
彼の身体が膨れ上がる。血管が浮き、肌が黒く染まっていく。目から理性の光が消えていく。──人をやめる力。禁呪の魔道具が、彼の命を燃料に、暴走を始めた。
「ぉ……ォォ……ォオオオオ!」
ジグムントだったものが、異形の咆哮を上げた。
◇
ずしん、と大地が揺れた。
暴走したジグムントが、丘を駆け下りてくる。異形の膂力。その出力はSランクを超えていた。膨れ上がった腕が地面を抉る。
「うぉぉ! レイジ! レイジぃぃ! 殺す! 殺してやるぅ!」
理性はない。ただ憎悪だけが、暴走の核に残っていた。だが──技も、知恵も、覚悟もない。ただ力だけが膨れ上がった暴走だ。
「……速いが、単調だ」
俺はその動きを読んだ。膨れ上がった身体は、力こそあるが、動きが直線的だった。
「フィオナ、下がれ。ソラ」
「おう」
「あれを止められるか。──殺さずに」
ソラが木剣を握り直した。その顔から、いつものへらへらした色が消えていた。
◇
「殺さねえよ」
ソラが言った。
「俺の剣は殺せねえ。──でも、止めることはできる」
暴走したジグムントが突進してくる。膨れ上がった腕を振り上げて。その一撃は、大地を砕くほどの威力だった。
「うぉぉぉぉ!」
ソラは避けなかった。
真正面から、木剣で受け止めた。
ずがぁん!!
大地が震え、土煙が舞う。異形の膂力と、折れない剣が、真正面からぶつかり合う。だが、木剣は折れなかった。ソラは一歩も退かない。
「……重いな」
ソラが歯を食いしばった。
「でも、こんなの力任せの暴走だ。技も、へったくれもねえ」
ぐっ、と受け止めた腕を押し返す。ジグムントの体勢が崩れた。その一瞬の隙。
◇
「これで終わりだ」
ソラは木剣を翻した。狙うのはジグムント本体ではない。その胸元。黒い水晶の魔道具が、暴走の核として脈打っている、その一点。
「──らぁっ!」
ソラの木剣が、その魔道具を──
ぱぁん!
打ち砕いた。黒い水晶が砕け散る。
その瞬間、ジグムントを包んでいた黒い光が霧散した。暴走が止まる。膨れ上がった身体が、しゅうう、と萎んでいく。
ジグムントが、どさりと崩れ落ちた。元のみすぼらしい姿に戻って。ぼろぼろの身体で、地面に倒れ伏す。
「……ぁ、が……」
「まだ生きてる」
ソラが木剣を担いだ。
「俺の剣は殺せねえからな。──こいつの命も、奪わねえ」
◇
俺は倒れたジグムントを見下ろした。
かつて俺を囮と呼び、死地に放り込んだ男。二年間の恨みで暴走し、命を燃やして、なお届かなかった男。
「……ジグムント」
俺は静かに言った。
「お前は最後まで、人を駒としか見なかった。自分自身の命さえ、力を得る駒にした。──だから、届かないんだ」
ジグムントは答えなかった。ただ虚ろな目で、空を見ていた。
「連れて行け。裁きは連邦で受けさせる。──殺しはしない」
魔族の若い戦士が二人、ジグムントを担ぎ上げた。かつて、こういう男たちの村を焼く口実に、この男は加担していた。その男を、魔族が、殺さずに運んでいく。皮肉な、けれど、連邦らしい光景だった。
◇
その一部始終を、退いていく正規軍の中から、ヴィントが見ていた。
馬を止め、振り返り。ジグムントの暴走と、その最期を。そして、ソラがそれを殺さずに止めた、その光景を。
「……魔道具で自爆、か」
ヴィントの声が、冷たく響いた。
「味方を巻き込む禁呪の暴走。あんな下劣な手を、同じ王国の旗の下で使われるとは」
彼は吐き捨てるように言った。
「王国の品位が問われる。──あれは、騎士の戦いではない」
副官が恐る恐る聞いた。
「ギルド部隊は、いかがいたしますか。まだ動ける者も──」
「捨て置け」
ヴィントは即答した。
「あんな暴走を起こす部隊を連れて帰れば、王国の恥だ。全軍、撤退。後方拠点まで下がる」
◇
ヴィントは馬を返しかけ、最後に一度、ソラの方を振り返った。
戦場を隔てて。木剣を担いだソラと、銀の鎧のヴィントの視線が交わる。
ヴィントは静かに口を開いた。声は届かないかもしれない。だが、その口の動きは、はっきりと読めた。
「──強くなったな。ソラ坊」
そして、かすかに笑った。弟の成長を見届けた、兄のように。
「先生に伝えておく。お前が立派になったと」
ソラの目が揺れた。何か言おうとした。だが、ヴィントはもう馬首を返していた。
正規軍が整然と去っていく。誇り高く、乱れず。ギルドの暴走を恥じるように。下劣な手を使う者とは違うのだと、その背中で示すように。
◇
戦場に、静寂が戻った。
ハルベルは守られた。第一のドミノは、倒れずに済んだ。
モーリスが、城壁から駆け下りてきた。
「レイジ殿! 勝った、のか……!?」
「ええ。守り切りました」
俺は頷いた。
「あなたが逃げずに立ったから、兵が持ちこたえた。俺たちが間に合うまで」
モーリスの目に涙が滲んだ。四十年、目を逸らしてきた領主が。初めて、正しいと信じる側で戦い、そして守り抜いた。
「……ありがとう。ありがとう、連邦の長よ」
周りでは、ハルベルの兵と連邦の兵が入り混じって、勝ち鬨を上げていた。人族も魔族も。共に戦い、共に守った、その喜びを。
◇
だが、俺の頭の中では、別の盤面が動いていた。
「……ソラ」
「ん?」
「あのヴィントという男。相当な指揮官だ。お前と互角に打ち合い、退き際も鮮やかで、味方の暴走の後始末まで完璧だった」
俺は去っていく正規軍を見た。
「ギルド部隊より、あの正規軍の方が、遥かに厄介だ。王都には、ああいう騎士が、まだいるのか」
ソラは木剣を担いだまま、あっけらかんと答えた。
「ああ、ヴィントか。強いよ、あいつは。──先生の弟子の中で、一番強い」
「先生……総騎士長の弟子か」
「うん。俺も、その末弟子だったからな」
ソラは笑った。何気なく。
「先生の下には、俺の兄弟子が八人いるんだ。ヴィントもその一人。──みんな、俺に稽古をつけてくれた、いい人たちだよ」
◇
俺はその言葉に、思わず足を止めた。
「……八人?」
「うん。ヴィントが一番強くて、あとの七人も、みんなSランク上位くらいはあるかな。──先生を入れたら、九人だ」
ソラは指を折って数えた。
「みんな王都の、王様の近くにいる。親衛隊みたいな感じでさ。──先生が総隊長で、その下に八人」
俺は頭の中で、盤面を組み直した。
総騎士長。そしてSランク上位の高弟が、八人。今日戦ったヴィントが、その最強の一人。あれと同格か、それに近い者が、あと七人。すべて王都に。
王都決戦の壁が、はっきりと見えてきた。
「……厄介だな」
俺は呟いた。
ソラは、その俺の顔を見て、きょとんとした。
「どうしたんだ、兄貴。難しい顔して」
「……いや」
俺は去っていくヴィントの背中を見た。
弟弟子の成長を喜んだ、あの兄弟子。──あれが、あと七人。そしていつか俺たちは、その全員と、王都で戦うことになる。ソラにとっては、稽古をつけてくれた兄たちと。
盤面は、まだ始まったばかりだった。




