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『最弱の戦略家は復讐しない 〜俺を騙したパーティーを俺のクランで雇い直す。ざまぁより、そっちが"勝ち筋"だったので〜』  作者: めざし
盤上の勇者編

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第42話 帳簿を、魔王の前に

魔族領へ向かったのは、記録の整理を終えた三日後だった。

同行したのは、俺とフィオナ、ニック、そしてバッセさん。ガルドとセシリアはハルベルに残った。ガルドの傷はまだ癒えていないし、留守を守る者も要る。

ソラは、少し離れて後ろをついてきた。素手のままだった。聖剣は、俺の腰にある。あの日、こいつが俺に譲った、七色の剣が。

「兄貴。その剣、似合ってきたな」

ソラが、俺の腰を見て言った。

「そうか」

「うん。最初は変な感じだったけど。今は、あんたが持ってる方が、しっくりくる。俺は、俺の拳で戦うよ」

彼は、自分の手を握ったり開いたりした。あの日、聖剣を辞退したときより、その顔は穏やかだった。

四十五年分の記録を詰めた木箱を荷馬に積んで、俺たちは山を越えた。

バッセさんは、道中ずっと無言だった。丸眼鏡の奥の目が、遠くを見ている。四十五年前に一度だけ通った道を、今、逆向きに歩いていた。

魔王の街が見えてきたとき、彼はぽつりと言った。

「……変わっとらんな。あの頃と」

「来たこと、あるんですか」

「一度だけな。あの頃は、もっと家が多かった。煙も、もっと立っとった」

その声に、俺は何も返せなかった。

街の入り口で、魔王が待っていた。

黒い外套、二本の角、相変わらずの疲れた目。だが今日は、その傍らに数人の魔族が立っていた。俺たちを警戒するように、あるいは守るように。

「来たか」

魔王が言った。

「答えを持って、と言ったな。持ってきたのか」

「ああ」

俺は荷馬の木箱を示した。

「四十五年分の、王国の嘘だ」

魔王の眉が動いた。彼は俺の後ろに視線を移し、ソラを見て、それからバッセさんを見た。

その瞬間、魔王の目の色が変わった。

「……お前」

彼の声が、低く沈んだ。

「その顔。その気配。どこかで、見た」

バッセさんは、荷馬からゆっくりと降りた。杖を手放し、丸眼鏡を外して懐にしまう。そして魔王の前へ、一歩ずつ歩いていった。

「魔王どの」

バッセさんは、その前で足を止めた。

「わしは、バッセという。ハルベルの、記録係じゃ。今はな。だが四十五年前は――斥候じゃった」

魔王の目が、鋭くなった。

「四十五年前」

「そうじゃ」

バッセさんの声は、震えていなかった。もう腹を括った者の声だった。

「四十五年前。わしはパーティーの一員として、この地に来た。『魔物討伐』の依頼を受けてな。そして、この谷の南の村を襲った」

魔族たちが、ざわめいた。

「畑を耕しとった者を。水を汲んどった者を。日向で繕い物をしとった、婆さんを。三十七人、殺した」

彼は、まっすぐに魔王を見た。

「わしらの、手でな」

静寂が落ちた。風の音だけが、谷を渡っていく。

魔族の一人が、震える声を上げた。

「……南の、村」

その目に、涙が滲んだ。

「四十五年前の、南の村。あそこには、俺の祖父母が」

「やめろ」

魔王が手で制した。だがその手も、かすかに震えていた。

「バッセ、と言ったな。なぜ、今さらそれを言いに来た。四十五年、黙っていて。今さら名乗り出て、何がしたい」

魔王の声には、抑えつけた怒りが滲んでいた。

バッセさんは、答えなかった。

代わりに、ゆっくりと地面に膝をつき、額を地につけた。

「詫びて済むこととは、思うとらん」

彼の声が、地面に落ちた。

「わしは止められんかった。斥候じゃったから剣も使えん、と言い訳して。三対一じゃったから、と言い訳して。見ているだけじゃった」

「……」

「あの日から四十五年。一日も忘れたことはない。あの子供の泣き声を。母親の背中を。婆さんの、握りしめた繕い物を」

彼の肩が震えた。

「じゃが、忘れずにいることが償いになるとも思うとらん。わしがどれだけ苦しもうが、死んだ者は還らん」

彼は顔を上げた。その目から、涙が地面に落ちていた。

「じゃから、わしはあんたの前に来た。魔王どの。あんたの民を殺した男が、ここにおる」

両手を地についたまま、彼は言った。

「殺したければ、殺せ。文句は言わん。それが、筋というものじゃ」

魔王は、動かなかった。

長い沈黙のあと、その手がゆっくりと持ち上がった。魔族たちが息を呑む。バッセさんは目を閉じた。俺は動かなかった。動いてはいけないと分かっていた。これは、この二人の間のことだった。

魔王の手が、バッセさんの頭上で止まった。

そして、下ろされなかった。

「……面を上げろ」

魔王が言った。

バッセさんが顔を上げる。魔王は、その顔をじっと見ていた。四十五年前、村を焼いた男の顔を。今、白髪になり、皺を刻み、涙を流している、その顔を。

「お前を殺すのは、簡単だ。今この手を下ろせば、それで終わる。四十五年分の恨みの、ほんの一欠片が晴れる」

彼の手が震えた。

「だが」

その手が、ゆっくりと下ろされた。バッセさんの頭ではなく、ただ自分の脇に。

「お前を殺したところで、南の村は還らん」

魔王は、背を向けた。

「四十五年、俺は殺すことばかり考えてきた。人族を。俺の民を殺した、すべての者を。だが、殺しても殺しても、民は還らなかった。恨みは晴れなかった。ただ俺の中に、もっと殺したいという気持ちだけが、積もっていった」

彼は振り返った。

「お前を殺せば、俺はあの日の冒険者と同じになる。『魔族だから殺す』と、『人族だから殺す』は、同じことだ」

バッセさんの目が見開かれた。

「立て、老人。お前の膝は、もう地につくには年を取りすぎている」

その言葉に、バッセさんは声を上げて泣いた。四十五年分の嗚咽が、谷に響いた。

俺は、その光景を見ていた。そして静かに木箱を開けた。

「魔王。詫びだけを持ってきたわけじゃない。証拠を持ってきた」

俺は記録の束を取り出した。

「あんたの側の記録を渡すと言ったな。持ってきてくれたか」

「ああ」

魔王が傍らの魔族に合図した。その魔族が、古い木簡の束を運んでくる。魔族の文字で、びっしりと書かれていた。

「四十五年分だ。いつ、どの村が襲われ、何人が死んだか。俺の父の代から、書き続けてきた」

俺はその木簡を受け取り、王国の記録と並べた。

「照らし合わせる」

俺は地面に、両方の記録を広げた。フィオナが隣に膝をつき、ニックも覗き込む。ソラも少し離れて、じっと見ていた。

「王国の依頼書。ここに日付と場所がある。【北西辺境 第三地区】、依頼日はこの日だ」

俺は魔族の木簡を指した。

「魔族側の記録。南から三番目の村が襲われた日。同じだ」

魔族たちがざわめいた。

「もう一つ。【依頼番号 四七二一】、討伐数二十七。魔族側の記録では、この村の死者は」

俺は木簡の一行を指した。

「二十七人。一致する」

俺は次の束を取った。

「これが、七百件分ある。日付、場所、人数。全部、照らし合わせられる」

「そして、これが決め手だ」

俺は三つ目の記録を広げた。冒険者自身が書いた、報告書。

「王国はこう言うだろう。『魔族側の記録は捏造だ』と。だが、これは違う。王国の依頼を受けた冒険者自身が、王国に提出した報告書だ」

俺は一行を指した。

【内訳:成体十九/幼体八】

「魔物には、こんな書き方はしない。だがここには『成体』と『幼体』が、分けて書かれている。殺した本人が、分かっていたんだ。それが大人と、子供だと」

魔王の手が、木簡を握りしめた。その指が、白くなるほどに。

「幼体、八。八人の……子供」

「そうだ。これが七百件分。四十五年分の、名簿だ」

魔王は、しばらく記録を見つめていた。そして、ゆっくりと顔を上げた。その目に、これまで見たことのない光があった。怒りでも、憎しみでもない。もっと深い、もっと静かな、何か。

「四十五年。俺たちはただ、殺されてきた。抗議しても届かなかった。人族は『魔族の戯言だ』と言った。俺たちには、証明する手立てがなかった」

彼は記録を撫でた。

「だが、これがあれば」

「証明できる」

俺は頷いた。

「王国が四十五年間、村を襲い続けたことを。それを『魔物討伐』と偽ってきたことを。これはあんたたちの言い分じゃない。王国自身が書き残した、証拠だ」

魔王の目から、一筋、涙が落ちた。

長い間、誰にも信じてもらえなかった男の、涙だった。

その時、ずっと黙っていたソラが口を開いた。その声は震えていた。

「俺、分かんねえ」

みんなが彼を見た。ソラは記録を見て、魔王を見て、バッセさんを見て、それから自分の両手を見た。

「俺、魔王を倒すために召喚された。人族を守るために。でも、悪いのは王国だった。俺は人族だ。人族を守りたい。でも、魔族も悪くない。あの村の子も、悪くなかった。魔族も、守りたい」

彼は頭を抱えた。

「なら、俺は誰と戦えばいいんだよ! 人族が敵なのか? 俺も人族なのに! 俺は、何なんだよ!」

その叫びが、谷に響いた。

十四歳で異界に落とされ、勇者と持ち上げられ、三年間戦い、そして今、自分が何のために戦ってきたのか分からなくなった、少年の叫びだった。

俺は、ソラの前に歩いていった。

「ソラ」

「兄貴……俺、どうすれば」

「敵は、人族でも、魔族でもない」

俺は静かに言った。ソラが顔を上げる。

「よく聞け。敵は王国だ。正確には、王国の王だ。土地が欲しかった。資源が欲しかった。だから魔族の村を襲った。それを正当化するために、『魔族は悪だ』という嘘を、四十五年広め続けた」

俺はソラを見た。

「その嘘に、人族も魔族も、みんなが振り回された。お前も。あの村の子も。バッセさんも。魔王も。全員が、王の嘘の被害者だ」

「……被害者」

「そうだ。お前が戦うべき相手は、人族じゃない。魔族でもない。お前を駒にして、村を焼かせようとした、その大元だ」

ソラは、しばらく俺を見ていた。その目に、少しずつ光が戻ってくる。迷いの霧が、晴れていく。

「……王国」

彼は呟いた。

「俺を騙してた。先生も、騙してた。あの村を、焼こうとした。俺の三年間を。俺の居場所だと思ってたものを。全部、嘘で塗り固めてた」

彼は顔を上げた。もう、迷いはなかった。

「兄貴。俺、決めた」

彼はまっすぐに、俺を見た。

「俺は、王国と戦う。俺を駒にした、あいつらと。人族も、魔族も、これ以上あいつらの嘘で、殺させない」

その声には、もう、誰かに与えられた勇気はなかった。

自分で選んだ者の、声だった。

聖剣は、俺の腰にある。剣霊は俺を選んだ。ソラには、剣がない。精霊もいない。

だが、こいつは今、剣も精霊もなしに、立っている。

それでいい。こいつは力で立つんじゃない。自分の意志で、立つんだ。

魔王が、ソラの前に立った。

「勇者」

「……もう、勇者じゃねえよ」

ソラが力なく笑った。

「勇者は、魔王を倒すもんだろ。俺は、あんたと組むんだから」

魔王は少し驚いた顔をして、それから微かに笑った。

「そうか」

彼は手を差し出した。

「俺を倒しに来た剣が、俺の隣に立つ、か。四十五年生きてきて、初めてだ」

ソラはその手を見て、それから握った。

「よろしくな、魔王」

「ああ」

人族の少年と、魔族の王の手が握られた。四十五年の憎しみを越えて。

その夜、魔族の街で、俺たちはもてなしを受けた。

豪華なものではない。芋を煮たものと、硬いパンと、薄い酒。だがそれは、四十五年ぶりに人族を迎えた魔族たちの、精一杯だった。

「……不思議じゃな」

バッセさんが、芋を口に運びながら呟いた。その目は赤かった。だが四十五年抱えていた何かが、少しだけ軽くなったように見えた。

「わしが殺した者たちの、孫が。わしに飯をよそってくれる。償いにはならん。一生、ならん。じゃが……」

「バッセさん」

俺は言った。

「償いは、これからです。この記録を世に出す。四十五年の嘘を暴く。それが、あなたの償いだ」

バッセさんはしばらく黙って、それから深く頷いた。

「……そうじゃな。わしはまだ、死ねん。やることが、ある」

彼は涙を拭って、笑った。四十五年ぶりの笑いだったのかもしれない。

宴の隅で、ソラが、一人の魔族の子供と話していた。

小さな子だった。頭に、小さな二本の角。あの村で、ソラが剣を止めた、あの子ではない。だが、同じくらいの年頃の子だった。

「お兄ちゃん、つよいの?」

子供が聞いた。

「……まあ、な」

ソラの声は、少し沈んでいた。かつて自分が、こういう子に剣を向けたことを、忘れていないのだろう。

「でも、お兄ちゃん、剣持ってないね」

子供が、ソラの腰を見て言った。

「あっちのお兄ちゃんは、剣持ってるのに」

子供は、俺の腰の聖剣を指した。

ソラは、少し笑った。

「俺のは、あっちの兄貴に、あげたんだ」

「じゃあ、お兄ちゃん、剣ないの?」

「ないな」

子供は、少し考えて、それから、自分が握っていた木剣を差し出した。

子供が遊びで振り回すような、粗末な木剣だった。

「これ、あげる」

ソラの動きが、止まった。

「……いいのか?」

「うん。お兄ちゃん、剣ないと、こまるでしょ。ぼく、もういっこ持ってるから」

子供は、無邪気に笑った。

ソラは、その木剣を、両手で受け取った。粗末な、なんの変哲もない木剣を。かつて自分が剣を向けた側の、魔族の子供から。

その手が、震えていた。

「……ありがとな」

彼の声が、掠れた。

「大事に、するよ」

子供は、それで満足したのか、ぱたぱたと駆けていった。

ソラは、しばらくその木剣を見つめていた。そして、ぎゅっと、握りしめた。

「兄貴」

「ああ」

「俺、決めた。この剣で、戦う」

彼は、木剣を見つめたまま言った。

「これ、木だから、人なんか斬れねえ。殺せねえ。でも、それでいい。俺、もう、誰かを斬るための剣は、いらねえ」

彼は顔を上げた。

「守るためだけに、振るう。二度と、あの村みたいなこと、起こさせねえ。この剣に、誓う」

その声は、静かで、揺るがなかった。

ハルベルへの帰り道。

俺たちは、精霊の地の縁を通った。霧の森が、遠くに白く沈んでいる。

そのとき。

ソラの腰で、木剣が、淡く光った。

「……え?」

ソラが、足を止めた。木剣を、腰から抜く。

粗末な木剣が、内側から、柔らかな光を放っていた。色のない、透明な光だった。

「なんだ、これ」

『……小さいのが、来たな』

俺の腰の聖剣から、剣霊の声がした。

「知ってるのか」

『生まれたばかりの精霊だ。この地で、たった今、生まれた。まだ属性も持たん。名もない。ただ――』

剣霊の声に、微かな笑みが混じった。

『あの少年の、誓いに、惹かれたらしい』

光が、木剣に染み込んでいく。

ソラは、呆然と、それを見ていた。

「精霊が……俺の、剣に?」

「そうだ」

俺は言った。

「聖剣は、お前を拒んだ。まだ何も選んでいなかったからだ。だが、お前は選んだ。守るために、殺さないために、剣を握ると誓った」

俺はソラを見た。

「その誓いに、生まれたての精霊が応えた。古い精霊じゃない。属性もない。力もない。ただ――」

俺は、木剣を見た。

「試しに、それで、その岩を叩いてみろ」

ソラは、恐る恐る、傍らの岩に、木剣を振り下ろした。

かん、と乾いた音がした。

岩に、罅が入った。だが、木剣は――折れていなかった。傷ひとつ、ついていなかった。

「……折れ、ない」

ソラが、呟いた。

『それが、その精霊の力だ』

剣霊が言った。

『斬れはせん。刃もない。人を殺すことは、決してできん。だが――決して、折れん』

俺は、その意味を、静かに理解した。

受け止める剣。守る剣。折れない剣。

殺せないからこそ、殺さないと誓った男に、ふさわしい剣だった。

「ソラ」

「兄貴」

「それが、お前の剣だ」

俺は言った。

「俺の聖剣は、七柱の古い精霊が宿ってる。力の剣だ。お前のは、生まれたての精霊が宿った、折れない木剣だ。守りの剣だ」

俺は、少し笑った。

「正反対だな。俺たち二人と、同じだ」

ソラは、その木剣を、胸に抱いた。

そして、泣きそうな顔で、笑った。

「……上等だよ」

彼は、木剣を握りしめた。

「兄貴の聖剣と、俺の木剣。二本で、あの国を、止めてやる」

精霊の光が、木剣の中で、静かに脈打っていた。

名もない、属性もない、生まれたばかりの光が。

守ると誓った少年の手の中で。

ハルベルが見えてきた。

クランハウスの灯りが、夜の中に、ぽつりと灯っている。

第四部は、終わった。ソラは、自分の意志で立った。魔王とは、手を組んだ。バッセさんは、許された。そして、四十五年の嘘を暴く証拠が、揃った。

だが、ここからだ。

王国と、戦う。総騎士長がいる。Sランクの騎士たちがいる。そして、ソラの先生が、待っている。

盤面は、まだ続いている。

「レイジさん」

フィオナが、隣に来た。

「なんだか、長い旅でしたね」

「ああ」

「でも、みんな、生きて帰れました」

彼女は、灯りを見つめた。

「それが、一番です」

俺は、頷いた。

そして、腰の聖剣に、手を触れた。七色の光が、静かに応える。ソラの腰で、名もない木剣が、淡く光っている。

二本の剣が、並んで、ハルベルへ帰っていく。

盤面の外にいた男が、盤面に加わった。

次は――盤面の、外へ。

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