第37話 誰の子だ?
翌朝。
俺たちは、村を、迂回して、進んだ。
騎士たちは、不服そうだったが、何も、言わなかった。──昨日の、取引がある。「魔王の妨害で、制圧できなかった」という、筋書き。それを、崩せば、彼らの、経歴に、傷がつく。
ソラは、無言だった。
聖剣を、佩いて。前だけを、見て。
だが、その足取りは、重かった。
「……なあ、兄貴」
昼過ぎ、彼が、ぽつりと、言った。
「俺、これから、どうすればいいんだ」
「どういう意味だ」
「王命は、『魔王を、討て』だ。──でも、俺、もう」
彼は、俯いた。
「あの村を、見ちまった。あの子を、抱いちまった。……もう、前みたいには、思えねえよ」
俺は、答えなかった。
代わりに、静かに、言った。
「なら、自分で、確かめろ」
「え?」
「魔王に、会って、聞け。──『なぜ、俺たちは、敵なんだ』と」
ソラの、目が、見開かれた。
「あいつは、前に、お前に、そう聞いた。──今度は、お前が、聞く番だ」
◇
魔王城が、見えたのは、その日の、夕方だった。
だが──それは、俺の、想像とは、違っていた。
「……城?」
ニックが、掠れた声で、呟いた。
「あれが?」
谷の、奥。切り立った、崖の下に。
石造りの、建物が、あった。
大きい。だが──城では、なかった。
塔もない。城壁もない。堀もない。跳ね橋も、物見櫓も、ない。
ただ、大きな、石造りの、屋敷。そして、その周りに、無数の、小さな家。
「……あれは」
俺は、腕輪の視界で、読んだ。
「城じゃない。──街だ」
家々の、間に、道が、通っている。井戸がある。市場らしき、広場がある。子供が、走り回っている。
「魔王城」と、王国が、呼んでいたものは。
ただの、街の、中心にある、大きな屋敷だった。
◇
「……なんで」
ソラが、呟いた。
「なんで、城じゃないんだ。魔王って、恐ろしい、城に、住んでるって──」
「守る必要が、ないからだ」
俺は、答えた。
「え?」
「城壁は、攻められる前提で、造る。だが、あの街には、城壁がない。──つまり」
俺は、静かに、言った。
「あそこは、戦うための、場所じゃない。暮らすための、場所だ」
ソラは、その言葉に、答えられなかった。
◇
俺たちが、街に、近づくと。
一人の、男が、待っていた。
街道の、真ん中に。ただ、一人で。
黒い、外套。二本の、角。
「……魔王」
ソラが、掠れた声で、言った。
魔王は、静かに、こちらを、見ていた。
そして、口を、開いた。
「……来たか」
その声には、驚きも、怒りも、なかった。
ただ、諦めのような、疲れが、あった。
「四十五年。──毎年のように、お前たちは、来る。今年も、来た。それだけだ」
彼は、俺を、見た。
「そして、また、お前か。──早かったな」
「王命だ」
俺は、答えた。
「断れば、反逆者になる」
「そうか」
魔王は、頷いた。
「……人族の、王とは、そういうものだな」
◇
「魔王!」
ソラが、前に、出た。
聖剣に、手を、かけて。
だが──抜かなかった。
「聞きたいことが、ある」
「言え」
「──あんた、なんで、俺たちと、戦ってるんだ」
魔王の、動きが、止まった。
「……なに?」
「答えてくれ」
ソラの、声が、震えていた。
「俺、三年間、『魔族は、人族の敵だ』って、教わった。だから、あんたを、倒しに来た。──でも」
彼は、拳を、握った。
「昨日、村を、見た。畑があって。水路があって。子供が、遊んでて」
「……」
「誰も、武器を、持ってなかった。誰も、俺たちに、襲いかかってこなかった。──ただ、逃げてた」
彼は、顔を、上げた。
「あれが、人族の、敵か? あれが、悪なのか?」
◇
魔王は、しばらく、答えなかった。
そして、静かに、聞いた。
「……その村を、どうした」
「え?」
「制圧、しなかったのか」
「……しなかった」
ソラは、俯いた。
「できなかった」
魔王の、眉が、動いた。
「なぜだ」
「……子供が、いた」
ソラの、声が、掠れた。
「三つか、四つの。逃げようとして、転んで、泣いてた。──俺、剣を、振り上げた」
「……」
「でも、振り下ろせなかった。……その子、俺の鎧に、しがみついてきて」
彼は、両手で、顔を、覆った。
「俺、何を、してたんだろうって……」
魔王は、その、言葉を、聞いて。
しばらく、動かなかった。
そして、静かに、聞いた。
「──お前が、殺そうとしたのは。誰の、子だ」
ソラの、身体が、震えた。
「……え?」
「聞いている」
魔王の、声が、低くなった。
「あの村の、子だ。名は、アルという。母親は、ミラ。父親は、五年前に、死んだ」
「……」
「なぜ、死んだと、思う」
ソラは、答えられなかった。
「人族の、討伐隊に、殺された」
魔王は、静かに、言った。
「畑にいた。武器も、持たずに。──『魔物討伐』の、依頼を、受けた、冒険者に、斬られた」
ソラの、顔から、血の気が、引いた。
◇
「アルは、父を、知らない」
魔王は、続けた。
「生まれた時には、もう、いなかったからな。──母が、一人で、育てた」
彼は、街の方を、見た。
「そして、今年。お前が、来た。──その子の、頭の上に、剣を、振り上げた」
魔王の、目が、ソラを、射抜いた。
「勇者よ。もう一度、聞く」
「……」
「お前が、殺そうとしたのは、誰の、子だ」
ソラは、答えられなかった。
その、震える唇が、何かを、言おうとして。
言葉に、ならなかった。
そして──魔王は、静かに、告げた。
「──俺の、民の、子だ」
その言葉に。
ソラが、崩れ落ちた。
膝から。地面に。
「……ぅ、あ」
嗚咽が、漏れた。
「ごめん……ごめん、なさい……」
「謝罪は、いらん」
魔王は、静かに、言った。
「お前が、謝るべきは、俺ではない。──あの子と、その母だ」
「……」
「そして、五年前に、死んだ、その父にもだ。だが、それは、もう、できん」
魔王の、声が、震えた。
初めて、感情が、露わになった。
「四十五年だ。──俺は、四十五年、これを、見てきた」
彼は、拳を、握った。
「畑にいた者が、斬られた。水を汲んでいた者が、斬られた。子を、抱いていた母が、斬られた。──『魔物討伐』の、名の下に」
彼は、俺たちを、見渡した。
「そして、その、たびに。人族は、こう言った。『魔族は、悪だから』と」
◇
「……嘘だ」
騎士の、一人が、叫んだ。
「魔族の、戯言だ! 惑わされるな、勇者様!」
「戯言、か」
魔王が、その騎士を、見た。
「なら、聞こう。──お前たちは、なぜ、俺たちを、討つ」
「決まっている! 魔族は、人族の、敵だからだ!」
「なぜ、敵だ」
「そ、それは……昔から、そうだからだ!」
「昔とは、いつだ」
魔王の、問いに、騎士は、答えられなかった。
「四十五年前か? それとも、百年前か? ──言ってみろ」
「……」
「答えられまい」
魔王は、静かに、言った。
「誰も、知らないからだ。──『魔族は敵だ』と、教えられただけで。その理由を、知っている者は、一人も、いない」
彼は、ソラを、見た。
「そうだろう。勇者よ」
◇
ソラは、地面に、膝をついたまま。
顔を、上げた。
その目が、真っ赤だった。
「……あんたは」
彼は、掠れた声で、聞いた。
「あんたは、知ってるのか? なんで、こんなことに、なったのか」
「知っている」
魔王は、即答した。
「教えてくれ」
「……なぜ、俺に、聞く」
「他に、聞ける人が、いないからだ」
ソラは、そう言った。
「王様は、教えてくれなかった。騎士団も。先生も。──みんな、『魔族は悪だ』としか、言わなかった」
彼は、拳を、握った。
「頼む。──俺に、教えてくれ」
◇
魔王は、しばらく、ソラを、見ていた。
そして、静かに、言った。
「……四十五年前」
「うん」
「お前たちの、王が。──この地に、兵を、送ってきた」
魔王は、語り始めた。
「最初は、少人数だった。冒険者と、名乗る者たちが、来て、俺たちの、村を、襲った。『魔物討伐』の、依頼だと、言って」
「……」
「俺たちは、抵抗した。だが──こちらには、軍がない。あるのは、畑と、家と、家族だけだ」
彼は、街を、見た。
「王が、欲しかったのは、この土地だ。この谷は、肥沃でな。それに、山には、鉱脈もある。──だが、精霊の地が、邪魔で、大軍は、送れなかった」
「……だから」
俺は、口を、開いた。
「ギルドの、依頼という形で。少人数を、送り込んだ」
魔王が、俺を、見た。
「そうだ。──よく、分かったな」
「勅命書の、書き方から、推測した」
俺は、答えた。
「王国は、『軍』を、動かしていない。ずっと、『冒険者』を、使っている。──なぜか、と、考えれば」
「地形だ」
魔王が、頷いた。
「霧の森は、誰も、通れない。両サイドの、山道は、険しすぎて、大軍が、通れない。──だから、王は、少人数の、冒険者を、送り続けた」
彼は、静かに、言った。
「そして、それを、"戦争"とは、呼ばなかった。──"討伐"と、呼んだ」
◇
ソラの、目が、見開かれた。
「討伐……」
「そうだ」
魔王は、頷いた。
「戦争なら、記録に、残る。宣戦布告が、要る。理由が、要る。──だが、"魔物討伐"なら」
彼は、哀しそうに、笑った。
「ただの、依頼だ。何の、記録にも、残らない。誰も、疑問に、思わない」
俺は、その言葉に。
背筋が、冷たくなるのを、感じた。
──なるほど。
四十五年。王国は、"戦争"を、していたのではない。
"依頼"を、出し続けていた。
そして、冒険者たちは、それを、疑わずに、受けた。「魔物討伐」だと、信じて。
「……ギルドの、記録には」
俺は、呟いた。
「残っている、はずだ」
魔王が、俺を、見た。
「なに?」
「依頼の、記録は、必ず、残る」
俺は、続けた。
「ギルドは、すべての依頼を、記録する。日付。場所。報酬。──そして、回収品も」
俺の、頭の中で。
盤面が、動き始めた。
「……回収品」
俺は、呟いた。
「魔物討伐なら、回収品は、魔石や、素材だ。牙、皮、爪。──だが」
俺は、顔を、上げた。
「村を、襲ったなら」
「……何が、残る」
ニックが、聞いた。
「暮らしの品だ」
俺は、答えた。
「農具。鍋。織物。銀の指輪。──人が、暮らしていた、証が」
広場が、静まり返った。
「もし、四十五年分の、依頼記録に。『魔物討伐』と書かれた依頼の、回収品目録に。──農具や、指輪が、並んでいたら」
俺は、静かに、言った。
「それは、嘘の、証拠になる」
◇
魔王が、俺を、見つめていた。
その目に、初めて、驚きが、浮かんでいた。
「……お前」
「なんだ」
「本当に、剣を、握らないのだな」
彼は、少し、笑った。
「四十五年、誰も、そこに、辿り着かなかった。俺も、含めてな。──俺たちは、ただ、殺されるだけだった。誰も、"証拠"など、考えなかった」
彼は、街の方を、見た。
「俺たちの、側にも、記録は、ある。いつ、どこを、奪われたか。──だが、それは、俺たちの言い分でしかない。人族は、信じまい」
「二つ、揃えば、違う」
俺は、答えた。
「あんたの側の、記録。──『いつ、どの村が、襲われたか』」
「……」
「そして、ギルドの、記録。──『いつ、どこに、討伐依頼が、出されたか』」
俺は、静かに、言った。
「二つが、一致すれば。──それは、もう、言い分じゃない。事実だ」
◇
魔王は、しばらく、黙っていた。
そして、深く、息を、吐いた。
「……なるほど」
彼は、俺を、見た。
「前に、言ったな。『お前は、いつか、剣ではなく、答えを持って、俺の前に立つ』と」
「ああ」
「思ったより、早かった」
彼は、少し、笑った。
そして、真顔に、戻った。
「だが、まだ、答えでは、ない。──記録は、揃っていないのだろう」
「揃えるつもりだ」
俺は、答えた。
「ギルド本部の、記録庫に、原本があるはずだ。──四十五年分の」
「取れるのか」
「取る」
俺は、即答した。
魔王は、しばらく、俺を、見ていた。
そして、静かに、言った。
「……俺の側の記録は、渡そう」
「いいのか」
「構わん」
彼は、頷いた。
「四十五年、俺は、何もできなかった。ただ、民が、殺されるのを、見ていただけだ。──もし、お前が、それを、変えられるなら」
彼の、声が、掠れた。
「使え。──全部」
◇
その時。
「──貴様ら!」
騎士が、剣を、抜いた。
「王国への、反逆か!」
「反逆?」
俺は、振り返った。
「俺は、記録の話を、しているだけです」
「魔族と、取引をしただろう!」
「取引?」
俺は、首を、傾げた。
「俺は、『記録を、見せてもらう』と、言っただけです。──それの、どこが、反逆ですか」
「ふざけるな!」
騎士が、俺に、剣を、向けた。
その、瞬間。
ぱきん、と。
騎士の、足元が、凍りついた。
「……なっ!?」
氷が、彼の、脚を、絡め取っていた。
フィオナが、杖を、向けていた。
その、指先に、霜が、舞っている。
「──動かないでください」
彼女の、声は、氷点下だった。
「私、今、とても、機嫌が、悪いんです」
騎士たちが、動きを、止めた。
そして、ソラが。
ゆっくりと、立ち上がった。
「……やめろ」
彼は、騎士に、言った。
「勇者様!?」
「兄貴は、何も、間違ってない」
ソラは、聖剣を、握りしめた。
「間違ってるのは──」
彼は、そこで、言葉を、止めた。
そして、俯いた。
「……いや。まだ、分かんねえ」
彼は、掠れた声で、言った。
「でも、俺は、確かめる。──自分の目で。自分の頭で」
彼は、魔王を、見た。
「あんたの言うことが、本当かどうか。王様の言うことが、本当かどうか。──俺が、確かめる」
魔王は、その言葉に。
初めて、静かに、微笑んだ。
「……そうか」
彼は、頷いた。
「それが、答えだ、勇者よ」
◇
「今日は、退け」
魔王が、言った。
「今日も、俺は、お前たちを、殺さない。──だが、次は、分からん」
彼は、俺を、見た。
「王が、また、お前たちを、送ってくるなら。その時は、戦うことに、なるかもしれん」
「……ああ」
「だが」
魔王の、声が、少し、和らいだ。
「もし、お前が、記録を、揃えて。──答えを、持って、来るなら」
彼は、街の方へ、歩き出した。
そして、振り返らずに、言った。
「その時は、話を、しよう。──人と、人として」
俺たちは、退いた。
魔王は、追ってこなかった。
騎士たちは、憤懣やる方ない様子だったが、何も、できなかった。
そして、山道を、登りながら。
ソラが、ぽつりと、言った。
「……兄貴」
「ん?」
「俺、王都に、帰ったら。──王様に、聞いてみる」
俺の、足が、止まった。
「『なんで、魔族と、戦うんですか』って。『あの村の人たちが、何をしたんですか』って」
ソラは、前を、見ていた。
「それで、王様が、ちゃんと、答えてくれたら。──俺は、王様を、信じる」
彼は、拳を、握った。
「でも、もし。答えられなかったら」
その声が、震えた。
「……その時は、俺、自分で、決める」
◇
俺は、その、背中を、見た。
十七歳の、少年の、背中を。
三年間、疑うことを、教わらなかった少年が。
今、初めて、自分の頭で、考えている。
「……ソラ」
「ん?」
「一つ、忠告だ」
俺は、静かに、言った。
「王に、聞くのは、いい。──だが、答えを、鵜呑みにするな」
「え?」
「王が、何と、答えても。──必ず、自分で、確かめろ」
俺は、続けた。
「王の言葉も。魔王の言葉も。──そして、俺の言葉も」
ソラは、振り返った。
「……兄貴の、言葉も?」
「ああ」
俺は、頷いた。
「俺だって、間違えることは、ある。──だから、鵜呑みにするな。自分で、確かめろ」
ソラは、しばらく、俺を、見ていた。
そして、少し、笑った。
「……兄貴、やっぱ、変わってるな」
「そうか?」
「うん。──普通、『俺を信じろ』って、言うだろ」
彼は、前を、向いた。
「でも、あんたは、『疑え』って、言う」
その声には。
初めて、迷いのない、響きが、あった。
「……だから、俺、あんたのこと、信じられるんだと、思う」
◇
その夜。
野営の、焚き火の、傍らで。
バッセさんが、俺の、隣に、座った。
「……レイジや」
「はい」
「今日、聞いたことじゃがな」
老斥候の、声は、掠れていた。
「回収品の、目録。──あれを、調べる、と、言うたな」
「ええ」
「……そうか」
彼は、深く、息を、吐いた。
そして、火を、見つめた。
「わしはな。──四十年、記録を、つけてきた」
「はい」
「その中に。──ずっと、気になっとった、ものが、ある」
俺は、彼を、見た。
「……何ですか」
バッセさんは、答えなかった。
代わりに、震える手で、火に、枝を、くべた。
「まだ、言えん」
彼は、掠れた声で、言った。
「だが──もし、お前さんが、本気で、あの記録を、掘るなら」
彼は、俺を、見た。
その目が、四十年分の、何かを、抱えていた。
「わしも、行く。──王都へ」




