第36話 魔族の村
十日後。
俺たちは、精霊の地の、東の縁を、進んでいた。
霧の森そのものは、通れない。だが、その両サイド──険しい山道を、迂回すれば、魔族領へ、抜けられる。
大軍は、通れない。だから、王国は、ずっと、少人数でしか、魔族を、攻められなかった。
「──兄貴!」
先頭を、行く、ソラが、振り返った。
六日ぶりに、会った彼は、また、少し、変わっていた。
背筋が、伸びている。だが、その顔には、以前のような、屈託のない、明るさは、なかった。
「大丈夫か? この道、きついだろ」
「ああ」
俺は、答えた。
剣霊の加護で、身体は、以前より、ずっと、楽だった。だが──それは、まだ、誰にも、言っていない。
「王都は、どうだった」
「……普通だったよ」
ソラは、前を、向いた。
「王様、めちゃくちゃ、喜んでた。『よくやった、勇者よ』って。──俺のこと、初めて、抱きしめた」
「そうか」
「うん。……嬉しかった、はずなんだけどな」
彼の、声が、沈んだ。
「なんか、変な、感じだった。──あの人、俺のこと、見てなかった。俺の、腰の、剣を、見てた」
俺は、答えなかった。
◇
魔族領へは、四日、かかった。
険しい、山道。岩場。渡渉。──だが、盤上の灯の、選抜組にとっては、それほどでもない。
そして、五日目の、朝。
山を、越えた、その先に。
──緑が、広がっていた。
「……え?」
ソラが、足を、止めた。
眼下に、谷が、あった。
そして、その谷底に。
畑が、あった。
整然と、区切られた、耕地。用水路。点在する、家屋。
そして──煙。
朝餉の、支度をする、竈の、煙が、いくつも、立ち昇っていた。
「……村?」
ソラが、掠れた声で、呟いた。
「魔族領に……村が、あるのか?」
俺は、腕輪の視界で、その村を、読んだ。
家屋、およそ、四十。畑の規模から、人口は、二百から、二百五十。
大人が、畑に、出ている。子供が、水路の、そばで、遊んでいる。年寄りが、家の前で、日向ぼっこを、している。
「……何だよ、これ」
ソラの、声が、震えていた。
「魔族って……こんな、普通に、暮らしてるのか?」
「そのようだな」
俺は、答えた。
「なんで……」
ソラは、混乱していた。
「魔族って、洞窟とか、魔王城とかに、住んでて。人族を、襲うことしか、考えてない、って。──そう、教わったのに」
彼は、村を、見つめた。
「なんで、畑、耕してるんだよ」
「──勇者様」
背後から、声が、した。
王国から、随行してきた、騎士だった。銀の鎧に、王家の紋章。五人。ソラの、監視役だ。
「あれは、魔族の、拠点です」
騎士が、淡々と、言った。
「討伐対象で、あります」
「え?」
ソラが、振り返った。
「討伐? あれを?」
「はい」
「でも、あそこ、村だぞ。畑、あるし。──子供も、いるし」
「魔族です」
騎士は、表情を、変えなかった。
「魔族に、老若の、区別は、ありません。角ある者は、すべて、討伐対象。──それが、王命です」
ソラの、顔が、こわばった。
「……子供も?」
「はい」
「あの、水路で、遊んでる、子供も?」
「魔族の、子は、育てば、魔族に、なります」
騎士は、平然と、言った。
「今のうちに、根を、断つのが、王国の、方針です」
俺は、その、やりとりを、聞いていた。
そして、静かに、盤面を、確認した。
──来た。
これが、王国の、本性だ。
「魔族討伐」の、実態。それは、戦争ではない。──村を、削ることだ。
四十五年、王国は、これを、続けてきた。ギルドの、「魔物討伐依頼」という、嘘の、名目で。
そして、今。
その、実態を。
ソラが、初めて、自分の目で、見ている。
「……兄貴」
ソラが、俺を、見た。
その顔が、蒼白だった。
「これ……これが、魔王討伐、なのか?」
俺は、答えなかった。
答える必要は、なかった。
答えは、目の前に、ある。
◇
「勇者様」
騎士が、促した。
「まずは、この村を、制圧してください。──魔王城への、道を、確保するためです」
「……制圧」
「はい。抵抗する者は、討ち。しない者も、討つ。──残さないことが、命令です」
ソラは、動かなかった。
聖剣の、柄に、手を、かけたまま。
「……なあ」
彼は、掠れた声で、聞いた。
「あの人たち、俺たちに、何か、したのか?」
「は?」
「あの人たち、俺たちの、村を、襲ったのか? 誰か、殺したのか?」
騎士は、少し、困惑した顔を、した。
「……そういう、話では、ありません。魔族は、人族の、敵です。それは、生まれつきの、ものです」
「生まれつき?」
「はい。角ある者は、生まれながらに、悪です」
騎士は、当然のように、言った。
「勇者様。──三年間、そう、学んでこられたはずです」
◇
ソラは、その言葉に。
長く、黙っていた。
そして、村を、見た。
朝の、光の中。
畑を、耕す、大人たち。水路で、はしゃぐ、子供たち。日向ぼっこの、年寄り。
「……悪、なのか」
彼は、呟いた。
「あれが」
そして、彼は、聖剣を、抜いた。
五色の、光が、刀身に、走った。
「ソラ」
俺は、彼を、呼んだ。
だが──彼は、答えなかった。
そして、山を、駆け下りた。
「──ソラ!」
俺は、叫んだ。
「フィオナ! ニック! 追え!」
「はい!」
俺たちも、山を、下った。
ソラの、脚は、速い。五百の、身体能力。──追いつけない。
彼は、村の、外れに、着地した。
そして、聖剣を、構えた。
村人が、気づいた。
「──人族だ!」
「逃げろ! 人族が、来たぞ!」
悲鳴が、上がった。
畑にいた、大人たちが、慌てて、子供を、抱えて、家へ、走る。年寄りが、杖を、突いて、よろめきながら、逃げる。
誰も、武器を、持っていなかった。
誰も、戦おうと、しなかった。
ただ──逃げていた。
ソラは、その光景を、見て。
立ち尽くしていた。
聖剣を、構えたまま。
「……逃げるのか」
彼は、呟いた。
「なんで、戦わないんだよ。魔族なら、俺に、襲いかかってくるんじゃ──」
その時。
彼の、足元で。
小さな、影が、転んだ。
子供だった。
三つか、四つか。逃げようとして、転んで、泣いている。
その頭に──小さな、二本の、角が、生えていた。
「……あ」
ソラの、動きが、止まった。
子供が、顔を、上げた。
そして、目の前に、立つ、白銀の鎧の、少年を、見た。
聖剣を、構えた、勇者を。
「……ひっ」
子供は、悲鳴を、上げた。
そして、そのまま、動けなくなった。
腰を、抜かして。
泣きながら。
◇
ソラは、その子供を、見下ろしていた。
聖剣が、震えていた。
「……魔族の、子は」
彼は、掠れた声で、呟いた。
「育てば、魔族に、なる」
騎士の、言葉が、頭の中で、響いていた。
『今のうちに、根を、断つのが、王国の、方針です』
「……根を、断つ」
ソラの、手が、動いた。
聖剣が、ゆっくりと、振り上げられる。
子供は、泣きながら、目を、閉じた。
そして──
ぱぁん、と。
乾いた音が、響いた。
◇
ソラの、顔が、横を、向いていた。
その頬が、赤く、腫れていた。
「……え?」
彼の、目の前に。
フィオナが、立っていた。
肩で、息を、して。杖を、投げ捨てて。
その手が、震えていた。
「フィ、フィオナ……?」
「──その子が、何を、しましたか」
フィオナの、声が、震えていた。
怒りで。
「え……」
「聞いています。答えなさい」
彼女は、ソラの、胸倉を、掴んだ。
自分より、頭一つ、大きい、少年の。
「その子が。あなたに、何を、しましたか。──何か、悪いことを、しましたか」
「……」
「答えなさい!!」
◇
ソラは、答えられなかった。
その目が、揺れていた。
「……分かんねえ」
彼は、掠れた声で、言った。
「分かんねえよ! でも、魔族は、悪で、だから、俺は──」
「誰が、そう言いました」
「王様が! 騎士団が! みんなが、そう──」
「あなたは!」
フィオナが、叫んだ。
「あなたは、どう、思うんですか!」
ソラの、動きが、止まった。
「あなたの目に、その子は、悪に、見えますか」
フィオナは、足元の、子供を、指した。
まだ、泣きじゃくっている、小さな、魔族の子を。
「あなたの目に、この村は、悪に、見えますか。──畑を、耕して。水路を、引いて。子供を、育てて」
彼女の、声が、震えた。
「これが、あなたの、倒すべき、悪ですか」
ソラは、聖剣を、握りしめたまま。
震えていた。
そして──膝から、崩れ落ちた。
がしゃん、と。
聖剣が、地面に、落ちた。
「……分かんねえ」
彼は、両手で、顔を、覆った。
「分かんねえよ……!」
その、声が、嗚咽に、変わった。
「俺、三年、そう教わって……疑ったこと、なくて……でも、目の前に、こんな、普通の、村があって……」
彼の、肩が、震えていた。
「俺、何を、してるんだ……!」
◇
その時。
背後から、鋭い声が、飛んだ。
「──勇者様!」
騎士たちが、追いついてきた。
「何を、しておられる! 討伐を!」
「……」
「勇者様! これは、王命です!」
騎士が、ソラの、腕を、掴もうとした。
その、手を。
俺が、掴んだ。
「──何を、する!」
騎士が、俺を、睨んだ。
「随行者ふぜいが!」
「勇者は、今、動けません」
俺は、静かに、言った。
「見て、分かるでしょう」
「そんなことは、関係ない! 王命だ!」
「その王命に」
俺は、彼を、見た。
「『子供を、殺せ』と、書いてありましたか」
騎士の、動きが、止まった。
◇
「……勅命書は、俺も、読みました」
俺は、続けた。
「『魔族討伐』とは、書いてあった。──ですが、『子供を、殺せ』とは、一言も、書いていない」
「それは、当然の、前提で──」
「あなたの、解釈ですね」
俺は、遮った。
「王命に、書かれていないことを、あなたが、勝手に、判断した。──もし、それが、間違いだったら」
俺は、静かに、言った。
「責任を、取るのは、あなたです」
騎士の、顔が、こわばった。
「……貴様」
「俺は、事実を、言っているだけです」
俺は、勅命書を、思い出しながら、言った。
「『随行し、道案内および、支援を、行うこと』──俺たちの、任務は、それです。討伐の、判断は、勇者の、権限だ」
俺は、ソラを、見た。
「そして、勇者は、今、判断を、保留している。──それに、口を出す権限は、あなたには、ない」
◇
騎士は、しばらく、俺を、睨んでいた。
そして、吐き捨てるように、言った。
「……本部に、報告する」
「どうぞ」
俺は、頷いた。
「その時は、こう、書いてください。『勇者は、王命の、範囲を、確認していた』と。──嘘では、ありませんから」
騎士は、答えなかった。
そして、部下を、連れて、少し、離れた。
その間に。
俺は、ソラの、傍に、しゃがんだ。
「ソラ」
「……兄貴」
彼は、顔を、上げた。
その目が、真っ赤だった。
「俺……俺、あの子を……」
「殺さなかった」
俺は、静かに、言った。
「お前は、剣を、止めた」
「……止めてねえ。フィオナに、殴られたから──」
「殴られる前に、止まってた」
俺は、言った。
「俺は、見ていた。──お前の剣は、振り上げたまま、止まっていた。フィオナさんが、来る、前から」
ソラの、目が、見開かれた。
「お前は、自分で、止めたんだ」
◇
その時。
足元の、子供が。
泣きながら、ソラの、鎧に、しがみついた。
「……え?」
ソラが、固まった。
子供は、たぶん、恐怖で、混乱していた。
近くに、大人が、いなくて。目の前に、大きな人がいて。──だから、しがみついた。
相手が、自分を、殺そうとした、人族だと。
たぶん、分かっていなかった。
「……ぅ、ぇ……」
子供が、泣きじゃくった。
ソラは、動けなかった。
その、小さな、身体を。
角の生えた、その頭を。
ただ、見つめていた。
そして──震える手で、そっと、その背を、抱いた。
「……ごめん」
彼は、呟いた。
「ごめん……ごめんな……」
その声は。
嗚咽に、飲まれて、消えた。
◇
村の、奥から。
女が、駆けてきた。
必死の、形相で。
「──アル! アル!!」
母親だった。
彼女は、俺たちを、見て、足を、止めた。
そして、青ざめた。
人族。武装した、集団。──そして、自分の子を、抱いている、白銀の鎧の、少年。
「……返して」
彼女は、震える声で、言った。
「その子を、返して……お願いです……」
彼女は、その場に、崩れ落ちて、頭を、地面に、擦り付けた。
「その子は、まだ、何も、していません。何も、悪いことは……お願いします。何でも、しますから……その子だけは……!」
ソラの、身体が、震えた。
そして、彼は。
ゆっくりと、立ち上がり。
子供を、抱いたまま、母親の、前へ、歩いた。
そして──そっと、子供を、渡した。
「……ごめん」
彼は、掠れた声で、言った。
「ごめん、なさい」
そして、深く、頭を、下げた。
勇者が。人族が。魔族の、母親に。
母親は、子供を、抱きしめて。
呆然と、その光景を、見ていた。
◇
「──なんという、ことを」
背後で、騎士が、呻いた。
「勇者が、魔族に、頭を、下げるとは……!」
「見なかったことに、しては?」
俺は、静かに、言った。
「なに?」
「報告しても、いいですが。──『勇者が、魔族に、謝罪した』などと、王都に、伝わったら」
俺は、彼を、見た。
「困るのは、あなた方では?」
騎士の、動きが、止まった。
「……監視役として、勇者の、暴走を、止められなかった。そう、記録されます。──あなたの、経歴に」
「……っ」
「見なかったことに、しましょう」
俺は、続けた。
「この村は、制圧できなかった。理由は──魔王の、妨害。それで、いい」
騎士は、しばらく、俺を、睨んでいた。
そして、絞り出すように、言った。
「……覚えていろ」
「ええ」
俺は、頷いた。
「覚えて、おきます」
◇
その夜。
野営の、焚き火の、傍らで。
ソラは、聖剣を、抱えて、一人、座っていた。
その顔は、腫れていた。フィオナに、殴られた、頬が。
「……ソラさん」
フィオナが、その、隣に、来た。
「……フィオナ」
「頬、冷やしますか。──氷なら、出せます」
「いい」
ソラは、首を、振った。
「これは……戒めだから」
彼は、自分の、頬に、触れた。
「あの時、あんたが、殴ってくれなかったら。俺、たぶん──」
「止まっていました」
フィオナは、静かに、言った。
「レイジさんが、言っていたでしょう。あなたの剣は、私が来る前から、止まっていたと」
「……」
「私は、ただ、遅れて、殴っただけです」
彼女は、少し、俯いた。
「……すみません。手を、上げて」
「謝るなよ」
ソラは、掠れた声で、笑った。
「フィオナが、正しかった」
◇
しばらく、沈黙が、あった。
そして、ソラが、ぽつりと、言った。
「……フィオナ」
「はい」
「俺、三年間。ずっと、『魔族は悪だ』って、信じてた」
「はい」
「疑ったこと、なかった。だって、みんなが、そう言ってたから。王様も、騎士団も、先生も」
彼の、声が、震えた。
「……先生も、そう、言ってた」
「先生?」
「総騎士長」
ソラは、聖剣を、握りしめた。
「俺に、剣を、教えてくれた人。三年間、ずっと。──『魔族は、人族の敵だ。だから、討て』って」
彼は、俯いた。
「あの人、厳しかったけど、優しかった。飯、いつも、多めに、盛ってくれてさ。俺が、異界から来て、一人で、寂しがってたら、『そばにいてやる』って」
その声が、掠れた。
「……あの人が、嘘を、ついてたのか?」
フィオナは、答えなかった。
答えられなかった。
そして、ソラは、続けた。
「分かんねえんだ。──あの人が、悪い人だとは、思えない。でも、あの人が、教えたことは、たぶん、間違ってた」
彼は、顔を、上げた。
「……なあ、フィオナ。人って、悪気がなくても、間違えるのか?」
「……ええ」
フィオナは、静かに、答えた。
「間違えます。──信じているものが、間違っていれば」
「そっか」
ソラは、少し、笑った。
寂しそうに。
「じゃあ、俺も、そうだったんだな」
離れた場所で。
俺は、その、やりとりを、聞いていた。
そして──天を、仰いだ。
総騎士長。
ソラが、「先生」と呼ぶ、男。三年間、彼に、剣を教え、家族のように、接した人。
その人が、ソラに、「魔族は敵だ」と、教えた。
そして、いつか。
ソラが、自分で、真実に、辿り着いた時。
──その先生と、剣を、交える日が、来る。
「……レイジさん?」
隣で、セシリアが、俺を、見た。
「どうか、なさいましたか」
「……いえ」
俺は、答えた。
「ただ──盤面の、先が、少し、見えすぎただけです」
夜空には。
星が、静かに、瞬いていた。




