第35話 王命
ソラが、王都へ、発ったのは、翌朝だった。
「じゃあな、兄貴!」
彼は、馬上から、手を、振った。
「報告して、すぐ、戻ってくるからな! 待っててくれよ!」
「……気をつけろ」
俺は、答えた。
「王都で、余計なことは、言うな。──『聖剣は、抜けた』。それだけでいい」
「分かってるって!」
ソラは、笑った。
そして、ちらりと、フィオナを、見た。
「あー、その、フィオナ! 行ってくる!」
「……お気をつけて」
フィオナは、軽く、頭を、下げた。
それだけだった。
だが、ソラは、それで、十分だったらしい。顔を、赤くして、馬を、走らせていった。
「……分かりやすい坊主だな」
ガルドが、呆れたように、呟いた。
「え? 何がです?」
俺の、問いに、ガルドと、ニックと、セシリアが、同時に、こちらを、見た。
そして、三人が、同時に、深い、溜め息を、ついた。
「……なんです?」
「いや」
ガルドが、頭を、振った。
「なんでもねえ」
◇
ソラが、去って、六日。
その間、俺たちは、通常の、業務に、戻っていた。
依頼の、割り振り。新人の、教育。記録の、整理。
だが──俺の頭の中では、ずっと、盤面が、動いていた。
王国。ソラ。魔王。
三つの、力。
そのすべてが、敵に、なりうる。
そして、王国は、必ず、次の手を、打つ。聖剣が、揃った。切り札が、完成した。
──なら、次は。
「……レイジさん」
執務室に、フィオナが、入ってきた。
「難しい顔を、していますね」
「ああ」
「王国の、次の手、ですか」
「分かるか」
「あなたが、そんな顔をするのは、盤面が、詰みかけている時だけです」
フィオナは、俺の、向かいに、腰を、下ろした。
「教えてください。──私も、一緒に、考えます」
俺は、少し、驚いた。
そして、頷いた。
「……そうだな」
一人で、抱える必要は、ない。
◇
「王国の、狙いは、三つあった」
俺は、記録を、広げた。
「一つ。俺たちが、どれだけ危険な組織か、内側から、見ること」
「はい」
「二つ。聖剣を、回収させること」
「それは、達成されましたね」
「ああ。──そして、三つ目」
俺は、フィオナを、見た。
「用が済んだら、俺たちを、潰すこと」
フィオナの、顔が、こわばった。
「……もう、用は、済んだ、ということですか」
「いや」
俺は、首を、振った。
「まだだ。──聖剣は、揃った。だが、王国の、最終目的は、聖剣じゃない」
「……魔王討伐」
「そうだ」
俺は、頷いた。
「聖剣は、そのための、道具でしかない。──だから、王国は、次に、魔王を、討ちに行く」
俺は、地図を、指した。
北西。霧の森の、向こう。
「そして、その時。──俺たちは、どうなると、思う」
◇
フィオナは、しばらく、考えた。
そして、青ざめた。
「……まさか」
「そのまさかだ」
俺は、答えた。
「精霊の地の、道を、知っているのは、俺たちだけだ。ソラを、案内したのも、俺たちだ。──王国は、必ず、俺たちを、使う」
「魔王討伐に、同行させる、と?」
「ああ」
俺は、静かに、言った。
「そして、そこで──俺たちを、始末する」
フィオナが、息を、呑んだ。
「……どういう、ことですか」
「考えてみろ」
俺は、指を、折った。
「魔王領への、侵攻。当然、激戦になる。そこで、盤上の灯が、全滅しても──」
「……『魔王に、殺された』で、済む」
フィオナが、掠れた声で、言った。
「そうだ」
俺は、頷いた。
「王国は、手を、汚さずに、目障りなクランを、消せる。しかも、『魔王討伐に、殉じた英雄』として、体面まで、保てる」
俺は、地図を、見つめた。
「──完璧な、盤面だ。王国から、見れば」
◇
フィオナは、しばらく、答えられずにいた。
そして、絞り出すように、聞いた。
「……断ることは、できないんですか」
「できない」
俺は、即答した。
「王命だ。断れば、それこそ、討伐の口実になる。──『王命に、背いた反逆者』として」
「では……行くしか、ないと」
「ああ」
「そんな」
フィオナの、声が、震えた。
「行けば、殺される。行かなければ、討たれる。──どちらも、詰みじゃ、ありませんか」
「そうだな」
俺は、静かに、答えた。
「まともに、考えれば」
そして、俺は、地図から、顔を、上げた。
「──だが、詰みの盤面ほど、俺の、領分だ」
◇
「……何か、手が、あるんですか」
「一つだけ」
俺は、答えた。
「王国の、盤面には、大きな、穴が、一つ、ある」
「穴?」
「ソラだ」
俺は、地図を、指した。
「王国は、ソラを、使って、魔王を、討つつもりだ。だが──もし、ソラが、命令に、従わなかったら?」
フィオナの、目が、見開かれた。
「……ソラさんが、王国に、逆らう?」
「今は、無理だ」
俺は、正直に、言った。
「あいつは、まだ、王国の、駒だ。三年間、そう育てられた。──だが」
俺は、記録を、めくった。
「揺れている。聖剣に、拒まれ、魔王に、問われて。──『何と、戦っているのか』と、自分に、問い始めた」
「……」
「その問いが、深まれば。──あいつは、いつか、自分で、選ぶ」
俺は、フィオナを、見た。
「その時、王国の、最強の駒が、盤面から、外れる」
◇
フィオナは、しばらく、俺を、見ていた。
そして、静かに、言った。
「……あなた、ソラさんに、賭けるんですか」
「賭けじゃない」
俺は、答えた。
「賭けは、運任せだ。──俺は、確率を、上げる」
「どうやって」
「あいつが、自分の目で、真実を、見るように、仕向ける」
俺は、地図を、指した。
北西。魔族領。
「魔王領への、侵攻。──それは、王国にとって、俺たちを、始末する、機会だ。だが、同時に」
俺は、静かに、言った。
「ソラが、真実を、見る、機会でもある」
フィオナの、目が、見開かれた。
「……魔族を、見せる、と?」
「ああ」
俺は、頷いた。
「王国は、『魔族は、悪だ』と、教えてきた。だが、あいつは、まだ、魔族を、見たことがない。──魔王以外は」
俺は、続けた。
「もし、魔族が、ただの、民だったら。角が、生えているだけの、普通の、人間だったら」
俺は、目を、細めた。
「あいつは、それを、見て、どうする」
◇
フィオナは、しばらく、黙っていた。
そして、掠れた声で、言った。
「……危険な、賭けです」
「ああ」
「もし、ソラさんが、それを、見ても、何も、変わらなかったら。──『魔族は、悪だ』と、信じたまま、剣を、振るったら」
「その時は、詰みだ」
俺は、即答した。
「俺たちは、殺される。ソラの、剣か、王国の、手で」
「……」
「だが」
俺は、フィオナを、見た。
「他に、道が、ない」
その、時。
執務室の、扉が、乱暴に、叩かれた。
「──レイジ! いるか!」
ガルドの、声だった。
「どうした」
「王都から、早馬だ」
扉が、開いた。
ガルドの、顔が、蒼白だった。
「……勅命書だ」
彼は、封蝋の押された、書状を、差し出した。
王家の、紋章。
俺は、それを、受け取った。
そして、封を、切った。
◇
『勅命』
『盤上の灯 代表ガルド、ならびに所属一同へ』
『勇者ソラの報告により、聖剣の回収が、完了したことを、確認した』
『よって、王国は、魔族討伐の、最終段階に、入る』
『貴クランは、精霊の地における、唯一の、経験を、有する。よって、勇者ソラの、魔族領侵攻に、随行し、道案内および、支援を、行うこと』
『出立は、勅命書到着より、十日後とする』
『なお、本件は、王国の、命運を、賭けた、聖戦である』
『随行を、拒む場合。──王命への、反逆と、みなす』
◇
執務室が、静まり返った。
ガルドが、掠れた声で、言った。
「……レイジ」
「ああ」
「読んだか」
「読んだ」
俺は、書状を、机に、置いた。
「予想通りだ。──十日後、魔族領へ、侵攻する」
「拒めるのか」
「拒めば、反逆者だ」
俺は、答えた。
「盤上の灯は、解散。俺たちは、全員、お尋ね者になる。──百人が、路頭に迷う」
ガルドは、拳を、握りしめた。
「……行けば、どうなる」
「魔族領で、激戦になる」
俺は、静かに、言った。
「そして、王国は、混乱に、乗じて、俺たちを、始末する。──『魔王に殺された』という形で」
「……くそっ!」
ガルドが、壁を、殴った。
「どっちに、転んでも、詰みじゃねえか!」
◇
「……いや」
俺は、書状を、もう一度、見た。
そして、ある一点に、目が、止まった。
『勇者ソラの、魔族領侵攻に、随行し』
「……随行、か」
「あ?」
「ガルドさん。この、書き方だ」
俺は、その一行を、指した。
「『侵攻し』じゃない。『随行し、道案内および、支援を、行うこと』──俺たちは、主力じゃない。あくまで、ソラの、随行だ」
「……それが、どうした」
「主力は、ソラだ」
俺は、静かに、言った。
「王国の、切り札。聖剣を、持った、勇者。──あいつが、この侵攻の、中心にいる」
俺は、書状を、握った。
「なら、盤面の、中心も、あいつだ」
◇
ガルドが、俺を、見た。
「……お前、何を、考えてる」
「ソラを、変える」
俺は、答えた。
「この、侵攻の、途中で」
「変えるって、どうやって」
「真実を、見せる」
俺は、地図を、指した。
「魔族領には、村がある。人が、住んでいる。──角の、生えた、ただの、民が」
俺は、続けた。
「王国は、あいつに、『魔族は、悪だ』と、教えてきた。だが、あいつは、まだ、それを、自分の目で、確かめていない」
俺は、静かに、言った。
「見せれば、いい。──あいつの、目に」
ガルドの、顔が、こわばった。
「……お前、それ」
「危険だ。分かってる」
俺は、頷いた。
「だが、他に、道が、ない。──俺たちが、生き残るには、あいつを、王国から、外すしか、ない」
◇
その夜。
広間に、幹部が、集まった。
ガルド。セシリア。ニック。フィオナ。バッセさん。そして、ケイル。
俺は、勅命書を、机に、置いた。
「十日後、魔族領へ、侵攻する。──王命だ。拒めない」
全員が、黙り込んだ。
「……で、レイジ」
ニックが、掠れた声で、聞いた。
「勝ち目は、あるのか」
「魔王には、勝てない」
俺は、即答した。
「あいつは、ソラより、強い。まともに、やり合えば、全滅だ」
「じゃあ、なんで──」
「勝つ必要は、ない」
俺は、静かに、言った。
「今回の、目的は、魔王討伐じゃない。──全員、生きて、帰ることだ」
広間が、静まり返った。
「そして、もう一つ」
俺は、続けた。
「ソラを、王国から、外す。──それが、俺たちが、この先、生き残るための、唯一の道だ」
「……レイジ」
バッセさんが、静かに、口を、開いた。
「一つ、聞いてもええかの」
「はい」
「お前さん。──魔族の、村を、見せる、と、言うたな」
「ええ」
老斥候は、丸眼鏡の、奥で、目を、細めた。
その顔が、なぜか、青ざめていた。
「……その村に、何が、あると、思うとる」
「分かりません」
俺は、正直に、答えた。
「ですが、魔王は、言いました。『四十五年、俺たちの土地に、村に、お前たちは来た』と。──なら、村は、ある」
「……そうか」
バッセさんは、深く、息を、吐いた。
そして、しばらく、黙り込んだ。
「バッセさん?」
「……いや」
彼は、首を、振った。
「なんでも、ないわい」
だが、その手が。
わずかに、震えているのを。
俺は、見た。
◇
会議が、終わって。
俺は、バッセさんを、呼び止めた。
「バッセさん」
「……なんじゃ」
「何か、知っていますね」
老斥候の、動きが、止まった。
「……何を、じゃ」
「魔族の、村について」
俺は、静かに、言った。
「さっき、あなたの、顔色が、変わった。それに、手が、震えていた。──四十五年、という数字を、聞いた時に」
バッセさんは、答えなかった。
長い、沈黙が、あった。
そして、彼は、掠れた声で、言った。
「……レイジ」
「はい」
「お前さんは、まだ、若い」
その声は、深い、疲れを、帯びていた。
「支部長を、失脚させた。伯爵家の、依頼を、達成した。百人の、クランを、作った。──それだけでも、十分すぎるほど、背負っとる」
彼は、俺を、見た。
「これ以上は、いかん」
「……何が、です」
「事が、大きすぎる」
バッセさんは、静かに、言った。
「わしが、抱えとるものは。──お前さんが、背負うには、あまりに、重い」
そして、彼は、背を、向けた。
「わしは、資料室に、おる。──何かあれば、呼べ」
その、背中は。
四十年、記録の中に、腐っていた男の、背中だった。
◇
俺は、その背中を、見送った。
そして、思った。
──何かを、隠している。
だが、今は、追わない。
あの人が、話す気になるまで。
俺には、他に、やることが、ある。
十日後。
魔族領へ。
盤面は、動き始めていた。
そして、その盤面の、中心には──まだ、何も、選んでいない、少年が、いる。
「……ソラ」
俺は、窓の外を、見た。
王都の、方角。
「お前が、自分で、選ぶ日は。──もう、すぐだ」




