第32話 精霊の籠
五日目の、朝。
霧が、濃く、なっていた。
昨日までとは、比べ物にならない。腕輪の視界でも、十歩先が、やっとだ。ミサンガの、音も、ほとんど、届かない。
「……この、あたりのはずだ」
俺は、足を、止めた。
五十年の記録を、読んだ。森の骨格は、掴んだ。霧の、最も濃い一点──それが、中心。聖剣の、ある場所。
方角は、絞れていた。北。ここから、北。
だが──
「……分からない」
俺は、呟いた。
「え?」ニックが、聞き返した。
「ここから、先だ。方角は、合ってる。だが──最後の、道が、読めない」
霧が、濃すぎた。
腕輪の視界も、届かない。地形も、読めない。どこを、どう進めば、中心に辿り着くのか。──記録には、そこまでは、書かれていなかった。
書けなかったんだろう。
ここまで、来た者が。
──一人も、帰らなかったから。
◇
「なんだよ、兄貴」
ソラが、不安そうに、言った。
「道、分かんねえのか? あんた、なんでも、分かるんじゃねえのかよ」
「万能じゃない」
俺は、答えた。
「記録で、分かるのは、ここまでだ。この先は──記録が、ない」
「じゃあ、どうすんだ?」
「……」
俺は、霧を、睨んだ。
力任せに、進めば、迷う。迷えば、帰れない。ここで、消えた冒険者たちは、みな、そうだった。方角も分からず、彷徨って、力尽きた。
打つ手が、ない。
──そう、思った、その時。
「……あちらです」
隣で、フィオナが、呟いた。
◇
フィオナは、霧の、奥を、見つめていた。
焦点の、合わない目で。
「……フィオナ?」
「……聞こえます。声が」
彼女が、掠れた声で、言った。
「昨日から、ずっと。──誰かが、呼んでいる。あちらから」
彼女は、ふらりと、北を、指した。
俺が、方角として、絞った、その方向。──だが、彼女が、指したのは、もっと、具体的な、一点だった。
「あちらに、道が、あります。──霧が、薄くなっている、細い、道が」
「……見えるのか?」
「見えません。でも──感じます」
フィオナは、俺を、見た。
「声が、そこから、聞こえる。『こっちだ』『こっちに、おいで』と。──ずっと、待っていた、と」
俺は、その言葉に、頭の中を、組み直した。
記録で、絞った、方角。そこに、フィオナの感応が、重なる。
──そうか。
俺、一人では、辿り着けない。方角までしか、分からないから。
フィオナ、一人でも、辿り着けない。彼女は、声は、聞こえても、ここまで、来られない。この森を、抜ける術が、ないから。
だが、二人なら。
俺が、方角を、絞り。フィオナが、最後の道を、示す。
「──フィオナ。その声を、辿れるか」
「はい」
「無理は、するな。おかしいと思ったら、すぐ、言え。──俺が、横にいる」
フィオナは、俺を、見て、少しだけ、微笑んだ。
「はい。──あなたが、いれば、大丈夫です」
「……おい、待てよ」
ソラが、割って、入った。
「なんで、フィオナに、道が、分かるんだ? 俺には、なんも、聞こえねえぞ!」
「精霊の、声を、聞いているからだ」
俺は、答えた。
「精霊の声!? 俺、勇者だぞ! 聖剣、取りに来たの、俺だぞ! なのに、なんで、フィオナが──」
「聖剣は、力の、強さで、辿り着けるものじゃない」
俺は、静かに、言った。
「呼ばれた者だけが、辿り着ける。──フィオナさんは、呼ばれている。お前は、呼ばれていない。それだけだ」
「……っ」
ソラは、悔しそうに、霧を、睨んだ。
「くそ……俺、一番、強いのに」
その、拗ねた横顔に。
ニックが、噴き出した。
「はは、勇者様、また、拗ねてら」
「拗ねてねえ!」
だが、その悔しさは──たぶん、大事なものだった。
生まれて初めて、「強さが、通用しない」場所に、立っている。ソラは、それを、味わっている。
◇
フィオナを、先頭に。
俺たちは、霧の、奥へ、進んだ。
フィオナが、声を、辿る。俺が、その足元と、周囲を、腕輪で、読む。ニックが、後方を、警戒する。ソラが、中央で、むすっと、している。
霧は、どんどん、濃くなった。
そして──ふいに。
フィオナが、足を、止めた。
「……ここです」
目の前に、霧の、壁が、あった。
これまでの、霧とは、違う。まるで、意志を持つように、渦を巻き、蠢いている。白い、壁。
「これ以上、進めません」
フィオナが、言った。
「霧が……拒んでいます。『力ある者は、通さない』と」
「拒んでる?」
ソラが、剣の柄に、手をかけた。
「なら、俺が、斬り開く! こんな霧──」
「やめろ!」
俺は、叫んだ。
「え?」
「これは、封印だ」
俺は、その霧の壁を、見つめた。
渦を巻く、白い壁。力ある者を、拒む、霧。
「……そういう、ことか」
俺は、呟いた。
「ここで、消えた冒険者たちは。──この壁を、力で、破ろうとしたんだ。斬って、燃やして、こじ開けようと。──そのたびに、霧は、濃くなり、彼らを、飲み込んだ」
俺は、ソラを、見た。
「お前が、剣を、抜けば。──同じことに、なる」
ソラが、剣から、手を、離した。
「じゃあ……どうやって、通るんだよ」
「力じゃ、通れない」
俺は、フィオナを、見た。
「呼ばれた者だけが──通れる」
フィオナが、霧の壁に、歩み寄った。
そして、そっと、手を、伸ばした。
「……氷の、精霊」
彼女が、囁いた。
「あなたが、呼んでくれたんですね。ずっと。──来ました。会いに、来ました」
その、瞬間。
彼女の、指先に、霜が、舞った。
そして──霧の壁が。
応えた。
渦が、緩み、ほどけて。フィオナの前で、道を、開けていく。
まるで、迎え入れるように。「よく、来た」と。
「……道が、開いた」
ニックが、呆然と、呟いた。
白い壁が、割れて──その奥に、細い、道が、続いていた。
「みんな、私の、後ろに」
フィオナが、言った。
「私が、先に、進みます。──精霊が、私を、通してくれる。私の、後ろなら、みんなも、通れます」
「大丈夫か?」
俺は、聞いた。
「はい」
フィオナは、微笑んだ。
「怖くありません。──だって、ずっと、待っていてくれた、声ですから」
彼女が、道に、足を、踏み入れた。
霧は、彼女を、拒まなかった。
そして、俺たちも──フィオナの、後に、続いた。
霧の壁が、まるで、フィオナに、免じて、俺たちを、通してくれるように。静かに、道を、開けていた。
◇
そして──霧が、晴れた。
そこは、円形の、空間だった。
霧の、壁に、囲まれた、静かな、窪地。木々は、なく、ただ、苔むした、岩が、点在していた。
そして、その、中心に。
一本の、剣が、突き立っていた。
古い、剣だった。刀身は、曇り、鍔には、蔦が、絡んでいた。何百年も、そこに、あったように。
だが──その剣から、かすかに、光が、漏れていた。
七色の、淡い光。
「……聖剣」
俺は、呟いた。
「これが……聖剣か!」
ソラが、目を、輝かせた。
「やっと、見つけた!」
彼は、駆け出そうとした。
「待て」
俺は、その腕を、掴んだ。
「なんだよ! 俺の、聖剣だろ! 取りに来たんだ!」
「……様子が、おかしい」
俺は、その剣を、見つめた。
七色の、光。だが、その光は──一つ、一つ、色が、違って、揺れていた。まるで、いくつもの、意志が、その中で、蠢いているように。
そして、フィオナが。
その剣を、見て、涙を、流していた。
◇
「……みんな、いる」
フィオナが、掠れた声で、言った。
「え?」
「この剣の、中に……たくさんの、声が、いる。氷、水、風、地……火も。──精霊たちが、この剣に、籠っている」
彼女は、一歩、剣に、近づいた。
「ずっと、待っていた、って。──外に、出たいって。でも、出られなくて。……ずっと、ここで、眠っていた」
俺は、その光景を、見て、考えを、巡らせた。
聖剣。精霊が、籠った、器。
かつて、この地に、宿っていた、精霊たち。彼らは、何らかの理由で、力を、失い、この剣に、籠った。そして、長い、時を、眠って、いた。──呼ばれるのを、待って。
そして、その封印を、解けるのは。呼ばれた者──フィオナだけ。
だから、王国は、辿り着けなかった。どれだけ、強い者を、送っても。力では、この窪地には、入れなかったから。
「ソラ」
俺は、言った。
「剣を、抜いてみろ。ただし、ゆっくりだ」
「お、おう!」
ソラが、剣に、歩み寄った。
そして、柄に、手を、かけた。
その、瞬間。
七色の光が、一斉に、揺らめいた。
そして──剣が、ソラを、拒んだ。
柄から、青白い、火花が、散り、ソラの手を、弾いた。
「うわっ!?」
ソラが、手を、引っ込めた。
「な、なんだよ!? 抜けねえ!」
彼は、もう一度、柄を、握った。今度は、両手で、力を、込めて。
「ぬ、ぬけ……ろ……!」
だが、剣は、びくとも、しなかった。まるで、岩に、根を、張ったように。
「なんで、だよ!」ソラが、叫んだ。俺、勇者だぞ! 聖剣に、選ばれた、勇者──」
「──選ばれて、いません」
フィオナが、静かに、言った。
ソラの、動きが、止まった。
「え?」
「精霊たちが……言っています。『この子は、違う』と」
フィオナは、悲しそうに、ソラを、見た。
「『力は、強い。でも──この子は、まだ、何も、選んでいない』と」
◇
ソラの、顔が、こわばった。
「何も、選んでない……?」
「あなたは、王国に、言われるまま、聖剣を、取りに来ました」
フィオナは、続けた。
「魔王を、倒せと、言われて。魔族を、滅ぼせと、言われて。──でも、それは、あなたが、選んだことですか?」
「そ、それは……勇者、だから……そういう、ものだろ? 魔王を、倒すのが、俺の……」
「誰が、決めたんですか」
「……王様が」
「あなたは?」
フィオナの、問いに。
ソラは、答えられなかった。
長い、沈黙が、あった。
そして、俺は──その光景を、見て、静かに、状況を、整理した。
聖剣は、力では、抜けない。ソラが、どれだけ、強くても。
聖剣が、求めているのは──自分で、選んだ者だ。守るべきものを、自分の意志で、決めた者。誰かに、言われたからではなく。
ソラは、まだ、それを、持っていない。だから、剣は、彼を、拒む。
「……なあ、兄貴」
ソラが、掠れた声で、言った。
「俺、聖剣に、選ばれるために、来たんだよな。──でも、選ばれ、なかった。俺、何のために……ここまで、来たんだ?」
俺は、その問いに、すぐには、答えなかった。
代わりに、剣の、七色の光を、見た。
そして──一つの、光が、揺らいで、こちらへ、伸びてきた。
青白い、光。
それは、俺の方へ、来た。
「……!」
俺は、動かなかった。
その光は、俺の、胸の、あたりで、止まって。
そして──俺の中に、するりと、入ってきた。
◇
熱が、走った。身体の、芯から。
強化を、管理する仕組みの、外側。いつもの、【自己強化】が、灯る場所。──その、隣に。新しい、何かが、宿った。
『……やっと、見つけた』
声が、聞こえた。俺の、頭の中に、直接。
『お前だ。──ずっと、探していた』
「……何だ、お前は」
俺は、心の中で、問うた。
『剣霊。この剣に、籠る、精霊たちの、まとめ役だ』
その声は、静かで、古かった。
『われらは、ずっと、待っていた。この剣を、正しく、扱える者を。──だが、来なかった。力の強い者は、幾人も、来た。だが、みな、"抜くこと"しか、考えていなかった』
『お前は、違う。お前は、抜こうと、しなかった。──代わりに、あの少年に、"選べ"と、問うた。剣が、何を、求めているかを、見抜いた』
◇
『教えてくれ』
剣霊が、問うた。
『お前は、剣を、握れぬ。魔を、操ることも、できぬ。この地に、来た者の中で、最も、弱い。──なのに、なぜ、お前が、この者たちを、率いている』
俺は、少し、考えて、答えた。
「……俺は、戦えない。だから、戦わずに、済む道を、探す。誰が、どこに立てば、いいか。何を、どこに、置けば、いいか。──それを、考えて、組み立てる。それだけだ」
『……ほう』
剣霊の、声が、揺れた。感嘆のように。
『力を、持たぬ者が。知恵で、力を、統べる、か』
その声は、古い記憶を、辿るように、続いた。
『遠い、昔にも。一人、いた。剣も、魔も、持たぬのに、幾万の、兵を、あるべき場所に、置き、大国を、傾けた者が。──われらは、その者を、こう呼んだ』
剣霊は、静かに、告げた。
『盤を、統べる者。──"盤面士"と』
俺の、動きが、止まった。
盤面士。
──俺が、心の中で、ずっと、「盤面」と、呼んでいたもの。それに、名が、あった。俺より、ずっと、昔から。
『お前は、その、生まれ変わりでは、あるまい。だが──同じ、目を、している。力なき者が、力を、統べる、あの目を』
『だから、決めた。──お前に、加護を、授ける』
◇
「兄貴!?」
ソラが、叫んだ。
「あんた、光って……!」
俺の、身体が、淡い、青の光に、包まれていた。
そして──力が、満ちた。
腕に。足に。全身に。これまで、感じたことのない、力が。
俺は、自分の、手を、見た。
いつもの、細い、腕。だが、その中に、確かな、力が、宿っていた。
『【剣霊の祝福】。──お前の、すべてを、底上げする。腕力、耐久、敏捷、器用、魔力。──すべてを
』
剣霊の、声が、響いた。
俺は、頭の中で、計算した。
五つ、それぞれに、二十。総合、およそ、百。
九十七に、乗せて──
「……百九十七」
俺は、呟いた。
フィオナと、ほぼ、同じ。Aランク、相当。
「……嘘だろ」
ニックが、呆然と、呟いた。
「レイジが……強く、なった?」
「ああ」
だが──剣霊の声が、続けた。
『勘違いするな。──お前を、剣士にしたのでは、ない。お前は、これからも、剣を、握らぬ』
「……なら、なぜ」
『盤面士に、必要なのは、剣ではない。──盤を、長く、見続ける、力だ』
剣霊の、声が、言った。
『力が、増えれば、倒れにくくなる。魔力が、増えれば──感じるか。より多くの、"目"と"耳"を、同時に、持てる』
「……!」
俺は、気づいた。
魔力、十が──三十に。
これまで、腕輪、ミサンガ、護符、耳飾りの、四つが、限界だった。だが、今なら。もっと、積める。もっと、多くの、目と、耳を、同時に、持てる。
盤面が、広がる。
『お前の、知恵を、支えるための、力だ。──剣のためでは、ない』
◇
『そして──もう一つ。氷の、精霊が、あの娘を、選んだ』
「え?」
フィオナが、はっと、した。
彼女の、身体にも、淡い、水色の光が、絡んでいた。
「これ……氷の、精霊です」
フィオナが、掠れた声で、言った。
「私の、中に……入って、きます」
『あの娘は、ずっと、氷の精霊に、呼ばれていた。夢の中で、聞いていた声──それが、これだ。──これで、あの娘の、氷は、精霊の、力を、得る。ただの、魔法では、なくなる』
フィオナが、自分の、手を、見た。
その指先に、霜が、舞い、きらめいていた。
「……温かい」
彼女が、呟いた。
「氷なのに……温かい。ずっと、探していた、みたいな。──やっと、会えた、みたいな」
◇
そして、剣霊の、声が、告げた。
『他の、精霊たちは──この剣に、籠り続ける。水、風、地、火。まだ、それぞれの、"選ぶ者"が、現れていない』
『だが、一つだけ──地の、精霊が、興味を、持った者が、いる。ここには、いないが。──"不動"の、器を、持つ、男だ』
「……ガルド」
俺は、呟いた。
『いずれ、その男にも、力を、貸すことが、あるだろう。──地は、動かぬ者を、好む』
剣霊の、声が、遠のいていく。
『さあ──盤面士よ。あとは、お前の、領分だ。われらは、正しく、使われることを、望んでいる』
そして、声は、消えた。
◇
窪地に、静寂が、戻った。
聖剣は、まだ、地面に、突き立っていた。
だが──七色の光は、消えていた。
代わりに、五色の、淡い光が、静かに、揺れている。剣霊と、氷が、抜けた分だけ。
「……ソラ」
俺は、言った。
「もう一度、抜いてみろ」
「え? でも、さっき──」
「変わった。──やってみろ」
ソラが、恐る恐る、剣に、歩み寄った。
そして、柄に、手を、かけた。
今度は──火花は、散らなかった。
「……あ」
ソラが、力を、込めた。
ずずっ、と。
剣が、地面から、抜けた。
「抜け……た」
ソラが、聖剣を、掲げた。
刀身が、五色の、淡い光を、まとって、きらめいた。
「抜けた! 兄貴、抜けたぞ!」
「ああ」
「やった! これで、俺、聖剣の勇者──」
「勘違いするな」
俺は、静かに、言った。
ソラの、動きが、止まった。
「その剣は、お前を、選んだわけじゃない。──剣霊が、抜けて、ただの、よく斬れる剣に、なった。だから、お前でも、抜けた。それだけだ」
「……」
「たしかに、その剣は、強い。持てば、お前の力は、上がる。──だが、それは、剣の力だ。お前が、認められた、わけじゃない」
俺は、聖剣の、五色の光を、見た。
「その剣に、まだ籠っている、精霊たち。──あいつらが、お前を、"選ぶ者"と、認めた時。初めて、その剣は、本当の力を、見せる」
ソラは、聖剣を、見つめた。
五色の、淡い光。剣霊が、去って、静かになった、その刀身を。
「……真の力は、まだ、出ないのか」
「ああ」
「どうすれば、出るんだ?」
「お前が──自分で、何かを、選んだ時だ」
俺は、答えた。
「守るものを、自分の意志で、決めた時。剣霊が、戻ってくる。──その時、その剣は、本当の、聖剣になる」
ソラは、しばらく、聖剣を、握りしめていた。
そして、掠れた声で、言った。
「……俺、まだ、何も、選んでないもんな」
その声は──初めて、自分自身に、問いかける、声だった。
◇
窪地を、出て。
俺たちは、帰路に、就いた。
ソラは、腰に、聖剣を、佩いていた。
真の力は、まだ、出ない。だが──物理の、補正だけでも、絶大だった。ソラの総合、四百。それに、聖剣の、補正が、乗る。
「……なあ、兄貴」
ソラが、聖剣に、触れながら、言った。
「これ、持って帰ったら、王様、喜ぶかな」
「……さあ」
俺は、答えた。
喜ぶだろう。切り札の、勇者に、聖剣。──魔王を、討つための、道具が、揃った、と。
そして、王国は、次の手を、打つ。
魔王討伐。そして、その先の──盤上の灯の、始末。
「ソラ」
俺は、言った。
「王様に、報告する時。──聖剣が、真の力を、出さないことは、言うな」
「え? なんで?」
「言えば、お前は、また、責められる。『真の勇者では、ない』と」
俺は、続けた。
「隠しておけ。──いつか、お前が、自分で、選ぶ、その日まで」
ソラは、しばらく、俺を、見て。
そして、頷いた。
「……分かった。兄貴が、言うなら」
◇
その夜。
野営の、焚き火の、傍らで。
フィオナが、俺の、隣に、座っていた。
彼女の、指先には、まだ、かすかに、霜が、舞っていた。氷の精霊が、宿った、証だった。
「……レイジさん。剣霊が、あなたのこと、"盤面士"って、呼びましたね」
「ああ」
「あなたが、いつも、心の中で、言っている、"盤面"。──あれ、本当に、あったんですね。名前まで、ついて」
「……らしいな」
俺も、少し、驚いていた。
前世で、盤上の駒を、動かしていた、あの感覚。それを、俺は、ずっと、「盤面」と、呼んでいた。俺だけの、言葉だと、思っていた。
だが──この世界にも、いたのだ。
力を、持たずに。知恵で、大国を、傾けた者が。
「……なんだか、嬉しそうですね」
フィオナが、言った。
「そうか?」
「ええ。──あなた、初めて、"仲間"に、会えたみたいで」
俺は、その言葉に、少し、考えた。
そうかも、しれない。
この世界に、来てから、俺は、ずっと、一人だった。誰も、俺の力を、理解しなかった。「弱い」と、それだけで、切り捨てられた。
だが──遠い、昔に。俺と、同じ目を、した者が、いた。
「……悪い、気は、しない」
俺は、呟いた。
フィオナが、くすりと、笑った。
そして、焚き火の、向こうを、見た。
ソラが、聖剣を、膝に、抱えて、じっと、その刀身を、見つめていた。
「……ソラさん、変わりましたね」
フィオナが、言った。
「聖剣に、拒まれて。──でも、腐らずに、考えている。『自分が、何を、選ぶのか』を」
「ああ」
「あの人、いつか──自分で、選べる人に、なるでしょうか」
俺は、その問いに、静かに、答えた。
「なる」
「どうして、そう思うんですか?」
「あいつは、もう、問い始めてる。──それが、始まりだ」
焚き火の、向こうで。
ソラは、聖剣を、抱えたまま。
夜空の、星を、見上げていた。
その目は──もう、ただ、強いだけの、少年の目では、なかった。




