第30話 届きすぎる剣
出発は、三日後の、朝だった。
クランハウスの前に、荷馬車と、選抜された面々が、集まっていた。
山岳の三人組。元漁師の付与品使い。そして──ニックと、フィオナ。
「留守は、任せてください」
セシリアが、微笑んで、見送りに、出ていた。
「回復役が、いないのは、不安ですが……ガルドさんと、クランハウスを、守っています」
「ああ。頼む」
俺は、頷いた。
セシリアと、ガルドは、残る。百人を超えたクランの、運営と、負傷者のケア。そして、監督下の、記録提出。──二人が抜けるわけには、いかない。
つまり、今回の森は、回復役なしだ。誰か一人でも、深手を負えば、それで、終わる。
そして、その傍らに。
「──行きますよ、レイジさん」
紺のローブが、立っていた。
フィオナ。
「あなた一人で、あの森へ、勇者様と。……前回のことを、忘れたんですか」
「忘れていません」
俺は、答えた。
「だから、あなたに、来てもらうんです」
フィオナの、頬が、わずかに、染まった。
「……戦力として、ですよね」
「もちろんです」
「……そうですよね」
彼女は、つんと、顎を上げて、荷馬車に、乗り込んだ。
◇
そして、その中心に。
白銀の鎧が、立っていた。
「準備、できたぜ!」
ソラは、腰に、王家から与えられた長剣を、佩いて、笑っていた。
そして──荷馬車の、フィオナを、見つけて。
「あ」
彼の顔が、ぱっと、明るくなった。
「なあ、あんた! 魔法使い、だよな! すげえ、綺麗な、ローブ!」
フィオナは、ちらりと、ソラを、見た。
そして、無言で、視線を、逸らした。
「……え?」
ソラが、きょとんと、した。
「あれ? 聞こえてない? なあ──」
「聞こえています」
フィオナは、冷たく、答えた。
「フィオナです。──よろしく、ソラさん」
その「ソラさん」には、氷が、混じっていた。
「お、おう。フィオナ、か。よろしく!」
ソラは、その冷たさに、気づかないのか、屈託なく、笑った。
そして、俺は──その、やりとりを、見ながら。
ふと、思った。
フィオナは、なぜ、あんなに、冷たいのだろう。
初対面のはずだ。ソラは、悪気のない、ただの、明るい少年に、見えるが。
……まあ、いい。
盤面には、関係ない。
◇
「おーい、ニック! だっけ? あんた、斥候なんだろ!」
ソラは、次に、ニックに、絡んだ。
「なあ、斥候って、何すんだ? 魔物、倒すのか?」
「倒さねえよ」
ニックが、笑った。
「俺は、見つけて、避けて、逃げるのが、仕事だ。倒すのは、最終手段」
「えー、つまんねえ! 見つけたら、倒せば、いいじゃん!」
「……あのなあ」
ニックが、呆れた顔で、俺を、見た。
「レイジ。この坊主、ほんとに、あの森、連れてって、大丈夫か?」
「坊主じゃねえ! 勇者だ!」
「はいはい、勇者様な」
ニックは、ひらひらと、手を振った。
そのやりとりに、荷馬車が、笑いに、包まれた。
ソラも、つられて、笑った。
──フィオナだけが、魔導書に、目を落として、笑わなかった。
◇
森までの、道中。
ソラは、やたらと、フィオナに、話しかけた。
「なあ、フィオナ! 氷の魔法、使えるんだよな! どんくらい、強いんだ?」
「……普通です」
「嘘だろ! ぜってー、すげえって! 今度、見せてくれよ!」
「……」
フィオナは、答えなかった。
荷馬車の、反対側の縁で、魔導書を、開いて、ソラに、背を向けていた。
「なあ、フィオナってさ、いくつ? 俺、十七なんだけど!」
「……」
「なあってば! 無視すんなよ!」
「──うるさいです」
フィオナが、初めて、はっきりと、言った。
「私は、レイジさんの、補佐で、来ています。あなたの、話し相手では、ありません」
ソラが、しゅん、と、した。
「……レイジの、補佐?」
「そうです」
フィオナは、ちらりと、俺を、見た。
その目が、一瞬、柔らかくなって──そして、ソラに、戻ると、また、冷たくなった。
「あなたと違って、私は、レイジさんの、価値を、分かっていますから」
◇
「……ん?」
ソラが、首を、傾げた。
「俺と、違って?」
「忘れたんですか」
フィオナの声が、低くなった。
「クランハウスで。あなた、レイジさんに、言いましたよね。『弱そうだけど、大丈夫か』『下がってろ』と」
「あ……」
ソラの、顔が、こわばった。
「レイジさんは、この街で、一番、弱いです。総合、九十七。それは、事実です」
「……」
「ですが、その人が、支部長を、失脚させて、伯爵家の依頼を、達成して、百人のクランを、作りました。あの森を、たった一人で、攻略しました。──あなたに、それが、できますか」
ソラは、答えられなかった。
「あなたは、レイジさんを、『弱そう』と、見下した。──ひと目、見ただけで。数字だけ、見て」
フィオナの、紫の目が、冷たく、光った。
「私は、そういう人が、嫌いです」
そして、彼女は、また、ソラに、背を向けた。
隣で、ニックが、俺の脇腹を、肘で、つついた。
「……おい、レイジ」
「なんだ」
「あの勇者様、フィオナさんに、惚れてんぞ」
「……そうか?」
「そうかって、お前」
ニックが、呆れた顔をした。
「あんだけ、ぐいぐい行って、塩対応、食らって。──気づけよ」
「盤面には、関係ない」
「はいはい」
ニックが、にやにや、した。
「関係、あると思うけどなあ」
◇
その夜。
野営の、焚き火の、傍らで。
ソラは、珍しく、しゅんと、していた。
「……なあ、レイジ」
「はい」
「フィオナ、俺のこと、嫌いなのか?」
「……さあ」
「俺、なんか、悪いこと、したか?」
「……したんじゃないですか。俺を、弱そうと、言ったことでは?」
「あ……」
ソラは、頭を、抱えた。
「……そうか。俺、あんたのこと、馬鹿にしたんだ。フィオナ、それで、怒ってんのか」
彼は、しばらく、黙って、それから、俺を、見た。
「なあ、レイジ。……ごめん」
「え?」
「あの時、あんたのこと、弱そうって、下がってろって、言って。……悪かった」
俺は、少し、驚いた。
三年間、「勇者様」と持ち上げられてきた少年の、口から出た、素直な、謝罪。
「……気にしてません」
「気にしろよ!」
ソラは、叫んだ。
「俺、あんたのこと、何も、知らないで、馬鹿にした。──でも、あんた、すげえ人だった。フィオナの言う通りだ」
彼は、俯いた。
「……フィオナ、俺のこと、見直してくれるかな」
◇
俺は、その横顔を、見て。
ようやく、気づいた。
──ああ。
こいつ、フィオナのことが、気になっているのか。
十七歳の、少年。異界で、初めて会った、綺麗で、強い、女の子。──惚れて、当然だ。
ニックの、言う通りだった。
だが──それは、俺が、口を出すことでは、ない。
「……ソラ」
「ん?」
「フィオナさんに、認められたいなら、一つ、方法が、あります」
「ほんとか!? 何だ!」
「俺の言うことを、聞くことです」
「……は?」
「明日、あなたに、頼みたいことが、あります。──それを、ちゃんと、やってください」
俺は、焚き火を、見つめた。
「フィオナさんは、俺の盤面を、見ています。──あなたが、その盤面の、一部になれば、認めて、くれるかもしれません」
ソラは、しばらく、俺を、見ていた。
そして。
「……分かった。頼む」
彼は、拳を、握った。
「俺、ちゃんと、やる。あんたの、言う通りに」
◇
翌朝。
俺たちは、霧の壁の、前に、着いた。
垂直に、立ち上がる、白い霧。
ソラは、それを、見上げて、息を、呑んだ。
「……なんだ、これ」
「精霊の地です」
俺は、全員に、感覚強化の付与品を、配り始めた。
「梟の腕輪。狼のミサンガ。──魔力を、通して、発動させてください」
そして、フィオナには。
「あなたは、俺の、横に」
「……はい」
フィオナが、俺の、隣に、来た。
「前回と、同じです。あなたの魔力は、この森で、最も、強く光る。だから、簡単には、撃てない。──ですが、いざという時は、あなたの氷が、切り札になる」
「私を、囮に、使いますか」
「使いません」
俺は、即答した。
「あなたは、俺の、横にいてください。──俺が、守ります」
フィオナの、頬が、染まった。
「……戦術的な、判断ですよね」
「もちろんです」
「……そうですよね」
その、やりとりを。
ソラが、少し、離れたところから、見ていた。
その顔が、なぜか、複雑そうだった。
◇
そして──ソラには、狼のミサンガだけを、渡した。
「あなたは、魔力が、多すぎる。付与品を、複数、発動させれば、それだけで、光ります。──聴覚だけ、強化してください。視界は、俺が、あなたの、目になります」
「あんたが? 俺の、目に?」
「ええ」
「……弱いのに?」
「弱いから、です」
俺は、腕輪に、魔力を通しながら、答えた。
「俺は、光らない。だから、見えます」
そして、霧に、入った。
音が、消えた。
「……うわ」
ソラが、掠れた声を、上げた。
「なんも、聞こえねえ……気持ち悪い」
「慣れてください」
俺は、隊列の、中央に、彼を置いた。
「あなたは、真ん中を、歩く。前も、後ろも、俺たちが、囲みます。──何も、しなくていい」
「何も、しなくていい……」
ソラは、その言葉を、噛みしめるように、繰り返した。
三年間、「魔王を倒せ」と言われ続けた少年にとって。
「何もしなくていい」は──たぶん、初めて、聞く言葉だった。
◇
半日、歩いた。
俺は、常に、腕輪の視界で、三十歩先を、読み続けた。ミサンガで、周囲の気配を、拾い続けた。護符と、耳飾りを、必要に応じて、差し込みながら。
ニックが、前方を、フィオナが、俺の横を、ソラが、中央を。隊列は、静かに、進んでいた。
そして──気配を、拾った。
「……止まって」
俺は、手を、挙げた。
「北北東。六十歩。大型が、一体」
あの、魔力に反応する、四足の魔物だ。
「迂回します。ニック、南に、逃げ道を──」
「──どこだ?」
ソラの声が、した。
彼は、剣の柄に、手をかけて、北北東を、睨んでいた。
「一体だろ? 倒せば、済む──」
「駄目です!」
俺は、叫んだ。
だが──遅かった。
ソラが、剣を、抜いた。
その、瞬間。
霧の中に、青白い、光の筋が、走った。
そして──森中の、気配が、一斉に、こちらを、向いた。
「──っ!」
ミサンガが、悲鳴のように、音を、拾った。
七体。
四方から、一斉に、動き出した。
◇
「馬鹿……!」
俺は、腕輪の視界を、フル回転させた。
「全員、俺の後ろへ! ソラ、剣をしまえ!!」
「な、なんで──」
「しまえ!!」
ソラが、びくりと、剣を、鞘に、戻した。
だが、遅い。魔物は、もう、彼の魔力の残滓を、追ってきている。
俺は、猛烈な速度で、盤面を、組んだ。
七体。四方向。緩い下り斜面。左手に岩壁。右手に倒木。退路は南南西、一本。
「フィオナ」
「はい」
「あなたの魔力を、使う。──今だけ。南から来る二体、あそこの隘路を、氷で塞げ。通れなくすればいい。最小限の魔力で」
「分かりました」
フィオナが、杖を、掲げた。
「『氷結の壁』!」
南の隘路に、氷の壁が、せり上がった。二体の魔物が、阻まれる。
「ニック!」
「おうよ!」
「南南西の退路、罠を張れ! それと、東の三体の足回りに、撒けるだけ撒け!」
「任せろ!」
ニックが、韋駄天の脚で、斜面を、駆けた。撒き菱、鳴子、括り罠。──目にも留まらぬ速さで、退路と、東側に、罠を、敷いていく。敏捷五十四の、面目躍如だった。
「山岳班、岩場を背に、壁を作れ! 東の三体を、受けろ! ニックの罠に、追い込め!」
「付与品を、二つ、あそこへ投げろ! 発動させたまま! 囮だ!」
腕輪と、護符が、放物線を描いて、飛んだ。西の二体が、そちらへ、誘導される。
◇
「ソラ!」
俺は、彼の腕を、掴んだ。
「あなたは、動くな。俺の、真横に、立て」
「で、でも、俺が、戦えば──」
「あなたが、戦えば」
俺は、彼の目を、見た。
「その一撃で、フィオナさんが、死ぬ」
ソラの、顔が、蒼白に、なった。
彼は、フィオナを、見た。
俺の、横で、氷の壁を、維持しながら、荒い息を、ついている、フィオナを。
「……っ」
ソラは、剣から、手を、離した。
そして、動かなくなった。
俺の、真横で。拳を、握りしめて。
戦闘は、熾烈だった。
だが──盤面は、崩れなかった。
「山岳班、右にずれろ! 二体目が回り込む!」
「フィオナ、氷を、あと四半刻、保たせろ!」
「ニック、東の一体、罠に、追い込め!」
「はいよ!」
ニックが、囮に、なって、一体を、括り罠へ、誘い込んだ。がくん、と、魔物の足が、跳ね上がる。
「今だ! 山岳班!」
山岳班の、大槌が、振り下ろされた。
◇
四半刻後。
東の三体は、討ち取られた。南の二体は、氷に阻まれたまま、退いた。西の二体は、囮に誘導されたまま、遠ざかった。
誰も、死ななかった。
誰も、深手を、負わなかった。
回復役が、いないのに。
戦闘が、終わって。
ソラは、その場に、立ち尽くしていた。
一歩も、動かずに。剣も、抜かずに。
「……なんだよ、これ」
彼は、掠れた声で、呟いた。
「俺、何も、してねえ。──なのに、全員、生きてる」
彼は、フィオナを、見た。
氷の壁を、解いて、その場に、膝をつき、荒い息をついている、フィオナを。
「フィオナ……大丈夫か?」
ソラが、駆け寄ろうとした。
だが──フィオナは、ソラを、見ずに。
「……レイジさん」
俺の方へ、手を、伸ばした。
「魔力を、使いすぎました。……少し、肩を」
「ああ」
俺は、彼女の、肩を、支えた。
フィオナが、俺に、体重を、預けた。
そして──ソラは、その光景を、見て。
伸ばしかけた手を、そっと、下ろした。
その横で、ニックが、小さく、口笛を、吹いた。
◇
その、夜。
ソラは、焚き火から、少し、離れた場所で、膝を、抱えていた。
「……レイジ」
彼が、ぽつりと、言った。
「今日、俺、剣を、抜いちまった」
「ええ」
「そんで、フィオナが……俺のせいで、危なく、なった」
彼の声が、震えていた。
「俺の、強さが……フィオナを、殺しかけたのか」
俺は、答えなかった。
代わりに、静かに、言った。
「あなたは、強い。ですが、その強さは、大きすぎる。──あなたが、剣を振れば、味方も、巻き込む」
「……」
「あなたは、三年間、一人で、戦ってきたんでしょう。だから、気づかなかった。──自分の強さが、隣にいる人間を、殺しかけることに」
ソラは、俯いた。
そして、掠れた声で、言った。
「……俺、フィオナに、嫌われて、当然だな」
「……」
「馬鹿にした上に、危険に、晒して。──最低だ、俺」
◇
俺は、その、しょげた横顔を、見て。
少し、考えた。
こいつは、悪い奴では、ない。
ただ、強すぎて、誰も、隣に立てなかった。そして、その強さの、使い方を、誰も、教えなかった。
「……ソラ」
「ん?」
「明日、あなたに、頼みたいことが、あります。あなたの、強さを、使います。──ただし、俺の、盤面の中で」
俺は、焚き火を、見つめた。
「あなたの強さは、一人で使えば、暴力です。誰も、隣に立てない。──ですが、盤面に、置けば、フィオナさんを、守ることも、できる」
ソラの、顔が、上がった。
「……フィオナを、守れるのか? 俺の、力で?」
「置き方、次第です」
俺は、頷いた。
「明日、教えます」
ソラは、しばらく、俺を、見ていた。
そして。
「……頼む」
彼は、掠れた声で、言った。
「教えてくれ。──俺の力で、みんなを、守る、方法を」
◇
その夜。
俺が、見張りに、立っていると。
フィオナが、起きてきた。
「……眠れませんか」
「魔力の、使いすぎです。少し、火に、当たろうかと」
彼女は、俺の、隣に、座った。
しばらく、二人で、焚き火を、見ていた。
そして、フィオナが、ぽつりと、言った。
「……あの人、少し、変わりましたね」
「ソラさんですか」
「ええ」
彼女は、焚き火の、向こうで、丸くなって、眠る、ソラを、見た。
「昨日までは、ただの、傲慢な、子供だと、思っていました。レイジさんを、見下した、嫌な、勇者様だと」
「……」
「でも、今日。自分の力が、私を、危険に晒したと知って──あんなに、しょげて」
フィオナは、少し、笑った。
「……悪い人では、ないのかも、しれませんね」
俺は、その言葉を、聞いて。
少し、意外に、思った。
「見直したんですか」
「まさか」
フィオナは、即座に、否定した。
「まだ、少しだけ、です。──レイジさんを、馬鹿にしたことは、許していません」
彼女は、つんと、顎を、上げた。
「ただ……レイジさんの言うことを、素直に、聞くように、なったのは。──少しだけ、見どころが、あるかな、と」
そして、彼女は、俺を、見た。
「あなたの、価値が、分かる人は。──嫌いじゃ、ないです」
その言葉に、なぜか。
俺の、心拍が、少し、乱れた。
「……そうですか」
「ええ」
フィオナは、焚き火に、手を、かざした。
そして、小さく、呟いた。
「……あなたの価値を、分かる人が、増えるのは。──嬉しいような、寂しいような」
「え?」
「なんでも、ありません」
彼女は、立ち上がった。
「おやすみなさい、レイジさん」
紺のローブが、闇に、消えた。
その、寂しいような、という言葉の意味を。
俺は、また、読み解くのを、やめた。




