第29話 勇者、来たる
その男が来たのは、支部長が去って、二十日後の朝だった。
クランハウスの、扉が、乱暴に、開いた。
「──ここが、盤上の灯か!」
広間にいた冒険者たちが、一斉に、振り返った。
戸口に立っていたのは、少年だった。
年の頃は、十六か、十七。短く刈った黒髪。日に焼けた肌。そして、真っ直ぐな、大きな目。
だが、その身なりは、少年のものではなかった。
白銀の鎧。王家の紋章が刻まれた、真紅のマント。腰には、装飾の施された長剣。
──そして。
「……!」
広間の空気が、変わった。
冒険者たちが、息を呑む。何人かが、無意識に、後ずさった。
圧が、違う。
そこに立っているだけで、部屋の空気が、重い。まるで、大きな獣が、一頭、部屋に入ってきたように。
「代表は、どこだ! ガルドってやつ!」
少年は、屈託なく、そう叫んだ。
その、圧倒的な圧を、まったく自覚していない顔で。
◇
「──俺だ」
ガルドが、二階から、降りてきた。
そして、その少年を見た瞬間、この男の顔から、血の気が、引いた。
王家の紋章。真紅のマント。──それだけなら、ただの、身分の高い若造だ。
だが、ガルドは、元B級だ。格を見る目は、ある。
そして、その目が、告げていた。この少年の、身にまとう質量は、人のものではない、と。
「……嘘だろ」
彼は、掠れた声で、呟いた。
「勇者、か」
「おう、あんたか! 話が早い!」
少年は、大股で、歩み寄ってきた。
「俺は、ソラ。勇者のソラだ! 王命で来た!」
──広間が、凍りついた。
勇者。
三年前、王国が召喚した、異界からの少年。才能値、測定不能。この国の、最強にして、最後の切り札。
魔王を、討つために、呼ばれた者。
「ゆ、勇者……!?」
「本物か!?」
冒険者たちが、ざわめいた。
そして、ソラは、その反応に、慣れているのか。
にっと、白い歯を見せて、笑った。
「おう! 本物だぜ!」
──屈託が、なかった。
驕りも、傲慢も、そこにはない。
ただ、真っ直ぐな、少年の笑顔だった。
俺は、その笑顔を、広間の隅から、見ていた。
そして、思った。
──三年、か。
三年前。十四で、この世界に、呼ばれた。異界から、いきなり。
そして、「お前は勇者だ」「魔王を倒せ」と、言われた。
疑うことも、許されずに。
◇
「……で、勇者様が、うちに、何の用で」
ガルドが、慎重に、聞いた。
「聖剣だ!」
ソラは、即答した。
「精霊の地に、聖剣があるらしい。俺が、取ってくる。──場所を教えろ!」
広間が、静まり返った。
「……精霊の地」
「そうだ! あんたら、あそこで、精霊銀を掘ったんだろ? 王様が言ってた! 『あのクランが、道を知っている』って!」
ソラは、身を乗り出した。
「案内してくれ! いや、案内はいらねえか。場所さえ分かれば、俺が、一人で行く!」
「……」
「魔物がいるんだろ? 大丈夫だ、任せろ! 俺、強いから!」
彼は、腰の剣を、叩いた。
「三年、修行した。今の俺なら、何が出ても、負けねえ!」
──そして。
その言葉に、一つの、確信があった。
嘘でも、虚勢でもない。事実だと、彼は、心の底から、信じていた。
そして、たぶん、それは、事実だった。
◇
俺は、その少年を、観察していた。
立ち姿。重心の置き方。呼吸。無意識の、筋肉の張り。
そして、そこにいるだけで、空気を圧する、その質量。
「……四百」
俺は、小さく、呟いた。
素の総合、およそ四百。
この街の頂点、S級の基準が、二百五十から三百。
その、遥か、上。
次元が、違う。
俺の、九十七。フィオナの、二百十二。ガルドの、百七十一。
──一対一で、あの少年に勝てる者は、この街に、一人もいない。
いや……そもそも、これは、盤面に、乗せられる駒ではない。
ワイバーンなら、嵌められた。地形を使い、退路を塞ぎ、時間を稼いで、確率を、積み上げれば。
だが、これは、違う。
この質量は、俺の、どんな盤面も、力ずくで、ひっくり返せる。地形も、時間も、確率も、関係ない。あるのは、ただ、圧倒的な、暴力だけだ。
──盤面の、外にいる。
俺は、静かに、その事実を、認めた。
俺には、この少年を、倒す手が、ない。
嵌める手も、ない。
「……なるほど」
これが、神様が言っていた、少年か。
『下の国が、勝手に、一人、呼びよってな』
『餞別に、才能を、詰めるだけ、詰めたんじゃ』
『あの子が、あんまり、真っ直ぐな目ぇを、しとったもんじゃからな』
俺は、二年間、盤面の外に置いていた、あの言葉を、思い出していた。
俺と同じ、神様の、手違いから、こぼれた存在。
──ただし、俺とは、逆の。
俺は、予定外の転生で、端数の力しか、もらえなかった。
この少年は、王国に、勝手に呼ばれて、餞別に、すべてを、詰め込まれた。
同じ、はみ出し者。
なのに、これほど──────違う。
◇
「なあ、頼むよ!」
ソラが、ガルドに、詰め寄っていた。
「場所を教えてくれるだけでいいんだ! 危ないことは、させねえ! 俺が、一人で行くから!」
「……勇者様」
ガルドは、慎重に、言葉を選んでいた。
「あの森は、危険です。魔物が、強いんじゃない。──帰ってこられない」
「大丈夫だって!」
ソラは、笑った。
「俺、死なねえもん」
──広間が、しんとした。
その言葉に、悪気は、なかった。自慢でも、驕りでもない。
彼は、本当に、そう思っている。三年間、負けたことがないから。何が出ても、勝ってきたから。だから、死なない。そう、信じている。
「……ソラ、様」
セシリアが、静かに、口を開いた。
「あの森で、これまで、何組の冒険者が、消えたか、ご存知ですか」
「知らねえ」
「四組です。そのうち一組は、報告書すら、残っていません」
「じゃあ、そいつら、弱かったんだろ?」
──悪気なく、そう言った。
セシリアの、微笑みが、消えた。
◇
「──無理です」
俺は、そう言った。
広間の、全員が、こちらを、見た。
そして、ソラが。
初めて、俺の存在に、気づいた顔をした。
「……あ?」
彼の目が、俺を、捉える。
上から、下まで。
そして。
「……誰だ、お前」
彼は、首を、傾げた。
「弱そうだけど、大丈夫か?」
──広間の空気が、凍った。
「危ないから、下がってろよ。今、大事な話してるから」
善意だった。
一片の、悪意もなかった。
彼は、本当に、心配していた。細い体の、弱そうな男が、勇者の前に出てきて、危ないと。
「ソラ様」
セシリアの声が、氷点下だった。
「その方は──」
「セシリアさん」
俺は、それを、遮った。
そして、ソラの前に、歩み出た。
「レイジと言います。ここの、所属です」
「ふーん」
ソラは、俺を、見た。
その目に、興味は、なかった。彼の目に、俺は、映っていない。九十七の男など、彼の世界では、風景と同じだ。
「で、なんで無理なんだ?」
「あなたが、行けば」
俺は、静かに、答えた。
「聖剣は、手に入りません」
「はぁ?」
ソラの、眉が、跳ね上がった。
「なんで! 俺、強いんだぞ!」
「知っています」
「魔物なら、何体でも、倒せる!」
「知っています」
「じゃあ、行けるだろ!」
「──では、聞きます」
俺は、彼の目を、見た。
「聖剣は、あの森の、どこにありますか」
ソラの、動きが、止まった。
「……え?」
「場所です。あなたは、それを、知っていますか」
「……いや、だから、あんたらが、知ってんだろ?」
「知りません」
俺は、即答した。
「俺たちが行ったのは、精霊銀の鉱脈です。聖剣の場所は、誰も、知りません」
広間が、静まり返った。
「──王国も、知りません」
俺は、続けた。
「知っていれば、三年前、あなたを召喚した直後に、取りに行かせているはずです。──なぜ、行かせなかったと思いますか」
「…………」
「誰も、帰ってこなかったからです」
俺は、静かに、言った。
「王国は、何度も、送っています。十七年前にも、たぶん、それ以前にも。──全部、消えました。だから、諦めた。あなたを召喚した後も、送れなかった。あなたを失うリスクを、冒せなかったからです」
ソラの、顔から、笑みが、消えた。
「……嘘だ」
「事実です」
「だって、王様は、そんなこと──」
「言うわけがないでしょう」
俺は、答えた。
「『お前を送ると死ぬかもしれないから、今まで諦めていた』などと。──言うと思いますか」
◇
ソラは、しばらく、黙っていた。
そして、掠れた声で、言った。
「……じゃあ、なんで、今なんだ」
「あなたたちが、あの森を、攻略したからです」
俺は、答えた。
「伯爵家が、精霊銀を、王国に献上した。──それを見て、王国は、気づいた。『あの森を攻略した奴らがいる』と」
俺は、続けた。
「だから、あなたを送った。俺たちに、道案内をさせるために」
「……」
「あなた一人では、行けません。あなたが、どれだけ強くても」
俺は、静かに、言った。
「──霧は、斬れません」
「霧?」
「あの森は、霧に、覆われています」
俺は、説明した。
「音が、消えます。視界は、十歩。地形も読めない。退路も分からない。──どこに何があるか、まったく、分からなくなる」
「……そんなの、慣れれば」
「慣れる前に、迷います」
俺は、断言した。
「そして、迷ったまま、彷徨い続ける。魔物を、何体倒しても、聖剣には、辿り着かない。──あなたの剣は、目的地までは、届かない」
ソラは、黙っていた。
その顔に、初めて、困惑が、浮かんでいた。
「……じゃあ、あんたらは、どうやって」
「記録です」
俺は、答えた。
「五十年ぶんの記録を、読みました。そして、四日かけて、森の骨格を、掴みました。地形、傾斜、水の流れ、魔物の巡回」
「……それだけ?」
「それだけです」
ソラは、俺を、見た。
その目に、初めて、何かが、宿った。
理解ではない。──混乱だった。
「……あんた、強いのか?」
「弱いです」
俺は、即答した。
「この街で、一番弱い」
「……はぁ?」
「総合戦闘力、九十七。ランク、F。──一般人以下です」
広間が、静まり返った。
ソラは、しばらく、俺を、見ていた。
そして。
「──意味が、分からねえ」
彼は、そう言った。
心の底から、そう思っている顔で。
「なあ」
ソラが、頭を、掻いた。
「あんた、弱いんだろ? なんで、そんな危ないとこに、行けるんだよ」
「弱いから、です」
「……は?」
「強い人間は、戦います」
俺は、静かに、答えた。
「『これなら勝てる』と判断して、踏み込む。そして、帰ってこない。──あの森で死んだのは、そういう人たちです」
「……」
「俺は、戦えない。だから、逃げることに、専念できる」
俺は、続けた。
「見て、記録して、帰ってくる。それだけです。──それが、あの森の、唯一の攻略法です」
ソラは、答えられなかった。
彼の頭の中には、たぶん、そういう概念が、ない。
三年間、彼は、全部、力で解決してきた。魔物が出れば、斬った。壁があれば、壊した。それで、うまくいった。ずっと。
だから、分からない。
「逃げることが、正解」という盤面が。
「弱いことが、有利」という状況が。
──この世界の、外側にある考え方が。
「……分かったよ」
ソラは、ようやく、そう言った。
「じゃあ、案内してくれ。あんたが」
「条件があります」
「条件?」
「三つ」
俺は、指を、折った。
「一つ。森の中では、俺の指示に、従ってください。一つの例外もなく」
「はぁ!? なんで俺が、あんたの──」
「二つ」
俺は、遮った。
「魔力を、使わないでください。あの森の魔物は、魔力に反応します。そして、あなたは──」
俺は、彼を、見た。
「この世界で、最も、明るく光る」
ソラの、動きが、止まった。
「三つ」
俺は、最後の指を、折った。
「危ないと判断したら、俺の判断で、撤退します。聖剣が、手に入らなくても」
「──ふざけんな!!」
ソラが、叫んだ。
初めて、その顔に、怒りが、浮かんだ。
「なんで、あんたの言うことを、聞かなきゃならねえんだよ! 俺は、勇者だぞ! 王様に、命じられて来てんだ!」
「では、一人で行ってください」
俺は、静かに、答えた。
「……っ」
「あなたなら、魔物は倒せます。──ですが、聖剣には、辿り着けない。そして、たぶん、出てこられない」
俺は、続けた。
「あなたが、あの森で、迷って、彷徨って、聖剣も取れずに、死んでいく。──それを、見殺しにするのは、寝覚めが悪い」
ソラの、動きが、止まった。
「だから、条件を、飲んでください」
俺は、静かに、言った。
「あなたを、生きて、帰すために」
◇
ソラは、長い間、俺を、睨んでいた。
その顔が、赤くなっていた。
怒りだ。当然だ。三年間、誰にも、こんな口を利かれたことは、なかっただろう。「すごい」「さすが」「勇者様」。それしか、聞いてこなかった少年が、初めて、格下のはずの男に、「見殺しにするのは寝覚めが悪い」と、言われた。
だが。
「……くそ」
彼は、拳を、握りしめた。
そして、絞り出すように、言った。
「……分かった」
「聞こえません」
「分かったって言ってんだろ!!」
彼は、叫んだ。
「聞くよ! あんたの言うこと、聞く! ──だから、案内してくれ!」
俺は、頷いた。
「では、三日後に、出発します。準備をしてください」
「三日!? なんでそんなに──」
「装備を、揃えます」
俺は、答えた。
「感覚強化の付与品を、あなたたちの分も。──あの森では、それしか、使えません」
◇
ソラが、宿へ引き上げた後。
広間には、重い、沈黙が、落ちていた。
「……レイジ」
ガルドが、掠れた声で、言った。
「お前、あれ、分かってて、やったよな」
「何がです」
「わざと、突き放した」
俺は、答えなかった。
「あいつ、三年間、誰にも、逆らわれたことがねえんだ。──『すごい』『さすが』『勇者様』。それしか、聞いてこなかった」
ガルドは、続けた。
「そこに、お前が、いきなり『見殺しにするのは寝覚めが悪い』だ。あいつからすりゃ、格下に、情けをかけられたんだぞ。……なあ、レイジ。何を、狙ってる」
俺は、しばらく、黙っていた。
そして、静かに、言った。
「──王国の、狙いを、確認したかったんです」
「あ?」
「なぜ、王国は、勇者を、送ってきたと思いますか」
俺は、全員を、見渡した。
「聖剣の回収。それは、表向きの理由です。──ですが、それだけなら、監査官でも、使者でも、いい。『あのクランに、案内させろ』と、命令書を送れば済む」
俺は、続けた。
「なぜ、勇者本人を、送ってきたのか」
広間が、静まり返った。
「……あ」
ニックが、口を、開いた。
「まさか」
「ええ」
俺は、頷いた。
「俺たちを、見に来たんです」
「盤上の灯は、目立ちすぎました」
俺は、静かに、言った。
「半年で、支部長を一人、失脚させた。伯爵家の依頼を、奪った。百人の冒険者を、支部の外に、束ねた」
「……」
「そして、俺たちの理念は──『才能で、人を測らない』」
俺は、続けた。
「ランク制度は、王国が、冒険者を管理するための、装置です。才能値で選別し、格付けし、動員する。──俺たちは、その根っこを、否定した。しかも、成功してしまった」
俺は、窓の外を、見た。
「王国から見れば、俺たちは、危険な組織です。──潰したい。ですが、正面から潰す口実が、ない。俺たちは、何一つ、規則を破っていない」
俺は、静かに、言った。
「だから、勇者を、送った」
「……なんで」
「一つ。俺たちが、どれだけ危険な組織か、内側から、見るため」
俺は、指を、折った。
「二つ。聖剣を、回収させるため」
そして、三本目を、折った。
「三つ。──用が済んだら、潰すため」
◇
広間が、凍りついた。
「お、おい、待て」
ニックが、掠れた声で言った。
「それ、あの勇者が、俺たちを、潰しに来るってことか!?」
「いえ」
俺は、首を振った。
「あの少年は、何も、知りません」
俺は、扉の方を、見た。
「彼は、『聖剣を取ってこい』としか、言われていない。──それだけです」
「……」
「彼は、王国の、駒です。しかも、自分が駒だと、気づいていない」
俺は、静かに、言った。
「三年前、十四で、召喚された。異界から、いきなり。そして、『お前は勇者だ』『魔族は敵だ』『王国は正しい』──そう教えられて、そのまま、育った」
俺は、目を、細めた。
「戦う理由を、一度も、自分で選んだことがない」
セシリアが、口元を、押さえた。
「……まだ、子供では、ありませんか」
「ええ」
俺は、頷いた。
「十四で連れてこられて、十七の、今まで。──疑うことを、教わらなかった。それだけです」
◇
「……なら、どうする」
ガルドが、掠れた声で、聞いた。
「王国の狙いが、そうなら。聖剣を取らせて、用が済んだら、潰される。──断るのか?」
「断れません」
俺は、答えた。
「勇者本人が、来ている。王命です。断れば、それこそ、潰す口実になる」
「じゃあ、どうすんだよ!」ニックが、叫んだ。
俺は、しばらく、黙っていた。
そして、静かに、言った。
「あの少年自身は、まだ、どの盤面にも、乗っていません」
「……あ?」
「王国に、飼われているだけです。自分で、戦う場所を、選んだことがない。──なら、まだ、間に合う」
「間に合うって、何が」
「あの少年を、取り戻すことが、です」
広間が、静まり返った。
俺は、窓の外を、見た。
北西の方角。
霧に沈んだ、誰も帰らない、精霊の地。
「言ったはずです。俺には、あの少年を、倒す手がない。嵌める手も、ない。あれは、盤面の、外の力だ」
俺は、続けた。
「ですが、あの森でなら──あの少年の強さは、通用しません。才能も、意味をなさない。魔物を、何体倒しても、霧は晴れない。剣を、どれだけ振るっても、聖剣には、辿り着けない」
俺は、目を、細めた。
「あそこで、あの少年は、生まれて初めて、思い知ります。──強いだけでは、どうにもならない、ということを」
「……」
「その時、あいつは、初めて、自分の頭で、考えるはずです。『なぜ、この一番弱い男に、できて、俺に、できないのか』と」
俺は、静かに、言った。
「──そこから、始めます」
◇
「王国は、あの少年を、俺たちを潰す駒として、送ってきた」
俺は、続けた。
「なら、俺は、その駒に、教えます。──自分が、駒だということを」
俺は、目を、閉じた。
「そして、駒じゃなく、自分で、盤面を選べるのだと。──それを、あの森で、覚えさせます」
広間が、静まり返っていた。
やがて、ガルドが、深く、息を吐いた。
「……お前は、本当に」
彼は、額を、押さえた。
「王国が、最強の駒を、俺たちを潰すために送ってきた。──それを、お前は、逆に、こっちの盤面に、引き込もうとしてる」
「引き込む、のではありません」
俺は、答えた。
「あの少年が、自分で、選ぶんです。──俺は、選べる場所を、見せるだけだ」
◇
その夜。
俺は、執務室で、一人、記録を、眺めていた。
『ソラ 推定総合:四〇〇』
四百。
──次元が、違う。俺の、九十七では、指一本、触れられない。
倒す手も、嵌める手も、ない。
だが。
「……神様」
俺は、呟いた。
『下の国が、勝手に、一人、呼びよってな』
『餞別に、才能を、詰めるだけ、詰めたんじゃ』
『もし、どこかで、会うたら。──仲良う、してやってくれ』
俺と、あの少年は、似ている。
どちらも、神様の、手違いから、こぼれた。この世界に、予定なく、放り込まれた。
──ただ、片方は、何もかもを、持たされ。もう片方は、端数しか、渡されなかった。
「……皮肉なもんですね」
俺は、乾いた笑いを、漏らした。
「持てる者が、駒にされて。持たざる者が、それを、取り戻そうとしている」
俺は、窓の外を、見た。
ハルベルの街。無数の、灯り。
北西の空の、低いところに、あの日と同じ、見慣れない光が、瞬いていた。精霊の地の、方角だ。
「……やってみますよ、神様」
俺は、記録を、閉じた。
「俺には、あいつを、倒せない。だが──盤面の、外の力を、盤面の、内側に、迎えることは。……できるかもしれない」
窓の外で。
光が、静かに、瞬いていた。




