第28話・幕間 盤上の灯(ステータス回)
支部長ジグムントが去って、七日。
新しい支部長が着任し、街は、少しずつ、日常を取り戻していた。
そして、その日。
クランハウスに、測定の水晶が、運び込まれた。
「──支部からの、貸与だそうです」
受付の職員が、困惑した顔で、言った。
「新任の支部長が、『盤上の灯の所属者は、支部まで測定に来なくてよい。水晶を貸す』と」
「へえ」
ニックが、口笛を吹いた。
「ずいぶん、下手に出てるじゃねえか」
「そりゃ、そうだろ」
ガルドが、鼻を鳴らした。
「前任者が、うちを潰そうとして、罷免されたんだ。同じ轍は踏みたくねえだろうよ」
俺は、その水晶を、静かに、見ていた。
支部の匙加減が、変わった。
だが──それは、匙加減が、こちらに傾いただけだ。仕組みそのものは、何も、変わっていない。
「……まあ、いいでしょう」
俺は、頷いた。
「使わせてもらいましょう。──全員、測定します」
◇
『──【ガルド】 三四歳 冒険者ランクB』
『腕力:44』
『耐久:47』
『敏捷:28』
『器用:30』
『魔力:22』
『総合戦闘力:171』
『ギフト:【不動】』
『一度構えた足は、そう簡単には退かない』
『スキル:大盾術(上級)/大剣術(上級)』
『挑発(上級)/パーティー指揮(上級)』
『クラン運営(中級)/交渉(初級)』
「……俺、一しか上がってねえのか」
ガルドが、微妙な顔をした。
「三十四です。伸びる歳じゃありません」
「言い方!」
「ですが」
俺は、記録を、指した。
「スキルが、二つ、増えています。『クラン運営』と『交渉』」
「……そりゃ、書類仕事ばっかりだからな」
ガルドは、苦笑した。
「前は、剣振ってるだけでよかった。今は、伯爵家の家令と、話をしてる。……人生、分からんもんだ」
そして、彼は、少しだけ、目を細めた。
「なあ、レイジ。──『パーティー指揮』、上級になってるな」
「ええ」
「六年、中級のままだったんだぜ、これ」
彼は、水晶を、見つめた。
「お前が来てから、上がった。──お前の盤面を、隣で見てたからだ」
◇
『──【セシリア】 二六歳 冒険者ランクB』
『腕力:20』
『耐久:26』
『敏捷:25』
『器用:31』
『魔力:62』
『総合戦闘力:164』
『ギフト:【聖光の加護】』
『祝福と回復の資質』
『※本来の位階は、まだ眠っている』
『スキル:回復魔法(上級)/祝福・中位(達人)』
『状態異常治癒(上級)/看破(上級)』
「あら」
セシリアが、目を丸くした。
「祝福が、達人に」
「あの十日で、ですね」
俺は、頷いた。
「祝福の使い方を知らないパーティーに入って、毎日、魔力を空にしていた。──あれで、伸びたんでしょう」
「ふふ。……苦労した甲斐が、ありました」
彼女は、微笑んだ。
そして、その記録の、一行を、見た。
『※本来の位階は、まだ眠っている』
「……この一行、ずっと、出るんです」
彼女は、静かに言った。
「六年前から。何度測っても、同じ」
「眠っている、とは」
俺の問いに、彼女は、首を振った。
「分かりません。教会でも、聞いたことがない表記だそうです。──ただ」
セシリアは、自分の手を、見た。
「時々、思うんです。私の光は、こんなものじゃない、と。……もっと、届くはずだ、と」
彼女は、そこで、言葉を、切った。
「……いえ。気のせいですね」
◇
『──【ニック】 二一歳 冒険者ランクC』
『腕力:31』
『耐久:29』
『敏捷:54』
『器用:40』
『魔力:16』
『総合戦闘力:157』
『ギフト:【韋駄天】』
『敏捷の器が大きい』
『スキル:斥候(達人)/索敵(上級)/短剣術(中級)』
『話術(達人)/情報収集(上級)/罠設置(上級)』
『指導(初級)』
「──おおっ! 斥候、達人になってる!」
ニックが、飛び上がった。
「四年、上級で止まってたんだぞ、これ!」
「教育に回ったからでしょう」
俺は、答えた。
「人に教えると、自分の技を、言葉にしなきゃならない。──言葉にすると、初めて、分かる」
「……あー」
ニックは、頭を掻いた。
「そうかもな。『なんで、こうやって索敵するのか』って聞かれて、俺、答えられなかったんだよ。『そういうもんだ』としか」
彼は、記録を、見た。
「んで、必死に、考えた。なんでだろうって。……そしたら、分かったんだ。俺が、四年かけて、身体で覚えたことに、全部、理由があった」
彼は、笑った。
「レイジ。お前が、俺を教育に回した理由、それか」
「……さあ」
「絶対、そうだろ!!」
◇
『──【フィオナ】 一七歳 冒険者ランクB』
『腕力:19』
『耐久:24』
『敏捷:30』
『器用:35』
『魔力:104』
『総合戦闘力:212』
──広間が、静まり返った。
「……は?」
ニックが、水晶を、二度見した。
「魔力、百四!?」
「……ええ」
フィオナが、自分の手を、見つめていた。
「そんな、馬鹿な。だって、お前、前は九十じゃ」
「九十でした」
彼女は、静かに、答えた。
「三ヶ月前まで」
広間が、ざわめいた。
魔力、百。
この街の測定記録で、それは──誰も、到達したことのない、領域だった。
歴代最高値は、フィオナ自身の、九十。
それを、彼女は、十四も、超えた。
「……フィオナさん」
俺は、その記録を、見つめた。
「あなた、この三ヶ月で、何回、魔力を空にしましたか」
彼女は、少し、考えた。
「……数えていません」
「毎日ですね」
「……ええ」
俺は、頭の中で、計算した。
貸し出しの、十日。詠唱を二十七回潰され、毎日、魔力を空にした。
精霊の地の、二日。半日、走りながら、意味のない氷を撃ち続けた。
そして、その後も。──彼女は、依頼のたびに、限界まで、使い続けていた。
「……器が、広がったんですね」
俺は、静かに、言った。
「文献に、あります。魔力の器は、限界を超えて酷使し続けると、わずかに、広がる。──ただし」
俺は、その先を、言い淀んだ。
「──ただし、普通は、命懸けです」
フィオナは、答えなかった。
代わりに、俺を、見た。
そして、少しだけ、笑った。
「……知っていました」
「え?」
「限界突破のことは、学院で、習いました。危険だから、やってはいけない、と」
彼女は、静かに、言った。
「でも、やりました」
「なぜ」
「あなたが、いない場所で」
彼女は、俺を、見つめた。
「私が、あなたに、守られていたことを、知ったからです」
広間が、静まり返った。
「詠唱を、二十七回、潰されて。魔力を、毎日、空にして。──私は、こんなに、弱かったのか、と、思いました」
彼女の声が、震えていた。
「だから、決めたんです。──次は、守られない、と」
俺は、答えられなかった。
「レイジさん。私は、あなたの盤面の上で、撃つだけの駒でした。それは、それで、心地よかった。……でも、もう、嫌なんです」
フィオナは、杖を、握りしめた。
「私は、あなたの隣に、立ちたい」
──沈黙。
そして、ニックが、静かに、頭を抱えた。
「……なあ、旦那」
「言うな」
「あれ、告白だろ」
「言うなって」
「レイジ、なんて答えると思う?」
俺は、その記録を、見ていた。
魔力、百四。総合、二百十二。
──Aランク相当。
「……フィオナさん」
「はい」
「無茶を、しましたね」
彼女の、眉が、動いた。
「それだけ、ですか」
「命懸けだと、言いました。文献にも、そう書いてある。──器が、壊れることもある」
俺は、続けた。
「今度から、限界突破をする時は、俺に、言ってください。──俺が、隣で、見ています」
フィオナの、目が、見開かれた。
そして。
その頬が、ゆっくりと、染まった。
「──っ、それは」
彼女は、慌てて、顔を背けた。
「……戦術的な、提案ですか」
「はい」
「……そうですか」
彼女は、俯いた。
そして、蚊の鳴くような声で、言った。
「……なら、いいです」
◇
「──あかん」
ニックが、テーブルに、突っ伏した。
「ケイル。お前、半年に賭けてたよな」
「賭けましたわ」
隅で帳面をつけていたケイルが、狐目を細めた。
「……あかんな、これ。十年に、賭け直しますわ」
「賭け、変更できねえよ!」
◇
『──【バッセ】 六八歳 元冒険者ランクB』
『腕力:16』
『耐久:20』
『敏捷:22』
『器用:32』
『魔力:16』
『総合戦闘力:106』
『ギフト:【健脚】』
『現役時の主力。今は見る影なし』
『スキル:気配察知(上級)/罠解除(上級)』
『観察眼(達人)/文書整理(達人)』
『記録解析(達人)』
「……ほう」
バッセさんが、丸眼鏡を、押し上げた。
「『記録解析』が、出とるのう。こんなスキル、初めて見た」
「新しく、生えたんですね」
「六十八にして、新スキルとはな」
老斥候は、くしゃりと、笑った。
「四十年、ただ記録をつけとっただけの爺じゃった。……それが、この半年で」
彼は、二階の資料室を、見上げた。
「記録が、人を、生かすようになった。──そしたら、スキルが、生えよった」
彼は、目を、拭った。
「……面白いもんじゃのう。人生ってのは」
◇
そして。
「──最後に、俺です」
俺は、水晶に、手を置いた。
全員が、こちらを、見た。
光が、収束していく。
そして、数値が、浮かんだ。
『──【レイジ】 一九歳 冒険者ランクF』
『腕力:16』
『耐久:18』
『敏捷:24』
『器用:29』
『魔力:10』
『総合戦闘力:97』
『ギフト:【自己強化・小】』
『自己を、わずかに強化する』
──沈黙。
「……九十七」
ニックが、呟いた。
「三ヶ月前が、九十三だったよな」
「ええ」
「四しか、上がってねえのか」
「そうですね」
俺は、頷いた。
「一般的なF級冒険者の平均が、百二です。──まだ、届いていません」
広間が、静まり返った。
支部長を、失脚させた男。
伯爵家の依頼を、達成した男。
八十人を束ね、百人に増やし、この街の匙加減を、終わらせた男。
その数値が。
九十七。
「……ランク、Fのままかよ」
ニックが、掠れた声で、言った。
「はい」
「上がらねえのか」
「上がりません。測定値が、基準に満たないので」
俺は、淡々と、答えた。
「支部の基準では、俺は、Fランクです。──それは、たぶん、これからも、変わらない」
◇
「……ふざけるな」
ニックの、声が、震えていた。
「なんだよ、それ。おかしいだろ。──お前が、Fだって?」
「事実です」
「事実じゃねえ!!」
彼は、水晶を、殴りつけた。
「この石が、間違ってんだよ! お前を、測れてねえんだ!」
「ニック」
俺は、彼の肩に、手を置いた。
「落ち着いてください」
「落ち着けるか! お前は──」
「──いいえ」
その時。
静かな声が、割って入った。
フィオナだった。
彼女は、水晶の前に、歩み出た。
そして、その数値を、じっと、見つめた。
「ニックさん。その水晶は、間違っていません」
「フィオナさん!?」
「これは、正確です」
彼女は、静かに言った。
「レイジさんの、腕力、耐久、敏捷、器用、魔力。──全部、正確に、測れています」
「じゃあ、なんで──」
「測る項目が、足りないだけです」
広間が、静まり返った。
フィオナは、水晶に、手を触れた。
「この水晶は、五つしか、測りません。腕力。耐久。敏捷。器用。魔力。──たった、五つ」
彼女は、俺を、見た。
「では、聞きます。レイジさんの、観察眼は、どこに出ますか」
「……」
「盤面を組む力は? 記録を読む力は? 相手の攻撃を駒に変える力は?」
彼女の声が、静かに、響いた。
「十日で誰も帰らない森を攻略する力は? 八十人の記録を頭に入れて、最適な依頼を割り振る力は?」
──誰も、答えられなかった。
「どこにも、出ません」
フィオナは、断言した。
「この水晶は、レイジさんの、一番大事なところを──何一つ、測れていない」
◇
「──それに」
フィオナは、水晶の、一行を、指した。
『ギフト:【自己強化・小】/自己を、わずかに強化する』
「この、ギフトの説明」
彼女は、静かに、言った。
「『自己を、わずかに強化する』。──たった、それだけ」
彼女は、俺を、見た。
「でも、私は、見ました。あなたが、精霊の地で、四つの付与品を、途切れさせずに、使い続けるのを」
俺の、内心が、わずかに、引き締まった。
「付与品は、一つしか、維持できないはずです。二つ目を発動すれば、一つ目が消える。──それが、理です。なのに、あなたは、四つ、同時に、使っていた」
彼女は、続けた。
「私は、それを、『目にも留まらぬ速さで、掛け直している』のだと、思いました。──でも、あなたの魔力は、十。掛け直しているなら、とっくに、切れているはずだった」
彼女は、その一行を、指で、なぞった。
「つまり、この、『わずかに強化する』という、しょうもない説明の裏に──この水晶が、測れていない、何かがある」
彼女は、顔を上げた。
その紫の目が、静かに、燃えていた。
「レイジさん。あなたのギフトの、本当の名前は。──この水晶には、書けないんです」
俺は、答えなかった。
答えられなかった。
──やはり、この女は、あと一歩、だ。
だが、その一歩は、まだ、届いていない。彼女は「掛け直している」という、間違った前提の中に、いる。だから、真相の輪郭に触れながら、その正体には、届かない。
「……フィオナさん」
「答えなくて、いいです」
彼女は、微笑んだ。
「私が、解き明かしますから」
彼女は、水晶から、手を離した。
そして、俺の前に、立った。
紫の目が、まっすぐに、俺を、見ていた。
「レイジさん」
「……はい」
「私、決めました」
彼女は、静かに、言った。
「あなたを測る物差しは、私が作ります」
広間が、しんと、静まり返った。
「この、役立たずの水晶の、代わりに」
「……それは」
俺は、答えようとして。
そして、言葉に、詰まった。
心拍が、跳ねていた。
「……戦術的な、興味ですか」
「そうです」
フィオナは、即答した。
そして、つんと、顎を上げた。
「他に、何があるんですか」
その耳が。
真っ赤だった。
「──あかん」
ケイルが、帳面を、閉じた。
「二十年ですわ」
「延ばすなって!!」
◇
その夜。
俺は、執務室で、一人、記録を、眺めていた。
『総合戦闘力:97』
Fランク。一般人以下。
──三ヶ月前と、変わらない。
いや、正確には、四だけ、上がった。
だが、その四に、意味はない。俺は、相変わらず、この街で、最も弱い。
「……そのはずなんだが」
俺は、自分の手を、見た。
三ヶ月前。俺は、精霊の地で、四つの付与品を、半日、使い続けた。
魔力、十。
普通なら、二つ目を発動した瞬間に、一つ目が消える。誰もが、そうだ。
だが、俺は、違う。
「……【自己強化・小】」
俺は、小さく、呟いた。
身体の芯に、いつもの、温かいものが、灯った。
十パーセント。
たった、それだけの、底上げ。
だが──それは、すべての強化の、外側にある。
祝福の上に、乗る。指輪の上に、乗る。付与品の上に、乗る。腕輪も、ミサンガも、護符も、耳飾りも──打ち消し合わず、全部、重なって、生き続ける。
だから、俺は、掛け直さない。一度、発動すれば、全部、乗ったまま、続く。
維持するだけの、わずかな魔力で。
「……なぜだ」
俺は、その事実を、初めて、正面から、考えた。
なぜ、俺のギフトは、外側にあるのか。
なぜ、俺だけが、積めるのか。
そして、なぜ──神様は、俺に、これを、与えたのか。
◇
『すまんなあ。ほんまに、手違いでな』
『お前さんの分の、才能。もう、あらかた、配ってもうたんじゃ』
俺は、二年前の、あの老人の言葉を、思い出していた。
『けどな、これだけは、渡せる。……お前さんのこれ、区分が、おかしくてな。他の連中の強化とは、別の棚に、入っとる』
『しょうもない、端数の力じゃ。──じゃが、まあ』
『使い方次第、かのう』
別の棚。
すべての強化の、外側。
──だから、打ち消し合わない。だから、全部、乗る。
「……使い方次第、か」
俺は、乾いた笑いを、漏らした。
そして、その老人が、最後に言った言葉も、思い出していた。
『あー、それとな。ついでに言うとくが』
『下の国が、勝手に、一人、呼びよってな』
『儀式で、魂を、引っ張りよった。わしが、止める間も、なかったわ』
『行ってしまうのは、仕方ないから──餞別に、才能を、詰めるだけ、詰めたった』
『あの子が、あんまり、真っ直ぐな目ぇ、しとったもんじゃからな』
『……そのせいで、お前さんの分が、尽きたんじゃが』
そして。
『もし、どこかで、会うたら。──仲良う、してやってくれ』
◇
俺は、ペンを、置いた。
二年間、忘れていた言葉だった。
いや、忘れていたのではない。
関係ないと、思っていたのだ。
才能を、全部詰め込まれた、真っ直ぐな目の少年。そんな存在が、この世界のどこかにいるとして。──俺とは、何の関係もない。俺は、Fランクの、最底辺だ。
だから、盤面の外に、置いていた。
「……そのはずなんだが」
俺は、窓の外を、見た。
盤上の灯は、目立ちすぎた。
半年で、支部長を一人、失脚させ、領主家の依頼を奪い、百人の冒険者を、支部の外に、束ねた。しかも、「才能で人を測らない」という理念で。
──それは、ランク制度への、否定だ。王国が、冒険者を管理するための、装置への。
王国から見れば、俺たちは、危険な組織だろう。いずれ、何か、仕掛けてくるかもしれない。
そこまでは、読める。
だが──なぜだろう。
その時、ふいに、二年間、盤面の外に置いていた、あの老人の言葉が、頭の中に、浮かんできた。
『才能を、詰めるだけ、詰めたんじゃ』
『もし、どこかで、会うたら。──仲良う、してやってくれ』
「……なぜ、今、これを」
俺は、呟いた。
盤面には、何の関係もない、記憶のはずだった。
なのに、その言葉は、消えずに、頭の隅に、残っていた。
まるで、これから、指されるべき、一手のように。
俺は、窓の外を、見た。
数えきれないほどの、街の灯り。
その、遥か遠く。
北西の空の、低いところに、一つ、見慣れない光が、瞬いた気がした。
──気のせいだろう。
俺は、灯りを、消した。




