第27話 最後の手
精霊銀の納品は、期限の、八日前だった。
伯爵家の家令は、荷馬車から降ろされた原石を、震える手で、確かめた。
「……本物、ですな」
「はい」
「純度も、申し分ない。──これなら、細工師が」
彼は、そこで、言葉を、詰まらせた。
そして、深く、頭を下げた。
「ありがとうございます。……本当に」
その頭は、なかなか、上がらなかった。
伯爵家の家令が、一介のクランに、頭を下げ続けている。周りの使用人たちが、困惑した顔で、それを見ていた。
「……三度、失敗しました」
家令は、俯いたまま、言った。
「そのたびに、私は、伯爵に、報告に上がりました。『できませんでした』と。……四度目は、ないと、覚悟しておりました」
彼は、顔を上げた。
その目が、赤かった。
「あなた方は、十日で、調査を終え、二日で、掘り出した。──支部が、三ヶ月かけて、できなかったことを」
「……記録が、あったからです」
俺は、そう答えた。
「四十年ぶん、この街の資料室に、眠っていた記録が。──支部は、それを、使わなかっただけです」
家令は、しばらく、俺を、見ていた。
そして、静かに、言った。
「……伯爵に、そう、お伝えします」
◇
その報告が、どう伝わったのか。
三日後、俺たちは、それを、知ることになった。
「──おい、レイジ!」
ニックが、血相を変えて、クランハウスに、駆け込んできた。
「支部の掲示板、見てきたか!」
「いえ」
「見てこい! いや、見なくていい! 俺が言う!」
彼は、息を切らしながら、言った。
「支部長が、更迭される」
広間が、静まり返った。
「──何ですって」
「本部からの、通達だ! 掲示板に、貼り出されてる! 『ハルベル支部長ジグムント、業務改善の指導のため、王都本部へ召還』──実質、更迭だ!」
俺は、静かに、その言葉を、聞いていた。
そして、頭の中で、盤面を、確認した。
「……早いですね」
「早い!? 何が!」
「伯爵家への納品から、三日です」
俺は、答えた。
「本部が、独自に調査して、判断を下すには、早すぎる。──つまり、伯爵が、動いた」
俺は、続けた。
「伯爵家が、本部に、直接、抗議したんでしょう。『三度の失敗と、追加報酬の要求。しかも、一介のクランが、十二日で達成した』と。──領主からの正式な抗議です。本部は、動かざるを得ない」
「……」
「そして、本部にとって、支部長は、切りやすい」
俺は、静かに言った。
「達成率、七割切り。負傷者、二桁。領主からの抗議。──守る理由が、どこにもない」
◇
「……勝った、のか?」
ガルドが、掠れた声で、言った。
「俺たちは、支部長に、勝ったのか?」
俺は、答えなかった。
代わりに、盤面を、見ていた。
支部長ジグムント。更迭。王都本部へ、召還。
──そこで、終わりか?
「……いえ」
俺は、呟いた。
「まだです」
「まだ?」
「あの男は、まだ、この街にいます」
俺は、窓の外を、見た。
支部の建物。その最上階。
「召還までの猶予は、おそらく、十日ほど。──その間、あの男は、まだ、支部長です」
俺は、続けた。
「そして、追い詰められた人間が、最後に、何をするか」
◇
その夜。
支部長室の、灯りが、遅くまで、消えなかった。
ジグムントは、机の前に、座っていた。
十五年、この街を、仕切ってきた男。恰幅のいい、柔和な顔つき。指には、宝石の嵌まった指輪。
だが今、その顔は、蒼白だった。
「……なぜだ」
彼は、通達の書状を、握りしめていた。
『業務改善の指導のため、王都本部へ召還』
──体のいい、更迭だ。
王都に戻れば、待っているのは、査問だ。そして、その先は。
「……なぜだ!」
彼は、書状を、床に叩きつけた。
十五年。
十五年、彼は、うまくやってきた。
難度を偽り、報酬を削り、その差額を、抜いた。抜いた金は、伯爵家へ。伯爵家から、王国へ。
誰も、文句を言わなかった。冒険者は、気づかない。依頼主も、気づかない。伯爵は、金の出所に、興味がない。
完璧な、仕組みだった。
なのに。
「……あの、クランが」
盤上の灯。
たった半年前まで、所属五名の、弱小クラン。元搾取パーティーの、残りかす。
それが、今や、八十人を超え、達成率九割八分を叩き出し、伯爵家の依頼を、奪った。
「……許さん」
ジグムントは、震える手で、羽根ペンを、握った。
「許さんぞ」
彼は、新しい紙を、取り出した。
そして、書き始めた。
──最後の、手を。
◇
三日後。
俺たちは、その手を、知ることになった。
「──レイジ! 大変だ!」
クランハウスに、駆け込んできたのは、バッセさんが連れてきた、あの若い職員だった。
顔面が、蒼白だった。
「支部長が! 支部長が、王都に、報告書を!」
「報告書?」
「はい! 昨日、早馬で!」
彼は、息を切らしながら、言った。
「僕は、まだ支部に、伝手があります。それで、聞いたんです。──報告書の、内容を」
彼は、震える声で、言った。
「『盤上の灯の代表ガルドは、六年間、臨時冒険者を搾取し、不正な送金を行っていた犯罪者である』」
広間が、凍りついた。
「『そのような人物が率いるクランに、ハルベル伯爵家が依頼を出したことは、極めて不適切である』」
「『本部は、直ちに、盤上の灯の登録を抹消し、代表ガルドを、査問にかけるべきである』」
──沈黙。
そして。
「…………」
ガルドが、椅子から、ゆっくりと、立ち上がった。
その顔から、血の気が、引いていた。
◇
「──ふざけるな!!」
ニックが、テーブルを、殴りつけた。
「あの狸! 自分が仕込んどいて! 自分が弱み握っといて! それを、告発しやがったのか!」
「ニック、落ち着け」
「落ち着けるか!! 旦那が、どんな思いで──」
「事実だ」
ガルドの、静かな声が、それを、遮った。
広間が、静まり返った。
「……ガルド?」
「事実だよ。──俺は、六年、臨時を搾取した。送金も、ギルドの制度を、不正に使った。……全部、事実だ」
彼は、拳を、握りしめていた。
「あの男が、書いたことは、一つも、嘘じゃねえ」
「でも、それは、支部長が仕込んだんだろ!」
「仕込まれても、やったのは、俺だ」
ガルドは、静かに、言った。
「俺が、乗った。俺が、選んだ。──言い訳は、しねえ」
彼は、俺を、見た。
「レイジ」
「……はい」
「俺の首で、済むなら」
彼の声が、掠れた。
「──差し出す」
◇
「ガルド!!」
セシリアが、叫んだ。
初めて聞く、彼女の、悲鳴のような声だった。
「そんなこと、言わないでください!」
「セシリア。──いいんだ」
ガルドは、微笑んだ。
六年ぶりに見る、憑き物の落ちた、あの笑みだった。
「俺は、償わなきゃならん。ずっと、そう思ってきた。……レイジが、告発しなかった時から、ずっとだ」
彼は、続けた。
「あいつは、俺を、潰さなかった。代わりに、看板を背負えと言った。──俺は、それに、乗った。乗って、半年、精一杯やった」
「……」
「だが、俺の罪は、消えてねえ。看板を背負ったからって、消えるもんじゃねえんだ」
ガルドは、俺を、見た。
「レイジ。俺が査問にかけられて、それで、クランが守れるなら。──それでいい」
「駄目です」
俺は、即答した。
「なぜだ」
「──それは、支部長の、盤面だからです」
◇
「……どういうことだ」
俺は、頭の中で、盤面を、展開していた。
猛烈な速度で。
「ガルドさん。あの報告書の狙いは、あなた個人じゃない」
「……あ?」
「盤上の灯、そのものです」
俺は、続けた。
「考えてみてください。あなたを差し出せば、どうなりますか」
「……クランは、残る」
「残りません」
俺は、断言した。
「代表が、搾取の犯罪者として、査問にかけられる。──その瞬間、盤上の灯の『信用』が、死にます」
広間が、静まり返った。
「俺たちが、半年かけて積み上げたものは、何ですか。金じゃない。実績でもない。──信用です」
俺は、帳簿を、指した。
「一割五分、使途公開、遺族補償の積立。難度の真実を、無料で配る。独自評価で、冒険者を、正しく測る。──全部、『あそこは、嘘をつかない』という信用の上に、成り立っている」
「……」
「その信用の看板が、犯罪者だと、公にされたら」
俺は、静かに、言った。
「──依頼主は、全員、離れます」
ガルドの、顔が、青ざめた。
「商人も、商会も、伯爵家も。『あのクランは、犯罪者が率いていた』という一点で、二度と、依頼を出せなくなる。信用商売とは、そういうものです」
俺は、続けた。
「そして、八十人の冒険者も、離れます。彼らがうちに来たのは、『ここは、嘘をつかない』と思ったからです。──その前提が、崩れる」
「……」
「支部長は、それを、狙っている」
俺は、窓の外の、支部の建物を、見た。
「あの男は、自分が更迭されることを、もう、受け入れている。──だが、俺たちも、道連れにする気だ」
◇
「……なら、どうする」
ガルドが、掠れた声で、聞いた。
「反論するのか? 『あれは支部長に仕込まれたことだ』って?」
「それは、無理です」
俺は、答えた。
「証拠が、ありません」
広間が、静まり返った。
「支部長は、慎重な男です。ガルドさんに手口を仕込んだのは、口頭でしょう。書面は、一枚もない。──あなたが『支部長に言われた』と証言しても、あの男は『知らぬ存ぜぬ』で通せる」
「……」
「そして、ガルドさんの搾取の証拠は、山ほどある」
俺は、静かに言った。
「俺が、集めましたから」
──告発の、綴り。
半年前、俺が、ガルドの前に、置いたもの。
「あの綴りは、今、どこに」
「……俺が、持ってる」
ガルドが、答えた。
「燃やせと、お前は言った。だが、燃やせなかった。──俺の、罪の証明だからだ」
俺は、頷いた。
そして。
「──それが、勝ち筋です」
◇
「……は?」
ガルドが、目を丸くした。
「レイジ、お前、何を」
「ガルドさん」
俺は、静かに、言った。
「あの綴りを、王都本部に、提出しましょう」
広間が、凍りついた。
「……お前、正気か?」
ニックが、掠れた声で、言った。
「それ、旦那を、自分から告発するってことじゃねえか!」
「はい」
「なんで!!」
「──支部長より、先に、出すからです」
俺は、答えた。
そして、盤面を、展開した。
「支部長の報告書は、昨日、早馬で出た。王都まで、七日。本部が受理して、動き出すまで、さらに数日」
俺は、続けた。
「そして、その報告書には、こう書いてある。『盤上の灯の代表は、六年間、搾取を行っていた犯罪者である』」
俺は、全員を、見渡した。
「──では、本部は、それを、どう受け取りますか」
「どうって……」
「『告発された』と、受け取ります」
俺は、静かに言った。
「隠していた罪が、暴かれた。──そういう構図です」
そして。
「では、俺たちが、先に、出したら?」
◇
広間が、静まり返った。
「……あ」
ニックが、口を、開いた。
「盤上の灯が、自ら、代表の過去の罪を、本部に報告する。『我々の代表は、六年前から、支部長ジグムントの指示のもと、搾取に関与していました』と」
俺は、続けた。
「そして、その報告には、こう書きます」
俺は、指を、折った。
「一つ。搾取の全記録。臨時メンバー十四人の名前と、被害額。──全部、開示します」
「二つ。その罪を、我々は、既に、内部で処理していること。ガルドは、代表として、贖罪のために働いている。遺族補償の積立を作り、被害者への返済も、始めている」
「三つ。そして──この搾取の手口を、ガルドに仕込んだのは、支部長ジグムントであること」
「……だが、証拠が」
「証拠は、要りません」
俺は、答えた。
「本部が、知りたいのは、真実じゃない。──どちらが、信用できるか、だけです」
◇
「考えてみてください」
俺は、続けた。
「本部の机の上に、二通の報告書が、並びます」
「一通目。支部長ジグムントから。『あのクランの代表は、犯罪者だ。登録を抹消しろ』」
「二通目。盤上の灯から。『我々の代表は、六年前、支部長の指示で、搾取に関与しました。全記録を、開示します。既に、内部で処理し、被害者への補償を、始めています』」
俺は、全員を、見た。
「──どちらが、信用できますか」
沈黙。
そして。
「……こっちだ」
ニックが、掠れた声で、言った。
「自分から、罪を認めて、記録を全部出して、補償まで始めてる方が──信用できる」
「そうです」
俺は、頷いた。
「そして、もう一つ」
俺は、静かに、言った。
「支部長の報告書は、こう読めるようになります。──『自分が仕込んだ罪を、他人になすりつけようとした男の、悪あがき』と」
◇
「……レイジ」
ガルドが、震える声で、言った。
「だが、それでも、俺は、査問にかけられる」
「かけられます」
俺は、即答した。
「あなたの罪は、消えません。──嘘をついて、逃げることも、できません」
「……」
「ですが」
俺は、彼を、見た。
「本部が、二通の報告書を読んだ時。あの男の首と、あなたの首──どちらを切れば、丸く収まるか」
俺は、静かに言った。
「本部は、体面を守りたい。伯爵家からの抗議を、収めたい。支部の不正が、どこまで遡るかは、掘りたくない。──なぜなら、掘れば、王国への上納金に、辿り着くからです」
広間が、静まり返った。
「だから、本部は、こうします」
俺は、断言した。
「支部長ジグムントを、尻尾切りする」
◇
「そして、ガルドさんは」
俺は、続けた。
「『支部長に仕込まれた、従属的な立場の被害者』として、処理される。──罪は、問われるでしょう。ですが、重くはない。むしろ、自ら申告し、補償を始めた点が、評価される」
俺は、静かに、言った。
「盤上の灯の登録も、残る。──むしろ、『不正を自ら告発したクラン』として、名が上がる」
ガルドは、しばらく、答えられずにいた。
そして、掠れた声で、聞いた。
「……レイジ。お前、それ」
「はい」
「支部長の攻撃を、そのまま、あいつに返してるのか」
「ええ」
俺は、頷いた。
「あの男は、あなたの罪を、告発した。──その告発を、俺たちが、そのまま利用します」
俺は、告発の綴りを、思った。
半年前、俺が、ガルドの前に置いたもの。
彼が、燃やせなかったもの。
「あの綴りは、あなたを、潰すための札でした」
俺は、静かに、言った。
「──今度は、あなたを、守るための札になります」
◇
ガルドは、両手で、顔を覆った。
長い、長い沈黙があった。
そして、その手の下から、掠れた声が、漏れた。
「……くそ」
「ガルドさん?」
「くそっ……!」
彼は、椅子に、崩れ落ちるように、座り込んだ。
「お前は……お前ってやつは……」
肩が、震えていた。
「俺は、首を差し出すって言ったんだぞ。それで済むならって。──そしたらお前は、俺の罪を、全部、書いて出せって言う」
「はい」
「そんで、それが、俺を、守るって言う」
「はい」
「……意味が、分からねえよ」
ガルドは、笑っていた。
泣きながら、笑っていた。
「──なあ、レイジ」
「はい」
「お前、ほんとに、俺のこと」
彼は、そこで、言葉を、詰まらせた。
そして、掠れた声で、こう言った。
「……潰す気は、なかったんだな」
俺は、答えた。
「最初から、そう言っています」
そして。
「──復讐は、しません」
◇
セシリアが、ガルドの背に、そっと、手を当てた。
その手が、震えていた。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、六年間、ずっとそうしたかったように。
そして今度は、その手を、放さなかった。
◇
その夜。
俺は、執務室で、報告書を、書いていた。
盤上の灯から、王都本部への、正式な報告。
代表ガルドの、六年間の罪。その全記録。臨時メンバー十四人の名前と、被害額。そして、それを仕込んだ、支部長ジグムントの名前。
「……レイジさん」
扉が、開いた。
フィオナだった。
「まだ、起きていたんですか」
「明日の朝、早馬で出します。──急ぎますので」
彼女は、部屋に入ってきて、俺の手元を、覗き込んだ。
そして、しばらく、その報告書を、読んでいた。
「……随分と、正直に、書くんですね」
「ええ」
「一つも、隠していない」
「隠せば、負けます」
俺は、答えた。
「支部長は、隠すことで、十五年、生き延びてきました。難度を隠し、中抜きを隠し、上納を隠し。──そして、隠しきれなくなった時、他人になすりつけようとした」
俺は、ペンを、走らせた。
「俺たちの武器は、逆です。──全部、出す」
フィオナは、しばらく、俺を、見ていた。
そして、ふと、思い出したように、椅子を引いて、俺の向かいに、腰を下ろした。
「……レイジさん。一つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「精霊の地でのことです」
彼女の、紫の目が、俺を、見た。
「あなた、あの半日、付与品を、使い続けていましたね。暗視の腕輪。聴覚のミサンガ。遠見の護符。気配遮断の耳飾り」
「……ええ」
「それが、ずっと、途切れなかった」
俺は、答えなかった。
「おかしいんです」
彼女は、静かに、言った。
「付与品は、一つしか、維持できません。二つ目を発動すれば、一つ目が、打ち消される。──それが、この世界の理です」
彼女は、続けた。
「だから、複数の効果を使いたければ、一つずつ、切り替えるしかない。腕輪を発動し、切って、ミサンガを発動し、切って──と。そして、その切り替えのたびに、魔力を、通す」
俺は、内心で、少しだけ、感心した。
──やはり、この女は、正確だ。
「でも、あなたは、切り替えるそぶりが、なかった」
フィオナの声が、低くなった。
「腕輪も、ミサンガも、護符も、耳飾りも。──全部、途切れずに、効いていた。私が、崖から川へ逃げる、あの一瞬でさえ、あなたの目と耳は、生きていた」
彼女は、俺を、見た。
「つまり、あなたは、目にも留まらぬ速さで、絶えず、掛け直し続けている。──そうとしか、思えません」
「……」
「だとしたら、計算が、合わないんです」
彼女は、身を乗り出した。
「あなたの魔力は、十。この街の、最低値です。感覚強化の消費が、いくら小さくても──半日、絶え間なく、掛け直し続けたら」
紫の目が、まっすぐに、俺を、射抜いた。
「とっくに、切れているはずです」
俺は、ペンを、置いた。
そして、内心で、静かに、答えた。
──掛け直してなど、いない。
一度、発動すれば、全部、乗ったまま、続く。腕輪も、ミサンガも、護符も、耳飾りも。打ち消し合わずに、重なって、生き続ける。
だから、俺の魔力は、切り替えに、消費されない。最初に、一度ずつ発動させた、その分だけ。あとは、維持しているだけだ。
それが、できるのは。
付与品が、特別だからでは、ない。
──俺だから、乗る。
俺の【自己強化(小)】が、すべての強化の、外側にあるからだ。
だが、それは、言えない。
言えば、彼女は、必ず、辿り着く。「切り替えていない」という一点から、「なぜ、打ち消し合わないのか」へ。そして、その先の、俺の、最後の切り札へ。
「……フィオナさん」
「はい」
「あなたの、計算は、正しいです」
俺は、そう答えた。
嘘では、なかった。
「掛け直しているなら、俺の魔力は、とっくに、切れている。──あなたの言う通りだ」
「では、なぜ」
「……言えません」
フィオナの、目が、細くなった。
「……今、あなた、否定しませんでしたね」
「え?」
「私は、『あなたは掛け直し続けている』と、言いました。あなたは、それを、否定しなかった。ただ、『言えない』と」
彼女は、身を乗り出した。
「否定できないのなら、掛け直しているのは、事実。──なのに、切れない。矛盾しています」
「……」
「その矛盾を、あなたは、知っている。知っていて、隠している」
心拍が、跳ねた。
彼女の顔が、近い。
──危ない。
この女は、あと、一歩だ。「掛け直している」という、間違った前提に、立っている。だが、その前提が崩れた瞬間、彼女は、真相へ、雪崩れ込む。
だから、俺は、その前提を、崩さない。
「……ええ」
俺は、静かに、認めた。
「隠しています」
嘘に、嘘を、重ねる。
彼女が「掛け直している」と信じている限り、彼女は、真相には、届かない。俺は、その誤解の中に、身を、隠す。
「隠す理由が、あるんですか」
「あります」
「教えて、くれませんか」
「……言えません」
フィオナは、しばらく、俺を、見ていた。
その紫の目に、悔しさと──なぜか、少しの、嬉しさが、混じっていた。
「……ずるい人です」
彼女は、そう言って、立ち上がった。
「私が、あと少しで、届きそうなところで。あなたは、いつも、扉を、閉める」
「……すみません」
「謝らないでください」
彼女は、扉の方へ、歩いた。
そして、振り返らずに、言った。
「いいんです。──待ちますから」
その声は、なぜか、少しだけ、嬉しそうだった。
「あなたが、話したくなるまで。……いえ」
彼女は、扉に、手をかけた。
そして、振り返った。
紫の目が、まっすぐに、俺を、見ていた。
「私が、解き明かすまで。──どちらが、先か、勝負です」
「……勝負、ですか」
「ええ」
彼女は、つんと、顎を上げた。
「戦術的な、勝負です」
その耳が、少しだけ、赤かった。
そして、彼女は、去り際に、こう付け足した。
「……言っておきますけど。私、あなたのことを解き明かすのが、今、一番の、楽しみなんですから」
扉が、閉まった。
一人になった執務室で。
俺は、しばらく、その扉を、見ていた。
心拍が、まだ、乱れている。
祝福も、付与品も、切っているのに。
「……この乱れは」
俺は、呟いた。
「何の、数字だ」
そして、また。
読み解くのを、やめた。




